表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生死の案内人  作者:
第二章 探し人
25/48

Chapter11 レオナルド

響兄、きっと怒っているんだろうな。

桃色のランドセルを背負った侭、通学路とは反対方向に歩む晴香は下を向きながら歩いた。

幾つかの信号を渡り、朧気な記憶を頼りにある場所へと向かっていく。駐車場の先に見える白い建物。

見覚えのある病院を見上げた。二階の一番端にある病室の窓。そこにかつて、母が入院していた。


病室の窓は開いていて、風に当たったカーテンが揺れ動いている。いつもあの窓から母親が手を振っていたのを思い出す。


『ママ、みて! 今日にがおえかいてきたの!』

『あら、上手。前よりも上手くなったんじゃない?』

『えっとね、これがママで、パパで、こっちがきょう兄とゆうき!』


病院の個室に家族で何度か足を運んでいた。鞄の中から画用紙を取り出して病院のベッドに座る母に絵を見せた。

隣の響哉は花瓶の花を取り替えていて、母は顔を上げると響哉の方へ視線を送る。


『いつも二人の面倒見てくれてありがとうね、響哉』

『いいよ、これくらい。母さんは自分の事に集中してくれればそれで…』

『ねぇ、ママ。いつ帰ってくるの?』


母親の腕に掴まってベッドに座った。入院してからそれなりに日が経っていて、寂しさを隠し切れずに尋ねる。

いつ、と具体的に聞かれれば母親は困ったように笑う。


『そうねぇ…。もう少し体調が良くなったら、きっと帰れるわ』

『ほんと?』

『ええ、約束。帰ったら晴香にもピアノを教えてあげるわね』


小指を出して指切りをした。満足そうに笑うと、父親と兄弟と一緒に病室を後にする。

外へ出て、タクシーに乗ろうとしたところで病室から母が手を振っていた。それに手を振り返そうとすると、母の後ろに知らない女の人が立っていた。

紫髪の、見た事のない人。誰?と呟いた。その人と視線が合ったような気がする。


ずっと一緒だと思っていた。目の前から家族がいなくなるなんて、この時は想像もしなかった。





『……響哉、今病院から電話があってな。母さんの容態が悪化した。もう危ないかもしれん』


切羽詰った顔で、父親が兄と話しをしていた。眠そうな目を擦りながら、直ぐに着替えさせられて病院へ向かう事になった。

深夜の病院は薄暗く、怖くて兄にしがみついて病室まで赴いた。呼吸器を付けた母は苦しそうで、心電図の電子音だけが一定のリズムで刻まれている。

まだ小さい祐樹を抱き抱えている兄と、父親を見上げると、二人とも表情が強張っていた。よくわからないけど、嫌な気持ちになって母親の手を両手で包み込む。

大丈夫。ママはまた元気な姿を見せてくれる。ついこの間まで元気そうだった。だから今度も大丈夫。

その時だった。心電図の音が切り替わったのだ。短く刻むような音から、高い高音がずっと鳴り響いている。


『……午前、五時四十二分。ご臨終です』


静かに医師が告げた。顔の上に白い布が被せられた遺体を目前にして、父親が泣き崩れた。

響哉も暫く見つめた後に視線を逸らす。苦しそうだった様子はなくなっていた。何が起きたのかわからなくて、晴香は響哉の許へ駆け寄る。


『ママ、寝てるの?』


響哉の服の袖を引っ張って尋ねた。響哉は何も答えなかった。

だが、父親の悲しみが空気を通して伝わってきて、何と無くだが理解する。

母はもういないのだと。つられるように、大粒の雫が目尻に溜まっていく。


次の日には、皆が黒い服を身に付けていた。大好きな母の写真を前に、拝んでいく人達を見る。

響哉と手を繋いでバスに乗り、大きな建物の中に入っていった。

火葬場では、男の人達が母を入れた棺を運んでいく。奥へ進むとエレベーターのような入り口が幾つも並んでいた。

其々番号があり、そのうちの一つに棺が載せられる。集まった皆が数珠を持った手を合わせていて、晴香は困惑していた。


『ママ、どこにいくの?』

『晴香、危ないから下がってなさい』

『いやだ! ママ! 帰ってくるって、約束したもん!』


扉の先にある、暗い個室の中へ運ばれていくのを黙って見ていられなかった。

あんな暗い場所に閉じ込めるなんて可哀想だ。駆け寄ろうとするのを兄に力尽くで止められる。


『ママッ!!』


