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野良犬協奏曲  作者: 無銘影虎
第二部
24/35

23 [過去] ケンジ 35歳 ヤクザ

 ケンジが育った街には、学校より先に覚えることがあった。

 どこで寝れば雨に濡れないか。どの店なら何も言われずに水を飲めるか。

 誰に喧嘩を売ったらアカンか。逆に、誰なら殴っても問題ないか。

 大阪の某地区は誰でも知っている「近寄らない方がいい場所」だ。

 ケンジが子どもの頃は、今よりもっと荒れていた。昼間から酒を飲んでるオッサン。

 道端で寝てるオッサン。裏の商売をしている若者。

 どこから来たのか分からない人間。

 どこへ行くのかも分からない人間。


 そんな大人たちの間を、この地区に住むガキは平気で走り回っていた。

 どこの家もテレビのCMで見るような家庭ではなかった。

 母親と二人。父親のことは知らない。物心ついた頃には、もう「おらんかった」。

 母親は夜になると家を出ていった。

 スナック。

 キャバクラ。

 風俗。

 仕事はいろいろ変わった。

 男もよく変わった。

 新しい男が家に来るたび「外で遊んどき」とケンジは追い出された。

 それがたとえ夜中でも。

 雨が降ってても。

「ああ、俺は邪魔なんや」とケンジは思った。


 ケンジが初めて人を殴ったのは、小学校の高学年やった。

 理由は覚えてない。たぶん、金。百円か二百円。

 そいつの財布を取って、逃げた。

 後ろから追いかけてきたから、殴った。

 殴ったら、相手が倒れた。

 それで終わり。

 ケンジはその日、初めて知った。

 世の中には、殴ったら言うことを聞く人間がいる。

 それだけで、なんとなく自分が存在している気がした。

 ヨウスケに会ったのは、その頃だった。

 ヨウスケはケンジの財布を盗もうとしていた。

「お前、何してんねん」

「は? なんやねんじぶん」

「今、俺の財布触ったやろ」

 財布といっても、財布そのものも、中にある金もたていていはどっかの誰かのもんだった。

「触ってへん」

「触ったやろ」

「触ってへんって」

 ふたりはその場で殴り合った。どっちも鼻血を出しながらやり合う。

 まるで終わりが見えなかった。ケンジははじめて「苦戦」したことで焦っていた。

 だが最後は、通りかかったオッサンに怒鳴られて終わった。

 この街のオッサンはとことんだめな人でもあり、とことん街の潤滑油であった。

 

