Chapter2 重すぎる愛情
「響哉、遅かったな。飲み会は楽しめたか?」
玄関を開けると紺色のエプロンをしたジルベルトが出迎えてくれた。
鞄を玄関先に置いて焦りの色を隠せずにジルベルトの肩を掴む。
「ジル、急いで駅まで来てほしい。アリサが……!」
「お、おい、落ち着けって! 何があった?」
尋常じゃない様子に吃驚したジルベルトは響哉を落ち着かせようと肩に手を添える。
乱れた息を整えようと幾度か呼吸を繰り返し、少しして落ち込んだように目線を下に落とす。
「白い、ローブの霊に会った。アリサは僕を逃がしてくれたんだけど、一人であれを相手にしている。一人で勝てる相手じゃない、だから……っ」
「白いローブ……」
紡がれた単語に眉根を寄せて思案した後、大方状況を理解したジルベルトは口許に笑みを浮かべた。
「わかった。俺が行ってくる。響哉はここで待っててほしい」
コートのポケットから白い砂時計を取り出すと、光に包まれた時計はマスケット銃へと姿を変える。
「リリス!いるんだろ? お前も行くぞ!」
「やれやれ、私もですか? しょうがないですねぇ」
エプロンを外したジルベルトが上を見上げて呼びかける。すると霊体化していたリリスが玄関先に現れた。
しょうがないと言いつつも鞭を持っている辺り、やる気はあるようだ。行ってくると声をかけて二人は霊体化してその場を後にする。
見送った響哉は鞄を拾い上げて茶の間に向かった。シンシアとレオナルドの姿はなく、珍しく死神が誰もいない事に気付いた。
「きょう兄、おかえり」
「ああ、晴香。まだ起きていたのか」
寝室の方から妹が顔を出してきた。目許を擦りながら見上げてくる眸は若干眠そうだ。
「きょう兄が帰ってくるまで起きてた」
「そうか。心配かけてごめんね? ほら、もう寝なさい」
「うん」
兄の顔を見て安心したのか、妹は寝室に戻っていく。
ジルベルト達は無事にアリサと合流出来ただろうか。心配になって時計を見上げる。
午後十一時を過ぎようとしていた。静かな部屋の中で時計の針の音だけが刻まれている。
待つだけというのは何とも歯痒いものだ。だが、死神三人ならばあのローブの霊も退ける事が出来そうだ。死神一人一人の戦闘力は高い。それは今まで見てきただけに確信が持てる。
危険から離れて安堵したお陰か、今頃になって酒の酔いを感じるようになる。力が抜けて着替えもせずに並んだ座布団の上で横になった。
ちょっと、疲れたな。明日には全身が筋肉痛になってるかもしれない。それくらい体力を消費した気がする。
※ ※ ※
気がついたら、知らない校舎の中で一人立っていた。
足が浮き立つ感覚があり、何と無くだがこれは夢なのだと察する。
よくわからない侭、校舎内を歩いた。自分が今まで通っていた学校とは違う。見覚えのない風景だ。
でも、不思議と知っているような、初めてとは思えない場所だった。
微かだが、空気を震わす聞き慣れた楽器の音色が耳に届く。ピアノだ。何処かでピアノの音がする。
誘われるように階段を上っていき、上に行く程音は大きくなる。人気のない廊下を渡っていくと、前方に音楽室が見えた。
音はこの中からのようだ。ゆっくりと扉に手を掛ける。
音楽室の真ん中にある黒のグランドピアノ。其処に予想外の姿を発見して響哉の表情は強張った。
白い、ローブ。間違いなく、駅で見かけたローブの霊だった。
奏でられる音が止み、ローブの人が椅子から立ち上がる。金縛りにでもあったか、足先が震えて動く事が出来なかった。
足音すら立てずに近付いてくる気配に内側で鼓動が鳴り響く。ローブの人物から目が離せずに奥歯を噛み締める。
霊は響哉の目の前で足を止めた。長い袖から覗く指先は女性のものだ。
「貴方も、私と同じ」