力の限り、叫んだ。棺を入れた扉が閉められて、伸ばした小さな手が届かない。

響哉に抱きついて声が枯れるくらい沢山泣いた。泣き止むまで背中を摩ってくれたのを鮮明に覚えている。





あの病室なら、母親にもう一度会えるような気がした。

淡い期待を胸に抱いて病室を見つめていたが、一瞬見えたのは看護婦の人だった。

落胆から肩を落とす。他に行き場のない晴香は病院の前から離れたくなくてしゃがみ込んだ。


「これ、お嬢さん。そんなところにいないで入ったらどうだい?」


不意に、誰かに話しかけられて顔を上げた。白い髭を生やした白衣のおじさんが目の前に立っていた。

この病院の人だろうか。ずっと此処に居座っていたのがバレてしまったのかもしれない。


「ここでいい。入っても、誰もいないから」

「ふむ。君は一人なのかい? お父さんとお母さんは?」


両親の存在を尋ねる声にぴくりと反応する。


「……ない」

「ん?」

「パパとママもいないもん!」


両親の話をされれば、無意識に少女は叫んだ。白衣の紳士は驚くと共に、一つ咳払いをする。


「…失礼。では、他にご家族はいないのかな?」

「……きょう兄」

「お兄さんかな?」


尋ねると少女は控え目に肯いてみせた。


「きょう兄とけんかした。家に帰れない」


ぎゅ、とスカートの端を握り締めて俯くと、他に行き場がない事を伝える。

紳士は髭を摩りながら小さく唸り始め、手に持つステッキの端を地面に突いた。


「……そうか。君のお兄さんは今頃とても心配しているんじゃないかね?」

「ううん。多分、おこってる」

「それはどうして?」

「だって、わがままばっかり言ってきた。はるか達が悪い子だから、きょう兄は一緒にいたくないんだ」


兄はいつも忙しそうだった。ママの代わりにご飯を作ってくれて、パパの代わりにお仕事に行っている。

大変なのはわかっていた。休みの日は一緒に遊んでほしいけど、いつも疲れた顔をして寝ている事が多い。

それでも寂しくてつい、駄々をこねたりもする。ご飯の時だって野菜は嫌だと残したりもした。嫌われる要素は数える程あるのだ。


「それはどうかな? 私だったら先ず、君が心配で探しに行くけどネェ」

「しんぱい、する?」

「ああ、するとも。それと君は決して、悪い子ではないと私が保証しよう。君はビルの屋上で青い蝶を守ってくれただろう? 心の優しい子だ」


屋上の青い蝶々と聞いて首を傾げた。紳士は笑い、くるりと少女に背を向ける。


「さて、どうやら迎えが来たようだ。行きなさい」


そう言い残して歩み始める背中をぼんやりと眺めていれば、少し離れたところから別の声が聞こえた。


「──晴香!」


自分の名前を呼ぶ兄の声だ。息を切らしながら此方まで駆けてくるのが見える。

妹の側まで辿り着いた響哉は上体を前傾させて、膝に手を添えつつ乱れた息を整えようとしていた。


「っ、こんなところに一人でいると危ないじゃないか」

「一人じゃないよ? おじさんがいるもん」

「おじさんって…、どこに?」


あれ、と少女は横を見たが、先程までいた白衣の男の姿はそこに無かった。


「…よくわからないけど、知らない人とあまり話しちゃだめだよ」

「ごめんなさい……」


怪我はないかと彼方此方に視線を落とし、妹の無事を確認すれば漸く安堵が生まれる。

そして改めて目の前の建物を見上げた。其処は響哉にとっても特別な場所故に複雑な表情を浮かべた。


「もう、あの病院に母さんはいないよ」

「わかってる。でも…っ、ママに会いたい」


掠れる声を零してすすり泣く妹に、響哉は怒る気力も失せた。

母親に会いたいのは自分も同じだ。話したい事が山ほどある。


「僕じゃ母さんの代わりにはなれないと思うけど、晴香達の面倒はこれからも見ていくつもりだよ」

「……ほんと? きょう兄、はるか達を置いていなくなったりしない?」

「ああ」


これはきっと、本音なのだろう。家族を置いていくなんて自分には無理だ。

兄弟には何の罪もない。それに比べて、自分は最低だ。頼る相手が自分しかいない兄弟を見捨てて死にたがっていた。

仕事も行きたくない。夕飯を考えるのも面倒。一人になりたい。そんな事ばかり考えていた。


「無事に保護者のお迎えが来たようだね」


不意に、後ろの方から知らない人物の声がした。


「あ、さっきのおじさんだ!」


