Chapter4 愛のない旅立ち
「くっそ、キリがねぇな!」
シンシアとの間合いを詰めようとするが、無数に生えた白い腕が道を阻む。
腹部を狙えば、響哉が出られる可能性もある。傷付けてしまうリスクもあるが、希望もあった。
「ジルベルト! 後ろ!」
「…っ!!」
シンシアにばかり意識が向いていた所為か、背後の悪霊の気配に気付くのが遅れてしまった。
鋭い刃となった手を瞬時に鎌で受け止めるが、刃同士がぶつかる衝撃でジルベルトは受け身も忘れて地面へと叩き付けられる。
全身を強打したジルベルトは鎌を落として呻いた。周囲を飛んでいた蝶が、彼の怪我を治そうと集まってくる。
どうすりゃいいんだ。周りを蹴散らさないと悪霊に妨害され、刃も弾丸も中々シンシアまで届かない。
喩え蹴散らしても悪霊の数は今も尚、増加し続けて無限に湧いてくる。圧倒的に数で不利だ。初めて詰み、というものが脳裏を過ぎる。
手に負えない程に、彼女は強大になり過ぎた。何人……否、恐らくこれまでに何百人と魂を食らってきたのだろう。そうでなければあの霊力の量は可笑しい。
腹の中にいる魂を己の霊力に変換している。取り込んだ魂のお陰か、尽きる事を知らない膨大な霊力だ。傷の治りも早すぎる。
彼女を弱体化させる意味でも、逸早く響哉をあの中から解放してやるべきなのだが。
治療の間、ジルベルトは下からシンシアを睨み上げた。
直ぐに魂を喰おうとしない辺り、シンシアは魂が悪霊で埋め尽くされるまでの時間稼ぎをしているように見える。彼女は一番の食べ頃を待っている。
霊力が減ってきたら、近くにいた悪霊を彼女の背後にある白い腕が捕らえ、腹に取り込んでいく。それの繰り返し。
少女は嘲笑う。あれは自分以外を物として扱う眼だ。
「ジルベルト、立てる!?」
落とした鎌を拾い、立ち上がろうとするジルベルトの許にリリスが駆けつけた。
「……リリス」
彼女の手を借りながら体勢を立て直す。
この時、彼女を見てある事を思いついた。倒せないなら、封じる戦法は如何かと。
「なぁ、冥府への扉を一段と大きく開けられないか?そこにシンシアを落としたい」
「なに言ってるんですか! 死神はあの扉を潜れません! 落としても弾かれるだけです!」
「死神でなきゃ、いいんだな?」
「あ……」
ジルベルトが確認すれば、リリスも思い当たるものがあったのか、惚けた表情から一変して口端を持ち上げた。
「……そう。そういう事ですか」
死神にとって罪状は命そのもの。罪の象徴である物が破壊されれば、罪の償いが出来なくなる。残った罪は己に降りかかり、魂の穢れが悪化して悪霊へと誘うだろう。
罪状である宝石の破壊。それは即ち死神の悪霊化を意味する。以前に一条響哉が事故で起こしてしまった事があった。あれが攻略のヒントになろうとは。
シンシアの宝石を破壊する。そうすれば彼女は悪霊と化し、扉を潜れるようになる。彼女を扉に落とし、冥府に引き取ってもらう。
問題はシンシアの中に居る一条響哉だ。扉を潜ってしまえば、彼の魂も一瞬で浄化されてしまう。つまりは死だ。それだけは避けたかった。
「お姉…、ちゃん」
丁度屋根上に飛び乗った時だった。
微かに姉を呼ぶ声が聞こえた。目を覚ましたアリサがよろめいて立ち上がる。
「目覚めたみたいですね」
「っ、……何故、助けたの?」
「見捨てられる程非情でもないんでな。それに今は一人でも戦力が多いに越した事はない」
「私が、姉さんに立ち向かうとでも?」
「使い捨てにされてもまだ姉の味方をするのかい?」
其処でアリサは視線を逸らした。
「私にとっては、たった一人の姉なのよ」
「だったら、お前が姉を止めろ。間違ってるってはっきり言ってやれ。本当は迷ってるんだろ?」
図星だったようで、彼女は黙り込んでしまう。
対峙した時のアリサは本気で殺しにかかっていなかった。動きのキレも悪く、何か躊躇っている素振りではあった。
言葉で引き下がれないと自分に言い聞かせているようで、彼女らしくないと感じた。
襲い掛かる白き腕を鎌で二つに切断し、ジルベルトはアリサへ振り返る。
「アリサ! あの腕はシンシアの鎌で間違いないか!?」
「……ええ、そうよ。元は弓だったけれど、形状を変えるのに成功したのよ」
死神の鎌とセットになる武器は人其々違うとは耳にしていた。
シンシアは弓を使っていた。然し、何らかの方法で武器の種類を増やしてしまったようだ。
