Chapter3 芽生えた恋心
浴室の蒸気に包まれて、一通り頭と身体を洗い終えると少し熱めの浴槽に浸かった。酒は飲んできたが、少量だから大丈夫だろう、恐らく。
入浴剤の黄緑色から柚子の香りがする。身体に溜まった悪い気が汗と共に流れ落ちていくようで、じんわりと温まる身体に緊張感が解れていく。
身体を洗っても、ジルベルトを抱き締めた時の感触が未だに残っている。
其れ程柔らかく…はなかったが、腕の中の温もりは生前のものと何ら変わらない。だから時々、彼が生きているんじゃないかと錯覚してしまう。
間違いなく、彼は死んでいるのだ。でも、何時亡くなったのかは知らない。
そんな事はどうでもいいくらいに、頭の中がジルベルトの事でいっぱいだった。この頬の熱は湯船が熱いからでは自分を騙せなさそうだ。
何時の間にか僕は、ジルベルト・リベッティを好きになっている。
自覚してしまえば頭を抱えそうになる。学生の頃からモテた事はないが、よりにもよって男に。
好きになった女の子だって、今までに何人か居た。だがどれも他に好きな人がいたり、告白する前に脈がない事を知ってしまったりで諦めざるを得ない状況ばかりだった。
好意的かもしれない女の子だっていたような気がする。自分が真面目過ぎる所為で、恐らくチャンスを逃し続けていたんだと思う。
恋愛経験はほぼ皆無に近い。これを恋と言っていいのか自信がない。だからこそ、今の自分に動揺が隠し切れない上に混乱している。
少し時間を置けば落ち着くかもしれないと思ってはいたが、寧ろ悪化しているようで。
認めていいのか。男を、死者を好きになった事を。
この侭だと逆上せる。そう思って湯船から上がろうとした、その時だった。
「響哉ー、タオルと着替え、ここ置いとくからな?」
浴室の入り口がノックされて、びくりと震えた。
「あ、うん…」
短く返事だけしておく。…びっくりした。一瞬入ってくるのかと思った。
入り口から人影が見えなくなると、ゆっくりと湯船から出て入り口を開いた。そこにジルベルトの姿はなく、ほっとしたような寂しいような。
脱衣所の籠には白いバスタオルとパジャマが入っていた。その下に下着類も入っていて目を丸くする。
人に下着まで用意してもらうのは何だか気恥ずかしかった。同性なんだから、そこまで意識しなくてもいいのに。
黙々と身体を拭いてから新しい服に着替える。
薄い青色のパジャマに着替え終えたなら、短めのタオルを肩に掛けた。
引き出しからドライヤーを手にして、洗面所のコンセントに刺すとなるべく無心で髪を乾かした。
それから茶の間に戻ってみれば、ジルベルトがコントローラを持ってテレビの前に座っていた。テレビに繋がれたゲーム機は以前、家電量販店に行った際に購入したものだ。
こんな深夜にゲームをするのかと思ったが、そもそも彼等は眠らないのだったと思い出す。朝まで暇になるのは仕方ない。
物音で此方に気付いたのか、首だけがこっちを向いた。
「おお、上がったか」
一時停止を押してコントローラを持つ手を下げた。
「それ、何のゲーム?」
「異端なる世界シリーズだな。アクションゲーと言えばいいのか?」
「へぇ」
隣に座って画面の方を見れば、西洋の格好をした主人公らしき人物が広大な大地を駆けている。
大自然の景色が美しく、草原がかなりリアルだ。今のゲームはここまで綺麗なのか。
自分が幼い頃は、ドット絵も珍しくなかった。電子世界という印象が強かっただけに、3Dの現実のようなリアルさには驚きを隠せない。
「ゲームはいいぞ。現実を忘れて夢中になれる。ソフト一つ一つの世界を楽しむ事が出来る。起動した後のわくわく感がたまらないんだ」
プレイする姿を横から眺めた。本当に好きなんだなと伝わってくるようで、画面の迫力のあるアクションシーンを見つめる。
趣味に没頭出来るのはいい事だ。ピアノが好きなだけに、気持ちはわかる。
「響哉」
ぼんやりと見ていた所為か、直ぐ近くにジルベルトの顔があった事に気付くのが遅れた。
「え、あ……なに?」
「眠いなら寝た方がいい。俺は眠くならないからこうして遊んでる訳だし」
眠気が込み上げていたのが見透かされていたようだ。確かに、寝ないと明日に支障が出るかもしれない。
それでも、眠りたくない。眠ればまた先程のような悪夢を見る可能性だってある。
中々動こうとしない響哉にジルベルトは「布団まで送ろうか?」と尋ねてくるが、別にいいと申し出を断った。
