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03 ケンジ 52歳 フリーター

 まだ初夏になったばかりだったが、その日は夏日の気温だった。

 それは天気予報で確認していたが、服装を調整しようとまでは考えなかった。

 ところが、仕事が始まってから、後悔することになる。

 今日の仕事は「サンドウィッチマン」だった。

 体の前後に看板をぶらさげ、歩く広告となる。

 こんな仕事があったのは昭和の時代までだったような気がするが、まだあるようだ。

 繁華街は、人が溢れている。

 たしかに、いまどきサンドウィッチマンなんて見かけないから、人目を引くかもしれない。

 しかも、パンダの着ぐるみだ。

 通行の邪魔になるからと移動する場所は限定されている。オレは指定された三箇所に定期的に移動しては立ち止まり、近づいてきた客にチラシを渡す。それだけの仕事だ。

 広告は表がエステ、裏が整骨院と別の会社だが、同じビルに入っている。主に歓楽街で働く女性が顧客だが、何ヶ月か前に新規オープン時にこの広告を出したら初日から予約でいっぱいになったのだと言う。その時もオレだった。誰でもできる仕事だが、縁起がいいのでまたオレが指名されたということらしい。今回はチラシに漢方薬局の広告が相乗りしている。

 それにしても、暑い。

 今年で52歳になる。

 体力には自信がある、そのへんの大学生になんかに負けることはない。だが、これは体力というより、心に堪える。こんな歳になっても着ぐるみバイトだと……。それもある。

 オレはこの先もこんなことを続けているのだろうか……。それもある。

 だが、恩義がある。


 元極道。

 12年前の事件でオモテからもウラからも追われていた。

 そんなオレをオジキは助けてくれた。オレを生かすためにこの世から消してくれた。 

 アメリカの片田舎で10年を過ごした。ムショで10年過ごしたところで、オレが出世することはもうない。

 むしろ組はオレを許さないだろう。いや、もう忘れられた存在か。

 2年前、日本に戻ってきてからはオジキの斡旋してくる仕事で日々を凌いでいた。

 オジキもすでに足を洗っていた。いまは人材派遣会社を経営している。

 ヤクザがそんな転身を図れるなんて知らなかった。考えもしなかった。

 結局、オレはただのチンピラで、どんな業界でも出世する才能があるやつと、ないやつがいるだけなのだろう。

 オレはどの世界でも生きていけない、ゴミクズだ。

 こんな着ぐるみバイトくらいで文句言ってんじゃねえ。


「あ、パンダさんだー」

 子どもの声が聞こえる。

 声のほうを見ると、5人くらいの小学生が一斉に寄ってきた。

 いまは一応、休憩中だ。それに子どもは顧客対象じゃない。

 着ぐるみのなかで深いため息をつく。


 こんなことは前回にもあった。

 積極的な子どもはベタベタと触ってくる。控えめな子でも、遠くから見ている。

 パンダの何がいいのだろう。

 日本から本物のパンダがいなくなった。そんなニュースが出てからだいぶ経つ。

 だからだろうか、パンダは老若男女の客寄せにより使えるようになったのかもしれない。パンダはパンダの姿であるだけで、愛されるのか。

 パンダの中身がこんなどうしょうもないクズでも。

 だが、オレは子どもが苦手だ。無邪気で、世間知らずで、純真で、未来がある……。

 だからオジキにはそれとなくこういった仕事は勘弁して欲しいと伝えたはずだ。

 オレに関わっちゃいけない。


 オレは子どもだって殺してきた。


 ※  ※  ※


 着ぐるみバイトを終え、夜の工事現場の交通整理をして、深夜の警備のバイトをこなし、翌朝、オレは寝床にしている、ボロアパートに戻った。

 金属の階段を音を鳴らしながら上がって、一番奥に向かう。オレはそのままドアノブを回す。

 玄関のドアをあけて、見渡せる景色がこの部屋の全てだ。右手には使ったことのない手狭なキッチン。その奥に便所。風呂はない。開けっぱなしの襖の奥に寝床がある。メシ食う時に誓う低いテーブルと万年床だけがある。

