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野良犬協奏曲  作者: 無銘影虎
第二部
33/35

32 7月30日 ナツキ

「オジキ。話してくれませんか?」

「……」

「この記事には死傷者はカエデだけになっている。ナツキの遺体は見つかっていない。オレも死んだことにされている。これには意味があったんですか……?」

 ケンジは新聞の縮刷を手で握り潰していた。


「すまない。ケンジ。すべての責任はワシにある」

 沈黙していた向田はやっとつぶやいた。


「話してもらえますか」

 ジュンがうながす。


「ああ。本当ならばもっと早く、伝えるべきだった、くっ」

 向田が咳き込む。

 向田の世話をしているらしい女性があわてて、水を持ってくる。

 それから、介護用のベッドなのか、手元の装置で上体を起こした。

 向田はふーっと息をつく。


「ワシはな、数がかぞえきれないほどにオヤジに助けてもらった。命も、道もな」

 真崎の子分である慈恩会、慈英会では「道」と言う言葉が最重要とされていた。極道とはその字のごとく、道を極めることだった。親子、兄弟の上下は絶対だ。たとえ、ひとりの時でも上の批判はあってはならない。

 ケンジもそうやって育ってきた。ケンジの家族は全員「道」を踏み外していた。血は繋がっていなくても、同じ道を歩む。それが真の家族だ。政府や社会や生殖的な繋がりなんかで縛られない、真実のファミリーだ。

「だからワシにとってはオヤジの命令は絶対だ」


「わかります……」


「あの時、お前から連絡があってワシはすぐにアパートに向かった」

 向田は語る。

「すでにボヤが出ていた。火がつけられて間も無くだったのだろう。部屋に鍵はかかっていなかった。さっきも言った通り、カエデさんはすでに事切れていた。ワシは合掌してから、ナツキちゃんを探した。すぐに見つかった。押し入れに隠れていた……いや、隠されていたのだと思う。カエデさんによってな」

「ナツキは生きていたんで……」

「ワシが襖を開けて、ナツキちゃんは放心していたようだった。ワシの呼びかけにも一切応えなかった。カエデさんの姿を見て、ただ涙が流れていた」

「……」

「ナツキちゃんはカエデさんのそばに行き、だが、何もせずその姿を見ていた。何もせずに。ワシは必死に声をかけたがまるで無反応じゃった」

「……」

「火の手が強くなり、このままではいけないと、ワシはナツキちゃんを抱えて飛び出した。すまない。カエデさんはそのままにしておくほかできなかった」

 ケンジは目を閉じ、俯いた。

「それからはあっという間に火の手が及んで、野次馬が集まり始めた。ワシはとりあえず、自宅にナツキちゃんを連れて帰った。そのあと、お前に連絡を入れたが、つながらなかった。1日経って、お前が武州の事務所にカチコミ入れたのを知った。ナツキちゃんを病院に連れて行った頃だ。医者には精神的なストレスによる障害の疑いがあると聞いていた」

 ケンジはその頃まだひどい暴れようだった。島村組は壊滅状態にあり、シバも見つけられず、苛立っていた。

「真崎のオヤジが引退してから、いちばんに力を持っていたのは道源組だ。だが、あの頃からシバの武州組とはつながっていた。遺体処理ビジネスをやってるシバと〈殺しの軍団〉なんてな、相性が良すぎるんだよ」

 それはケンジも噂には聞いていた。真崎系の組織が、真崎の引退によって冷遇され始めたのもその頃だ。八坂組の系譜は戦前から血筋で継承されていた。だが実力はいまでは本部長である道源にかなわない、お飾りになっている。