「もう少しだけこのまま、いいかな。さっきの夢もあるし、あまり寝たくなくて」
それでも、何れは眠気に負けて意識が落ちるだろうと予想は出来ている。ジルベルトは物言いたげではあったが、わかったと了承してくれた。
暫くは横でのんびりと画面を見ていたが、好きな人と二人きりの時はどうすればいいのかさっぱりだ。
こうすればいいとかよりも、兎に角不自然になっていなければ幸いだ。強まる眠気に意識が曖昧になるのを感じ、身体を支える力も抜けたのかジルベルトの肩に凭れ掛かる。
コントローラを動かす手の微弱な振動が肩を通して伝わってきた。重くなった目蓋を閉じ、深い息を吐き出せば隣の動きが止まったような気がする。
ジルベルトはゲーム内のセーブを終わらせた。ゲーム機の電源を落とし、テレビの電源も消す。リモコンを机上に戻せば視線は隣の響哉へ向けられた。
何時の間にか寝息を立てている様子に小さく笑うと、身体の向きを変えて響哉の背中と膝の裏に腕を差し込む。目を伏せて己の霊力を身体能力に注ぎ、同じ体格の身体を持ち上げた。
緩慢な歩調で寝室に向かい、抱えた響哉を布団の上に寝かせた。
穏やかな顔で眠る姿を視界に入れれば、先程のような悪夢は見ていないだろうと安心する。
上着に手を掛けてコートを脱ぎ捨てたなら、ジルベルトは彼の布団に入り込み隣の身体を抱き寄せた。
眠る事は出来ないが、こうして一緒に横になる事は出来る。もし魘されるようであれば、起こしてあげよう。番人には丁度いい任務だ。
※ ※ ※
ひゅーひゅーと、呼吸をする度に乾いた喉が鳴る。
長いローブを引き摺って、深夜の外を徘徊する白い姿が一つ。
ところどころに血がこびり付いていて、今し方食事を終えたところだった。
──タリナイ。
襲い掛かってくる悪霊を喰った。
彷徨う亡霊の魂を喰った。
私を狩りに来た死神も喰った。
そして、偶々近くにいた生きた人間を喰った。それでも尚、この腹が満たされる時間はとても短かい。
タリナイ。まだホシイ。
空腹感がとてもきもちわるい。
この飢えから逃れたくて、また新たな魂を探す。その時、記憶に浮上するのは駅で見かけた一人の青年だった。
とても美味しそうだった。あの男は極上の食材と言ってもいい。次に会ったらきっと、真っ先に手が伸びてしまうだろう。
でもまだ駄目だと己を制する。あれは放っておけば更に旨味が増す。
一度しか味わえぬなら、最高の状態で味わいたい。
「おい、なんだあれ?」
「こんな時間にコスプレか?」
住宅が並んだ人気の少ない通路で、若い人の声がした。
声の方へゆっくりと振り返る。若者は珍しいものを見たと、携帯を手にして人の許可なく写真を撮っている。
ゆっくりとフードに手を掛けた。外されるフードの下を見た男達は驚いて携帯を下ろした。
「なんだ、女だったのか!」
「これから帰るの? 良かったら家来ない?」
「ばっかお前…早速ナンパかよ!」
肩に手をかけてげらげらと笑う声が不快だ。
相手が女だとわかった途端、態度が急変する様は単純な生き物だと思った。
女は薄く嗤った。仕方ないもの。出会ってしまったのが悪いのよ。
安易な気持ちで知らない人に声をかけたのが運の尽きね。
喰われるのは自分の方だと、ほんの少しでも思っていれば助かったかもしれないのに。
女の足下から白く大きな人型の腕が何本も生える。異常な光景を前に男達から笑みが消えた。
「は? な、なんだこいつ…っ」
逃げられないように、肩に触れていた手をがっちりと掴んだ。
次の瞬間、白き腕が重なり合い、一際大きくなった腕が頭から男を丸呑みした。声を上げる暇もなく、グシャりと骨ごと何かが潰れる音が響いた。
「うわああぁ──ッ!!」
腕から滴る血の色に、隣にいたもう一人の男が悲鳴を上げて逃走した。
タリナイ。寄越せ。ソノ魂ヲ寄越セ。
鮮血が飛び散る。頭から被った赤色を女は拭うように舌先で舐めた。
中々に美味しかった。魂を喰らった時が一番腹が満たされた。然し、それもほんの一瞬だけ。直ぐにまた飢えが始まる。無限地獄だ。
何時になったら、この飢えが無くなるのか。地球上の魂を全て喰わないと駄目なのか。
歩こうとして足下に転がった携帯が当たる。写真を撮られたのを思い出し、携帯を踏みつけて破壊した。
フードを被り直し、ひたひたと暗闇の奥へ消えていく。夜明けはもうすぐだった。




