Chapter5 ラストバトル
「あれ……」
何時の間にか、椅子に座った侭眠っていたようだった。
呆けた顔で辺りを見渡すと、自分以外にも社内で寝ている人が大勢居た。
他の皆も目が覚めたのか、何人かが顔を上げ始める。
「桃木先輩」
「ああ、ごめんなさい。いつの間にか寝てたみたい」
「いえ、それは私もです。廊下で寝ている人もいました。一体何があったんでしょう?」
「さあ……。でも、何だかすっきりした気分だわ。日頃の疲れが一気に取れたかのような」
「私も今朝は頭が痛かったのに、今は何ともないんです。不思議ですね」
ぐったりとしていた疲れが嘘のように無くなっていた。
それ程までに、良い睡眠を得られたのだろうか。
「おい、見ろよ! 外が晴れてきた!」
若い社員が窓の外を見てはしゃいでいる。
つられて外を見れば、あんなに土砂降りだった雨が上がっていて、雲の隙間から太陽の後光が降り注いでいた。
「帰りは傘、いらないかもね」
──…
夕日の赤い日差しが眩しい。黒いスーツに熱が溜まり、焼けるように熱い。
黒い霧は完全に消え失せ、今この場にいる悪霊は己のみだ。
空腹が満たされたような感覚を覚えるが、取り込んだ魂の悲痛な叫びが頭の中を反響する。シンシアはこの魂の声に何とも思わなかったのか。
カツン、と誰かが屋根の上に降り立つ音が鳴った。振り返った先でマスケット銃を持ったジルベルトの姿を捉える。
「結局、キミの悪霊化を止められなかったな」
罪悪感が混じる声音で告げられた。
後光に照らされた銀髪は赤みを帯びていて、綺麗だ。
「悪霊はともかく、取り憑かれた人達の苦痛まで全部受け止める必要はなかっただろ」
「……これぐらいしか、今の僕には出来ないから」
身体の向きを変えて、改めて死神と対峙する。
シンシアを倒してくれた恩義はあるけれど、まだ終わる訳にはいかない。
響哉の利き手に黒い靄が集約すれば、シンシアの腹部を裂いたマチェットを作り出す。
響哉の背後で重なり合っていた腕がバラバラに解けて、自由になった響哉がジルベルトに向かって駆け出した。
突然振り下ろされる刃に瞠目したジルベルトは、即座に銃の側面を前に構えて刃先を受け止める。ぶつかり合った箇所が火花を散らして金属音を奏でた。
「響哉……!」
「これで残る悪霊は僕一人だけだ!!」
力押しで銃を弾き、その勢いで横から薙ぎ払おうとする。あらゆる角度から何度も刃を交え、文字通りの力のぶつかり合いだった。
反撃で跳ね返されて体勢を崩した響哉に、前方からくるりと回転した蹴りが繰り出される。足は腹部を直撃し、響哉の身体は後方へ飛んだ。
霧から生み出された黒い腕が地面に爪を立てて、何とか地面に着地に成功する。一息吐く間もなく、今度はジルベルトの方から響哉に向かって走り出した。
接近戦の為、銃を大鎌に持ち替える。だが、攻撃するのを躊躇う素振りがちらつき、加減をしようとしているのか、ジルベルトの動きが若干鈍った。
水平に鎌の刃が振るわれる。響哉は咄嗟に膝を折り曲げ、頭の位置を下げて回避に移る。
大きく振った為正面に隙が生じ、好機と見た響哉は前に飛び出してマチェットの刃先を突き出した。
それを視界に捉え、歯を食い縛ったジルベルトは瞬時に鎌を銃に切り替えて繰り出された刃物を銃で防ぐ。
「何をしているの! 貴方達が戦う必要なんてないじゃない!」
下の方からアリサが叫ぶ。声に反応して二人は同時に下を見遣った。
「必要ならあるよ。僕はもう、人間とは呼べない存在だから」
「死神は、悪霊を浄化しなくちゃならない」
戦う理由など、それで充分だと言いたげに二人共笑みを浮かべた。
ゆっくりとマスケット銃を構えると、目前の響哉が先に行動する。
それを合図にジルベルトは引き金を引き、銃声を轟かせて弾丸を放つ。響哉が持つマチェットが瞬時に弾を弾き飛ばした。
迫ってきた彼の手が、マチェットを突き出す。切っ先は肩を掠め、モッズコートが裂けた。
「っ、いやいや、驚いたな。悪霊化して身体能力がずば抜けていないか?」
「さあ、この身体に慣れたお陰かな!」
明らかに、今までの響哉とは思えない速さだった。
驚きを隠せないジルベルトは茶化すように吐き捨てる。
「参ったネ、二人共完全にスイッチが入っちゃったみたいだ」
「はぁ……。じゃれ合うんでしたら、私は先に戻ってますね? 後片付けもありますし」
お好きにどうぞと言わんばかりに、リリスは溜息を吐いてその場から消えた。
「あれは戯れて…いるのかしら?」
「うーん、拳と拳で語り合いたい時だってあるヨ? それに見たまえ、二人共どこか楽しそうだ」
