22 [過去] ジュン 30歳 フリーター
ジュンは昔から苦手なものがなかった。
そのせいかもしれない、エラそう、傲慢という印象を初対面の人間に与えている。
「なんでできないの?」
自覚はないが、そういう目で他人を見てしまうようだった。
勉強は教科書を一度読めば覚えた。
運動も見よう見まねでできた。
小学校ではリレーの選手で、中学ではサッカー部に誘われ、高校では陸上部にもバスケ部にも声を掛けられた。
成績はいつも上位だった。とくに覚えればいいだけの教科は必ず満点だった。
先生にも一目置かれた。親は親戚中に「将来が楽しみだ」と吹聴していた。
だが、友達はできなかった。
特別な人間として、集団の中で浮いていた。
いじめられていたわけではない。みんながジュンを恐れていた。
一度見た景色は忘れない。
読んだ本も。図鑑に載っている動物の名前も、特性も。
先生が黒板に書いた文字も。
友達が何気なく話したことも。
全部、頭のどこかに残っていて引き出すことができた。
ただし、その時の感情も伴ってしまう。
イラついたことも、辛かったことも、そのまま再生される。
忘れることができない。
「ハイパーサイメシアなのかもしれない」
高校の保健室の女性の先生が教えてくれた。
時々、ジュンは頭痛に苛まされ、保健室にいた。常連だったかもしれない。
成績が優秀だったので、サボリだとは思われなかった。
「〈超記憶症候群〉という言い方もされていて、そういうものがあるらしいわ」
「らしい?」
「ちゃんとしたことはわからないそうよ」
「忘れられないのは、自分にはいいことではありません」
「そうかもね。特別というのはいいことばかりじゃないよね」
先生はそう言ってくれたが、慰めにならなかった。
ジュンはずっと〈フツー〉がわからなかった。
記憶を消してやり直したいとすら思っていた。
それで授業をサボるようになった。勉強もしなくなった。
それをやったら〈特別〉になってしまう。
学校には適当に行った。それでもジュンは特別扱いされていた。
授業をサボって午前中は使われていない部室棟のウラで過ごした。
何もやる気が起きない。最近は食欲もなくなってきた。社会との関わりを全部取り払いたいとまで思っていた。
壁際にもたれてそんなことを考えていた。
その時、一人の女が入ってきたのがわかった。
こちらには気づいていないようだった。ジュンは隠れるでもなく、声をかけるまでもなく無視する。
ショートボブで、見た感じ不良という感じでもなかったが、女はタバコを取り出して吸い始めた。
「ぶへえっ!!」
女は思いっきりむせた。
「フッ」
ジュンは笑ってしまう。
「だ、だれやねん!!」
だが、ジュンは答えない、どころか、また笑いが込み上げてくる。
「お前、あの特待生やな!」
女はそう言う。実際には特待生ではないが、事実上そんな扱いを受けている。そんなジュンが遅刻や授業のサボりやらを堂々とやり始めてから、全生徒から妬みと恨みをぶつけられている。実際、喧嘩をふっかけてくるやつはいた。だがジュンは簡単にいなしてしまう。体はずっと鍛えている。トレーニング中は「頭をつかわなくて済む」からだった。しかし、ラン、筋トレ、しまいには格闘、いろいろとエスカレートしていった。
「自分誰や? なんで吸えないタバコなんてやってんねん?」
「うるさいわ!」
「見つかったらヤバいぞ」
「ちょっと練習しとっただけや」
「学校で!? おかしなやつやな、ははは」
「言わんでもらっていい?」
「ああ、いいよ。そいつは俺が預かっとこうか?」
「ほんま? じつは心臓が止まりそそうなくらいヤバいことしてる感がヤバいねん。ヤッバっ」
女はタバコとライターをジュンに渡す。
「あんたくらいの不良特待生なら何でもないんやろうけどな」
「俺は不良でも特待生でもないと思ってるがな」
「なら、なんやねん」
「異常者」
「なんやねん、それ? 厨二病か!」
女はゲラゲラと笑い出した。
「第三の目が開くんか!?」
女はさらにゲラゲラと笑う。なんとなくジュンにも笑顔が出る。
「まあ、学校で浮いちゃってるとそういうキャラ設定必要になるかもなー」
「キャラ設定ねー」
バカにされているようでもあるが、なぜか心地良い。
「自分はなんで授業サボってタバコを?」
「えー、内緒やで? ウチな、好きな先輩がおってな。最近、彼女っぽいのができたらしいねん。ほんで、そいつ、ウラでタバコ吸うようなやつやって聞いてな。そういうのにならんといかん思って、オトンのタバコでちょっと練習しようと思うてん」
女はペラペラとたいしたことでもないように言う。
もうジュンは腹を抱えて笑い出した。
「なんで笑うねん!! おかしいことないやろ!」
「おかしいことだらけだわ!」
「よう笑うな。なんかロボットみたいなやつかと思うてたけど」
「まあ、そういう感じが自分でもする」
「いやなんか?」
「あーよくわからない」
「友達とか彼女とかつくってみたら?」
「興味はないけど」
「なんか、変わるかもしれへんやん。怖いんか?」
ジュンは初対面にズケズケ言う女だなと、これも面白がっている。
「いや、まったく。やってみたいと思わなかっただけだ。人間関係なんて時間とともに使い捨てだろ」
「こーわっ、つーめたっ! ならやってみーや」
「お前、名前は?」
「初対面に〈お前〉言うな、そしてウチは自分の友だちにはならん!」
「そっか、しかし運動靴に名前が書いてるな。悪いが、一度覚えたら忘れないんだ、俺」
