Chapter3 死神の死
廊下の彼方此方から飛び出してくる悪霊を鞭で薙ぎ払っていくリリスに続いて階段を下りた。
だが、リリスは途中で足を止めて上の方を見上げている。立ち止まった彼女へ振り向いた。
「何してるんだ! 早く!」
「いいえ、響哉さんだけ真っ直ぐに下へ下りてください。私は此処で彼を足止めします」
「何言って……」
響哉の言葉は突如鳴り響いた轟音により掻き消されてしまう。目の前の爆風によって視界が霞み、顔を覆った腕を下ろせば其処には刃を交えた二人の姿を捉えた。
男はギザ歯をちらつかせて不敵に笑む。鎌を持ったリリスも得意気に笑い、両者は一歩も譲らない姿勢だった。
「アンタ、強ェ奴だな?」
「ええ、これでも死神歴はとても長いので」
強者を前にして興奮を露にする男は鎌の刃を弾き、突進しようとするのをリリスが利き足を軸にして身体を回転させ、男の腹部を蹴り上げた。
吹っ飛んだ男に対し、追い討ちをかけるかの如く疾風を放つ。
彼女が放った風の刃は、隙を突いて男の首を刎ねた。鮮血が飛散し、ごとりと鈍い音が室内に反響した。
落下した首が床に転がる。男の身体が崩れ落ちるように倒れた。
「し、死んだの……?」
不安そうに尋ねれば、リリスは首を左右に振った。
すると、彼の周囲を飛んでいた霊蝶が一斉に男の身体へ集まっていくのが見えた。蝶の輝きに包まれてその眩しさに思わず目を瞑った。
光が弱まったかと思えば、目蓋を持ち上げた先に驚きの光景が広がっていた。
倒れた身体に男の首が繋がっている。そしてその指先はぴくりと動き始めたのだ。
「そんな…、治ってる」
「死神に生命活動の死はないんですよ。もうとっくに肉体は滅んでますからね。器の首を落とされようが、あんな風に蝶が治してしまう」
「不死身じゃないか!」
「ええ、精々足止めにしかなりません。……でも、無敵じゃないんですよ?」
無敵じゃないと告げて微笑む彼女に響哉は疑問符を浮かべた。
「さあ、行ってください。会社から出たら真っ直ぐ家に行くように。安全と言える場所はそこしかないですから」
「でも……」
「私でしたら大丈夫。見たでしょう? 死神は死なないんです」
「無敵じゃないって言ったじゃないか」
彼女の方へ手を伸ばす。この場で置いていく事は出来ないと意思を示すと彼女は少し困った表情をした。
「…全く、そういうところは本当に変わらないんですから」
「え?」
「なんでもないですよ。行きましょうか!」
彼女の声に背中を押される形で立ち止まっていた足を動かした。
急いで階段を駆け下りる。此処はまだ十二階だ。一階までの道程は長い。
十階まで下りたところで響哉達は一度走るのをやめてしまう。九階へ降りる階段の先に黒い霧が充満しているのだ。悪霊らしき気配も感じる。あの中に飛び込むのは流石に無謀だ。うろたえているくらいなら他の階段を探した方が早いか。
「逃げたって無駄だぜ! すぐに追い着いてやる!」
上の方から叫び声が聞こえた。リリスが鞭を構えようとするが、彼女を押さえた。
下へ目を向ければ悪霊と目が合った。生きた人間に反応するのか、影は這いずるように此方へ近付いてくる。
「私が悪霊を追い払いましょう。その間に」
「いや、そうするとリリスはあの男と鉢合わせる。それならいっそここで迎え撃とう」
逃げたところで追い着かれるのは目に見えている。彼女は死神は無敵じゃないと言った。何かしらの弱点はある筈だ。
辺りを見回して、ある物に目をつけた。響哉は壁際に設置された消火器を手にする。一か八か、失敗すれば恐らくは死ぬ。
「それでどうするつもりなんです?」
「うん。これで隙を突いて武器を奪えたらなと」
「死神の鎌を、ですか」
「あれがなければ、普通の人と然程変わらないんじゃないかな?」
「ええ、普通の人よりは身体能力が高い死者といった感じになりますね」
「リリスには、危なくなったらフォローしてほしい」
簡潔に何をするつもりなのかを伝えると、彼女は少しだけ眉を寄せたが応じてくれた。
