Chapter6 悪夢
それから数日後、見知らぬ人達と玄関先で会話する伯父の姿を見た。
あの強気な伯父が頭を下げているのが珍しくて、窓から注視してしまう。微かに聞こえたのは借金の言葉。
会話から察するに、伯父は借金の返済をしなくてはならないそうだ。父の金目当てだったのも恐らくは、借金の返済に使うつもりだったのだろう。
話を終えたのか見知らぬ男達が帰っていく。その背中を見送った伯父は後頭部を搔きながら上を見上げた。
「……仕方ねぇ。あの家にある遺品全部売っぱらっちまうか」
──今、何て言った?
あの家というのは間違い無く響哉達が住んでいた元の家だ。まだ生前の侭残っていて、整理もされていない。
響哉にとっての、思い出の品が彼処には沢山ある。父と母が居た生活が当時の侭残されているのだ。
それを全部、あの男は売ると言った。
「あ?」
玄関が開く物音に男が振り返る。慌てて駆けつけた響哉は息を切らして伯父を睨みつけた。
「……売るって、どういう事ですか」
出来るだけ感情を抑えようと低めの声を出して尋ねた。
「なんだ、聞いてたのか」
面倒なのに捕まった。軽い舌打ちをしてばつが悪そうに視線を逸らされる。
「言葉通りの意味に決まってるだろう。あの家は近い内に取り壊されるんだ。その前に価値のありそうなものを回収して売っぱらう」
「人の許可なく勝手に売らないでください」
「ああ? 殆ど死んだ人間の物だろうが。売れば金になるし、部屋も片付く。いい事だらけじゃねぇか」
「ッ、でもあそこには、家族の思い出があるんです!」
「いつまでも遺品なんて残してたら親も成仏出来ねェだろ。それに、価値ある物は生きた人間が活用しないとな?」
何を言ってもこの男は目先の金にしか興味がないようだ。血が滲む程に拳を握り締める。
すると伯父はズボンのポケットから車の鍵を取り出してみせた。
「今から行ってくるわ。留守を頼んだぜ」
「──っ!」
駄目だ。行かせてはならない。本能がそう告げている。
「おい、何をする!」
鍵を奪え。そうすれば車は出せない。
勢いの侭に車の鍵を持つ腕に掴み掛かった。伯父が忌々しそうに声を荒げた。
まだ、まだ奪い足りないのかこの男は。これ以上、僕が過ごした日々を、思い出を奪わないで欲しい。
「ぐ、この…っ!」
何とか手の鍵に指先を伸ばすが、拳を作っていて開けない。ついているストラップが千切れそうな程引っ張っているが、中々抜けない。
何としても阻止しないと。響哉にも焦りの色が浮かぶ。
「離せッ──!!」
空いている方の腕を振り上げるのが見えた。その拳は響哉を苦しめた一つだ。
何度も。
何度も。
妹と弟を庇い、受けてきた暴力だ。今正に襲いかかろうとするその腕を視界に収めた途端、目を見開いた。
「うわあぁ!!」
「……な、」
恐慌状態に陥った響哉は男の身体を突き飛ばした。鍵を掴む事を忘れて、力いっぱい押した。
後ろへ飛ばされた伯父は身体がよろめき、体勢を立て直そうとする。だが、重力に負けて身体が浮遊する感覚に襲われた。
その瞬間、全ての動きがスローモーションのように遅く見えた。後ろを僅かに振り返った伯父は瞬時に理解する。階段から突き落とされたのだと。
響哉は反射的に目を瞑った。人が転がり落ちていく音だけが鼓膜を震わす。
直ぐに音が止み、静まり返ったところで恐る恐る目蓋を開ける。視界に飛び込んできたのは、地面を濡らす鮮血と、倒れて動かぬ伯父だった。
「あ、……ぁ」
指先が震え、非現実的な光景に言葉を失った。違う。殺す気なんてなかった。
力無くその場にずるずると座り込む。直ぐ近くからビニール袋が落ちる音がした。
「ひぃ……ッ!」
大家さんの悲鳴だ。丁度買い物から戻ってきたところのようだ。アパートの前で倒れる伯父を見て驚愕していた。
「き、救急車……!!」
真っ先に出た言葉にはっとした。そうだ、先ずは病院に送らないと。
「……何があったのか、聞かせてくれる?」
あの後、病院に運ばれた伯父は既に亡くなっていると知らされた。
病院から戻るなり大家さんの家に上がらせてもらい、座卓に腰を据える。
お茶を出しながら優しく尋ねてくる大家さんを前に、暫しの沈黙の後、重苦しく口を開いた。
「僕がいた家の物を、伯父は全部売ろうとしたんです。それを止めようと揉み合いになって、それで……」
「誤って突き落としてしまった、という事?」
問い掛けに小さく肯いてみせた。
「……そう。大体はわかったわ」
短くそう告げて、大家さんは一息吐いた。
「辛かったわね。でももういいの。あれは事故なんだから、響哉くんは今まで通りここに住むといいわ」
「でも……」
「あの人は足を滑らせて階段から落ちた。警察の人にはそう伝えておくわ」
俯いている響哉に対し、大家さんは眉尻を下げた。
「ごめんなさい。怒鳴り声が聞こえる時から何かあるって、わかっていたのに私は何も出来なかった。もっと早く警察に相談していれば、こうはならなかったかもしれないわね」
「……いいんです。僕も、周りの人に知られたくなかったので」
遅かれ早かれ、結末は変わらなかったと思う。
責められるのではないかと、怯えていた顔もほんの少しだけ落ち着きの色が浮かんだ。
自分に味方をしてくれる人がいるとわかっただけでも有り難かった。こんなにも僕の事を心配してくれる。誰かに縋りたい気持ちが報われたような…、そんな気分だ。
「求められたらその、自首はします…」
「ダメよ、響哉くんがいなくなったら、誰が晴香ちゃんや祐樹くんの面倒を見るの?」
「……」
大家さんの一言に微かな希望が打ち砕かれたかの如く、黙り込んでしまった。
こう思う事自体がいけない事だとは思うが、妹と弟の事は正直どうでもよかったのだ。僕自身の事を見てくれていると思ったのに、その心配は残される妹と弟の為でしかないのか。
卑屈な思考が胸中を支配していて、とても冷静な気持ちにはなれなかった。
もう伯父はいない。今後暴力に怯える必要は無い。けれど、それは単に葬式の日に戻っただけ。
住む家が変わっただけで、兄弟の面倒を見るのは結局は自分一人だけだ。
そこに不満はある。親の代わりを務めるのは早すぎる上に、既に心身共に疲れ果ててしまったのだ。
自由に、ゆっくり過ごしたい。学生としての青春だって謳歌したい。
この時から、まだ小さい兄弟が疎ましく感じるようになった。




