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01 ジュン 50歳 ライター

 金持ちの娘が集まる都内の有名高校に通っているであろう、カバンもスマホももたない女子高生とは、一言も会話ができていない。何を聞いても答えないし、泣くばかりだ。日本最大の繁華街の往来で、女子高生を泣かしている50歳のオッサンはどんな目で見られるのだろうか。

 ともかく、この場からは離れないといけない。あの追っかけ二人組は10分〜20分は目がしょぼしょぼで人を捜すようなことはできないだろうが、こんな人混みで見つかって騒ぎに巻き込まれるのはごめんだ。とはいえ、女の子は会話ができないので、少し強引だが、手を引いて、ゆっくりと歩きだす。

 ひどい目に遭ったパニックで口を聞けないようにも見えたが、いまは落ち着き始めているようなのに一言も発しない。

「少し落ち着けるところで話そう。大丈夫、へんなところに連れていくわけじゃないから」

 相手がなにも言ってくれないので先回りして言い訳するが、逆に怪しいやつになってしまう。こんな時、どう言えばいいのか。

「交番に行くのは……いやみたいだね?」

 彼女はうなずく。

「道路の真ん中で、そんなに泣いていると変な感じで見られるじゃん?」

 彼女はうずなく。

「だから、どこかに入ろう」

 彼女はノーリアクション。やはり怪しいオジサンの怪しいセリフにしかならない。

「どっかというか、いかがわしいところじゃなくて、俺の、俺のさ、知り合いの店なんだけど」

 うーん、いい言葉が出ない。どんな大物相手でも物おじしない「胆力」が俺の長所だったはずなのだが。

 彼女はコクリとうなずく。

 よく考えたら俺の知り合いの店に連れていくより、ドトールのほうが安心できたかもな。

 とはいえ、店に入って「何飲む?」「ああ、いいって、俺が奢るから」「あ、ちょっと混んでるね。席座れるかなあ」なんていう会話は知り合って間もない女子高生とするイメージがつかない。いや、もちろん、知り合ってすらいない。

 彼女は黒いストレートのロングヘア。前髪もきっちりとつくっていて、絵に描いたような清楚なお嬢様。手足は長く細く、色も白い。男が近くにいるだけで犯罪者に見えてしまうくらいだ。

 でも、そこには興味がない。金持ちのお嬢様が警官を装った男とあからさまなチンピラに追われている事情が知りたい。ただそれだけだ。

 腕を引っ張らずともついてくるようなので。とりあえずは信頼されたか。むしろ、見ず知らずのオジサンを信じてしまうこの娘に不安を覚えるばかりだが。

 目抜き通りをひとつ外れると繁華街ではなく歓楽街と呼ばれるエリアに入る。大きな劇場があったり、新しい商業ビルができて、最近は「浄化」されたといっても、高校生には用事のないような店がひしめいている。だけど、知り合いの店はこのエリアを通らないといけないのだからしょうがない。どうせこの時間なら客もいないだろう。


 小さな飲み屋が密集している有名なエリアから少し離れた場所にその店はあった。とても女子高生を連れ込むような場所じゃないが、俺にとってはいちばん安心できる場所だった。

 ここらの店は基本的に夕暮れから朝まで営業している。ほとんどがカウンター席で、ほとんどが常連客だ。だが、俺の知り合いの店〈JOKERジョーカー〉は、午後から喫茶店、夜はバーとして経営している。夜は24時で閉まり、オープンは14時だ。四人席のテーブルがふたつ、カウンターも四席ある。

 外観はどちらかというとレトロな喫茶店風だ。「ここでいい?」あやしい雰囲気ではないとわかったのか、女子高生は頷く。

 ドアを開けるとそれこそ昔ながらのドア鈴がチリンチリンと鳴る。


「あ? ジュン? なによこんな時間から」

 カウンターに立っている女がタバコをふかしながら言った。といっても、数年前から加熱式電子タバコだ。それを見ると、やめたいのか、やめたくないのかといつも思ってしまう。

「て、ちょっと、その娘なによ? あんたの連れ!? ウソやろ!」

「いや、さっき知り合ったばかりだ」

「おいおい、ジブンいよいよやばいな。女子高生はやばいやろ」

「やばいやばい。うん。それはわかってる」

 といいいながらお構いなしに四人席に腰掛け、女子高生を手招きする。

「いやいやいや、ジブンの下半身に興味ないけど、アタシの店に連れてくるんじゃないよ」

「まあまあ、俺も事情が説明できないんだ。といいながら、ちゃんとおしぼりが出るんだな」

 おしぼりが出るとオジサンはまず顔を蒸らす。

「いや、出したるけど。てか、なんやねん。お嬢ちゃん、大丈夫? なんか騙されていると思うよ?」

 女子高生は少しはにかみながら首を振る。

「まさかとは思うけど、声が出せないの?」

 俺がそう言うと、女子高生はゆっくりと頷いた。

「おい……。ジュン、どっから連れてきてん?」

「うるさいなチアキ、それはこれから聞くところなんだ。とりあえずメロンクリームソーダ。君は?」

 メニューを広げて、女子高生に見せる。少しだけ悩んで、レモンティーを指さした。

「レモンティーにメロクソね。はあ、まったく」

 チアキと呼ばれた女主人は、なぜか大きなため息をつきながら、カウンターに戻って行った。

「おい、チアキ。メロクソはやめろって」

「もう、馴染んじゃってるし」

 チアキがいちばん力を入れて開発したのがメロンクリームソーダだ。来店するたびにそれしか注文しない男がいるからだという。しかし、力を入れた割には、その常連客以外からはあまり注文がなかった。そうだろう。昭和レトロ的なメニューを好むのは若い(とはいっても40代ぐらいまで)連中で、JOKERの客層とは違う。