 その日の夕方。

 公園で、ヨウスケが言った。

「お前、腹減ってるやろ」

「お前もやろ」

「オレは腹減ってへん」

 腹が鳴った。

 ケンジは笑った。

「めっちゃ減ってるやん」

「うるさい」

 ヨウスケはポケットからパンを出した。

 半分に割る。

「食え」

「お前のやろ」

「ええねん」

 ケンジは受け取った。


 初めてできた友達。


 ヨウスケの家も、たいして変わらんかった。

 親父は酒飲み。母親はいない。

 家に帰りたくないという理由だけで、ふたりは夜まで街を歩いた。

 そのうち、いつもふたりで行動するようになった。

 喧嘩をするときも一緒。

 逃げるときも一緒。

 カツアゲするときも一緒。

「ケンジ」

「なんや」

「俺ら、最強ちゃうか」

「何が」

「二人おったら負けへん」

 俺は笑った。

「アホやな」

「なんやと」

「俺一人でも勝てる」

「……」

 それからふたりは笑い出した。


 金もない。

 家もない。

 未来もない。

 でも。

 唯一無二の友達がいた。


 高校には行かなかった。

 いや、行けなかったというのが正しい。

 ケンジもヨウスケも、まともに中学校に行っていない。

 卒業式もサボったから、実際のところ卒業していないのかもしれない。

「いや、義務教育やから。卒業はしたことになるやろ」

 それからは、金のためにバイトをした。

 工場。

 飲食店。

 引っ越し。

 日雇い。

 働いたら金はもらえる。

 でも、朝から晩まで働いて、「中卒」がもらえる金は知れていた。

 そんな金でもふたりは酒とタバコに費やした。もちろん、未成年であるが。

 ある日、ヨウスケが言った。

「ケンジ」

「なんや」

「ええ仕事あるで」

「なんの」

「荷物運ぶだけ」

「どこへ」

「知らん」

「なんやそれ」

「でも一日で一万円」

 ケンジはヨウスケの顔をまざまざと覗く。

「ホンマか?」

「ホンマ」

「危なくないんか」

 ヨウヘイは少し考えた。

「たぶん」

「たぶんってなんや」

「死にはせんやろ」

「アホか」

 とはいえ、ケンジには最初から断るつもりなんてなかった。

 トラックから荷物を降ろし、指定された場所へ運んだら、その場で金を受け取る。

 それだけ。

 ヨウスケの言う通り、どんなバイトより簡単で金がいい。

 それからというもの、ヨウスケはどこからか、そういう仕事を次々に見つけてきた。

「ケンジ」

「なんや」

「今日は三万や」

「何すんねん」

「知らん」

「お前な」

「でも三万や」

 ふたりは息の合ったタイミングで笑いだす。

 仕事の中身なんかどうでもよかった。

 金がもらえる。

 それだけで十分やった。

 そして。

 いつの間にか。

 ふたりらは街の「チンピラ」として顔が知れ渡る。


 ある夜。

 ヨウスケが言った。

「ケンジ」

「なんや」

「俺ら、ヤクザにならへんか」

 ケンジは笑った。

「なんで?」

「金持ちになれる」

「お前、アホやろ」

「俺らみたいなん、他に行くとこないやん」

 その言葉に、ケンジは何も返せなかった。


 だからふたりは、ヤクザになった。


 ※  ※  ※


 親分の向田のオヤジは、変わった人だった。

 怖かった。そら怖い。

 でも、怒鳴ったり殴ったりする人じゃなかった。

 背筋が真っ直ぐで、いつも着物を着ていた。

 武道家みたいな人だった。

 初めて会ったときの印象は、いままで会ったどんな大人とも違うということだった。

 20歳前そこらのガキを見ても、馬鹿にしなかった。

「名前は」

「ケンジです」

「姓は」

「……ありません」

 名乗りたくなかった。家、家族、そんなものはとっくに捨てた。

 〈オヤジ〉は少しだけオレを見た。

 そして言った。

「なら、今日から、お前は島村慈陽(しまむらじょう)や」

「……」

「慈しみの心を持て」

「オレが?」

「そうだ」

 ケンジは笑いそうになった。

 ヤクザの言うセリフなんだろうか。思っていたのとだいぶ違う。

 そしてヨウスケも新しい名前〈渡世名〉が与えられた。同じく「慈」という字が当てられている。極道は社会の規範ではなく、己で道を極める者。それまでの名は捨てて生きるということなのだそうだ。

 ふたりは正式にヤクザになった。

 とはいっても、仕事といえば事務所の掃除、留守番、連絡係、アニキやオヤジの身の回りの世話、説法、精神修養。まるで想像していたのとは違う。とくに礼儀作法には異常に厳しかった。まっとうな生活ができないからアウトローになったつもりだったが、正直なところ、カタギよりも厳しい。ただ食事はきちんと出る。わずかだが小遣いももらえる。たまに休日が与えられて、その時は、ふたりで遊びに繰り出した。そんな、いわゆる「小僧」生活は3年も続いた。

 スーツを仕立ててもらい、いっぱしのヤクザのような見た目になったふたりは、兄貴分のシノギを手伝いながら、街を練り歩きながら睨みをきかせるようになった。

 喧嘩は日常茶飯事だった。

 繁華街にいれば誰かが因縁つけてくる。警察がうろうろしてもいる。

 毎晩がそんなスリルのなかにあった。


 ヤクザになってからも、ケンジとヨウスケはいつも一緒だった。

 仕事も一緒。

 喧嘩も一緒。

 飯も一緒。

 だからヨウスケが死んだあの日、すべてを失ったような気分になった。


 いつものような喧嘩。

 ただ、打ちどころが悪かった。

 突然すぎた。

 人間はこんなにも簡単に死んでしまうのか。

 明日から誰とシノギをやりゃいい?