対立する二人は、純粋に勝負を楽しむ姿勢だ。本気で殺し合っている訳じゃないと、アリサとレオナルドも直ぐにわかった。
夕日を背景に、金属音を奏でて死神と悪霊が舞っているようで、目が離せないでいる。
少し前まであんなに絶望した顔をしていたのに、今は運動して元気になっていっているように思えた。
響哉の背後の黒い腕が一斉にジルベルトに向かってくる。
驚きで瞠目したジルベルトは、眼前の刃を弾いて後方に飛び退きながら、その腕に銃弾を何発か撃ち込む。
伸びた影から腕は何本も生えていき、処理が追い付かなくなるとその内の一本がジルベルトの首を掴み、締め上げた。
身体が宙に浮き、締め上げる腕を引き剥がそうと両腕を添えつつ下の響哉を見下ろした。
「…っ…なぁ、響哉。死神と出会わない方が、良かったか?」
唐突な質問に響哉は微塵も動かないでいる。一度ジルベルトを見上げた後、間を空けて薄く唇を開いた。
「大事な家族が奪われたのは、やっぱり許せない。けど…、ジルと過ごした時間は楽しかった」
これは紛れもなく本音だ。命の危険は幾つもあったけれども、彼等と過ごした日々は響哉にとって大切な思い出と言える。
だからこそ、別れるのが惜しいとすら感じている。
いや、駄目だ。これでは決心が鈍ってしまう。
響哉が手を挙げると、黒腕が掴み上げたジルベルトをその侭屋根の板に叩き付けた。
大きな衝突音を立てて砂埃が舞い上がり、背中を強打したジルベルトが呻いた。マチェットを握り締めて、彼が起き上がる前に跨って。
両手で振り下ろされたマチェットの刃が、頬の横を過ぎて板に突き刺さる。見下ろした先でジルベルトが鉈を一瞥して此方に視線を合わせた。
「響哉、お前……、死ぬ気だろ?」
眸を細めて静かに告げられる。図星を突かれ、肩先がぴくりと震えた。
「僕は、倒されるべき悪だからね」
目を伏せて呟いた。生きた悪霊がこの侭野放しではまずいだろうと思った。
どうせなら、最後はジルベルトの手で葬ってほしい。だからこうして、一対一の戦いを挑んだ。
手加減をされては困る。本気で来てもらわないと。なので響哉も彼を傷付けるつもりで刃を振るった。
「期待に応えられなくて悪いが、俺は響哉を殺せない」
「っどうして……!」
「響哉に生きてほしいと願っているからだ! それに、好きな人を殺すのは当然嫌に決まってる!!」
はっきりと、断言する声に響哉が怯んだ。反射的に逃げようと腰が浮いてしまうが、腕を掴まれて彼の上に倒れ込む。
背中を搔き抱かれては身動きすらまともに取れない。諦めて全身の力を抜いて彼に身を預ける事にした。
「……ジル」
「ん?」
「ジルが好きなのは、綺香さんだろう? 僕は飽くまで生まれ変わりなだけの別人だよ」
彼の好意も、自分を通して彼女を見ているだけに過ぎない。すると片手が包み込むように頬へと添えられた。
「俺が好きなのは、響哉だ。……返事、遅くなって悪い」
「……ぁ、」
彼の悪霊化を止める際に、告白していた事を思い出す。
今頃になって、返事を貰うとは思わなかった。動揺して胸中に羞恥が込み上げてくる。
「……響哉?」
「あ、いや…、面と向かって、誰かに好きだって言われたの、初めてで……」
こんな自分でも、愛してくれる人がいるんだと頭で理解すれば、不覚にも涙腺が緩んでしまう。それ程までに、彼の言葉に救われた気がしたのだ。
突き刺さっていたマチェットが形状を保てずに崩れ落ち、足下から生えていた黒い腕も鎮まり始め、影の中へ溶けていく。
真紅色だった双眸が元のこげ茶色の眸に戻り、その姿は普段の響哉そのものだった。
彼の胸を押すとジルベルトは抱いていた腕の力を緩めてくれる。徐に起き上がってジルベルトの上から退いた。
自由になったジルベルトも遅れる形で上体を起こそうとする。
「それと、俺死者だけどいい?」
「僕も悪霊だから、いいんじゃないかな」
確認する声に小さく笑った。
こうして終幕を迎え、戦いは中止される。
「ふむ、これにて一件落着といったところか」
「全く、どうなるかと思ったじゃない」
最後まで見届けた二人が其々零した。
そして屋根から降りてきたジルベルトと響哉を手厚く迎えるだろう。
家族で唯一取り残され、一人の青年が絶望して悪霊となった。
人を苦しめる悪いものを内側に取り込んで、最後に死神に倒される事で全てを終わらせようとした。
然しこんな姿になっても、彼は生きろと唱え続ける。
それは希望の言葉でもあり、一種の呪いでもあった。
悪霊となったからには、他の死神と敵対する事も当然ある筈。元の人間としての生活を送るのは難儀だと推測される。
それでも、彼等と一緒ならやっていけそうだと、青年は微笑んだ──。