指先が顔を覆い尽くすフードに手を掛ける。
白いフードが外れ、長い黒髪が露となる。響哉と同じく、日本人の女性が立っていた。
穏やかな微笑みを浮かべる彼女に、響哉は瞠目した。
「──ッ!」
短い悲鳴を上げて飛び起きた。額の汗を拭い、浅い息を繰り返す。
同じ。何が?知らない女性だった。会社にあんな人はいない。でも、僕はあの人を知っているような気がした。
「響哉…?」
隣から様子を窺う声がした。声の方を向けば、ジルベルトが心配そうに見ていた。
「どうした、嫌な夢でも見たか?」
「あ……」
頭の中がぼんやりとした侭時計を仰ぎ見ると、時刻は零時を過ぎていた。
あれから少しだけ眠っていたようだ。ジルベルトが戻ってきているという事は、もう終わったのか。
「ジル、アリサは……」
「ああ、それがな。見つからなかった」
見つからなかった? 頭の処理が追い付かなくて疑問符を浮かべる。
ジルベルトは困ったように眉尻を落としつつ指先で頬を搔く。
「アリサの反応は微かに残ってはいたんだが、姿は何処にもなかった。あの駅から既に離れていると思う。ローブの霊も同様にいなかった」
「それじゃあ…行方はわからないのか?」
「今、俺の霊蝶を何匹か周辺に送ったが、厳しいだろうな」
悪い、と謝罪するジルベルトに首を横に振った。
ジルベルトが着いた時にはもうアリサはいなかったという事だ。それがわかっただけでもいい。
「それで仕方なく戻ってきた訳だが…、そしたら響哉がここで魘されていたんでな」
「ごめん。夢を見たんだ。知らない学校で、白いローブの人がいたんだ。フードの下が、黒い髪の女の人で……」
「黒い髪の……」
それを聞いた途端、ジルベルトの眸が細められる。
「その人が、人間を襲う元凶なのかな」
「いや、それは絶対にない」
言い切る声に数回瞬く。
「夢は夢だ。大体が意味不明の内容で、全く関係のないもの同士が現れたりもする。あのフードの下の顔を、実際に見た訳じゃないんだろう?」
「それは、そうだけど……」
確かに、あのフードの下の顔が夢と一致するとは限らない。
所詮は夢の内容だ。深く考えても仕方ないと判断して深めの息を吐く。
「でもまあ、そんな悪夢を見てしまう程に滅入ってるんだもんな」
考え込む仕草をして、真っ直ぐな眸が向けられる。
「なるべく早くソイツを浄化すると約束しよう。死者とは無縁の元の生活に戻れるように」
「元の、生活……」
それはきっと、ジルベルト達と出会う前の自分だ。
ジルベルト達は死者で、そもそも今こうして話せている方が異常なのだと改めて認識する。
響哉の表情に陰りが見られる。ジルベルトは不思議そうに瞬いた。
「こんな事言ったら、困らせてしまうんだろうけど…。元の生活に戻りたくないって思ってるんだ」
「響哉…」
「ジルベルトと会う前は、本当に楽しみなんか一つもなくて、毎日毎日消えたいってずっと思っていた。またその日々に戻るのかと思うと…嫌だなって」
以前の自分は兄弟の為に、何とか生活していく為に仕事をしていた。
自分しかいないからだ。自分が稼がねば兄弟を飢え死にさせてしまうから。逃げ場などなかった。
毎日疲れ果ててやりたい事をする気力すら湧かない程だった。でも、今は違う。
家族とは違う親しい人と話す機会が増えた。自分の苦しみを周囲に伝える事が出来た。
本来僕がやらなくちゃならない事を、彼等は手助けしてくれる。そのお陰で時間にも少し余裕が生まれて、好きな物に触れる事も、楽しむ事も思い出した。
そうだ。また失うのが恐ろしいんだ。ほんの小さな幸せを、掴んだ新しい絆を手放すのが。
ジルベルトは返答に困っているようだった。それもそうだ。死神だってやるべき事がある。各々の罪を償って、冥府に帰らねばならない筈。