 明日から誰と喧嘩すりゃいい?

 明日から誰と飯を食えばいい?

 もう、ヤクザを辞める理由も、ヤクザを続ける理由もケンジにはなかった。


 その頃、〈オヤジ〉も大病を患い入院していた。

 ケンジは見舞いがてら、ヨウスケが死んだことを報告しに行く。

 病室にはオジキ――向田龍がいた。オヤジとは血のつながった実際の兄弟だ。

 それぞれ〈慈恩会〉、〈慈栄会〉の会長として、八坂組の有力組織を率いている。

 そしてそのふたりの親である真崎征四郎は八坂組の大幹部でありながら、突如引退した伝説の存在だ。

「島村」

 向田龍が話しかける。

「へい」

「昨日の一件は聞いているし、兄貴にも伝えてある」

「へい」

「人はどんなかたちであれ、いずれ死ぬ」

「へい」

「たが、死ぬまでは生きるのだ」

「……?」

「生きているのに死んでいるやつは、生きてはいない」

「すみません、わかりやせん」

「お前は死んでいるってことさ」

「……へい」

「兄貴は引退することに決めた。ワシの組織と連合してワシが〈慈恩会〉の会長を引き継ぐ」

「へい」

「お前はワシの預かりとなる。わかったな」

「へい」

 ケンジは深々と頭を下げたが、まるで頭に入ってこなかった。

 たしかに、自分は死んでいるのかもしれないと思った。


 ※  ※  ※


 ケンジが35歳になった年に娘が生まれた。

 名前はナツキ。

 母親はカエデといって、元キャバ嬢だった。

 風俗など繁華街の店舗にはたいていケツモチというトラブルバスターとしてのヤクザがついている。

 いわゆる用心棒。以前はヤクザの主な収入源でもあった。

 ケンジとカエデはそれで知り合った。

 付き合いはじめ、彼女が妊娠したと知っても、ケンジは結婚はしなかった。一緒に住むこともなかった。

 自分は極道であり、そうしたことになんのプラスもなかったからだ。

 むしろ隠しておきたかった。

 自分たち三人だけの生活があればいい。

 養育費はカエデにたっぷりと渡し、時間さえあれば赤ん坊の様子を確認する。

 カエデもケンジと似たような境遇で、家庭なるものは味わったこともない。

 ふたりはお互いの境遇で心を通わせ、同じように「幻」みたいな家族観をもっていた。

 家に帰ると、誰かがいる。

 飯がある。

 テレビがついている。

 そんな当たり前のことが、ケンジには新鮮だった。

 それはカエデにも同じことだった。


 ナツキが生まれた日。

 病院の廊下で、ケンジは一人で立っていた。

 看護師が出てきて言った。

「お父さん」

 俺は振り返った。

「女の子ですよ」

「……俺の娘ですか?」

「当たり前じゃないですか」

「ああ……」

「おめでとうございます!」

 ケンジは何度も頭を下げた。何に対して頭を下げているのか、自分でもわからなかった。

 しばらくしてから、看護師に促されて娘を初めて抱いた。

 あまりにも小さくて、怖かった。

 カエデが笑った。

「名前だけどさ、……ナツキ」

「もう決めてたの?」

「うん」

「なんで?」

「夏に生まれたから」

 カエデが笑った。

「安直。ふふふ、でも、いい名前」

 俺も笑った。

 ナツキは泣き疲れたのか眠っていた。

 俺の指を、小さな手で握っている。


 ※  ※  ※


 滋賀の仕事を任されたのは、その頃だった。

 産業廃棄物の違法投棄。

 ただのゴミだが、法律やら費用やらで処分に困っているものはたくさんある。

 中小企業ほどその問題に頭を抱えていた。

 ふつうにやっていたら事業は成り立たない。だが、そいつらを使っている大企業は末端の疲弊などお構いなし。

 ある意味、ヤクザのシノギは社会の不完全なところにある。

「必要悪」とはよくいったもので、実際のところ「我々の業界」が存在していないと社会はまわらないのではないかとすら考えてしまう。

