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00 7月20日 路地を駆ける少女

 セーラー服の少女が、この日本最大の繁華街の裏路地を駆けていた。

 それは美しい絵画が分解され、再生されているかのようなスローモーションでオレの目を釘付けにした。


 あの制服は知っている。都内でも屈指のお嬢様学校だ。なのに制服はいまどき見ないセーラー服。いや、それは素材やデザインが間違いなく進化していて、コスプレ商品とは一線を画す高級品だ。俺はある仕事でその学校に取材に行ったことがある。どんな仕事だったのかも忘れだが、その制服が一見、古臭いようで強いこだわりで伝統と格式を守っているのだと感心したことだけはとても覚えている。

 いや、そんなことはいい。

 こんな路地を女子高生が必死に駆けるのはフツーじゃない。その汗の輝き、引き締まった肢体で跳ねる姿は野生動物のような美しさだったが、ただごとじゃない事態だというのが、一瞬でわかった。

 案の定、ドラマにでも出てきそうなわかりやすい〈輩〉が「追っ手」としてすぐのちに姿を見せた。


 俺はもう走り出していた。完璧なフォームで腕を振り、最大の加速で「追っ手」の背後に迫った。二人いる。あろうことかひとりは警察官だ。しかし一方はそのへんのチンピラのような着こなしのアロハシャツだ。いったいどういう組み合わせだ? 女子高生を追いかけているチンピラを捕まえようとしている警官?

 だがよく見るとほぼ並走している。

 「てめえ、ついてくんじゃねぇ!」

 チンピラが警官に言う。そして警官の肩にタックル。

 「うるせえっ!」

 警官が答える。そして負けずとタックルで押し返す。

 あれ? どっちもチンピラのようだった。


 向こうはタックル合戦でこちらに気づいていない。体力がないのか、〈アロハシャツのやつ〉はすでに足がもつれている。俺は迷わず後ろからタックルをかける。

「ぎわっ」

 〈アロハシャツのやつ〉が胸から地面に叩きつけられた。

 その声を聞いて〈警察官の格好をしているやつ〉が立ち止まって振り向く。

「なっ」

 突然のことに戦いていた。

「暴漢ですか?  ほら、現行犯逮捕です。引き渡します。」

 「は!?」

 警官に協力した一般市民の俺に感謝の言葉もない。そんなことあるか?

「あの娘は何で追っかけられてるんです?」

「ちっ!」

 焦っているのか問答無用で女子高生を追いかけようとしたので、俺は右肩に重心を込めて〈警察官の格好をしているやつ〉の腹に打撃をくらわす。そいつは尻餅をついてから腹を抑えてのたうちまわった。

 その時、彼女が遠くから振り返るのが見えた。驚いていたようだが、またすぐに直って駆け出した。

 俺は〈警察官の格好をしているやつ〉の胸ぐらを押さえつける。

「お前らは、何やっている?」

「お前こそ何だ!! 公務執行妨害だぞ!!」

「女子高生を追っかけるって、どんな公務を執行しようとしてたんだ?」

「くっ」

 〈警察官の格好をしているやつ〉はあばれだす。焦っているようだ。本当に公務なら、いくらでも言うことはあるだろう。演技が下手くそすぎるな。俺は懐から催涙スプレーを取り出して、そいつにたっぷりと浴びせてやる。それから、倒れているチンピラのほうへ向かう。

「おい、なんであの娘を追いかけている?」

「うるせえっ!!」

 言うやいなや、こっちにも催涙スプレー。

「この警官はあんたの仲間か?」

「知るか! そいつはウチの組じゃねぇ」

ゴミバケツをひっくり返して、いっしょに頭に突っ込んでやった。

「組ってヤクザか……」


 あの女子高生が向かった方に走り出す。俺の足ならまだ間に合うだろう。ますっぐ行ったところを右に折れれば大通りに出る。そこなら安全だ。だいたい、人に追われて路地に入るのはいちばんまずい。まあ、そんな経験値はないか。ともかく彼女の無事を確かめに行った。

 人に追われる女子高生なんて、ドラマでしか見ないようなシチュエーションだ。しかも都内屈指のお嬢様。

 俺はジャーナリスト魂という名の下世話な好奇心でアドレナリンが爆発しそうだった。


 今日は新規開店のラーメン屋の取材で腹を空かしてこの路地にやってきた。こんな裏に出店したら、いくらなんでも数ヶ月ももたない気がしたが、店主は俺もよく知る有名店の元オーナーだった。これまでにふたつのラーメン店を成功させていたが、いずれも人に手渡している。人気店になると忙しくなる。当然だ。だが、店主はそれを嫌がった。じっくりと味に向き合う日々が失われる、ただのオペレーターになってしまう。そんなことを言って、前の二店は従業員に譲った。そうして、この目立たない場所でやり直しをしたのだ。しかも、店員は雇わない、へんな被り物をして顔も出さない、取材は一切お断り。で、店はオープンしてから一週間、閑古鳥。当たり前だろう。誰がここに店があるのに気づくのか。看板すらも控えめにしか出していない。まるで客がくるのを拒んでいるようだ。

