12 7月22日
ケンジは目を覚ます。
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俺は朝6時に目を覚ました。
繁華街の場末、昼間はカフェで日暮からバーになるという「ジョーカー」という店のソファだ。
初夏だが、まだ日の出前のようだった。
店のブラインドは締め切っていたが、そこから差し込む光はがあればわかるはずだった。
何年ぶりかに酒を飲んだ。ヤクザだった頃はよく飲んでいたが、実をいうと酒は苦手だった。アメリカ時代には教官が日曜日だけ飲むのに付き合わされていたが、日本に帰ってきてからはいっさい飲んでいない。
酒はあらゆる判断をおかしくする。そう、たぶん俺は酒に弱いんだろう。
だが、なぜか昨晩は結局飲まされた。
とくに、あのジュンという男が俺のことをやたらと聞いてきた。
酔わせてなにか聞き出したかったのだろうが、〈アユカワヒメ〉の件に関しては、俺自身もさっぱりわからない。だから、すべてを教えてやった。これで信用されただろうか。正直言って、俺もジュンというやつに頼ったほうが、いいような気がしている。なにしろ、俺にはなんの手がかりもない。肝心のオジキがなにも教えてくれないうえ、しばらく連絡を控えろと言われている。オジキのなかでは俺が〈アユカワヒメ〉を保護しているように思われたかしれないが、実際にはジュンとこの店のオーナーであるチアキが保護者のようだ。
いったい、何が起こっているんだ……?
たかだか女子高生を警察とヤクザが狙うなんてことがあるのか。
頭が痛い。ひさびさの二日酔いだ。
まわりを見渡すと、たしか〈ユウキャン〉と呼ばれていた男がソファで寝ている。しかも、そのうえ、その上に〈タイサ〉と呼ばれていた女が覆い被さっている。あれ、あれはたしか40歳の男だったような。まあ、いいか。令和は見た目じゃないらしい。AIだか、フォトショップとかいうのでなんとでもなるらしい。それがなんなのかを俺が知る必要はないだろう。個人の趣味というやつだ。
「よう、早起きだな。〈ケンジ〉」
視線をぐるりとやると、ジュンが椅子に座ってPCで何かをやっているところだった。
「歳とると朝は早くなるよな」
たしかに俺はいつもこのくらいに目が覚める。だが、いつもとは違って頭が痛い、そのうえ尿意で目が覚めたのかもしれない。
「ああ……」
適当に答えて、階段脇のトイレにむかう。昨晩のよくわからない酒宴が本物だったことを確信する。
顔を洗って、出てから、もう一度見渡す。
店のオーナー〈チアキ〉と〈アユカワヒメ〉は2階のプライベートスペースにある寝室で寝ているのだろう。2階には風呂もあって、入るように勧められたがさすがに断った。
「あ、あれ……ホームレスくんは?」
「ああ。もう出ていった」
「いいのか?」
「ああ、もちろん。なんでだ?」
「〈ヒメ〉のこと喋るかもしれないぞ」
「だとしたら、それまでだな。ただ、ヒメがここにいるのは少なくても御柱警察のほうにはバレていると思う。昨日きた遠藤が確認しただろう。トモがもっている情報には価値はないよ」
「だったら昨日、全員解散でもよかっただろう」
「タイサとユウキャンは手伝ってくれると言ってくれたし、君はそもそもヒメちゃんから離れたらダメだろ?」
「……まあな」
「といっても、あんたにヒメちゃんは渡さないよ」
「……ふん。まあ、知っての通り、これは俺の仕事ではあるが、現場待機だし、いまのところどうしようもない。あんたらが悪いやつらではないのはわかったから、まかせるしかないさ」
「悪いやつかどうかが一晩でわかるものかね?」
「どういう意味だ?」
「一般的な意味だが」
ジュンの声音も表情も冗談を言ってるようには見えない。
俺は思わず舌打ちをする。
「まあ、俺も元極道だ。カタギといっしょにお天道様の下を歩けるとは思ってはいない」
「誰にでも厚生するチャンスはあるさ。ただ、過去は消せない。なかったことにはできない」
「……ああ……もちろん」
こうした視線を向けられるのははじめてだった。極道だったときにも、日本を離れていた時にも、日本に戻ってカタギのようなそうじゃないような中途半端な存在だったいままでにも、なかった。
