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15 真崎征四郎の遺言

 

 3月――京都 真崎邸


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 竹林で外界から隠されたような大きな庭園をもった日本家屋がある。

 この家の主、真崎征四郎は、妹の鮎川裕美が10年前に亡くなり、その娘の〈姫〉が東京の高校に通うことになってからは一人になった。

 とはいえ、住み込みで働く執事、給仕が一人ずつ、通いの専属料理人、かかりつけ医、顧問弁護士、警備員など、多い時には10人がこの邸宅にいることがある。

「それでは本年の遺言状を作成いたします」

 顧問弁護士の宇治が言った。

 真崎征四郎はベッドに腰掛けたまま。リクライニングで上体を起こしている。いかにもな病人のようだが、眼光鋭く、発声は明瞭。場に緊張感を与える威容を備えてている。とても89歳にはみえないだろう。 

「うむ。これで最後になろうが」

 弁護士の宇治はなんとも返答に困る。真崎は昨年末、容体が悪くなり入院していた。フレイルで脚を骨折してからは、そろそろだろうと周囲に話していた。

「私の財産はすべて〈龍〉が理事長を務める法人に寄付をする」

 ここはずっと変わっていない。向田龍――元八坂組二次団体慈叡会会長。兄の慈恩会会長が亡くなってからその構成員を吸収していたが、暴排条例の施行前に突如警察に解散届を出した。真崎の子分であり、引退後は資金的な援助を受けて、元極道や生活困窮者を支援するNPO法人などいくつかの企業の代表を務めている。事実上、真崎の後継者といったところだ。組の解散は〈身内〉から反発を受け、元構成員が襲われるなどという事件が続いたが、現在は忘れられた過去になっている。食えなくなった極道が向田のところに行くということも少なくないようだ。

 管財人である宇治が把握している資産は現金で3億円、以前は不動産があったようだがすべて処分して、現在はこの邸宅のみだ。

「この家は市に寄贈する。資料館などにでもしてくれればよいだろう」

 この話は初めて出た。

「え? ヒメちゃんに相続させるのでは?」

「気が変わった」

「寂しくなるんじゃないですか? 思い出もたくさんあるでしょうし」

「それよ。里心がついてもいけない。あれ、あれの人生を進まなくてはならない」

「それで、ヒメちゃんには……」

「社会人になるまでは向田のやっている就学支援基金から毎月30万円を振り込む。大学入学金も負担する」

 たった一人の縁者にしては、控えめな気がする。

 血のつながりはないとはいえ……。

 だが、真崎は教育に関してたいへん厳しく、決して甘やかすようなことはなかった。人間を説いて、自らを律することを最大の目的としていた。

 〈修身斉家治国平天下しゅうしんせいかちこくへいてんか〉というのが、真崎の口癖だ。

「ヒメには資産ではないが渡すものがある」

 それも初耳だ。いよいよと悟っているのかもしれない。

「どのような」

「遺品よ。それにこれは複雑なデジタル管理だ。専門家に任せてある。お前は知らなくていい」

 ほかにも弁護士がいるのだろうか。

「弁護士ではない」

「そうですか。しかし、その方にご連絡できなければ、ご遺品はいつ渡されるので?」

「わしの死の連絡がなくても、8月15日に譲渡されることになっている。もっとも、京都新聞の片隅くらいには訃報が載りそうだがな」

 真崎にしては冗談を言ったのだろうか。もう40年以上前とはいえ、極道界の有名人だ。テレビで取り上げられることはないにしても、全国紙には出るのではないか。マスコミ――いや、大衆紙の記者、黒川だったか。唯一この邸宅に出入りを許されたメディアだ。

「次は人の整理だ」

 真崎は切り出した。

「住み込みの者たちは今月いっぱいで暇を与える。退職金はたっぷりと出す」

「はい」

「それから、今後は通いの二人、それからお前と道玄以外には屋敷に入れるな」

「はい」

 いよいよ身辺整理という段になって、道玄という男が出入りするようになった。八坂組の大物だ。これも真崎の元子分ということらしい。なんでも真崎の逆鱗にふれて絶縁状態にあったらしいが、この晩年に懐かしさを覚えて許したそうだ。時々病床にやってきては、やんちゃな時代の話ばかりを小一時間ばかりして帰っていった。真崎も青春を思い出したかのような笑みをみせるという。

「それと、〈ゼン〉だ。やつも出禁だ。わしが危篤だろうが入れるな」

 〈ゼン〉というのは引退後に育てた弟子で、もっとも可愛がっていた人物だ。

 だが、いまでは毎日のように彼への罵詈雑言を口にしていた。

 彼がこの屋敷に来たことはない。連絡をとっているようにも見えなかった。少なくとも宇治が知る限りは。

「あいつだけはケジメをつけてもらわないといけない」

 拳を握り、目が爛々としている。これは独り言のようだった。

「それから、家政婦の山科さんも本人が望めば退職してもらってかまわん」

「ヒメちゃんの生活が困難になるのでは?」

 ヒメちゃんは精神的な失語症を患っていて話すことができないというハンデキャップがある。もう12年もその状態のため、回復はないだろうとみられている。

「いずれは独り立ちせねばならない」

「ヒメちゃんへのご連絡は?」

「わしが死ぬまでせんでいい。正月に別れは言ったつもりだ」


 遺言状の更新は終わった。

 しかし、腑に落ちない。不動産資産は? 金融資産は? 投資家として巨万の富を築いたといわれた男だぞ。すべて処分、寄付したと言っているが、そんなことがあるのだろうか。元とはいえ、裏社会の人間だ。〈ウラ〉があるのではないかと勘繰ってしまう。今日、唐突に話が出た〈遺品〉というのが気になる。デジタル管理だと? 暗号資産ということはないか。それも立派な相続対象だ。マネーロンダリング……?

「資産については伝えている通りだ。それ以外のことは、お前が知る必要はない」

 見透かしたかのように言ってくる。

「のこりはヒメのため、日本のため、〈想い〉。それだけだ。先ほども言ったが、それは別の者に管理してもらっている。資産はすべてお前に任せているよ。3年、信用できた。お前は情の人間ではない、合理的だ。だから信用している。わしを裏切るのは非合理だということが理解できると思ったからだ。これ以上聞くならからただちに解任する。法的にとは限らない。そう思え」

 やはり、極道なのだ。

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