 さんざん取材を申し込んだが、断られたので、今日は客として行った。客は俺ともうひとりしかいなかった。

「そのへんな被り物のせいで客がよってこないんじゃないか」

「それくらいでちょうどいい」

「そもそも無愛想なのにそこまでする必要があるか?」

「これくらいでちょうどいい」

「いや、こんなんじゃ、店成り立たないだろ……相変わらずうまいな。また前の店とはぜんぜん違うのに」

「へへへ」

 へんな被り物をしているが、店主は純粋に喜んでいた。

 こんなにラーメンづくりに人生を捧げられるなんて羨ましい。ここの店はどうしてもその評価点を入れてしまいたくなる。俺が書くグルメリポートなんて小銭稼ぎにもならない。だが、「タイパ」とやらを重視する若い連中は俺たちのクズレポートやら評価を見て失敗を避けている。俺たちの文章はそのために蓄積される地層のようなもんだ。決して俺の舌やら文章が人を動かすんじゃない。

 それでも、俺はジャーナリストだ。

 自分の目で見て聞いたことをそのまま伝える。


 大通りに出ると、人が溢れている。夕方になると学生、仕事の打ち合わせ帰りの会社員、友人とお茶をして帰る高齢者、その他大勢が何の用事だかわからないが、とにかく繁華街は人が溢れている。

 俺はそんな人混みを見つめる。おかしな動きをするやつはとても目立つ。行き交う人々はそういったものを「気にしない」だけで、それはとてもよく目立つはずだ。あるいはおかしなほさものから目を逸らそうとする人間の本能か。

 女子高生は案の定、この大通りに出てからどこに向かったらいいのかわからない迷子のようだった。

 よく見ると、学生鞄も持っていない、手ぶらだ。そのことがより緊急性を感じさせる。

 性犯罪? ストーカー?

 緊急事態ならまずスマホで誰かに連絡を取るだろうが、どうやらそれも持っていないようだ。スマホをもたない若者は無力だ。もはやスマホが生命維持装置ではないかと思うくらいに、それがない状態では何もできない。

 彼女の足取りはおかしい。何か犯罪に巻き込まれているなら、交番はすぐそこにある。いそいで家に帰りたいなら、駅に向かえばいい。しかし、どの選択肢も選べないようだった。

 そんな足取りはまるで「迷子」だった。


「ねえ、きみ、どうしたの? 困っている?」

 夜の街の住人のような男がふたり、「親切そうに」声をかけた。

 彼女は黙ったまま明らかに怯え、後ずさる。

「困ってるんだね。力になるよ」

 言葉とはうらはらに無責任が滲み出た声。

 過ぎゆく歩行者は、おしゃべりをしながら、あるいは視線をよこしながら、ただ通り過ぎていく。


 夜にはまだ早すぎる。


 さて。どうするか。

 俺の女に手を出すなパターンでいくか、しかしいくらなんでも年齢が離れすぎだ。こちとら50歳。女子高生と付き合ってるのはもう何らかの犯罪だ。いや、なんらかどころじゃない犯罪だ。

 おい、その娘が嫌がっているじゃないかのパターンか。いや、怪しい輩が50歳でロン毛の自称フリージャーナリストに代わったところで、だな。いやいや、さすがに俺はこいつらより怪しい感じはないはずだ。まずコイツらの容貌はそこらへんのポン引きだといってもさしつかえない。いや、実際、ポン引きなのかもしれない。ポン引きは百貨店の前にいたりはしないが、休憩中のポン引きかもしれない。

 いい考えが思いつかないので、肩をぶつけて難癖をつけようと決めた。そうして狙いを定めて近づいていくと、彼女と目が合う。

「あっ!!」

 掠れそうな音で、はっきりとは聞き取れなかったが、どうやら俺を見て発したようだった。

 そして、彼女はそれまでの迷いを振り切るかのように、駆けて俺の背後に回る。

 え、そんなことある? 強制的にヒーローのターンだ。

「あれ、オジサン、その女の子の知り合い?」

 当然の質問。知らないとは言えないし、実際、10分くらい前から知っている。

「そうだよ。待ち合わせしててね。君たちは?」

「ふーん、そうかよ」

 男たちはそれだけ言って立ち去った。

 〈ライク・ア・ドラゴン〉なら強制バトルしなければならないところだった。


 振り返ると女子高生は震えていた。

「君、大丈夫?」

 彼女は頷いた、それから首を振った。

「場所を変えようか。さっき君が別の男に追われているのを見たんだ。あいつらはとりあえず足止めしておいたよ。何があったのかな?」

 しかし、彼女は答えない。

「ただごとじゃないと思ったんだ。すぐそこに交番がある」

 交番を指差すと、彼女は思い切り首を振る。


 そういえば、追っ手のひとりが警官の格好をしていた。


「何があったか話してくれる?」

 そう言った途端、彼女は嗚咽し、涙が溢れ返った。

 通行人は、こういうのには注目してくるから、厄介だった。

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