「極道についての価値観が違いすぎる。真崎のオヤジを信奉するものにとってはな」

 だから真崎は極道引退宣言をしたのか。わざわざ記者会見まで開いて。

「ワシもそれに続くことは当初から決まっていた」

 向田のオジキが足を洗ったのは、ケンジの事件後のことだ。

「それまではオヤジの裏仕事をいちばんにやっていた」

「裏仕事?」

「ああ、オヤジは知っての通り国粋主義者だ。志を同じくする若い政治家に投資して、国を変えよう、いや保とうとしていた」

 ケンジもそこはなんとなくわかっている。

「政治家なんていってもな、所詮人間でよ。たたけば埃のひとつやふたつ、三つ四つ、あー数えきれねえがな、埃が出るもんだ」

 向田は一度水を飲んでからまた続ける。

「その後始末をワシらがやっていた。政治生命が終わらんようにな」

 ジュンはメモをとっていた。聞けば忘れないが、証拠という習慣術で紙に起こしている。

「お前が殺したとされているジャーナリスト……」

 ジュンの筆が止まる。

「あれは浦田善幸のスキャンダルに気づいていた」

 ここで浦田の名が上がったのは意外であり、ケンジとジュンは目を合わせる。

「浦田はオヤジのお気に入りだったが、下半身がどうしようもないやつでな。ワシも何度、隠蔽を手伝わされたことか。たが、ある時、娼婦を殺してしまった。ワシらにもかばいきれない事件だった。オヤジもいい加減に見捨てた。だが、浦田はシバを雇って、隠蔽した。あいつだ、〈死神〉〈棺桶運び〉の、な」

 そこで、シバが出てくるのか。

「この話に気づいてしまったやつがいる」

 ジュンはもうメモをとっていない。

「浦田はシバにそのジャーナリストの殺害を依頼したのだろう。これはワシの推測だ。だが、実際、その女は殺された。ケンジ、お前の現場(シマ)でな。それが事件のウラだ」

 シバとケンジはそれ以前から因縁があった。だが、一連の事件とはなにも関係ない。

「利用……されたってことですか!!」

「すまない。実はオヤジが浦田を見限った時、ワシは浦田を殺すように言われていた。だが、ワシはカタギを殺すことはできないと反対した。これはオヤジの教えでもあった。それを覆すほどにオヤジは怒り狂っていたということだ。だが、いまとなってわからない。浦田はオヤジから離れると表も裏も使いこなすようになった。後悔は多分にある」

 集まった仲間にはどうやら全員、浦田が絡んでいる。自分もそうだったとは。


「ケンジ。……ナツキちゃんは生きている」


 ケンジは呼吸が止まりそうになった。


「あの時、ワシが救い出した。記憶障害があった。言葉を話すこともできなくなっていた。オヤジのところで保護してもらった。それから一連の事件について相談をした……」

「……」

「まず、お前についてだが、死体をあげればケリはつけられるだろうと。抗争は避けられるだろうと。そんなことはワシにもわかっていた。その方法がない。だがオヤジはお前を殺さず、遺体を出して、警察もヤクザもだしぬけると言った。オヤジには表にも裏にもネットワークがある。それは可能だろうと知っていた。ワシはそれにすがりたいと思った。ケンジ、お前を失いたくなかったから」


 ケンジは向田から一切視線を逸らさない。表情も崩さない。だが、涙がとめどなく流れている。


「オヤジは条件をつけた。ナツキちゃんを姉御の養女として引き取ること。戸籍情報は親子ともどもも改ざんして、今後一切引き合わせないこと。オヤジは元極道であるが、ヤクザを嫌っていた。社会の落伍者と見下していた。人の親になる資格などないといつも言っていた。それで、オヤジの妹――アユカワヒロミさんは二度の流産で離婚して、精神的に不安定になっていた」


「それじゃ!!」

 思わずジュンが声を荒げる。


「そう、ヒメちゃんが、ナツキちゃんだ……」


 ※  ※  ※


 チアキは走っていた。

 清水寺に続く坂を下っていく。


 どうして! どうして!


 焦りと焦燥から心身ともに不安定になっている。


 ヒメちゃんがいない!


 彼女がトイレに行くと言ってから、10分近く戻らず、様子を見に行ったが、誰もいない。

 あわててチャットしたが既読がつかない。

 話せない彼女に無意味だと思っても電話をかけてみる。

 当然のように出ない。


 駆け出したものの、どこをどう探せばいいのかわからない。


 絶望に押しつぶされそうになっていた。

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