悪霊でもない彼女に、悪霊そっくりの腕がある事にも納得がいく。
「はいはい、下の雑魚は私が押さえておきますから、あとは頼みますね? タイミングになったら言ってください」
手短に伝えてリリスは地上へ向けて火を放つ。
何時の間にか仲間に加えられている事に戸惑いを隠し切れないアリサは、苦渋の顔をして姉に向き直る。
「罪状の宝石はどこだ?」
「あそこよ。一本だけ掌に蒼い石が見えるでしょう?」
「あれか……」
指し示す方向へ目を向けると、無数の腕の中に一つだけ、掌に小さな宝石が埋め込まれているのが視認出来た。
狙い撃つには中々に厳しそうだ。
リリスが周りを蹴散らしてくれている時間もそう長くは続かない。実行のチャンスは限られている。
「アリサ。私に歯向かうの?」
「ごめんなさい、姉さん。姉さんが少しでも楽になるのならと今まで目を瞑っていたけれど、寧ろ悪化する一方だった。一条響哉を犠牲にして、やっと終わるかと思ったのに…、これじゃあただの殺戮よ」
終わりの見えない欲求は歯止めが利かなくなっている。誰かが止めない限り、きっと止まらない。
それは最早依存症。中毒症状に酷似していた。
「そう、よくわかったわ。でもお遊びはここまでよ。これから起こる最高の瞬間を、そこで見ているといいわ」
シンシアは指を絡ませて目を閉じた。すると街中から光の粒子達が空へ昇り始める。間違い無く、それは人の魂そのものだ。
「見て、こんなにも綺麗。まるで宝石のよう」
「! シンシア、お前ッ!」
吸い寄せるように、粒子を掌に集めようとするシンシアにジルベルトは叫んだ。力ずくで止めようと動く前に、無数の白い腕が彼を取り押さえた。
掌の上の魂を瑞々しいものとして眺め、嬉しそうに彼女は唇を開けて。
「いただきます」
ゆっくりと掌を傾けて、魂を口に流し込もうとする。
駄目だ、間に合わない。この場に居る誰もがそう思った。
「──ぅ、ッ!!」
その瞬間、肉を裂く音が空気を震わした。
シンシアは口端から赤い飛沫を零し、大きく見開かれた眸は驚愕を滲ませている。
真っ白なドレスは血で汚れていき、魂は掌から零れ落ちた。
「姉さんッ!!」
アリサが声をあげた。シンシアの腹部から鋭利な刃物が飛び出している。一体何が起こったのか理解が追いつかなかった。
よく見れば黒いマチェットを握る男性の腕が見える。あれは……。
「響哉……?」
四方やとジルベルトが呟いた。
「一、条…響哉。私の、中で、まだ……、抵抗するの…っ!」
「ええ。反撃しないと気が済まなくなりましたので」
肉壁の内側から、涼やかな声音が響いた。マチェットの刃先が彼女の腹部を上から下へと勢いよく切開する。
「ああぁぁあ──!!」
甲高い悲鳴が空気を震わす。切り開かれた腹部からおぞましい色をした悪霊の影達が天へと溢れ出し、彼女は苦しそうにもがいた。
響哉が道を開き、閉じ込められていた魂が一斉に彼女の身体から逃げ出す。
「痛い、いたいぃ! アア、だめ、みんな逃げていく……、私のご馳走が!」
死神を押さえていた腕を必死に悪霊達に差し向ける。だが影は捕まえられずに腕は虚空を掴んだ。
「貴方には暫く断食をしてもらいます。ほら、ダイエットにもなるでしょう?」
「そんなの……」
要らない。と、唇が象る。響哉はマチェットを内側に引っ込めて、彼自身も影となり腹部から脱出する。
「響哉!」
宙で実体を得た響哉に逸早く気付いたジルベルトは、真っ先に彼が落下する地点まで走り出した。
着地するべく足を下にして身体の向きを変える。下でジルベルトが駆け寄ってくるのを視界に捉えると、無意識に微笑を浮かべた。
落ちた響哉を受け止める。腕に収まる温もりが、彼がちゃんと生きている事を証明していた。
「……ただいま」
控え目に告げれば、目前のジルベルトも口許が綻ぶ。
「おかえり」
背中を優しく叩き、響哉を地面に降ろす。怪我がないか確認するが、それらしきものはなくて安堵する。
その横で、ひらひらと舞い降りた一匹の霊蝶は人型に変わり果てた。
「やれやれ、出られたのはいいが、まさかこんなに悲惨な事態だとはネェ」
「あら、おじさまもあの中に?」
「無事に戻ってこれたよリリス君! 感動のハグは如何かな?」
「妻子持ちが何を言ってるんですか~! お断りしますね」
「わーい、辛辣ぅー!」
語尾にハートが付きそうな口調にレオナルドは笑いながら受け止めた。