暴力団排除条例は、極道を押しつぶした。それが全国で施行される頃、〈人権〉問題として議論になったが、東京都が施行に踏み切ると、全国で当たり前の行為となった。〈指定暴力団〉の構成員であれば、一般人の生活は一切できなくなるような印象があった。それに協力する人間はたとえピザの宅配便であっても罰せられるかのようなメッセージが社会に広まった。
たしかに、シノギはやりにくくなったし、多くの当たり前のことができなくなった。
極道は社会に必要ない。あらためて日本社会が認識するようになった。暴力団排除条例は成功だったのだろう。ろくなシノギを持っていなかった連中から脱落していった。それこそホームレスになった。生活保護もそもそも受けられない。構成員からの脱退を証明するのは時間がかかるうえ、抜けたところで、5年間は人として扱われないルールがある。あの時代から、すでに構成員に10代、20代は激減していた。だから、極道ができなくなって、路頭に迷うのは40、50代が大半だった。
俺たちが社会に受け入れられなかったのは最初からだ。
いまにはじまったことじゃない。
「俺をあのホームレスくんとは同じ扱いはできないんだろ?」
「もちろん、あんたは特別さ」
ジュンはうってかわって高らかな音で、笑顔で言った。
「コーヒー、飲むか? 淹れよう」
俺の答えを聞かないままに、ジュンは立ち上がった。
何かのリモコンを手に取って操作する。ラジオがかかった。FMだろうか。朝にふさわしい穏やかな曲が流れる。そのまま店のカウンターに入った
「今日やることはコーヒーのあとで伝える」
ジュンは言う。
まるで、命令だな。
※ ※ ※
朝7時30分。
俺と〈ジュン〉は、〈アユカワヒメ〉の自宅へ向かった。
情報を整理すると、おとといの事件の日、ヤクザだかチンピラだかが、乗り込んでいて占拠されていたという。〈アユカワヒメ〉が遭遇したのはひとり。いかにもチンピラ風の男だけだが、ひとりだったかどうかはわからない。家政婦だという女がいたはずだが、行方がしれない。その後、宅配便の車両でなにかが運び出された。
ともかく、〈アユカワヒメ〉を狙う連中は、彼女とその周辺で何かを探しているようだ。
「それが何なのかが、まだわかっていない可能性がある」
「そうなのか」
「ああ。とりあえず関係しそうなものを手当たり次第に押収している感じがある。スマートさのかけらもない」
「〈トクリュウ〉みたいだな」
「今回のは違そうだ。事情を知らないにしても、闇バイトにしても指示が明確にできないだろう」
「けったいやな」
「ああ。そういや、あんたも大阪だったな?」
俺は頷く。
「あんたもか」
「高校までな。大学がこっちで、社会人になってからまたしばらく大阪だった」
「そうか」
出掛けたときは空気が心地よく澄んでいたが、わずか数十分で気温が上がりはじめたようだ。
〈アユカワヒメ〉の自宅は繁華街からそう遠くない、ひとつ道を入ったところにある住宅街にあった。都会は不思議なことに、ひとつ道を変えただけで、顔を変える。誰もいない閑静な住宅街だ。〈アユカワヒメ〉の通う学校も夏休みに入っている。通学する生徒の姿もほとんど見えない。
いや、目の前に一人いた。
後ろ姿だが〈アユカワヒメ〉と同じ学生服だ。
「こっちは学校に向かう方向じゃないな」
ジュンが言う。俺たちと同じ方向に歩いている。
「夏休みじゃないのか?」
「補修、部活、夏休みに学校に行く用事はいろいろあるんだよ」
「悪かったな。知らなくて」
俺は中卒だ。まじめに通っていたが、高校には行くことはできないと言われて卒業後にすぐに働いた。高校のことなんて知るわけがない。
「ヒメちゃんの知り合いかもしれない。少し距離をとって見張ろう」
「わかった」
案の定、その女子高生は〈アユカワヒメ〉の自宅で立ち止まり、インターフォンを鳴らした。
しかし、誰も出てこない。
そうだろう。そこには本来の住人はいない。女子高生は踵を返した。
その時、道の脇からエンジン音が聞こえて、スクーターが飛び出してきた。
突然の轟音に、女子高生も振り向く。
しかし、一瞬にして、彼女が肩からさけで持っていたキルト生地のバッグを手につかむ。女子高生は驚いて身を捩ると、一瞬肘にひっかかったもののバッグは奪われる。
「いやあっ!」
小さい悲鳴があがる。
途端、ジュンが飛び出して進路をふさいだ。
ひったくり犯はあわてて進路を変えようとする。
させるか!
