Chapter7 其々の思惑
「あの霊が響哉君の母親、ねぇ」
座卓の前でレオナルドは頬杖を突いた。仕事に向かう準備をしつつ、囲むようにして座った一同を見遣ると表情は皆深刻そうだ。
見知らぬ霊の正体が四方や響哉の母親だとは誰も想像しなかっただろう。
それだけに、今後どうすべきかが問われる。唸り声を漏らしたレオナルドが重く口を開いた。
「君の母上は亡くなっている。だから死神化していても何ら可笑しい事ではないが…、何か罪を犯すような人だったのかい?」
「いえ、特には……」
生前の間に、犯罪を犯した記憶なんてない。流石に独身の頃まではわからないが、母の性格上、有り得ないと断定出来る。
だからこそ、死神として立っている事に驚いた。傍らのリリスは不思議そうに首を傾げる。
「死神には必ず霊蝶が側にいる筈なんですよね。支援だけでなく、彼等は死神が悪さをしないように監視する役割もありますから」
「あの死神には霊蝶が飛んでいなかったな」
「ええ、ですからあのような悪行もやりたい放題なんでしょうね」
益々訳がわからなくなる。死神が更に罪を重ねないように見張る役目を担った霊蝶が側にいなくて、人の魂を喰い漁る姿はとても母とは思えない。
でも母親の姿で立っていたのだ。決して見間違えたりしない。
「あれが本物の母上であるならば、響哉君にはショックが大きすぎるだろう。討伐するところを可能なら見せたくはないネ」
討伐…。矢張り倒さなくてはならない存在なのか。
対話で解決は出来ないのか。そんな事ばかり考えていた。
テレビの音声が、朝のニュースを終えて次の番組へ移行しようとしている。時計は八時を知らせていた。
「…っ、とりあえず、仕事には行きます」
「ああ、気をつけてな?」
これ以上聞きたくない気持ちもあって、鞄を拾い上げて兄弟達と玄関先へ急いだ。
「きょう兄、ママがどうかしたの?」
弟の問い掛けにゆるりと首を振った。
「なんでもないんだよ。大した事じゃないから」
難しい話に不安そうな二人を宥めた。亡くなった母親の話をしていれば気にもなるのは仕方ない。
何れ話せたらいいのだが、中々そうもいかないだろう。遅刻してしまうよと促して一緒に外へ出た。
外へ出た直後、直ぐに違和感を覚えて空を見上げた。
晴れているのに、雲に重なるように薄らと黒い靄が見える。その所為か曇り空のような薄暗さを感じた。
そして何より、周辺の彼方此方に濃い霧が渦巻いている。彼処からは悪霊が出没し易い。
何だろう。嫌な感じがする。少しずつ、世界全体が何かに侵食されていくような気味の悪さを覚えた。
…急ごう。本当に遅刻してしまう。
※ ※ ※
危ない。危うく泊まりになるところだった。
同僚の佐々木から、またもや仕事を手伝ってほしいとのお願いが来た時は頭を抱えそうになった。
此方も忙しいという雰囲気を出して何とか泊まりは避ける事が出来た。
今の仕事は沢山こなしても給料が上がる訳でもないので、早上がりどころか寧ろ仕事量が増やされるだけなので程々のペースでやるのが丁度いい。
この仕組みもどうなんだろうとは思っている。出来る人ならば早く終わらせて早く上がりたいだろうに。
悶々と思考に浸りながら前を歩いていく。早く帰って晩ご飯を作らないと。
保育園の迎えを任せてしまった負い目もあり、夕飯まで彼等に任せてしまうのは申し訳ない。
足早になる歩調は地下への入り口を入ろうとした時だった。
「一条響哉」
後ろから凜とした声が届く。フルネームで呼ぶ人物など今のところ一人しかいない。
声につられて後ろを向いた。其処には表情を微塵も変えずに立っているアリサの姿があった。
「アリサ、無事だったのか!」
「ええ。何とか。それより、あのローブの霊の居場所が判明したわ」
慌てて駆け寄ると怪我はないのか確認するも、これといった外傷は見当たらない。
彼女は本当に何事もなかったかのように立っている。霊の居場所を突き止めたらしい様子に息を飲んだ。
「アリサ、その霊は…今どこに?」
「こっちよ。連れていってあげる。会いたいんでしょう? 向こうも会いたがってるみたいよ」
「母さんが…?」
「ええ、何度も貴方の名前を呼んでいたから」
響哉の意図を察してか、彼女は手を引いてくれた。母さんも会いたがっているなら尚更行かなくては。
それにしても、どうして僕が母に会いたがっているのがバレたんだろう。そんなに分かり易い顔をしていたんだろうか。
アリサに連れられた場所は、駅からそう遠くない噴水が設置された大きな公園だ。
