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生死の案内人  作者:
第一章 日常の変化
12/48

Chapter11 悪霊化

次の日の朝、妹を小学校に、弟を保育園に預けて会社に到着する。ジルベルト達は各自で別行動をするそうで、途中で別れた。

自分の席に着いたところでふと、斜め向かいの席を見る。朝礼前に皆揃う筈なのだが、その席だけは未だ空席だ。

神田志穂。あそこは以前弁当をくれた彼女の席だった。


「あれ、神田さん。今日は休みかな」

「ん? ああ、風邪で休みなんだとよ。何だ、心配なのか?」


側に居た同僚が揶揄う(からかう)素振りを見せて肘で突いてくる。最近仲いいよなお前等、なんて呟きは放っておいて空席をじっと見つめた。

本当に唯の風邪なのか。以前、彼女と偶々廊下で会った時は、幽霊に会った事があると零していた。幽霊と接触した事があるなら、悪霊と接していても可笑しくはないんじゃないか。

…いや、流石に考え過ぎか。本当に単なる風邪かもしれない。

早めに仕事を終わらせて、今日の晩御飯は何にしようか考えていよう。最近晴香が野菜を避けてしまうから、何か工夫をしなければ。



※ ※ ※ ※



次の日も、神田さんは休みだった。不幸にも響哉の予感は当たってしまったようで、連絡が途絶えた彼女を心配して上司が一度彼女の家に向かう事になった。


「神田さん、どうしたんだろうね」

「昨日の電話からは確かに本人の声だったって言ってたけど。でも、何か様子が変だったらしいよ? 何か、言葉が上手く喋れていないと言うか……」


傍らで女性社員の会話が耳に入る。何だろう。妙な焦りを感じた。

午後になると、神田さんの家に向かった上司が戻ってくる。行ってみたが、家は留守だったようだ。

明かりは点いておらず、窓はカーテンが閉められていて中の様子は確認出来なかったそうだ。

周りの社員がざわつく。風邪ならば家に居る筈だが…。嫌な予感は増していく一方だ。


其の日の帰り道、女性社員の一人に神田さんの住所を聞いて一度様子を見に行く事にした。小さな賃貸住宅の二階に彼女は一人暮らしをしているそうだ。

雨が降る最中、到着した建物を見上げる。黒い無地の傘を叩く雨粒の音色だけが響き渡り、遠くでは道路を走る車の音しか聞こえない。

二階の一部屋はカーテンで何も見えない。傘を畳んで階段に足を乗せた、その時だった。


「──そこに人の気配はしないわ」


凛とした透き通る声が背後から届いた。振り向くと視界に入るは鮮やかな緋色の髪。アリサだった。

ジルじゃなくて悪かったわね、と呟く声が聞こえた。


「一条響哉、単独で行動するのはなるべく避けなさい。何かあったらジルが心配するんだから」


雨に濡れるのを気にする様子もなく、少女は淡々と告げた。


「ごめん。会社の人が朝から音信不通なんだ。何かあったんじゃないかと気になって」

「……そうね。丁度この近くから悪霊の気配がするの。来てみたら貴方がいるんだもの」

「悪霊の気配?」

「ええ。前よりも濃いわ。でも、ここじゃない」


どうもこの子と話すと調子が狂う。雨に負けないくらいの冷たい声が突き刺さる。はっきりと物を言う彼女は恐らく僕の苦手なタイプだ。

アリサは神田さんの部屋を見上げた後、直ぐに別の方角へ視線を移した。


「……あっちね」


踵を返して家から離れていく。持っている傘を再び差して、少女の後を追った。

アリサの隣へ何とか追いつく事が出来たなら、そっと傘を持つ手を差し出す。横の少女は怪訝(けげん)そうな目を此方へ向けてきた。


「濡れたら風邪を引くんじゃないかと思って」

「……貴方、本当に阿呆ね。死人が病にかかると思っているの?」

「あ、そっか……」


少女は呆れた声音で紡ぐものの、別に(いや)ではない様子だった。

傘を持つ手を引くと、今頃になってアリサ一人だけという状況に珍しさを感じてしまう。


「そういえば、シンシアは一緒じゃないのか?」

「姉さんとは別行動よ。常に一緒という訳じゃないの」


ふと少女が足を止める。辿り着いたのは家から少し離れた倉庫の前だった。


「これ以上はついて来ないで。流石に貴方を守れる保証が出来ない」


少女はきつく言い放つ。彼女の目線は倉庫の奥に向けられていた。

響哉もつられて倉庫を見遣る。夜の暗闇に溶け込んでいて見え難いが、黒い霧が倉庫全体を覆い隠す程に溢れ出ている。今まで見たものよりも大きく、色が濃い。流石の響哉も異常事態を前に目を細めた。


