26 [過去]トモ 43歳 ITベンチャー社長
5年前 株式会社TD&KH
社員48名、設立6年目、代表取締役、友田和彦。
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「友田さん、おはようございます」
「おはようございます」
トモは、コンビニのアイスコーヒーを片手に社員たちへ頭を下げながら歩く。
「社長」と呼ぶのは禁止にしていた。エラそうだし、照れくさいからだ。社長室もつくらなかった。奥にある少し大きな机。それだけだった。
「友田さん」
総務の佐伯が近寄ってきた。
「また影山さんが泊まりです」
「また?」
「昨日も帰ってません。今月で3回目です」
「無許可で残業するのはダメだって言っているのに……」
「承認サインを事後に出しています」
「やれやれ……」
開発室は静かだった。
みんな出社前。技術部門はフレックスにしてあるので、朝はたいていいない。
だが、いまはひとりの女性がカチカチとキーボードを叩いている。
黒髪を無造作にうしろで束ねている。眼鏡に大きめのパーカー。ヘッドフォン。
ラフな格好で仕事をする者は多いが、もう引きこもりのオタクにしか見えない。
「影山さん」
返事がない。
もう一度呼ぶ。
「影山さーん!」
ようやくヘッドフォンを外した。
「お、おはようございますっ」
「おはようございます」
トモはモニターを覗き込んだ。
画面いっぱいのコード。
レビュー待ちの表示。
ビルド成功。テスト成功。コミット数……。
影山は新入社員だ。もうすぐ10か月になる。
とても高いスキルを持ってはいるが、オタク気質というか若干コミュ障なところがある。声も小さい。
「帰ってないんだって?」
「はい」
「寝た?」
「一時間くらい」
「なんで?」
影山は少し考えた。
「楽しかったので」
トモは笑ってしまった。
「ゲームじゃないんだから」
「でも、コードが、きれいにつながると……気持ちいいんです」
少しだけ照れくさそうに笑う。
「仕事が楽しいってのは最高だよね。私もそういうときがあった。でもいまは経営者として、勤怠管理をちゃんとやんないといけない。やりたい気持ちは、むしろありがたいんだけどね。若いうちにいっぱい経験しておけって思ってるけど、実際には人に押し付けることじゃないし、私の立場ではなおさら言えない。わかるよね?」
影山はまた黙った。
「朝飯、食べてないよね」
「……大丈夫です」
「ミーティングだよ」
「ず、ずるいです」
「これも仕事」
影山は少しだけ口元を緩めた。
「……はい」
会社の近くの古い中華屋だった。
午前10時。
客は新聞を読む老人が一人だけ。
「チャーハンふたつ」
トモは迷いなく注文する。影山は無類のチャーハン好きだというのは知っていた。というか、チャーハンしか食べないのではないかと思っている。
チャーハンが運ばれてくると、ふたりは黙々と食べはじめた。時折、セットでついてくる中華スープがふたりとも好きだ。
「影山さん。私はね、ITは魔法だと思っている。世界を変えるようなね。でも、強力な力は悪にもなる。私はこの魔法で社会をよくしたい……」
「また、はじまりましたね……」
「あーごめんごめん、オジサンになるとね。なっちゃうのよ……」
トモは笑ってまたチャーハンをかき込んだ。
「私は……そういうの何も考えていませんけど……」
「うんうん」
「いいと思います。しゃちょ、友田さんの、それ、は」
昼過ぎ。
会社へ戻ると、開発チームのリーダー新田三郎が待っていた。
「社長、お時間よろしいですか。」
「どうしました?」
「会議室で」
有無を言わさないような感じで連れて行かれ、ドアが開けられ、トモが入るとすぐに閉められる。その乱雑さから、よくない話なのはもうわかってしまう。
「影山透子ですが」
前置きも何もない。
「率直に申し上げます。彼女は使えません」
「……」
いきなりだ。
「コミュニケーション能力が皆無です」
「そんなことはないと思うが」
「チームの士気も下がっています」
確かにチームの中では孤立しているように見える。だが、それはリーダーである新田がフォローすべき問題だと思っている。リーダーは管理職ではないから勤怠についてはトモが見ている。しかし、チームをまとめるのは新田の仕事だ。そこに対して口を出さない、というのがトモの組織としての考え方だった。
「申し訳ありませんが」
新田は資料をトモの前へ滑らせた。
「解雇してください」