俺は飛び出すと同時にスクーターの男に体当たりをする。
派手に横転して、男は弾き飛ばされる。スクーターも後輪を回しながら滑っていき、しばらくして、止まった。
「ケンジ、そいつを抑えろ!」
そうジュンが言ったのが聞こえるまでもなく、俺はスクーター男をうつ伏せに転がしてから腕を後ろ手に締め上げた。どんな武器を携行していても反撃ができない、完璧なホールドだ。
ジュンはひったくりされたキルトのバッグを拾い上げてから、女子高生のもとに向かう。
「大丈夫かい?」
「は、はいっ……。ありがとうございます!」
「僕たち朝帰りの格闘家なんだ。運が良かったね。こんなに朝早くにひったくりに襲われるなんて。はい、これ返すよ。ブランドバッグでもないのに、なんで狙われたんだろうね」
「ありがとうございます。私にもわかりません。これ、友だちの防災バッグと学校だよりなんです」
「友だち?」
「終業式の日に早退してしまったので、届けに来たんです。昨日電話をかけても出なくて。京都に行くかもしれないと言ってたんですけど。もしいるなら渡しておこうって」
「そうなんだ。とんだ災難だったね。とりあえず、警察呼ぶんでちょっと待っててくれる?」
「え? 私、これから部活あるんですけど……」
「そうはいっても犯罪だし。ちゃんと警察に処理してもらわないと」
「えーーっ、私じゃなきゃダメですか」
「そりゃダメでしょう」
ジュンとショートカットの活発そうな女子高生は押し問答をしている。
その間に俺はひったくり犯人のフルフェースメットをはずす。
「たたたっっ」
痛みの声を上げるが容赦はしない。ツラをおがんだが、若い。学生といってもさしつかえないような年齢に見えた。だが、最近の無軌道な犯罪はたいていが若者だ。
ジュンが俺の元に戻ってきた。
同時に女子高生が会釈して通り過ぎていった。
「彼女、部活にどうしても行かないといけないらしいから、あとのことはオレたちに任せるってさ。どうしようか。オレたちもめんどうごとに巻き込まれたな」
ジュンの声はどこか楽しそうである。
「お兄ちゃんはなんでこんな人通りの少ない住宅街でひったくりしようとしたのかな?」
「そ、そこの家の届け物を取り上げろって!」
「あ、バイト?」
「そ、そう!」
「ちっ」
俺が腕を絞める力を強めると、若者は悲鳴を上げる。
「騒がしくするな、ケンジ」
ジュンがたしなめる。
いつからお前が俺の兄貴ぶんになったんだ。
ジュンはお構いなしにいくつか質問を続ける。ひったくったものの届け先、バイトを募集していたサイトなど。
しばらくすると、ジュンは立ち上がり、俺に犯人を解放するように言った。
「おい……」
「まあ、いいだろ。俺たちも時間がないし。未遂だし、写真も撮ったし、免許証も確認したし、証人もいるし。なんかあったら、もっとひどい罪でぶち込んでやるから。とりあえず帰っていいよ」
※ ※ ※
ユウキャンとタイサは交番に向かっていた。
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タイサはヒメの制服を借りてきていた。背格好が同じだからきっといける、とジュンが言っていた。
その言葉通り、窮屈そうな胸以外は、不自然なところはなにもない。
「おい、とりあえず離れて歩こうぜ」
「えーっ、なんでー?」
「おっさんと女子高生が並んで歩いてたら、それだけで犯罪なんだよ」
「僕、やっぱり女子高生に見えるんすね」
「ああ、制服着てるからな」
「17歳には見えない?」
