Chapter2 最後のトリガー
保育園の前では帰り支度を済ませた弟の姿を発見出来た。
他の子供が帰るのを見送っていたようで、響哉の姿を向こうも見つけたようだ。弟の顔が明るくなる。
「あ、一条さん。こっちです!」
「すみません。お待たせしました」
「お仕事中でしたよね、すみません」
慌てて頭を下げる先生に首を振った。
「晴香……?」
祐樹だけでなく、隣には妹の晴香も居た。
まだ学校の時間では、と思った疑念は直ぐに説明される。
「小学校も、みんな早く帰るようにって。だからゆうきのところきた」
「……そうか。晴香は具合とか大丈夫か?」
「ちょっと熱っぽい」
軽い咳もしていて、よく見れば顔が火照っているように見えたので、額に掌を当てて熱を計ってみた。
少し熱い気がする。風邪かもしれない。
「きょう兄、つめたい」
「傘も持たずに来たからね」
抱きついてきた弟から放たれた一言に苦笑する。
スーツが濡れて服が重く感じた。あまり長く着ていると自分まで風邪を引きそうだ。
「はい、傘」
「ありがとう」
妹がランドセルに付けていた折り畳み傘を差し出してくれる。
今朝より風は弱まってきているので、折れたりはしないと思いたい。
「せんせい、バイバイ!」
「お気をつけて」
保育園の先生に別れを告げ、水色の傘を広げて三人で固まって歩く。
無断で出てきてしまったが、会社の方はどうなっただろう。
様子を見ると言いながら戻ってきてないのだから、今頃捜索されてるかもしれない。
死神を呼んで早めに戻ろう。子供二人なら家の中にいれば恐らくは安全だ。
雨粒が傘を叩く音を聴きながら、辿り着いたアパートの階段を上がっていく。
傘を閉じ、鍵を開けて中に入る。妹は時折咳を繰り返していて、少しでも温かくした方が良さそうだ。
「布団を敷くから、着替えていいよ」
「はーい」
ランドセルを置いて手洗いに向かう背中に声を掛ける。
響哉は寝室に向かい、布団を二つ敷いた。パジャマに着替えた兄弟が敷かれた布団へ飛び込む。
調子が悪いにも関わらずはしゃぐ様子には、控え目に笑いつつも掛け布団を上から被せた。
「具合が良くなるまで、確り休むんだよ?」
「……きょう兄は?」
「僕はまだ仕事が残ってるから、夜までには戻る」
「やだ! きょう兄行っちゃやだ!」
布団から抜け出して弟が腕を引っ張ってくる。
……困った。会社の人達が危ないのに、兄弟に駄々を捏ねられては身動きが取れない。
「……わかった。ここにいるよ」
子供に泣きつかれては流石に降参せざるを得ない。どの道死神が戻ってくるのを待たなくちゃいけないから、それまでは。
珍しく部屋には死神が一人もいなかった。多分、今朝の頼み事を全うしてくれているのだと思う。
それでも、中々霧は晴れない。ジルベルト達を信じて待つしかない。
安心した弟は素直に布団に戻った。枕に載せた頭を撫でて、二人が眠るのをじっと見守る。
具合が悪い所為で、より心細く感じたのだろう。自分も風邪を引いて熱を出した時は、人一倍誰かに側にいてほしかった覚えがある。
程なくして、小さな寝息が聞こえた。安堵した響哉は二人を起こさないように立ち上がる。
「響哉さん。ここにいましたか」
刹那、後から少女の声がして振り返った。部屋の入り口にシンシアが立っていた。
「シンシア、丁度よかった! 今直ぐ会社に来てほしいんだ」
「? それは構いませんけど、お二人はどうかされたんですか?」
「ああ、ちょっと具合が悪いみたいで休ませてる」
体調が悪い旨を伝えれば、シンシアは兄弟二人に近付いて様子を窺う。
何か考え込む素振りをして、立ち上がると響哉に向き直った。
「……これは、風邪ではないですね。悪霊の気にやられています」
「えっ」
「霧がずっと出ていたでしょう? あれが濃くなり過ぎて、周辺の人に害が及んでいます」
「休めば治るのか?」
シンシアは首を横に振る。自然に治るものだと思っていただけに、ショックを受けた。
「どうしたらいい?」
「私が何とか致します。すぐに楽になりますよ」
「それじゃあ、お願いします」
「ええ、でしたら響哉さんは目を閉じていてください。光が眩しいですから」
彼女は微笑みながらそう述べた。
強い光が放たれるのかと思い、よくわからない侭肯いた。
治してくれるなら有り難い。彼女に任せて言われた通りに目を瞑る。視界が閉ざされれば、シンシアの気配が近付く。
