Chapter6 フードの下
集合場所は帰りの電車が走る地下鉄の駅付近。其処は先日、アリサが居なくなった場所でもある。
時刻は夜の零時。予定時間までそれなりにあるので今日は残業をしていた。
流石に終電の時間帯なので駅の周辺は人通りが少なく、疎らだ。深夜ならば目立つこともないだろう。
曇り空の下、強めの風が頬を撫でていく。信号が青に変わったのか、道路の方では止まっていた車が一斉に走り出す。木々の葉が擦れ合う音を聴きながら、一人地下への入り口前で佇んでいる。
その内彼等が見つけてくれるだろうと思い、鞄の中からスマートフォンを取り出した。
「キミ、一人?」
不意に背後から肩を掴まれた。突然の事で身を竦めて驚いてしまったが、聞き慣れた声に振り向かずとも直ぐに緊張が解けていく。
「誰かと待ち合わせ? ラインやってる?」
「……ジル」
気付けば両肩に手を載せていて、密着する程の距離だ。囁きに近い問い掛けは若干笑声が混じっていた。明らかにこの状況を楽しんでいる。
名を呼ぶと肩から手を離して正面に回ってきたジルベルトが、緩い笑みを浮かべて手を挙げた。
「よっ、待たせたな。こういうところで一人突っ立っていると、変な奴に絡まれるぞ?」
「うーん…もう絡まれたかな」
「つまり、俺が変な奴だった……?」
思わぬ返しに驚いたジルベルトは口を開けた侭固まっている。
彼なりに身を案じているのだと思うけど、変な人役まではしなくていい。それに、女性の一人歩きでもないので、万が一来るとしたら喝上げじゃないだろうか。
「響哉は押しに弱そうだから心配」
「そうかな……?いざとなったら逃げるよ」
不安そうな声に、少しでも安心してほしくて微笑んだ。
ジルベルトもつられる形で口許を緩める。すると、背後の方から複数の足音が聞こえた。
「いやいや、お待たせした」
「ハーイ、響哉さんお疲れ様です。そこの不審者は如何いたしましょう?」
それから漸くレオナルドとリリスが姿を現す。不審者呼ばわりをされたジルベルトは物言いたげに唇を尖らせていた。
「では、早速始めるとしよう。響哉君、以前に奴を見た場所は駅の中で間違いないネ?」
「ええ、そうですが」
「ならば今回も中で行うとしようか。一度現れた場所なら、もう一度現れる可能性は高い。行動範囲が同じであれば、だが」
そう告げてレオナルドは一足先に地下への階段を下り始めた。他の皆もそれに続く。
地下に入り、向かったのはホームではなく地下街に繋がる通路だ。其処でレオナルドは足を止めた。
「これくらいの広さがあれば大丈夫かな。それでは響哉君、準備はいいかい?」
「……はい」
首肯をすれば、レオナルドは響哉を自分の目の前に立たせた。手に持ったステッキを床に突く。硬質な音が反響し、彼の足下には大きな蒼い陣が浮かび上がった。
周辺を実体化した蝶が飛び始める。その様子を死神二人は見守っていた。
鈴の音色が脳裏に響き、空気中を波打つように広がっていく空色の波長を視認出来た。広がった波長は自然と見えなくなり、静謐な空間に溶け込む。遠くの方で呻き声が微かに耳に届いた。
周辺の悪霊が反応を示したのだろう。こっちに向かってくるかもしれず、死神二人は其々の武器を構えている。
這いずる音が徐々に近付き、曲がり角から僅かに覗いた悪霊を即座にジルベルトが射殺した。発砲音が響き渡り、それを合図に続々と周囲のあらゆる出入り口から黒い影が湧いて出てくる。
何時もより数が多い。それだけ強い波長を浴びたという事実を物語っていた。
