Chapter4 綺香
「おーおー、爆睡だなこりゃ」
仕事部屋に戻ってみれば、同僚は机に顔を突っ伏した状態で完全に熟睡していた。机上に置きっぱなしであった缶もすっかり冷めているだろう。
ちょっとした物音でも起きる気配はなく、響哉は自分の席に座ると隣の席の椅子を引いてジルベルトに座るよう促した。
「朝までそう時間はない。響哉も寝られるだけ寝ておけ」
「うん。でも…今寝たら起きれなくなりそうで」
もう少しだけ、と伝えて机に組んだ腕を乗せて其処を枕代わりにした。
「悪霊化したあいつの事なら気にしなくていい。死神を殺しても、人殺し扱いにはならないさ」
「多分、あの死神は僕の死にたいという声を言葉通りに受け止めたんだと思う。死にたいという願いを叶えて、自分の罪も軽減される。お互いにいい事だと、善意のつもりで言っていた」
眠そうな眸は白い机を見つめながら、パソコンのキーボードを奥へとずらした。
「本当に命の危険を感じた時、僕は必死に逃げた。単なる本能かもしれないけど、死ぬのが怖かった。あんなに生きるのが嫌だったのに、いざとなると駄目だったな」
自嘲めいた声にジルベルトは椅子の背凭れに寄り掛かりながら響哉に視線を落とすと、眉尻を下げた。
「普通はそういうもんだ。俺だって死ぬ瞬間の痛みは覚えている。即死だったのが救いだが、ありゃ激痛だった」
「……どういう死に方だったのか、聞いてもいい?」
控え目な問いかけを耳にしたジルベルトは口端を持ち上げて、人差し指と親指で銃の形を作り上げて自身の頭部に添えた。
「拳銃で頭をバン! ってな。衝動的な自殺だ」
響哉がぽかんと口を開いた侭固まった。意外、と言いたそうな眸である。
「ジルって、自殺するような人には見えなかった」
「普段なら有り得ないな。けど、俺にとって大切な人を失っちまってな。所謂後追い自殺だ」
「大切な人……」
「綺香って言ってな、俺の生前の恋人だった」
綺香。当然だが知らない人の名前だ。名前からして相手は日本人に聞こえる。
「その人には、逢えたの?」
「──いや、逢えなかった。俺は罪を犯したから死神として現世に残され、彼女は霊界に渡った。リリスがその時俺等の許に現れた死神だ」
「そういえば師匠って呼んでたっけ」
「俺を死神にしてくれたのもあいつだ。綺香に逢いたければ頑張って罪を償えって言われて、基礎を叩き込まれた」
死神歴は長いと零していただけはあるようだ。
「そうか。ジルが死神業を終えたいのは、彼女に逢いたいからなのか」
「まあ、そうなるな」
「逢えるといいね、その人に」
「……ああ」
ジルベルトは何処か寂しそうに顔を伏せた。
それにしても、生前のジルベルトに恋人が居たとは驚いた。少しだけ羨ましいとすら感じる。それだけ恋情を向けられているのなら、きっと素敵な人なんだろう。
「……響哉」
「うん?」
「響哉は生きる為に死神を倒した。それは決して間違いじゃない。目の前に何が立ち塞がっても、生きる事を最優先してくれ」
「喩え生き残っても、僕が悪いものになる可能性は充分あるんだよ?」
「どんな姿になっても、生きていてくれればそれで」
「……わかった」
疑問符を浮かべつつも肯くと、真剣だった表情も和やかになる。
「よし。それじゃあ、寝た寝た」
「わっ」
突然上着のボタンを外してファスナーを下げたかと思えば、モッズコートを響哉の肩に被せてきた。
首許のファーが擽ったい。短く頭を下げて礼を伝え、響哉は席から立つと会議室に向かった。その後ろ姿を見つめる視線には気付かずに。
備えられたソファーに横になり、ジルベルトから借りたコートを上に掛ける。真っ暗な室内は落ち着かないが、贅沢は言ってられなかった。
『死神を殺しても、人殺し扱いにはならないさ』
ジルベルトの言葉が甦る。人殺しが死神になる条件であれば、既に手遅れだ。
違うんだ。ジル。
僕はもう、人を殺めてしまっているんだ──。
震える指先でコートを深めに被った。何も見たくない。何も聞きたくない。
全てを拒絶する形で、青年は眠りに就いた。
※ ※ ※
「……そうか。彼は逝ってしまったか」
蝶の知らせを受け、白衣の紳士は悲しそうに呟いた。彼はビルの屋上に座り、のんびりと夜の町並みを見下ろしている。
「誰よりも悪霊を追い続けていた彼が、四方や悪霊そのものになってしまうとは、いやはや悲しい事件だ」
指先に止まっていた蝶が飛ぶ。淡く、蒼く羽ばたく光は蛍を彷彿とさせていた。
「君との関係が終わってしまうのは悲しいが、今までありがとう。貴重な時間であった」
ゆっくりと立ち上がった紳士は空を見上げた後、一歩を踏み出すようにビルの屋上から飛び降りた。