上にいるシンシアの身体が突如ぐらついた。取り込んだ霊力が失われ、弱まった力に愕然としている。
「今です!」
リリスの掛け声と共に、シンシアの周りに幾つもの扉を出現させ、開いた扉から大きな鎖が飛び出した。
鎖は彼女の身体を縛り上げ、その動きを封じる。弱体化したお陰で一気に形勢が逆転し始めた。
「貴方の暴走も終わりです、シンシア。この侭冥府に帰っていただきます!」
リリスは鞭の先を地面へ向けて、シンシアの真下に一際大きな冥府への門を開いた。
「私は死神よ? 冥府の扉は潜れない」
「──ああ、死神はな」
突然発砲音が響いた。放たれた弾丸は背後にある白い腕の掌を貫き、宝石が砕け散る音が鳴り響いた。
驚いたシンシアが後ろを振り返る。隙を突いて放った弾丸は見事、弱点である罪状の宝石に命中した。
「なっ…これは、」
砕けた宝石に動揺して白い腕が消失する。掌に出現させた砂時計は二つに割れていて、中の砂が零れ落ちている。
砂はみるみる内に黒く変色していき、器の身体にも異変が起こり始めた。
真っ白だった衣裳が、喪服のように漆黒色に染まっていく。頬にも赤く亀裂が入り、身体が穢れ、侵食されていくのが目に見えてわかった。
「悪いが、俺達の勝ちだ──ッ!」
準備は整った。あとはこの悪霊と化した死神を扉の奥へ押し込めるだけの事。
銃を鎌に持ち替えたジルベルトが、地を蹴り上げて天高く飛躍した。
彼女よりも上に飛ぶ。追いかけてきた霊蝶の支援を受けて鎌全体が青白く輝いた。
鎌を下に向け、急降下する。重力によって加速し、それはまるで流星のような光だ。
「ジル、ベルト──!」
忌々しそうにシンシアが叫ぶ。
鎌の持ち手を彼女の首に掛ける形で激突する。鎖に繋がれた彼女の身体を上から力尽くで押し出そうとした。
彼女も負けじと押し返し、抵抗を見せた。真正面からの力と力のぶつかり合いは、若干此方が有利だ。
「っ、まだよ。メインディッシュを頂く最高の瞬間を、成し遂げるまで終われないわッ!」
「ははっ、グルメならもうちょいマシなもの食っとけって!」
お陰で揶揄を紡げる程の余裕が生まれた。眼前のシンシアが珍しく取り乱している。何時もは大人しくて、あまり感情を表に出さないタイプだと思っていた。
だが違った。本来の彼女はアリサのように威圧感のある大人びた姉だった。
ジルベルトは双子の事は何も知らなかった。死神の理由は人其々だから、基本的に詮索はしていない。だが今回ばかりは後悔した。
結果論だが、双子の事をもっとよく知っていれば、今回の事件は避けられたかもしれない。一条響哉を危険に巻き込む事もなかった。
「この器はもう駄目でも、まだ終わりじゃないわ…! そう、目の前にこんな素敵な器があるじゃない」
黒く染まった眼球がジルベルトを捉える。シンシアの後ろから伸びる白い腕が其の侭ジルベルトに絡み付き、離さなかった。
「往生際が悪いな、俺に取り憑いて逃げようってのか?」
「ええ、一先ずこの肉体から離れて貴方に乗り移るわ。死神の中なら、少なくとも扉からは逃れられそうだから」
彼女の指先がジルベルトの頬を撫でる。
器を捨てて霊体化しようとするシンシアにジルベルトは抵抗する術を持たずに舌打ちした。
「いいえ、姉さんはここで終わりよ」
地上から飛ばされたナイフが白き腕に何本も刺さった。腕が形状を失って消滅する。突然の事にシンシアは瞠目した。
「姉さんは目の前のご馳走しか見ていない。ジルを捕まえる為に、残りの霊力をその腕に注いだのが敗因ね」
「ナイスだアリサ!」
「いいからさっさと決めなさい! 周囲の悪霊は私とリリスで何とかするから!」
彼女はもう、白い腕を出す霊力すら残っていない。周りの悪霊を吸収する術もない。一か八かの賭けも、妹によって阻止されてしまった。
──ああ、駄目。押し切られる。初めて"敗北"の二文字が脳裏にちらついた。
「そん、な、いや、いやよ! こんなところで終わりたくない!」
少女は歪んだ感情を露に言葉を放つ。己の欲の為に醜く抗い、目の前の死神に対して怒りをぶつける。
気付けば扉との距離はそう遠くなく、もう一押しのところまで迫っていた。
「最後に一つ、教えてやるよ。お前が何で満たされないのかを」
「な、に……?」
「お前が欲しかったのは、人の愛情だ! そりゃ沢山喰っても寂しい気持ちが満足する訳がないな!」
愛情。愛情……? そんなもの、知らない。
この空腹感が、心の寂しさだと言うの?