飛び掛ってきた悪霊の一人をリリスが弾き飛ばし、ジルベルトが天井に張り付いた獣型の悪霊を撃ち落としていく。
一撃で仕留められるのが幸いだが、それでも湧いてくる速さに押され気味だった。
「おじさま、どうです!?」
「反応はまだか!」
「まだだ! もう少しだけ耐えてほしい!」
レオナルドは撤退するラインギリギリまで粘っているようだ。
下手に動く事もかなわない状態では、待つ事しか出来ない。
「わっ…!」
「響哉!」
死神二人の隙間を蛇のように抜けた一本の黒き腕が、響哉の後ろ襟を掴んだ。
強い力で身体ごと引っ張られ、必死に抵抗した。躓いて倒れそうになったところに、ジルベルトの鎌が悪霊の腕を切り裂いた。
落ちる身体を抱き止めて、ジルベルトは安堵の息を零す。
二人に飛び掛かる悪霊が突然、巨大な腕によって捕らえられ、その侭握り潰されたのだ。
それは正に強者の狩りだ。大きい生き物が小さい生き物を丸呑みするかの如く、霧状に霧散した悪霊の魂を吸収しているように見えた。
這いずるように、ひたひたと正面の階段から歩み寄るのは白いローブの霊。現れる事はないと思えた時に、漸く目当ての人物が出現した。
足下の影から伸びる幾つもの白い手は、地獄に誘うかのように揺らめいていて、近くの悪霊を容赦なく喰らっていく。
一部の悪霊はその場から逃げ出した。悪霊でも自分の危機はわかるようだ。あっという間に、食事を終えるかのように大量の悪霊が消え去った。
「貴方は、一体……」
前のような嫌な感じがあまりしない。傍らに居る霊蝶の加護だろうか、声も出せた。
響哉が呼び掛けてもローブの霊は全く応じない。ぴくりとも動かぬ様子に警戒していたが、レオナルドが前に出た。
「見たところ、君は生者、死者問わず魂を喰らっているように見えた。何者かね?」
低い声音は尋ねるというよりも攻撃に近い。対話を求めてもローブの霊は言葉を発する素振りは見せなかった。
あれと正面から向き合うのは避けたかった。一人じゃない、何人もの視線を感じるのだ。
それはきっと、あの霊に取り込まれた魂達の目でもあるのだろう。最早集合体と言ってもいい。
平然と立っていたローブの霊に異変が起こる。
苦しそうに胸元を押さえて前屈みになった。息も荒く、頭は響哉の方へと向けられた。
「…ッ、足リナイ、マダ、……寄越セッ!!」
悲鳴に似た声を絞り、霊は足下の腕を前方に放つ。
ジルベルトが真っ先に駆け出して迫り来る腕を切断し、ローブの霊と距離を詰めた。
本体に狙いを定めて勢いよく鎌が振り下ろされる。この間合いなら取れると確信した。
刃物同士がぶつかる金属音が響き渡る。ジルベルトの確信は予想外の物によって阻まれた。
「こいつ、死神……!?」
ローブの霊が取り出した銀色の鎌によって弾かれたのだ。驚愕し、目を見開いた。
悪霊が鎌を持つ訳がない。鎌は死神に与えられた武器だ。奪ったとしても、大した力は発揮できない筈。
側のレオナルドも動揺が隠せなかった。
「死神が何故、悪霊のような行為をしているのかね。監視役の霊蝶もいない。どうなっている?」
ローブの霊の周りに、霊蝶は飛んでいない。死神なら可笑しい点が幾つかあるようだ。
刹那、リリスが起こした強い風がフードを飛ばし、覆い隠していた顔が明らかになった。
「……え?」
其処に立っていた女性を見て、響哉の身体が硬直する。
そんな、どうして。母さんは死んだ筈だ。此処にいる筈がない。
でも、目の前にいるのは如何見ても、大切な母の姿だった。ローブの格好をしてはいるが、それ以外は生前と全く変わらない姿で。
「っ、この…!」
