13 まぼろしの女
トモ――友田和彦は、すがすがしい朝を迎えていた。
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ソファとはいえ、〈ホーム〉の寝心地に比べれば雲泥の差がある。
贅沢な飲み食いもした。
支払いはユウキャンにつけてある。これで、あいつはまた私に会わざるをえないだろう。
旅に出ると言っていたし、いつになるかはわからんが。
たった一晩だったが、ここ何年も味わったことのないような心の動きがあった。
胸の中に感情という玉があったとしたら、それが忘れられた動きを取り戻したように跳ね回った、そんな感じだ。不思議な一日だった。
陽がのぼる前の影に包まれた、ほとんど人のいない繁華街を歩きながら、思い出して口元がゆるむ。
髪を切り、髭を剃り、風呂に入り、さっぱりしたのもあるだろう。
もう夏だ。
ウルトラライトダウンは袖を腰のところで巻きつけて、上半身は半袖のTシャツのみ。ニット帽はリュックにしまった。なんだか生まれ変わったような気さえする。
だが、私は日常に戻る。
ときどき日雇いの仕事をし、通行人に電池を恵んでもらい、DSで「ユグドラシルの廃墟」を少しずつプレイしていく。DSはユウキャンが修理してくれた。高校生のときもまったく同じことがあった。精密工具をなぜか持ち歩いていて、フタをあけてみれば、とくに異常はなく、ホコリやらをクリーニングしたら、元気な声で起動音が鳴った。
そうだ、マッサンのお見舞いにも行かなくては……。
考えながらホームに向かって歩いていると、目の前に女の姿が見えた。避けようとしたが、明らかに〈立ち塞がっている〉。
真っ白なスーツ姿にウェーブのかかった上品なロングヘア。絵に描いたようなキャリアウーマンだ。SFのようなスクエアなサングラスをしている。
とてもホームレス狩りをするようなタイプではない。
サングラスをしているのでわからないが、しっかりと目が合っている。
「あなた、〈アユカワヒメ〉という女子高生をご存知よね」
なんだと。
ヤクザでも警官でもない人物からその名前を聞くとは、あまりに意外で驚きが顔に出てしまった。
しまった、と心の中で舌打ちする。
「隠さなくてもいいわ。というか隠しても無駄よ。彼女を追っている組織は巨大なうえに、すぐれたテクノロジーを持っている」
芝居は無意味なのか。だが、何も答えなければ認めたことにはならない。
黙秘だ。
サングラスで視線が見えない不気味さがあるが、睨み返すようにじっと見つめる。
「その気になれば、あらゆるデータにアクセスできる。あなたがITベンチャーを経営していたことも、〈杜撰なデータ管理〉とやらで世間から叩かれて、倒産に追い込まれたことも」
背筋が凍った。
なぜ、そんなことまで調べた? ヒメちゃんは俺の過去とは関係ないし、いま現在、彼女の命運を握ってもいない。私はただのホームレスだ。ほんの少しだけ、関わったに過ぎない。
何かを要求される。それは間違いなさそうだ。
ヒメちゃんがjokerにいるのだってとっくにお見通しなのだろう。
だったら、私に何の価値がある。
「そんなに警戒しないでちょうだい。私が伝えたいのは、ひとつだけ。あの女子高生の握っているものは――」
ごくりと息を呑む。
「あなたの守りたかった〈正義〉に辿り着くわ」
「……どういうことだ?」
あまりにも意味不明なセリフに思考を制御できず、はじめて声が出してしまった。
「時間はあまりない。PCを確認してちょうだい」
「持っていないぞ」
「どこにでもあるでしょ? じゃあ」
女は言うと、私の脇を抜けていった。
シャンプーだかなにかのいい匂いがする。
「ちょ、まっ」
思わずキムタクのようになったが、私はそれ以上追うことはしなかった、
わずか数分の出来事だった。
まるで現実とは思えない。いい匂いのするいい女が、意味不明のことを言って立ち去っていった。
しばらく呆けていたが、気を取り直して、ホームへ向かう。
わが家にたどり着くと、マッサンからもらったはずの缶詰が消えていた。そして、エロ本が増えている。勝手な物々交換が行われたようだ。まあいい。昨日、一年分の豪遊をしたばかりだ。
何人かの住民とあいさつをかわし、マッサンのことも尋ねるが、昨日の今日でとくに新しい話はない。というか誰も知らないようだ。
わが家で腰をおろすと、何もすることがないことに気づく。いままでだって、そうだったが、いまはなぜか胸の内がそわそわする。
PCを確認とはどういうことだ。何を確認しろと言っているのだ? 私がPCどころかスマホを持っていないのはご存知ない? あんなにドヤ顔で〈すべてお見通しよ〉ムーブしておきながら?
私が持っているのはせいぜいDSくらいだ。
リュックからDSを取り出す。
本体の右上が緑色に光っていた。