頬に冷たい掌の感触が触れた瞬間、何故だか急な睡魔に襲われた。
「あ、れ……?」
違和感は気付いた時にはもう遅かった。
力が抜け落ち、身体は床に倒れる。意識は静かに眠りに就き、遠くで少女の小さな笑声が聞こえた。
※ ※ ※
幾つもの銃声が鳴り響く。貫かれた影が消失し、また新たな影が止まる事なく湧き出ている。
空気中を漂う霧は、空に大渦を描いていた。引き寄せられるように、悪霊が集まってきているのだ。
「予想はしていたが、随分と多いな……!」
「ええ、死神二人じゃぶっちゃけきついです!」
ジリ貧となっている応戦も何時まで続けられるか。一固体は弱くとも、最早数の暴力だ。
建物の屋根に降り立ち、街並みを見下ろした。溢れ返った悪霊は道路を横切り、驚いた運転手が避けようとして前の車と衝突する。
通行人も悪霊が見えているようで、悲鳴を上げながら逃げ回っていた。正に地獄絵図だ。
霧が濃くなり過ぎた所為か、前よりも悪霊を視認する人がかなり増えていた。
その所為で被害も大きくなり、襲われた魂が悪霊化してしまう増やし鬼状態に、ジルベルトは頭を抱えそうになる。
「これだけの悪霊の数なら、近くにいる他の死神が黙ってない筈なんですけどねぇ」
「悪霊不足で嘆いていた死神なら尚更な」
「でも来れないとなると、死神も喰われましたかね」
あのローブの霊に。とリリスは呟いた。
あれから姿を見ていないが、何処かに潜んでいそうなのは確かだった。
「随分と手こずっているのね」
ジルベルト達の前にアリサが降り立った。
あまりにも遅い到着にジルベルトが一歩前に出る。
「アリサ、今までどこに行っていた?」
「どこだっていいでしょう? それに……」
惚けた様子でアリサは淡々と告げた。
彼女がスカートの下から取り出したナイフが一本放たれて、ジルベルトの横を通過する。
目線だけでナイフの流れを追ったジルベルトは言葉を詰まらせた。
「加勢はしないわ。貴方達にはここで終わってもらう」
「アリサ!」
言葉を遮るように叫ぶ。奥歯を噛み締めて、怒りを露にしていた。
目前の紅い少女は微笑む。改めてナイフを構え、二人と対峙した。
「つくづく生意気な後輩だと思っていましたが……、それは洒落にならないですよ?」
「ええ、本気だもの」
「この状況で俺等が争ってる場合かよ」
「こんな状況だからこそよ。混乱に乗じた方がやり易いわ」
退く気はないらしい。これじゃあ三つ巴だ。巻き込まれる市民の虐殺が起こりかねない。
「アリサ、お前は誰の味方だ?」
「大方察しているくせに、わざわざ言わせるの?」
「ああ、そうだなッ!」
明確に敵だと判断すれば、銃をアリサに向けて引き金を引いた。
一直線に放たれた弾丸をナイフの刃が瞬時に弾き飛ばし、駆け出したアリサはジルベルトに接近する。
繰り出された刃を銃で受け止め、鬩ぎ合う両者は睨み合っていた。
「っ、シンシアはどこだ!?」
「ばかね。言うと思ってるの?」
横からリリスの炎が噴射され、咄嗟に飛び退いたアリサは後方へ飛びながらリリスへ数本のナイフを投げた。
然しリリスを襲ったナイフは全てジルベルトの弾丸によって撃ち落とされる。
二対一というアリサにとっては不利な状況だった。それでも彼女は負ける気がしないのか、強気の姿勢だ。
下の方からは一部の悪霊が建物を這い上がってきている。銃弾を何発か撃ち込み、上ってくる悪霊を落とす。
その隙にアリサはナイフを量産して指の間に挟み、何十本と二人に向けて放つ。
全部撃ち落とすのは無理だと判断したジルベルトは横に躱して銃を構える。
「一つ言い忘れたけど、レオナルドなら来ないわよ」
「……どういう意味だ?」
「姉さんに喰われた、といえば理解してもらえるかしら?」
一歩も譲らずに激しい攻防を繰り広げながら、ふと思い出したようにアリサが紡ぐ。
リリスの援護を受けながら、迫り来るナイフを弾き落とす。
失踪した親がどうなったかを簡潔に述べられてはジルベルトも不愉快そうに眉を寄せる。
「そんな事して何になる……!」
「姉さんの為だから。それ以外に何もないわよ」
「ローブの霊の正体は、シンシアだと認めるんですね?」
「今更隠す気もないわ」
「ッ、それなら、次は──っ!」
白いローブの霊の正体が明言されれば、シンシアの行き先も予想がついた。
ジルベルトは後ろを見遣る。響哉の家がある方角を見たジルベルトは戦闘を放棄して急ぎ霊体化した。
響哉が危ない。彼の許へ急がなくては。




