32 7月30日 ナツキ
「オジキ。話してくれませんか?」
「……」
「この記事には死傷者はカエデだけになっている。ナツキの遺体は見つかっていない。オレも死んだことにされている。これには意味があったんですか……?」
ケンジは新聞の縮刷を手で握り潰していた。
「すまない。ケンジ。すべての責任はワシにある」
沈黙していた向田はやっとつぶやいた。
「話してもらえますか」
ジュンがうながす。
「ああ。本当ならばもっと早く、伝えるべきだった、くっ」
向田が咳き込む。
向田の世話をしているらしい女性があわてて、水を持ってくる。
それから、介護用のベッドなのか、手元の装置で上体を起こした。
向田はふーっと息をつく。
「ワシはな、数がかぞえきれないほどにオヤジに助けてもらった。命も、道もな」
真崎の子分である慈恩会、慈英会では「道」と言う言葉が最重要とされていた。極道とはその字のごとく、道を極めることだった。親子、兄弟の上下は絶対だ。たとえ、ひとりの時でも上の批判はあってはならない。
ケンジもそうやって育ってきた。ケンジの家族は全員「道」を踏み外していた。血は繋がっていなくても、同じ道を歩む。それが真の家族だ。政府や社会や生殖的な繋がりなんかで縛られない、真実のファミリーだ。
「だからワシにとってはオヤジの命令は絶対だ」
「わかります……」
「あの時、お前から連絡があってワシはすぐにアパートに向かった」
向田は語る。
「すでにボヤが出ていた。火がつけられて間も無くだったのだろう。部屋に鍵はかかっていなかった。さっきも言った通り、カエデさんはすでに事切れていた。ワシは合掌してから、ナツキちゃんを探した。すぐに見つかった。押し入れに隠れていた……いや、隠されていたのだと思う。カエデさんによってな」
「ナツキは生きていたんで……」
「ワシが襖を開けて、ナツキちゃんは放心していたようだった。ワシの呼びかけにも一切応えなかった。カエデさんの姿を見て、ただ涙が流れていた」
「……」
「ナツキちゃんはカエデさんのそばに行き、だが、何もせずその姿を見ていた。何もせずに。ワシは必死に声をかけたがまるで無反応じゃった」
「……」
「火の手が強くなり、このままではいけないと、ワシはナツキちゃんを抱えて飛び出した。すまない。カエデさんはそのままにしておくほかできなかった」
ケンジは目を閉じ、俯いた。
「それからはあっという間に火の手が及んで、野次馬が集まり始めた。ワシはとりあえず、自宅にナツキちゃんを連れて帰った。そのあと、お前に連絡を入れたが、つながらなかった。1日経って、お前が武州の事務所にカチコミ入れたのを知った。ナツキちゃんを病院に連れて行った頃だ。医者には精神的なストレスによる障害の疑いがあると聞いていた」
ケンジはその頃まだひどい暴れようだった。島村組は壊滅状態にあり、シバも見つけられず、苛立っていた。
「真崎のオヤジが引退してから、いちばんに力を持っていたのは道源組だ。だが、あの頃からシバの武州組とはつながっていた。遺体処理ビジネスをやってるシバと〈殺しの軍団〉なんてな、相性が良すぎるんだよ」
それはケンジも噂には聞いていた。真崎系の組織が、真崎の引退によって冷遇され始めたのもその頃だ。八坂組の系譜は戦前から血筋で継承されていた。だが実力はいまでは本部長である道源にかなわない、お飾りになっている。
「極道についての価値観が違いすぎる。真崎のオヤジを信奉するものにとってはな」
だから真崎は極道引退宣言をしたのか。わざわざ記者会見まで開いて。
「ワシもそれに続くことは当初から決まっていた」
向田のオジキが足を洗ったのは、ケンジの事件後のことだ。
「それまではオヤジの裏仕事をいちばんにやっていた」
「裏仕事?」
「ああ、オヤジは知っての通り国粋主義者だ。志を同じくする若い政治家に投資して、国を変えよう、いや保とうとしていた」
