Chapter5 お昼休憩
昼休憩の時刻。ぞろぞろとオフィスを後にして買い出しに向かう人、既に用意していて弁当を広げる人など周囲には様々だ。
そして自分もお昼を買いに行こうと席を立つ。その時、此方に近付く気配に顔を上げた。
「一条君、今日もお昼は買ってくるのかな?」
「ええ、自分の分を作る気になれなくて」
後ろから桃木先輩に声を掛けられた。彼女は一度室内を見渡してから肩を竦めてみせる。
「今日は休みの人が多いから午前中はきつかったねぇ。皆ぴりぴりしてるのか、職場の空気が淀んでるような気がするの」
「ああ……」
彼方此方で空席が目立つ。ここ最近は体調不良を訴える人も少しずつ増えてきたような。
何よりの違和感が今朝、会社に到着した時に気付いた。会社内に薄らと靄のようなものが見えたのだ。それは悪霊の霧に酷似している。
靄がその内霧になるのではと懸念が生まれ、響哉も内心気が穏やかではない。
「そういえば、その手どうしたの?」
「これは…その、朝に料理していたら火傷を負ってしまって」
「あらら、大丈夫? 薬塗っておいた方がいいかもしれないよ?」
「はい。そうします」
咄嗟に思い付いた事情だが、不自然ではないだろう。
然し、それは数日の間ならば通用するだろうが、今後ずっととなると怪しまれる。早めに上司に本当の事を伝えておくべきか。
その後桃木先輩と別れ、エレベーターを使って一階まで下りた。会社の入り口を出ると、春の日差しがとても熱く感じられる。黒いスーツだから尚更だ。
とりあえず近くのコンビニにでも行こう、そう思った時だった。
「おーい、響哉くーん!」
ふと、誰かが近付いてくるのが見えた。名前を呼ばれて振り返ると、見知った人物を視界に捉えた。
「レオナルド…さん?」
被っていた帽子を外して頭を下げるのが見えた。意外な人物を前に数回瞬くものの、近付いてきた気配に視軸を合わせた。
「どうしてここに?」
「いやなに、君に伝えたい事があってネ。今、大丈夫かな?」
「ああ、はい。お昼休憩なので、長くならなければ」
「それは丁度いい。駅前のカフェでゆっくりしていかないかい?」
いい店を見つけたんだと、嬉しそうに語る。どうしようかと少しだけ悩んだが、行く当てもなかったので二つ返事で肯いた。
駅前にある最近出来たというカフェ。
西洋風の店内に案内されて席に腰掛ける。クラシックの曲が流れていて、落ち着く場所だった。
「ここの珈琲は美味しかったよぉ! あ、パスタ食べる? 今日はおじさん奢っちゃうよ!」
テンションがうなぎ上りなのか、目前のおじさんはうっきうきである。
何処と無く女子力を彷彿とさせる姿に驚きながらも、お言葉に甘えて和風のパスタを頂く事にした。
「夜であればマルゲリータのピッツァとかご馳走したんだけどねぇ…」
注文した後で、残念そうにイタリア紳士は溜息を吐く。昼間だとピザは食べないのか。
「それで、伝えたい事というのは……」
「ああ、響哉君の波長であのローブの霊を誘き寄せる作戦があるだろう? あれを今夜行いたいのだ」
今日の夜。随分と急だが、それだけ余裕のなさが窺える。
「今日で決着を付けたい、と?」
「そういう事だネ。なあに、失敗したらまた明日くらいの気持ちで大丈夫サ!」
親指を立てて「何とかなる!」とポジティブ思考を口にするレオナルドに緊張が解れた。
「そして、だ。あの霊を浄化出来たなら、我々は君の許から去るだろう。後悔のないように、聞いておきたい事は今の内に聞いておくといいよ」
彼等が居るのも残り僅かという事になる。ジルベルトは残ってくれるだろうが、他の死神はそうもいかない。
自分達の罪の償いがあるからだ。一箇所に留まるよりは、彼方此方を巡って死者を救う方が早い。
聞いておく事。考えると意外と思いつかないものだ。