「こーわっ!」
「俺も怖いんだよ……。まあ、次にすれ違っても無視してくれていい。ただ、その友達ごっこ、恋愛ごっこはやってみるよ。すこし詰んでたんだ……」
「なんやねんその冷めた言い方。自分、人の心とかわからんやつなのか?」
「うーん、がんばってみるわ。ありがとう、チアキさん」
※ ※ ※
ジュンは大学には進学しなかった。
親は猛烈に反対したので、家を出た。フリーターとして様々な仕事をした。どこでも優秀だった。充分な金を稼ぐことができた。ただ、どこも長居しなかった。正社員にしたいと誘われた仕事先は多かった。
友だちづきあいはしっかりやった。
恋人もたくさんつくった。
思いのほか居心地が良かった。
(自分のことは誰にもわかってもらえない。ずっとそう思っていた。
だけど、そんなのは、みんなおんなじだった。
自分が特別だからではないことがわかった。
自分はただ「知らない」だけだった)
30歳になった時、大阪を出て東京に行った。
リュック一つ。
ジュンは次の仕事も決めず、東京最大の繁華街を歩いていた。
夕方だった。繁華街は情報が多い。いやでも記憶に刻み込まれていく。
人混みは相変わらず騒がしいが、ここでは誰も自分を気にかけない。その気楽さが好きだった。
「おい」
後ろから声がしたので振り返った。
見たらすぐにわかるくらいの酔っぱらいだった。
女だった。髪はぼさぼさ。ジーンズにくたびれた革ジャン。片手には缶ビール。
もう片方には、使い込まれた一眼レフカメラ。
「にぃちゃん」
四十代くらいだろうか。いや、もうこのへんになると見た目で年齢はわからない。
わかるのは酔っ払いに絡まれたということだけだ。
「ちょっと荷物持て」
ジュンは思わず笑った。
「なんでですか?」
「重い」
「それはそうでしょうね」
「若いんだから持て」
ずいぶん勝手な理屈だった。これはかなりタチの悪い酔っぱらいだ。
〈おのぼりさん〉だと勘違いされたのか。いちおう大阪は第二の都市だぞ。
何も言わずにこの場を離れるのが正解だろう。
そのときだった。
女がジュンをじっと見つめていた。
「……あ?」
何かに気付いたように目を細める。
「お前」
缶ビールを指差しながら笑った。
「つまんなそうな顔してるな」
酔っぱらいのたわごと、というふうに聞こえなかった。
なぜだかはわからない。
結局、ジュンはカメラバッグを持たされていた。
驚くほど重い。
「何が入ってるんですか」
「夢」
「は?」
「嘘、レンズ三本」
歩き方も少しふらついている。
それなのに、人混みをしっかり避けている。歩く速度も妙に速かった。
「置いてくぞ」
「酔っぱらいが言います?」
「酔っぱらってるから速いんだ」
意味が分からない。
あるビルの3階にある居酒屋へ入った。空中店舗だからか空いている、というか客はいない。
壁一面に新聞の切り抜きが貼られている。
店主が女を見るなり呆れた顔をした。
「もう飲んでるのか」
「仕事だ」
「いちおう開店前だぞ」
ジュンは紅茶を頼んだ。
女はいったん水を飲み、すぐさまハイボールを注文した。
「で?」
女はジュンを見る。
「何やってんだ?」
「フリーターです」
「何の?」
「今は倉庫のバイト」
「今は、ってことは」
「転々としてます」
「なんで?」
「飽きるんですよ」
女はストローをくるくる回す。
「ふーん」
興味がないような返事だった。
「でも」
急に顔を上げる。
「飽きるんじゃないな」
「え?」
「最初から本気じゃない。つまらないと思っている」
図星だった。
「仕事舐めてる?」
「違います」
「じゃあ人生を舐めてる?」
すごい絡むな、この酔っぱらい。
女はポケットから新聞の切り抜きを取り出した。
〈市議会議員、政治資金収支報告書を訂正〉
「どう思う?」
「どうって?」
「読め」
私は記事に目を通した。
すぐに答える。
「裏金ですね」
「なんで」
「訂正が選挙後です」
「うん」
「支出先も不自然」
「うん」
「領収書の日付も変です」
師匠は目を丸くした。
「にぃちゃん」
「はい?」
「なんですぐにわかるんだ? 気持ち悪いな」
「褒めてませんよね?」
女は煙草に火をつけた。煙がゆっくり天井へ昇る。
「新聞はな、事実を書く仕事じゃない」
「違うんですか?」
「違う」
ジュンは首をかしげた。
「犬が人を噛んでも記事にならない」
「人が犬を噛めば記事になる」
「聞いたことあります」
「でもな」
女は笑う。
「もっと記事になるのは」
少し身を乗り出す。
「犬に噛まれたことを、誰かが隠そうとしてる時だ」
私は思わず笑った。
「そんなことあります?」
「ある。しょっちゅう」
「世の中な、悪いことをする奴より。悪いことを隠す奴の方が多い」
その横顔だけは、酔っぱらいには見えなかった。
「にぃちゃん」
「はい」
「私はフリーのジャーナリストだ。正義感と好奇心の半分半分でやっている。今日、相棒のカメラマンが廃業して、機材だけ買い取った。しばらく私のカメラマンをやれ、そんでにぃちゃんも記事を書け」
「え?」
「つまらん人生とおさらばた。きっとにぃちゃんは向いてる」
「どっちもやったことがありません」
「嘘だ」
「どういうことです?」
「どうせ、すぐにできる、そう顔に書いてある」
思わず表情がこわばってしまう。
「できるだけでは意味のない世界を、お前に見せてやる」
ジュンは心臓を撃ち抜かれた気がしていた。
それがジュンと師匠〈蒼井翔子〉との出会いだった。