ケンジもそこはなんとなくわかっている。
「政治家なんていってもな、所詮人間でよ。たたけば埃のひとつやふたつ、三つ四つ、あー数えきれねえがな、埃が出るもんだ」
向田は一度水を飲んでからまた続ける。
「その後始末をワシらがやっていた。政治生命が終わらんようにな」
ジュンはメモをとっていた。聞けば忘れないが、証拠という習慣術で紙に起こしている。
「お前が殺したとされているジャーナリスト……」
ジュンの筆が止まる。
「あれは浦田善幸のスキャンダルに気づいていた」
ここで浦田の名が上がったのは意外であり、ケンジとジュンは目を合わせる。
「浦田はオヤジのお気に入りだったが、下半身がどうしようもないやつでな。ワシも何度、隠蔽を手伝わされたことか。たが、ある時、娼婦を殺してしまった。ワシらにもかばいきれない事件だった。オヤジもいい加減に見捨てた。だが、浦田はシバを雇って、隠蔽した。あいつだ、〈死神〉〈棺桶運び〉の、な」
そこで、シバが出てくるのか。
「この話に気づいてしまったやつがいる」
ジュンはもうメモをとっていない。
「浦田はシバにそのジャーナリストの殺害を依頼したのだろう。これはワシの推測だ。だが、実際、その女は殺された。ケンジ、お前の現場でな。それが事件のウラだ」
シバとケンジはそれ以前から因縁があった。だが、一連の事件とはなにも関係ない。
「利用……されたってことですか!!」
「すまない。実はオヤジが浦田を見限った時、ワシは浦田を殺すように言われていた。だが、ワシはカタギを殺すことはできないと反対した。これはオヤジの教えでもあった。それを覆すほどにオヤジは怒り狂っていたということだ。だが、いまとなってわからない。浦田はオヤジから離れると表も裏も使いこなすようになった。後悔は多分にある」
集まった仲間にはどうやら全員、浦田が絡んでいる。自分もそうだったとは。
「ケンジ。……ナツキちゃんは生きている」
ケンジは呼吸が止まりそうになった。
「あの時、ワシが救い出した。記憶障害があった。言葉を話すこともできなくなっていた。オヤジのところで保護してもらった。それから一連の事件について相談をした……」
「……」
「まず、お前についてだが、死体をあげればケリはつけられるだろうと。抗争は避けられるだろうと。そんなことはワシにもわかっていた。その方法がない。だがオヤジはお前を殺さず、遺体を出して、警察もヤクザもだしぬけると言った。オヤジには表にも裏にもネットワークがある。それは可能だろうと知っていた。ワシはそれにすがりたいと思った。ケンジ、お前を失いたくなかったから」
ケンジは向田から一切視線を逸らさない。表情も崩さない。だが、涙がとめどなく流れている。
「オヤジは条件をつけた。ナツキちゃんを姉御の養女として引き取ること。戸籍情報は親子ともどもも改ざんして、今後一切引き合わせないこと。オヤジは元極道であるが、ヤクザを嫌っていた。社会の落伍者と見下していた。人の親になる資格などないといつも言っていた。それで、オヤジの妹――アユカワヒロミさんは二度の流産で離婚して、精神的に不安定になっていた」
「それじゃ!!」
思わずジュンが声を荒げる。
「そう、ヒメちゃんが、ナツキちゃんだ……」
※ ※ ※
チアキは走っていた。
清水寺に続く坂を下っていく。
どうして! どうして!
焦りと焦燥から心身ともに不安定になっている。
ヒメちゃんがいない!
彼女がトイレに行くと言ってから、10分近く戻らず、様子を見に行ったが、誰もいない。
あわててチャットしたが既読がつかない。
話せない彼女に無意味だと思っても電話をかけてみる。
当然のように出ない。
駆け出したものの、どこをどう探せばいいのかわからない。
絶望に押しつぶされそうになっていた。