『キミにずっと側にいてほしいと言われたら、俺は残るだろうな』
会社帰りに放っていた言葉を思い出す。
眼前の彼だけは、僕が願えば残ると言っていた。本当なのか、冗談なのかはわからない。
気が付けば目の前の温もりに手を伸ばして抱き締めていた。ジルベルトの背中に腕を回して腕の中に閉じ込める。
彼は驚いていた。身動ぎながら此方の様子を窺う素振りを見せた後、少しずつ肩の力を抜いていくのがわかる。
「側にいてほしいと言ったら、ジルは本当にここにいてくれるのか?」
今一度確かめたくて尋ねた。その問いに応えるかの如く、自身の背に手が添えられる。
「キミが望むなら」
優しい声音は甘えるように擽ったく、耳に心地好い。
苦痛には耐えられたが、人の優しさにはとことん弱いのだと思い知る。
けれど、いいのだろうか。ジルベルトには既に大切な人がいて、その人から奪うような真似をしても。
これは"罪"じゃないんだろうか──。
「響哉、そういや風呂はまだだったよな? 入れてあるから入るといい」
不意に、思い出したようにジルベルトが顔を上げた。
「え? ああ、うん」
唐突な発言に驚きつつも流されるように相槌を打ち、抱き締めていた手をそっと下ろす。
立ち上がろうとした際に、するりと名残惜しそうに手の上を指先が滑った。突然の事に振り向けば、視線の先の彼は緩く笑うのだ。
何も告げない彼に控え目に笑い返すと、脱衣所まで足を進めた。
「ジルベルトが側にいなくとも、響哉さんを死神にすればずっと一緒にいられると思いますよ?」
脱衣所へと消えていく響哉の姿を目送したジルベルトの後ろにリリスが立っていた。
浮かべていた笑みを消したジルベルトは即座にマスケット銃の先を背後のリリスへと差し向ける。
「まぁ、こわい。いきなり銃を向けてくるなんて」
「お前は響哉に近付くな」
吐き出される言葉には棘があり、怒りが含まれていた。マスケット銃の先端は彼女の頭部に狙いを定めていて、引き金に指をかける様子にリリスは溜息を吐く。
「まさか私が"響哉さんを殺す"とでも思っているんです? 恨むのは結構ですが、私は死神の仕事を全うしただけですよ」
「あんたには世話になったと思っている。けど、それとこれは別だ」
死神としての基礎を教わった事への感謝と、それとは別の憎悪を全身から滲ませていた。
「響哉さんが悪霊と化すのもそろそろ時間の問題でしょう。その時は本当に殺さなくてはなりません。いっそその前に殺して死神にしてはどうかと思いましたけど」
「っ、そうはいかない」
「何故です? 私より寧ろ貴方の方が響哉さんを殺して魂を連れていきそうなのに」
「響哉には、生きて欲しいからだ」
「嘘ですね」
はっきりと告げる彼女の口調はとても冷ややかだった。
「それは死神としての理性であって、貴方本人の気持ちではないです。強いて言うなら彼女がそう望んだから、でしょうか」
淡々とリリスは続けた。彼女を睨んだ侭威嚇として向けていた銃口が下ろされる。
満足そうににっこりと作られた彼女の笑みは逆に不自然に思える程だ。
「本当に、綺香の事になると貴方は周りが見えなくなる。一途過ぎるのもどうかと思いますよ?」
「余計なお世話だ」
早く行けと言いたげに視線を送れば、リリスは笑って消え失せた。
静かになった室内にて銃を仕舞うと、ジルベルトは風呂場の方へと向きを変える。
響哉に生前の罪があったとしても、途中で死神にはしない。
死神は、なりたくてなるものなんかじゃないからだ。俺だって生前の頃は存在すら知らなかった。
知っていれば、自殺なんてしなかった。綺香と長い間、離れ離れになる事もなかっただろう。
でも、もういい。もういいんだ。俺は既に"綺香に逢えた"のだ。だからもう、死神の仕事を最優先する必要がなくなったのだから。