「まあ、どうでもええがな」

 〈現場〉である滋賀の産廃場にある小さなトタン屋根の事務所でケンジはつぶやきながら、〈業務報告〉を読んでいた。

 その時、表で車の走行音が聞こえる。

 かなり派手な運転だ。

 ケンジはタバコの火を消す。

「どないしてん?」

 表から組員が駆け込んでくる。

「お、オヤジ、武州組のようです」

 武州組は発祥は相州真宗の下部組織だったが、拠点を京都に移し、親が八坂と兄弟になって以来、友好団体のはずだった。しかし、八坂の若頭がある事件で相州真宗系列の組員に暗殺されて以来、空気が変わった。この事件は八坂組が相州を使った内部抗争だとも言われた。

 いずれにしろ、同じ組だろうが、ナワバリ争いは起きる。

 武州組の「シバ」といえば、いまや明確にケンジ率いる島村組の商売仇だ。

 ケンジは表に出る。

 部下には事務所で待っているように伝えた。

 車は一台。

 案の定、バットをもった連中が降りてくる。

 見たところ、4人。

「なんの用や」

「あ、とぼけんなアホ」

「知らんがな。帰れや」

「じぶん、人のシマ荒らしといてなめとんのか!」

 おそらく、先日新たに受けた工場のゴミのことだろう。武州組は手荒く、料金も高い。根をあげた社長からいくつか相談を受けたことがある。もちろん、他の組のシノギを横取りするのは御法度だ。だが、武州組のやり方では、顧客自体が破滅する。だから引き受けた。

「つーか、元々はウチの客やろが」

 ケンジは睨みを効かせる。

 そう、その御法度を平気でやっているのが武州組だった。

 だから、衝突するのは時間の問題だった。

「チッ」

 最初からやる気なのはわかっている。

 ケンジは近くにあった角材を手にする。

 と、同時に事務所に控えていた組員が飛び出す。

 ただの「ご挨拶」ではないのは察していたから、10人ほど配置していた。


 武州組の4人はあっという間に半殺しの目にあった。


「おお、ええか。シバにゆうとけ。極道には筋っちゅうもんがあるってな。お前みたいなんは〈外道〉いうや、とな」

 ケンジは、その後、4人を解放してそう言った。


 それからというもの、大阪の街中で、島村組と武州組の喧嘩が絶えないようになった。

 時には上の組から手打ちという名の休戦が定められたが、ほとぼりがさめるとまた以前のようになった。


 ※  ※  ※


 ナツキは5歳になっていた。

 翌年には小学生になる。

「なあ、こんなんはどうや?」

 ケンジは勉強机のカタログを見せる。

「いやあ、うちの六畳間にはそれは大きすぎるやろ」

 洗濯物を畳みながら、カエデがあきれたような口ぶりで言う。

「だったら、引っ越したらええ。もちろん金は出す」

「うーどうやろ、ナッちゃん?」

 カエデは娘に向かって言う。

「おとーちゃんも一緒に住むの?」

「うーん、どうやろ?」

 今度はカエデはケンジのほうに向き直る。

「あー、そやな。おとーちゃんもいっしょに住みたいなー。でもなーお仕事がいそがしいんやー」

「えー」

「ナツキがええ子にしとったら、もっと会いに来れると思うで」

「ほんまにー?」

「ほんま、ほんま。おとーちゃん嘘つけへん」

「わかった!グー」

 ナツキはそう言って親指を立てた。

「グーグ、グーグーグー!!」

 ナツキは両手サムズアップを交互に押し出す。

「はははは、出たな、得意技やな」

 ケンジは笑い転げて娘を抱き上げる。

「勉強机、決めたら教えてな。オーダーメイドらしいから、時間かかるんやて。早めに注文せんと」

「わかった。仕事がんばってね」

「次いつくるのー?」

「すぐ、すぐやでー」


 それが家族との最後の会話だった。


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