Chapter4 決行日
目覚まし時計の電子音が鳴る。伸ばされた手は気だるそうに音を止めてぱたりと落ち、布団の中で身動いだ。
朝の六時。朝ご飯の支度がある為早めに起きなくてはいけないのだが、まだ眠い。意識が朦朧とする中、重たい目蓋を持ち上げて何とか身体を起こそうとする。
目が覚めた時が一番憂鬱な時だ。やらなくちゃならない事が頭の中に押し寄せてきて、今日は仕事だと思うだけで行きたくないと心の中で反発する。
この侭眠っていたい。身体の力が抜けていくのを感じ、温かい布団の中で微睡む。いけない、二度寝してしまいそうだ。
身体に鞭を打って強い力で上体を起こした。起き上がってしまえば何だかんだで目は覚める。
口許に手を添えて大きな欠伸を漏らした。
「おはようさん」
すると横から声がした。不思議そうに視線を落とせば、横向きに寝転んだジルベルトと視線が交わる。
動きを止めて、状況を把握しようと彼を見つめた。自分の隣で横になっているジルベルト。何故か一緒に寝ているのを理解すればみるみる内に羞恥が込み上げてきた。
「な、なんで……」
「響哉が途中で寝てしまったから、布団に運んだんだ。魘される様子もなかったし、ちゃんと寝れたんだな」
一方でジルベルトの方は至って普通で笑みを咲かせている。変に意識してしまっているのは自分だけみたいだ。
だが、その笑顔もあるものを視界に捉えるなり、驚きの色に変わった。どうかしたのかと言う前にジルベルトが口を開く。
「響哉、その手は……」
「手?」
言われて自分の手に視線を落とした。するとそこには真っ黒に変色した自分の手があった。
突然の変異に口を開けて驚愕する。黒く染まった手は悪霊のようで、動かしてみても特に痛みなどはない。
「響哉、一旦脱げ!」
「うわぁ! じ、自分でできるって!」
急いでジルベルトがパジャマに手を掛けてボタンを外していく行動に焦りを見せた。上を脱いで肌を曝せば、変色した箇所を見てジルベルトも息を飲む。
手の先から、二の腕辺りまでが墨で塗り潰したかのように黒くなっている。変色しているのはみ右腕だけで、左腕は普通だった。
然し、背中の方は肩甲骨辺りまで枝のように黒が伸びていた。ジルベルトは変色している箇所に指先を添えて、自分の霊力を当ててみようとする。
「痛っ…!」
「……駄目だな。完全に身体が拒否してる」
大きな静電気が起きたかのように弾かれた。何が起きたのかわからなくて痛むところを押さえた。
「いよいよ悪霊化が近くなってきた。なるべく進行を遅らせていたが、治った訳じゃないからな」
「……そっか」
まるで医師に余命を宣告されたかのようだ。事前にわかっていただけに諦めに似た声を発する。
これでも長く保った方なのかもしれない。死神が訪れなければ、自分はとっくに悪霊と化していて、妹と弟や大家さんに危害を加えていた可能性だって充分にある。
「今日はどうする? 出勤するのか?」
「勿論、行くよ。体調が悪い訳でもないし」
「でも、その手は明らかに異常だぞ」
「そうだね。途中でコンビニにでも寄るか」
腕は服で隠せても、手先はどうしようもない。冬でもないので防寒用の手袋は履けない。仕方なく、適当に綿手袋でも買おうと決めた。
パジャマを着直していると、部屋の入り口から微かな足音が聞こえた。
「何やらお困りの気配を察知しました」
「出やがったな、諸悪の根源!」
「だーれーが、諸悪ですって? 生意気な弟子には罪の量を増し増しにする呪いをかけますよ~?」
「地味にきつい嫌がらせだな!?」
突然、部屋にひょっこりと顔を出してきたのはリリスだ。瞬時に身構えるジルベルトにリリスは満面の笑顔で対応していた。
響哉の許へ歩み寄る彼女は、ジャケットのポケットから黒の革手袋を取り出して此方へ差し出してくる。
「どうぞ、私のスペアですが。黒は黒でも手袋なら然程気にしないでしょう?」
「ありがとう」