 そんなとき、その常連客が、

「いつものクソうめぇ、メロンクリームソーダを頼む」

 と、ノートパソコンに視線を落として記事を書きながらオーダーした。

 だから、

「ほい、メロクソ」

 と言って出した。以来、このメニューは〈メロクソ〉だ。そして、その通称を与えてから、このメニューはなぜか看板商品といえるほどに人気が出た。元々、原価度外視でつくった酔狂の結晶だ。客も面白がって注文しているうちに口コミが広がっていった。実はほとんど利益は出ない。そして、この迷惑なヒット商品の名付け親は、この名前を嫌がっている。


 ※  ※  ※


 ジュンはノートPCで原稿を書いていたが、女子高生がレモンティーに口をつけてから、しばらくすると、小さなメモ帳と鉛筆を取り出した。消したり書いたりできるペンが流行したのち、いまでは定番になったが、結局のところ、鉛筆の書きごこちがいちばんストレスがないことに気づいた。基本的に新しいテクノロジーには積極的で、ノスタルジィな保守評価が嫌いなジュンだったが、鉛筆だけは最新テクノロジーに勝っていた。いまや手書きしなければいけない機会はほとんどない。だからこそ鉛筆はどの筆記用具にも勝る。そう思っている。

「名前、書いてもらっていい?」

 そうして鉛筆とメモ帳を渡す。

 女子高生は少しだけためらったが、鉛筆を握った。


 ――アユカワ ヒメ


「アユカワさんか」

 カタカナなのが、まだ警戒が解かれていないような気がした。

「ヒメちゃん。いい名前ね」

 横からチアキが口を出した。

「こいつはジュン。私はチアキよ。高校生から見たら怪しい中年だろうけど、こいつが善良なのは私が保証するし、私がこの歳で類稀な美貌の持ち主でありながら聖女のような人格者であることはジュンが保証するわ」

「できんわ」

「ならあんたの善良性も保証されないわ。ヒメちゃん。最大限に警戒してね」

「わかった。チアキは人格者とは言わないが、この街に敵はいない、好いてる者も多い。人の面倒はよくみるし、意外なことに料理がうまい」

「美貌は?」

「エロ丸出しで品がない。風俗店でもやったほうがいい」

「え、ジュンは私が体で稼いで、貢いでほしいの?」

「お前の稼ぎなんていらん。俺は俺だけ食えればいい」

「え、ジュンは私が他の男に抱かれているのを想像するが三度の飯より美味いの? NTRMUMAネトラレメシウーマ?」

「こんなこと言ってるけど、こいつ育ちがいい上に、一途でピュアピュアなんだ」

 ジュンはヒメに向かって言う。

「フッ、フフフ……」

 ヒメが笑った。鼻息だったが、笑っているようだった。

「まあ、実はコイツとはずーーっと昔からの知り合い。大阪にいた頃からのね。もうこの歳になると、こういうアホなことしか会話が成り立たなくてね。でも信用はできるんだ。だから連れてきた」

「私もお墨付きあげるわよ。こいつはジャーナリスト気取りのヘボライター。いまだに正義感で記事書いているのよ。グルメ情報とか、お出かけスポットとか。なんなん正義って ?」

 ヒメが少し戸惑っている。

「まあ、私たちは善良だけど、世間一般からちょっと外れた、底辺にいる、オジサンオバサンってことよ」

「女子高生にする話じゃない」

「でも面白かったみたいよ」

 そう言ってからチアキはカウンターに戻って行った。

「改めて、アユカワさん。何があったのか教えてほしい。これを俺が聞くのは好奇心だ。ジャーナリストに正義感なんて胡散臭いものなんていらないと思っているが、事情がわかって君が被害者なら助けたい。そっからは正義感という名のオレの趣味だ。ジャーナリストの好奇心と50:50くらいで対応する」

「ジュンは〈人の気持ちがわからない選手権〉で世界ランキングに入ってるからね」

 遠くからチアキの声がする。

「まあ、あれはほっといて。とりあえず君を追っていたのは誰だい?」

 そう言ってジュンはメモ帳に書くことを促した。

 〈わかりません〉

「そう。だとしたらなぜ逃げていたんだい?」

 アユカワヒメは、筆をとろうとしたが、また躊躇した。強い動揺がはっきりと見える。

 ストーカー? 性的暴行? そういった類のものだろうか。そういった心傷にふれるのは得意じゃない。

 たしかにオレは人の気持ちがわからない、いやわからないというか慮る技術がない。

「助けたいと言っていることは本当だけど、無理することではないのよ」

 チアキがフォローする。

 やっぱりここに連れてきたのは正解だ。

 自分はともかくゴールに最短で突っ込みたがる。だからジャーナリストに向いていると思っていたが、世の中は合理的じゃなかった。

 しかし、すぐにアユカワさんは筆を動かした。

 〈今朝、学校に行ってからすぐ、山科さんから、京都に戻るから早退してください、とメッセージがありました〉

 「山科さん?」

 〈一緒に暮らしている方です。祖父が危篤だということでした〉

 とたん、アユカワヒメが何かを思い出したかのように、立ち上がった。

 〈山科さんを助けてください〉

 殴り書きだった。

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