鎌によって防がれていたジルベルトが隙を突いて反撃をしようとする。
それに気付いた響哉は考えるよりも先に衝動で身体が動き出した。薙ぎ払おうとするジルベルトの前に、母を庇う形で響哉が飛び出したのだ。
「……ッ!!」
咄嗟の行動に驚いたジルベルトが急ブレーキを掛けたように動きを止めた。危うく響哉を斬り殺すところであった。
響哉の母親の姿をしたローブの霊は、飛び出してきた響哉を捕まえる事なく鎌を下ろす。白い腕も同時に影の中へ収められて戦闘体勢を解く。
間も無くして、彼女は光に包まれて霊体化した。
「母さん!」
消えた母に声をあげた。響哉の声に応えてくれる者はおらず、辺りはしんと静まり返っていた。
乱れた呼吸を整えながら、先程まで母が居た場所を見つめた。
「やれやれ、迎撃は失敗だネ」
帽子を被り直したレオナルドが呟いた。その声に反応して肩先を震わせる。
母親の姿をした霊を浄化しなくてはならない。そして、僕はそれを黙ってみている事が出来そうにない。
先程も思考より身体が動いた。家族に向けられた刃に恐怖を抱いたからだ。
「……響哉。今のがキミの母親か」
「多分…。でも、母さんは亡くなった筈なのに、どうして」
「死後に死神になった可能性はありますけど、そうなるととても厄介ですね」
周りの話し声が遠く感じる。耳鳴りが強くなっていき、彼等から視線を外した。
「……哉、響哉、大丈夫か?」
直ぐ側でジルベルトに声を掛けられてはっと我に返った。
「ごめん。平気、だから……」
顔を上げる事が出来なかった。平常心を保とうとするものの、声が震えてしまう。
母さんを倒す。殺す? そんな事、出来る訳がない。彼等はとても大切だ。然し、家族が相手となると話しは変わってくる。
何か訳があるかもしれない。魂を喰わねばならない事情が…。
とても苦しそうだったのを思い出す。事実を確かめたくて、響哉の心は焦燥感でいっぱいだった。
※ ※ ※
人通りの少ない住宅街をずるずると徘徊する霊が一人。帰る場所もなく、飢えにのみ突き動かされる亡霊。
何時になったら解放されるのか。何時になったら終わりが来るのか。
手元にある青色の砂時計は、まだまだ上の砂が残っていた。前よりも確実に、増えている。
死後でも魂の罪は重なっていくらしい。それならば私は終身刑や死刑以上の大罪人だ。何人喰ったのか、数えるのをやめた程だ。
内側から取り込んだ魂の悲鳴や、奇声、助けを求める声がずっと反響している。喰ったとはいえ、魂に死というものはない。消滅する事なんてないのだから。
まだ、私の中で生きているのだ。正確には私という魂の檻に囚われている。一時の飢えを凌ぐ為だけに囚われた憐れな魂達。
あの青年も、何れはこの中に閉じ込められるだろう。幾つもの魂を背負った器は、ずしりと一歩一歩が重たい。
まるで水の中を歩いているかのようだ。早く、早く次の魂を…。
「そんなに、一条響哉を食べたいのかしら」
前方に影が見えた。一人の少女が佇んでいる。
ローブの霊は何も応えない。苦しそうに呼吸を繰り返すのみだった。それを見た紅い少女は悲しげに眸を伏せる。
「…ごめんなさい。私、迷ってしまったの。彼に対して情が湧いたから、あの時は咄嗟に守ってしまった」
「……」
「……ばかね。どちらが大事かなんて、はっきりしているのに」
自嘲めいた言葉を紡ぎ、少女は溜息を吐く。空色の眸は細められ、冷酷さを帯びていた。
「次は目の前に連れてくるわ。他でもない、貴方の為に」
それは決意とも言える言葉だった。少女の言葉に、ローブの下で静かに口端を吊り上げた。