貸してくれるなら有り難い。好意には素直に甘えて受け取る事にした。その横で不服そうなジルベルトの視線が気になる。
素直な礼を聞いて満足したのか、リリスは踵を返して直ぐに部屋を後にした。僕も早く朝食を作らねば。
眠気もすっかり失せて満足に身体を動かせるようになり、徐に立ち上がった。
「響哉、リリスと話して嫌な気分になったりしてないか?」
部屋から出ようとする間際、ジルベルトが心配そうに声を掛けてきた。
「え、別に何ともないけど……どうして?」
「いや、大丈夫ならいいんだ」
気にしないでくれ、と零して彼は下を向いた。
ジルベルトが何に大して心配しているのかわからない。リリスが関係しているのかもしれないが、僕とリリスはそれまでの面識はない。
そして何より、詳しく聞いている程時間に猶予はなかった。急いで支度をしに台所へ向かう。
その背中を、唯見つめるだけの姿があった。
テレビの方から朝のニュースが聞こえる。
キャスターが読み上げる内容はどうやら事件のようだった。
『……区の方で、二人の男性の遺体が発見されたと通行人より通報がありました。何方も二十代の会社員のようで、死因を調査中』
「ここから、そう遠くはないな」
死亡時刻が夜中の二時過ぎ。遺体は全身が潰れていて、身元の特定を急いでいるとか。
「これは……紛れもなく奴の仕業かな?」
「恐らくは」
レオナルドが机に肘を突いてニュースを眺める。リリスが同意を示した。
奴、と二人が告げるのはこの間の白いローブの霊か。
「魂を狙ってるなら、なんでこいつは真っ先に響哉のところに来ないんだ?」
「周りに死神がいるから、迂闊に近付けないとか?」
「どうでしょうね? 単純に魂の数が足りないとかでは?」
会社へ行く支度をしながら、テレビの内容を眺めていた。
唯一此処にシンシアの姿はなく、彼女はアリサを探して単独行動に移ったようだ。無理もない。実の妹がいなくなった時は僕も焦った。
今直ぐにでも全員で探すべきではと思うが、此処の護りを手薄にする訳にもいかなかった。
そもそも僕が死んでしまう事こそが最悪の事態だと彼等は言う。アリサという貴重な戦力が欠けてしまうのは悔やまれるが、此処が襲撃されればおしまいなのだ。
傍から見れば懸命な判断だと思う。然し、それはアリサを見捨てるとも言える。可能なら誰一人欠けてほしくなかった。
姉であるシンシアだけは違う。彼女は肉親を選んだ。だから此処を離れてアリサの捜索を一人続ける決意をしたのだろう。
死神二人が抜けて、戦える死神は残り二人。一気に半分となった。レオナルドは死神の支援に特化しているので、数には加えない。
そしてその戦える二人がジルベルトとリリスという、いかにも相性が悪そうな二人というのが心配でならない。
個々の能力は確かなんだろうけど、チームとしてだと足を引っ張りかねないのが目に見える。
「あ、もう時間」
テレビに表示された時計が八時を過ぎようとしていた。鞄を持って席を立つ。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってきまーす!」
「おう、気を付けていけよ?」
一言告げると、晴香達も手を振って玄関へ急ぐ。
三人が出て行ったようで、玄関の扉が閉められる音がすれば残された死神達は顔を見合わせた。
「では、今夜。予定通り此方から仕掛けるとしようか」
「ええ、このまま野放しにしている訳にもいきませんからね」
「……響哉に何かあったら許さないからな」
本人が了承している為、あまり強くは言えないがはっきりと気持ちを口にする。息子の言葉に父親は笑い声を発した。
「はははっ、敵の目の前にキングである響哉君を置く行為だ。無論、リスクはわかっているとも。我々ナイトはキングが取られる前に片を付けないとネ」
チェスの駒に喩えて告げるレオナルドも失敗が許されない事を理解している。
そして、リスク無しでは恐らく勝ち目がない事も。