彼女は霊体化してその姿を隠す。響哉は廊下に赴き、少し離れたところから階段を見つめた。何者かが一気に飛び降りてくる音を聞いて消火器を構える。
「おっと、逃げずに待ち構えてるとは驚いたな」
現れた男は刀を下ろして意外そうに呟いた。
「そいつは武器のつもりか? 振るうにしてももっとマシなものを選べよな」
挑発めいた口調を聞き流し、響哉は彼を睨みつけた。
「まあいい、そろそろ終わりにしようや。走るのも疲れただろ?」
「ええ、僕もここで終わりにしたいです」
「言うねぇ」
口笛を吹いて男は口角を吊り上げた。再び刀を構えて男が床を蹴り上げる。
相手が動き出すのを合図に響哉は消火器のレバーを強く握った。ホースの先から消化薬剤が勢いよく噴出し、視界を白く染め上げた。
「なに!?」
室内を覆う薬剤の煙に男は目を見開く。目の前に向かって刃を振り下ろすが、其処に手応えはなかった。
後ろから悪霊の呻き声が聞こえ、男は背後を薙ぎ払う。
「ちぃッ、悪霊までこっちに来やがったか」
響哉につられて階段を上がってきた悪霊達を男が斬り付ける。視界の悪さと割り込んできた悪霊に意識が傾いた所為か、もう一つの気配に気付くのが遅れてしまった。
──今だ。男の右腕目掛けて手にした消火器を振り下ろす。
「ガッ…!!」
手首を強打し、男の手から刀が落とされた。丁度煙も薄くなり、落ちた刀を奪う事に成功した。
武器がなければ相手は戦えまい。そう思い、拾った刀を抱えて駆け出す。目指す先は廊下の窓だ。
「おい! テメェそれを離せ!」
武器を失った男から先程の余裕は失われ、焦燥感を募らせた叫びが聞こえる。
「こんなもの…!」
近くの窓を開き、其処から刀を外に放り投げる。此処は十階だ。それなりの高さがある。
此処から落とせば武器を拾いに行く時間もかかるだろう。その間に倒すか、逃げるかすればいい。
落ちた刀剣は大きな金属音を響かせて地面と衝突した。柄がぶつかり衝撃で跳ねた後、刀は道路へ転がっていく。
その際に柄に埋め込まれた翡翠の宝石に亀裂が入り、軈て宝石は粉々に砕け散った。
「はぁ…は、っ…」
息切れした呼吸を整えようとする。然しまだ油断してはならない。まだ終わった訳じゃない。
どうにか止めを、若しくは逃げるかせねば。
ゆらりと、立ち上がる影が見えた。
「──ッ!!」
認識するや否や其れは此方に向かって手を伸ばし、響哉の身体を床に倒した。
倒れた衝撃で呻き声を上げ、立ち上がろうとする響哉の首を男は鬼の形相で締め上げた。
「ぐ、…ぁッ!」
ぎりぎりと締め上げる腕は最早怪物に等しい力だ。呼吸が出来ずにもがき苦しみ、締め上げる腕を外そうと添えた指先も血の気を失っていく。
目の前がフラッシュしたかの様にちかちかする。
「武器がねぇからって勝った気になるなよ…!」
そうだった。相手はとんでもない力の持ち主であった事を失念していた。刀が無くても、息の根を止める事など造作もなかったのだ。
「…っ、あ、……?」
不意に、首を絞める力が弱まった。何事かと上を見上げれば跨っていた男は胸元を押さえて小刻みに震えていた。
「う、ぁ、アアァァッ──!!」
突然男の口から絶叫を轟かせ、次の瞬間、彼の身体から黒い霧が溢れ出した。
一体何が起きているんだ。みるみる内に男の身体は黒く染まっていき、手も鬼のように爪が伸びている。
これじゃあまるで──。
「悪霊みたいじゃないか…ですか?」
ふと聞こえた声に振り返った。近くで霊体化していたリリスが姿を現していた。差し伸べられた手を握って立ち上がる。
「よくわからないけど、急に苦しみ出したんだ」
「……そう、でしょうね」
側で見ていた彼女の表情には諦めの色が見えた。自前の大鎌を握り締め、様子が一変した男を睨み突ける。
「■■■■──ッ!!」
目の前の死神が、人間とは思えぬ咆哮を放つ。リリスが響哉を庇うように前へ出た刹那──。
窓の奥から大きな銃声が鳴った。一線を描いた弾丸は開いた窓を通って男の頭部を貫く。一発の弾丸が致命傷となり、身体はぐらついて崩れ落ちた。