振り向いた先には紺色のストライプスーツを纏い、中折れハットを被る紳士が立っていた。

顔見知りなのか、妹が手を振っている。


「おじさん、白衣じゃないね?」

「ああ、おじさんちょっとお着替えしてきたんだよ。なにせ、人に会うんだからね」


ステッキを持つ手を下ろし、少し屈んで妹へ笑顔を向けた。


「あの、貴方は……」

「私はレオナルド。君が、一条響哉君で間違いないかな?」

「そう、ですけど」


どうして僕の名前を、と尋ねようにも紳士は興味深そうに此方を見据えている。


「ふむ、確かに君からは冷ややかな波長を感じる。それが如何程の力を発揮するのか、試させてもらおうか」


紳士は手にしている杖で地面を数度叩いた。すると突然、辺りに強風が起こり始める。咄嗟に腕を前に出して顔を隠しながら相手を見た。鈴のような音色が聞こえ、彼の周りから空色の薄い波紋が広がって見えた。

直ぐに風は治まり、一体何が起きたのか不思議そうに瞬く。


「君は自分の持つ波長がどれ程周囲に影響を与えるか、知っているかい?」

「いえ、それは……」


悪霊を引き寄せる体質だとは耳にしていたが、あまり実感はなかった。

背後の方から呻き声が聞こえてくる。嫌な気配が這い上がるように全身を駆け巡った。


「君の波長を一時的に遠くまで届けさせてもらった。直に周辺の悪霊がこっちに向かってくるだろうネ」

「貴方は、まさか」


こんな事、普通の人間には出来ない。妹が遠くに行かないように手を強く握る。


「低い波長というものは似た波長のものを引き寄せる。仲間を求めて悪霊が近付き、攻撃的な悪霊は波長に刺激されてより凶暴化する。君が放っているものは、そういうものだ」

「ウゥ、…ッ!」

「ほぅら、お出ましだぞ」


迫ってきた悪霊を顎で指し示した男は、一足先に木の上に飛び乗って避難していた。

残された響哉達を観察する姿勢に唇を噛み締める。悪霊を呼び寄せておいて、自分は高みの見物って事か。


「きょう兄、あれなに……?」

「くそっ…!」


妹の問い掛けに答える余裕もなく、晴香を抱き上げて走った。

今まで見かけた悪霊の中では小さい方だが、数が多くてはどうしようもない。

この侭真っ直ぐ行けば住宅を抜けて道路に出る。だが、そんな時に限って前方にある横断歩道の青信号が点滅し始めた。

まずい。赤信号になったら迂回しなくちゃならない。とても渡りきれるようには見えなかった。それでも焦っていると判断が鈍る。


刹那、蒼い蝶を引き連れた人影が、響哉の横をすり抜けていった。

振り返ると同時に発砲音が幾つも鳴り響く。量産したマスケット銃を手にしたジルベルトが空中で次々と弾丸を放っていた。

撃ち終えたマスケット銃は自然に消滅していき、また新たなマスケット銃が彼の目の前に現れる。

撃ち抜かれた悪霊が奇声をあげて霧状に消え失せた。其処で漸く彼が此方へ視線を向けた。


「響哉! 無事か!?」

「ジル…!」


来てくれたジルベルトの顔を見て、安堵のを呼気を零す。

場が静まり返ると共に、聞こえてきたのは一つの拍手だった。


「いやー、素晴らしい! 悪霊が来れば当然、死神も釣れるよネェ…ッとぉ!!?」


次の瞬間、男が座っていた木の枝がジルベルトの鎌によって切り裂かれた。

重力に逆らえずに男が地面に落ちる。盛大な衝撃音を立てて地面に尻餅を突いていた。

鎌を下ろしたジルベルトがずかずかと落下した男に詰め寄っていく。珍しく怒りを露にしていて、男の胸倉を掴んだ。


Padre(親父)!! 生きた人間を危険に曝すとはどういう事だ!」

「ご、誤解だよ! 彼が危なくなったらちゃんと助けるつもりだったのだよ! パパを許して!!」

「パパ……?」


思わぬ単語に呆然とした。二人を交互に見比べていると、視線を外したジルベルトが盛大に溜息を吐いた。


「……俺の、父親だ」

「ジルベルトのパパです! シクヨロッ!!」


それまでの雰囲気ががらりと変わったスーツの男は、親指を立てて自分自身を指差した。お茶目な空気を纏いつつ挨拶を交わす。


「え、えぇっ!?」


少し遅れて理解が追いついたなら、響哉は困惑した表情で驚きを露にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=919184407&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