智也は資料を開く。そこには、影山のミスが何ページにもわたって並んでいた。
バグ、仕様漏れ、レビュー差し戻し、コミットのやり直し。
数字だけ見れば、新田の言うことは正しかった。
しかし、トモの視線が、一つのログで止まる。
修正者 Nitta Saburo
その名前が、不自然なくらい何度も並んでいた。
「……これは」
新田は微笑んだ。
「私が全部フォローしました。」
「そうですか」
「ええ」
静かにファイルを閉じた。
「ちょっと時間をください」
トモは新田の目を見ずに答えた。
※ ※ ※
新田は優秀だ。営業もできる、設計もできる、顧客からの評価も高い。
だから疑う理由はない。
だが、ログだけが違うと言っていた。
影山のプログラムを開く。
コミット番号3128。
レビュー前。美しかった。変数名も統一されている。無駄がない。
「これでレビューが通らない……?」
次を見る。レビュー後。関数が増えている。
不要な処理。意味のない例外。命名規則も崩れている。
「なんだこれ」
履歴を戻す。
変更者 Nitta Saburo
昼休み。
影山が社内のフリースペースで一人で弁当を食べていた。誰とも話さない。
スマホも見ない。ただ静かに食べている。
「隣いい?」
影山は驚いたように顔を上げた。
「あ、はい」
トモはコンビニで買ってきたサンドイッチを取り出してパクリとかじる。
「影山さん、レビューって怖い?」
「……え?はい」
「なんで?」
「私が、……間違ってるんだと思います」
「誰がそんなことを?」
「……」
「新田さん?」
影山は答えなかった。
「怒られるの?」
小さく頷く。
「いつも?」
頷く。食事をしていた手が止まる。ゆっくりと箸を置いた。
「……向いてないです」
「何が?」
「会社というか社会人」
「……」
「私は、迷惑です」
「そんなことは、ありはしない」
「君は、手が遅いんじゃない、よりよいものをつくろうとしている」
「……」
「間違っていない」
※ ※ ※
その日の夕方。
トモは開発室に残った。影山は早退させた。
そして、新田だけが残った。
「少しいいですか?」
トモは新田に話しかけた。
「はい」
ふたりで会議室に入る。
「これ」
トモはラップトップPCを開いてもログを見せる。
「影山さんのレビューですね」
「そう」
「私が全部直しました」
「そうじゃありません」
「なぜですか? レビュー前には存在しなかったバグが、レビュー後に増えてるのは」
一瞬だったが、新田の顔が彫刻のように固まっていた。だがすぐに取り直す、
「……たまたまです」
「レビューって品質を上げるものだよね」
「はい」
「品質を落とすものじゃない。」
少しの沈黙のあと、新田はゆっくり笑った。
「社長、影山さんに騙されてますよ」
「そう? なんでですか?」
「彼女はコミュ障です」
「その言い方は好きじゃないです」
「……」
「新田さんはちゃんと彼女とコミュニケーションをとっていましたか?」
新田の笑顔が消えた。
「なぜ新田さんが彼女に執拗ないやがらせをしているのか理由はわかりませんが、彼女は優秀です。私はそう思っています」
「私があんなコミュ障に嫉妬しているとでも!?」
はじめて新田が声を荒げる。こんなに感情的な新田を観るのは初めてだった。嫉妬……そういうことだったのか、とトモは合点がいった。組織は難しい。同じ社内でももちろん競争相手になる。それでも自分は公正な人事評価をしているという自負があった。新田のことは最大限評価している。なのに、なんで?
「いやいや、ありえません。彼女はただのオタクです」
口を滑らしてしまったことに気づいた新田が慌てて言う。
「ともかく、謝ってほしいです。彼女はうちの立派な戦力です。業務改善指導書は出しません」
「……」
「新田さんも重要な社員です。お願いします」
長い沈黙だった。
「辞めます」
「いやいや……」
「こんな会社」
新田は笑った。
「長くないですよ」
そのまま部屋を出ていった。
うそだろう。こんなことで。
こんなことぐらいで!
トモは自分を責めた。人が見れていないのは自分も同じだ。新田のプライドの高さ、管理者としての適正。経営者として見逃していたということだ。
業績が上がり続けていた一方で、組織のマネジメントはお任せにしすぎたのかもしれない。
規模が小さいときにはやっていたことも、いまではおざなりになってしまっていたのではないか。
悔恨は胸のうちに黒く渦巻いた。