ぴくりとも動かなくなった身体は霧状に霧散し、消滅する。驚いた響哉は窓の方へ視線を移した。
「ジル!」
窓の縁に足を掛けているジルベルトが居た。
「っ、驚きました。隣の建物から撃ってくるとは」
リリスも吃驚していた。彼女は深い溜息を吐いて鎌を下ろす。
「よっと。遅れて悪いな。寝かしつけるのに時間がかかっちまった」
帰って来ない兄を心配する妹と弟を寝かしつけてから家を出たようだ。マスケット銃を肩に掛けてジルベルトは響哉の方を向いた。
「それで、さっきの悪霊はなんだ? 見た事のないタイプだったが」
「悪霊って?」
「ほら、俺が撃ち抜いた奴」
先程まで居たあの死神。完全に消え失せた場所を見つめつつ口を引き結ぶ。
「さっきのは、"悪霊化した死神"ですよ」
沈黙を破ったのはリリスだった。それを聞いたジルベルトは驚きの色を露にする。
「死神が、悪霊化?」
「響哉さん。あの死神の刀を窓から放り投げましたよね?」
その問い掛けに静かに肯いた。傍らのジルベルトの表情も次第に険しくなっていく。
「その衝撃で恐らく、罪状の宝石が壊れたんでしょう」
「罪状の、宝石……?」
「私達死神は、死神になると同時に罪状を渡されます。それは時に武器として姿を変え、時に砂時計として罪の重さを視認する。死神は皆、これを持っています」
「咎人の魂は穢れています。いつ悪霊になっても可笑しくない程に。ですからその侭では死神としての役目を果たせません。穢れを魂から引き剥がし、罪状に閉じ込めたものがあの宝石です。私の鞭にも、ジルベルトのマスケット銃にも付いています」
鞭の持ち手やマスケット銃の側面を交互に見遣る。リリスにはアメジストのような宝石が、ジルベルトには真珠のような宝石があった。
「これが壊れると、宝石の中から穢れが溢れ出ます。穢れは魂に戻りますが、拒絶反応によって穢れが増幅し、結果的に悪霊化してしまう現象です。罪を償う事も出来なくなりますから、死神にとっては『死』そのものです」
「じゃあ…僕は、死神を殺した?」
此処で漸く、取り返しのつかない事をしたのだと理解する。リリスは目を伏せて黙り込み、自然と目線はジルベルトの方へ向かう。
「最終的に止めを刺したのは俺だ。響哉は悪くない」
責められるのではないかと怯える響哉を彼は庇った。
「…ですね。こっちの事情を知らないんですから、仕方ありません。それに、止めを刺された事により浄化されましたから。今はもう黄泉に戻っている筈です」
「向こうで暫く安静にしてから、また死神として現世に帰されるがな」
二人の会話が何処か遠く聞こえる。
そんなつもりじゃなかった。反撃する為にと思いついた策がこんな結果を招くなんて思いもしなかった。
殺されかけたとはいえ、あの男に罪悪感は覚えてしまう。下を向いた侭の響哉に気付いたジルベルトが一呼吸置いて、口を開いた。
「帰ろうぜ。今日はもう休もう」
「……ごめん。今日は会社に泊まりになるんだ」
「な、なんだって!?」
気遣いで口にした言葉があっさりと打ち砕かれ、ジルベルトは目を丸くした。
「同僚を置いて帰る訳にもいかないし。このまま残るよ」
「けど、まだ悪霊が他に残ってるかもしれないぞ」
「遭遇したら何とか逃げるからさ」
だから、と零す声に頭を搔いた。
「……わかった。それなら俺もここに残る。リリス、先に戻っててくれ」
「ほほう、私には帰れって言うんですか」
「アリサ達にも今回の事を伝えてほしいんだ。だから、頼む」
「仕方ないですねぇ。そういうお願いなら拒否できません」
今回の件をアリサ達は知らない。情報共有の為にリリスを一足先に帰す旨を伝えれば彼女も納得してくれた。
その場で霊体化し、リリスは一瞬にして消えた。響哉とジルベルト、二人だけとなった空間はとても静かだ。
「さてと…、上に行けばいいのか?」
「あ、うん。こっち」
響哉の職場は十五階にある。階段を指差してジルベルトと並び、漸く歩み出した。
明日、会社の人達に何て説明しよう。ところどころ壁が刃物で傷ついている。争った痕跡を其の侭残すと疑われるのは明白だった。