ジルベルトが叫んだ瞬間、シンシアの脳裏に生前の両親が浮かぶ。
ああ。嗚呼。私に無いものを、彼等は持っている。それが羨ましくて、妬ましくて。
無意識に取り込み、奪おうとした。欲シイ。足リナイ。
「ああ、ああぁあ……!」
「落ちろおおおぉおお──ッ!!」
振り絞った力によって全力で扉の奥へ突き飛ばした。シンシアの身が離れれば鎌を銃に変化させ、ご丁寧に彼女の左胸目掛けて弾丸を一発撃ち込んだ。
赤黒く染まった少女は眩しい光の中へ沈んでいく。ジルベルトに向かって必死に片手を伸ばす少女の表情は絶望を映し出していた。
「まだ満たされてないのにいいぃい!!」
少女の内にある未練を乗せて絶叫した。拘束した鎖は千切れ、断末魔の如く叫んだ少女を招く扉は無情にも閉じられた。
鎖を出した扉も次々と閉じられていき、冥府へと続く扉は自然に消え失せた。
元凶である少女が消えた途端、周囲の悪霊達も活動を止める。
ジルベルトが地面に着地し、アリサとリリスが彼の許へ駆け寄った。
「終わった、のね」
「もう、あんな無茶はこれっきりにしてくださいね! 何度ひやひやした事か」
「ははは、悪い悪い。……けどな、まだ終わりじゃないんだ」
そう言ってジルベルトは空に浮かぶ黒い霧を見つめた。
元凶を倒しても、当然被害がなくなる訳でもない。残されたこの惨状をどうにかしなくてはならない。
すると響哉が自身の影から生やした黒腕を使い、建物の屋根に飛び乗る。
彼の視線の先は会社がある場所だった。彼処からは特に黒い霧がかかっている。
「響哉?」
何をするつもりだ、と問い掛けようとすれば響哉の影がざわついた。
何本もの腕が重なり合い、大きな柱となって彼の背後に立つ。前方に片手を伸ばし、彼の眸が紅色に光った。
急遽風向きに変化が訪れる。空気中を漂う霧が勢いよく響哉の掌に吸い込まれていくのが見えた。
幾重にも重なった黒腕が蠢き、近くの悪霊を掴んでは握り潰す。彼の背後の柱が黒い霧を纏い、少しだけ苦しそうに眉を顰める。
「悪霊と霧だけを、的確に吸収している…?」
「姉さんと同じだわ。全て自分の身体に取り込んでいる。取り込んだ分、力は増すけれど……」
「っ! 生きた身体じゃ負担が大きいだろ!」
「いいや、待ちたまえ!」
ジルベルトが直ぐに止めようとするが、レオナルドに腕を掴まれた。
「毒を以て毒を制す。見たまえ、悪霊に取り憑かれた人々を傷付ける事無く、彼は悪霊だけを吸収している。我々は新たな死者の魂を霊界に送り届けようではないか」
確かに。死神は取り憑かれた人間ごと悪霊を斬っていたが、響哉は悪霊のみを引き剥がす事が容易に出来ている。
苦虫を噛み潰したように表情を歪めた後、己の役割を優先する事にした。
死神は再び霊界への門を開き、取り残された亡霊達の行き先を指し示す。