暫し悩む素振りを見せて小さく唸り声を零した後、ふと、レオナルドの発言が脳裏に浮かんだ。
そういえば、彼は僕の事を綺香に似ていると口にしていた気がする。彼女の事を知っているのだろうか。
「レオナルドさん。綺香さんはどんな人だったんですか?」
気にならないと言えば嘘になる。ジルベルトが惚れた人だ。
向かい側のレオナルドは吃驚していた。不思議そうにしていると彼はくくっ、と可笑しそうに喉を震わせる。
「綺香ちゃんについては息子に直接聞いた方がいい気がするけどねぇ」
「ジルからは、その…あまり聞きたくないんです」
幸せそうに彼女の事を語る姿を思い浮かべるだけでも、嫉妬してしまいそうだ。
生前の彼と彼女の思い出は二人だけのものだ。自分が入り込む余地はない。
「ふむ、わかった。とはいえ、私もそれほど詳しくはないのだが……」
「些細な事でもいいです」
「見た目は…そうだな。清楚な印象だった。長い黒髪に、黒いスーツを着ている日本人だネ。大人しそうでとてもいい娘だったよ」
彼は記憶を探るように、先ずは容姿と印象を簡潔に述べてくれた。
全体的に黒いところと、大人しめなところは確かに似てなくもないのか。
「だからこそ、何故亡くなったのかはわからない。自殺ではないと思うのだが…」
「事故の可能性は?」
「いや、遺体があった現場に車などはなかったと言われたよ。何より死体がね、首が切断されていたんだ。殺人を疑った方がいい」
首が…切断?
今時斬首なんて武士でもないんだから可笑しい。そこまで考えて、響哉は一つだけ思い当たった。
死神の鎌だ。あれは主に首を狙っていた。もしそうならば、彼女は死神に殺されたのかもしれない。
「さて、こんなところでどうだろう? 綺香ちゃんの私生活的なものを知りたいなら、それこそジルベルトに聞くしかないだろう」
「いえ、もう結構です。ありがとうございました」
充分だと告げて礼を述べたところに、注文していた料理が運ばれてきた。
和風で味付けされた香りが湯気と一緒に漂うと、空腹を実感してしまう。
「久々の食事だねぇ。ジルベルトも小さい頃はパスタを喜んで食べていたよ」
「ジルの小さい時はどんな子供だったんですか?」
「今以上にやんちゃしていたし、元気な子サ。髪もね、Madreに褒められたからか、切らずに伸ばしていたんだ。後ろ姿で女の子だと勘違いされる事が増えたお陰で、切っちゃったけどねぇ」
髪の長いジルベルト。頭に思い浮かんだのは腰辺りまで灰色寄りの銀髪を伸ばしたジルベルトだ。
元々顔立ちが中性っぽい為、違和感はなかった。
「割と……有りだな」
「響哉君?」
「え、あっ、なんでもないです……!」
無意識に零れ落ちた呟きに気付き、慌てて誤魔化した。
「そ、それにしても……、ジルの事、とても大事にしているみたいですね」
「そりゃあ勿論、私が愛情をたっぷりと注いで育てた子だからネ!」
「その割には冷たいような」
「うぐっ」
図星を刺されたのか、レオナルドが言葉を詰まらせる。
傷ついた様子を見れば、響哉もフォローしようと言葉を続けた。
「でも、仲がいい証だと思います。少しだけ、羨ましいです」
「響哉君のご両親は……」
「学生の頃に亡くなりました。今いるのは、妹と弟だけです」
「そうか……」
レオナルドは口許に指先を添えて何か考える素振りを見せた。
少しの沈黙の後、彼は思いついた顔で響哉と向き直った。
「響哉君」
「? はい」
「私の事を、お義父さんと呼んでもいいんだよッ!?」
「あ、いえ、結構です」
「おじさんショック!!」
強気だった口調は淡々とした返答にショックを受けて沈む。悲しみを纏い、眉を下げて弱気になるレオナルドを見て小さく笑った。
こういうところは親子そっくりだなと。