昼間はイベントなどがあれば賑わう場所だが、夜の為人の気配は見当たらない。
こんな場所に母親が?半信半疑でアリサの後をついて行く。
外灯の明かりを頼りに、彼女を見失わないように一定の距離を保ちながら公園内を進んだ。
「帰りが遅いと思ったら、こんな時間に何処へ行くつもりだ?」
突然、僅かながらに怒気が混じった人声が上の方からした。
アリサが面倒くさそうに振り返った。木の葉が揺れ、人影が降りてくる。
「……ジル」
「アリサも一緒とはな。まさか、あのローブの死神に会いに行くつもりか?」
「……ごめん。すぐ戻るつもりだから」
「あれは母親の姿をした別人だ。接触はしない方がいい。行けば無事じゃ済まなくなる」
はっきりと、彼はあの霊を別人だと告げた。
確かに、本物という証拠はない。然しあれが死神化した本物の母かもしれないと思うと、もう一度直接会って確かめたくなる。
夢でも幻でもいい。亡くなった母に会いたい。心の奥底に沈めていた寂しいという感情が、母の姿を見て止めようもなく溢れてしまったのだ。
「偽者かもしれない。でも、本物の可能性だってまだある。話したい事が、山ほどあるんだ。それに、僕の話しなら向こうも聞いてくれるかもしれない」
「それは……」
「これ以上、被害が増えるのは見ていられない。このままだと妹や弟だけでなく、大家さんや会社の人達まで危険に曝す。こうしている間にも、また誰かが襲われているかもしれない」
「……なんでそこに、響哉自身が含まれていないんだ?」
呆然と呟く言葉に、背を向けようとした身体の動きが止まった。
「どうして、キミは自分の命を大事にしない? キミが気にするのはいつだって周囲の事ばかりだ!」
「僕だって死は怖いよ。けど、周りの人を失う方がもっと怖い」
これ以上、身近な人がいなくなるのはご免だ。対話で解決出来るのならそうしたい。
心配なら、ジルベルトもついて来ればいい。そう思って口を開こうとするが、眼前の彼は下を向いた侭で、表情には絶望の色が滲んでいた。
「俺だって、響哉を失う方が怖い。ずっと、ずっと追いかけてた! やっと逢えたと思ったら、またいなくなろうとする…!」
「……ジル?」
「キミは自分の命だけ大事にしていればいい! これからも、ずっとだ!!」
感情的に叫ぶジルベルトが珍しく、戸惑いを露にしてしまう。
拳を握っていた彼はコートのポケットから砂時計を取り出した。それは瞬時にマスケット銃の形となり、手に提げる。
「っ、一条響哉! 先に行きなさい!貴方の母親はこの先で待ってる!!」
ナイフを構えたアリサが飛び出した。金属音を立ててジルベルトの銃がナイフを受け止め、二人が睨み合う。
先に向かうよう指示する声に驚き、その言葉に背中を押される形で響哉は駆け出した。
「待っ…、綺香──ッ!!」
後ろから叫ぶ声に身体が硬直した。振り返った先で悲しげに揺れる眸と視軸が重なる。
聞き間違えなんかじゃない。彼は綺香と呼んだ。動揺が隠し切れずに固まってしまう。
ふと、レオナルドとジルベルトのやり取りが脳裏に甦った。似ていると、レオナルドの言葉が頭の中で反芻される。
「……すみません。僕は綺香という人じゃありません。他人の面影を重ねるのはやめてください」
「ちがうッ! 他人なんかじゃ……!」
否定されれば聞き捨てならないと声を荒げた。
ジルベルトの制止を振り切って走り出す。響哉の姿が見えなくなったところで、対峙するアリサは安堵した。
「ふーん…あれが綺香なの? 女にはとても見えなかったけど」
「……そこを退け」
「嫌よ。私は一条響哉に賛成だもの。対話で解決できるならそうしたいでしょう?」
力押しで銃を弾き、ナイフを構え直した。銃から大鎌に持ち替えたジルベルトの眸はとても冷たく、奥歯を噛み締めて彼女を睨みつけた。
「アリサ、流石のお前でも綺香の事で邪魔をするなら容赦はしないぞ」
「化けの皮が剥がれてるわよ、ジルとベル。いつまで昔の女追いかけてるつもり?」
外灯の明かりくらいしかまともな光はなく、彼の表情は読み難い。だが、明らかに何時もと雰囲気が違うのが空気を伝って理解した。
猫のように光って見える金色は殺人鬼を思わせる眼差しだ。奥底から湧き出たどす黒い感情を垣間見たようだ。
それでも負けじとアリサは挑発行為をする。此処で退く訳にはいかないのだから。
「精々時間稼ぎくらいしか出来ないでしょうけど。来なさい、遊んであげるわ!」
吐き捨てるように言い放ち、アリサは地を蹴り上げた。