「見えないと言われれば見えない。40歳だと知った以上は」
「知らなかったら?」
「もう、その世界線は存在しない」
「言わなきゃ良かったっす」
「とにかく離れろ。あと名前やらなんやらも覚えたか?」
「大丈夫っす。新島涼子17歳、◯◯女子高等学校、2年E組、バスケ部……。アユカワヒメちゃんの友達っす」
「そうそう」
「終業式の日に友だちが早退して、帰る途中で怪しい男に追いかけられて交番に行ったら、警官の人相が怖くて慌てて飛び出したら、スマホとバッグを忘れたらしいので、頼まれて取りにきたっす」
「そうそう」
「嘘なのバレバレじゃないっすか」
「そうか? ……初見なら17歳でいけるとは思うぞ……」
「それはさっき言って欲しかったっす。じゃなくて、そんな変な話で、あいつらがヒメちゃんの持ち物返すわけないし、逆に怪しいっす」
「それも含めて反応を見るという役割だろ。バッグは返してもらえなくたっていい。〈新島涼子〉ちゃんは、いまでもヒメちゃんに連絡が取れる立場にあるというアピールをしてくること、それからヒメちゃんはすでに京都に向かっていること。この二つをリークしてくればいい、という作戦だったろ?」
これはジュンからの指示だった。
新島涼子は実在している。今朝、ジュンたちが会ったという。ヒメちゃん本人にも確認はとった。そして、新島涼子はヒメに送ったチャットにも既読がつかないと言っていた。彼女は〈もう京都?〉という連絡を最後にチャットはしていないという。
その後はタイサが新島涼子になりすます。PCメールのほうで連絡がとれて、バッグの回収を頼まれたという設定だ。その架空の文面はタイサのスマホにやりとりで残っている。送信元はジュンのPCだ。尋ねられたら、そのやりとりを見せればいいと言われた。
「僕はあいつらのシッポを掴めれば、いや、できたら踏んづけられれば、なんでもいいっす」
「ああ。なんかあっても助けないが、遠くから見守ってる」
「昨日はあんなにずっとそばにいたのに……?」
タイサは瞳をうるます。
「やめろ。なんかあったみたいに言うな」
「どうせ覚えてないんでしょ?」
「……モンハンの話は覚えてる」
たしかに話は盛り上がった。そのうえでまったく飲めない酒をうっかり口にしてしまった。
後悔している。この年になって、40男に絡まれるとは。
「そのあと何を狩ったのかは?」
「人聞き悪いぞ。俺は男アレルギーなんだ。触るだけで機械蕁麻疹が出る」
「出てなかったっす。つーか、なんすか、また設定?」
「うるさい」
ユウキャンは今朝方からこの手のウザ絡みに必死に抵抗していた。
昼近くにジュンから連絡を受けて、かくかくしかじかでこの状況である。
交番が近くなってきた。
ここからはタイサの単独行動だ。
ユウキャンは万が一のためのサポートということになっている。誰かと待ち合わせをしているふうな感じでスマホを見ながら、生垣に腰掛ける。
タイサは軍隊で使うようなハンドサインを出してからウィンクした。
なんなんだあいつは。
初対面なのに「タイプっす」と言われた。
なんとなく舞い上がったのは間違いない。人から好かれて嫌な人間というのはなかなかいないだろう。それが男でも、40歳でも。知らなかったらやばかった、と思う。なんだったら、まだウソじゃないかとも思う。
15分後。タイサは戻ってきた。学生鞄を抱えている。
無事に出てきた場合は、地下鉄の書店直結の入り口から抜けたDVD売り場に待ち合わせし直した。
「ウソだろ?」
「うーん。いや、なんか、あっさり」
タイサはヒメのスマホを見せた。