 そして、目の前にはオジキがいた。

 白髪混じりの髭をたっぷり蓄え、仕立ての良さそうなスーツを着て、和室にあぐらをかいている姿はまったく違和感しかない。

「相変わらずカギもかけてねぇから、勝手に入ったぜ」

 オレのオジキ――向田龍むこうだりゅうは言った。いまは本名だが、馴染まないので忘れた。ヤクザはみんな渡世名だ。

「盗られるもんなんてオレの命くらいで、ほかにはなんもありません」

「……。仕事をもってきた」

「オジキが?」

 オレがやるバイトは、オジキが経営している企業グループのひとつ、NPO法人の小さな事務所で事務経理をしている〈チエちゃん〉というメガネの女性から受けている。決まった時間にそこに行くと仕事を斡旋された。仕事に必要なものでもそこで一式渡される。たとえば、スマホ。仕事の時に必要な場合にだけ貸与される。仕事が終われば返す。仕事をしていない時のオレは誰ともつながらない。もっとも、つながる相手もいない。

 話相手はこうして時々様子を見にくるオジキだけだった。

 オジキは俺の〈オヤジ〉の実の弟だった。ふたりはよく似ていて、礼儀作法に厳格で、ヤクザであっても卑怯なやり口を嫌っていた。極道は法の埒外にあっても、道は外れない。それが教えだった。〈オヤジ〉が病に倒れた後から実際に亡くなるまで、事実上、オジキが俺の庇護者となった。

「人をさらってこい」

 オジキは唐突に言った。

「え!?」

「俺が行くつもりだったが、どうにも身体がすぐれねえ」

「いや、オジキ、〈裏〉仕事はもうしないんじゃ……?」

「これは特別だ。だからお前にしか頼めねえ」

 オジキは俺の過去を抹消し、アメリカに逃した。以来、ヤクザがやるようなシノギはしていない。日本に戻ってからは日雇いか、せいぜい短期のバイトだけだった。危険を伴う体力仕事が多めだったが、最近は学生でもできそうなバイトばかりだ。だか、給与は毎月決まっていた。オレは月額固定のサラリーが確実にもらえるフリーターのようだった。どんな仕事を受けてもそれは変わらない。そんなものはこの世にないはずだ。いくらなんでもそれくらい知ってる。オジキの「情け」に文句を言えるはずもない。


 だが、そうか。


 いつかこういう仕事があった時のために、オレは存在したのか。

 アメリカの田舎では元軍人の家に居候していた。元軍人はグリーンベレー、いわゆる特殊部隊だった。

 オレの役割はそいつの鍛錬の相手をすることだった。予備役だとして現役に負けるのは彼のプライドが許さないということだった。オレはその日から総合格闘技マーシャルアーツを叩き込まれた。〈マスター〉には最後までボコボコにされたが、はじめた頃がド素人だとしたら、いまは少しは毛が生えたといっていい。

 帰国後もマスターとの約束通り、鍛錬を怠っていない。

 ただ、交通整理だの、PCRキットの梱包アルバイトに役立つはずもない。

「わかりやした。謹んでお受けしやす」

 俺は正座して頭を下げた。

「もう、極道みたいな真似はやめろ。お前は昔から〈古い〉」

 本当の極道になってから、ヤクザ映画ばかり観て影響されまくっていた俺は、誰からも〈古い〉と言われていた。

「は、はい……」

 オジキは無口な方だ。酒を飲んでいるときも姿を崩さない。だから緊張でものが言えなくなる。

「住所だけ教える。場所はここだ。一等地の戸建てだが、女性二人しか住んでいない。そのうちの10代の女をオレの事務所まで連れてこい」

「10代の女?」

「真崎のオヤジの縁者だ」

 真崎征四郎のことは知っている。向田のオジキやオヤジにとっての親分にあたる。すでに解散しているが八坂組の大親分だ。しかし、オレがこの世界に入った時にはすでに極道から足を洗っている。

「昨晩、オヤジが亡くなったようだ。だから俺は今から京都に行かなければならない。おかしな奴らが集まっている。オヤジの死も隠匿されているようだ」

「この女も一枚噛んでいるんで?」

「バカヤロウ。この娘はただの学生だ。だが、真崎のオヤジの唯一の縁者だ」

 ということは。これは人攫いではない? むしろ保護なのか。

「ただ、事情は知らせるな。抵抗もされるだろう。だから問答無用で攫ってこい。傷一つつけずにな」

 わけがわからないが、いつものバイトよりは〈オレらしい〉と思えた。

 命に火が灯ったような感触もあった。

「お前の口座に金を振り込んでおいた。手付けだ。有効に使え」

「へぇっ!」

「はいと言え」

 昔からのやりとりだった。なつかしい。

「はいっ!」


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