「ここに、神田さんはいる?」


小声で尋ねると、少女は間を空けて肯いた。


「生者の気配と悪霊の気配がする。生者の方は恐らく貴方の探し人だと思うわ。だけど……」

「だけど?」

「無事であるとは言い切れない。神田志穂の事は、もう諦めて」


其れを聞いた瞬間、今にも飛び出したい衝動に駆られた。直ぐにでもシャッターを開けて無事を確認したかった。

だが、そうすれば隣の彼女に迷惑を掛けてしまうのは明白だ。響哉はぐっ、と唇を噛み締める。

暫く思案した後に意を決して彼女と向き合い、頭を下げた。


「……お願いがあります。あの倉庫の中まで行かせて下さい。自分の目で確かめたいんです」

「あら、すぐに倉庫の中へ突っ走るのかと思ったけど、踏み止まったわね」

「出来ればそうしたい。でも、不穏な空気くらい僕にもわかる」


向かったところで自分に出来る事は何も無いだけに、やけに冷静だった。


「駄目、と言ってもついて来るつもりでしょう? いいわ。その代わり、自分の身は自分で守って」


先陣を切るわ、と告げて少女は駆け出した。倉庫の鍵は既に開いており、アリサがシャッターを開け放つ。中は真っ暗で何も見えない。

室内に足を踏み入れると、異常な程の冷気を感じた。寒さに自分の身体を抱き締めて見えない向こう側を睨み付ける。

ふと、アリサの側に青白く光る蝶が何処からか数匹集まってきた。霊蝶を指先に留まらせると、彼女の表情はほんの少しだけ和らいだ。

指先から離れた蝶が飛ぶ。刹那、淡く光っていた羽根の光が強く発光し始め、彼等は彼方此方を飛んで室内を明るく照らし始めた。

急な眩しさに目を瞑ってしまったが、倉庫奥の蠢く(うごめく)音に反応して顔を上げる。奥の積荷の近くに黒い塊のようなものが見えた。


「神田…さん?」


恐る恐る、声を掛けてみる。

全身が濃い霧に覆われていて姿がはっきりとしない。響哉の声に反応した黒い塊がゆっくりと立ち上がった。


「…ッ…ウゥ、」


だらりと頭を垂れさせて彼女らしき人物は苦しそうに呻いた。

すると彼女の足下の影が根を張るように前へ伸び始め、その影は表面が波打っていて人の手が勢いよく飛び出してくる。


「…!」


声をあげる事も出来ずに反射的に後ろへ下がろうとすれば、同時にアリサが前へ出てスカートの下からナイフを取り出していた。

一直線に響哉に向かって伸びた手は彼女の持つナイフによって瞬時に斬り落とされた。


「下がって。ここからは私が何とかするわ」


響哉の方を向いて言い放つアリサの言葉に響哉は動揺を露にする。


「待ってくれ、神田さんはまだ生きてるんじゃないのか!」

「……さっきも言ったけど、神田志穂の事は諦めて。あれはもう悪霊よ」


はっきりと現実を告げられ、絶句する。彼女は生きた侭悪霊となってしまった。目の前の彼女は、下手をすれば響哉の未来の姿とも言える。


「ガ、アァ──ッ!!」


両手で顔を覆い、もがき苦しむ彼女は再び此方へ影を差し向ける。それを合図にアリサが飛び出し、繰り出される無数の腕の隙間を擦り抜けていき、彼女との間合いを詰めていく。

構えたナイフを両手で前に突き出す。然し、あと少しというところで刃の切っ先は目前に現れた影の壁によって防がれてしまう。

その間に周囲の腕がアリサに向かって一斉に動き出すのを捉え、アリサは一旦身を引いた。


直ぐに影が追いかけてくる。アリサは忌々しそうに眉間に皺を寄せた。

倉庫内にある積荷に足を掛けて上に上っていくと、少女は上空から何本もナイフを取り出し、彼女の側を飛んでいた霊蝶の淡い光が刃先に灯される。其れを影に向かって投げた。

アリサの投げたナイフが突き刺さった影から蒼色の炎が発火し、焼かれた影は塵となっていく。

完全に丸腰となった本体へアリサが急降下した。ナイフだった武器は光を纏い、その姿を緋色の大鎌へと変えた。狙うは急所である首、一片の迷いもなく人間だった悪霊へと振るわれた。


大きな金属音が倉庫内に鳴り響いた。

手応えがあったように思えた音の方を向いたが、其処には片手で鎌を押さえる悪霊がいた。

人間とは思えない身体能力を垣間見た。防がれたアリサも驚きを隠せていないようだった。


「アリサ!」


響哉が叫ぶ。足下から復活した影の腕が横から彼女の身体を弾き飛ばした。

小さな身体が吹き飛び、大きな物音を立てて積荷に激突する。手元から落ちた鎌が床を転がった。


「…ッ!!」


息を飲んだ。駆け寄ろうにも、彼女との間に悪霊が居て近付く事が出来ない。

如何しよう。少女は痛みに耐えながら呻いていて直ぐに動ける状態じゃなかった。悪霊が徐に少女へ近付くのを見ては、手に持っていた傘を悪霊に向かって投げ飛ばす。


「こっちだ! こっちを向け!」


投げられた傘は悪霊の身体に当たった。相手の注意を引く事に成功したのか、悪霊がゆっくりと此方を向いた。

アリサが負けて仕舞えばどの道此処で終わりだ。ならば彼女が再び立ち上がるまで自分が時間を稼ぐしかない。奥の方を見れば、傷を癒そうとアリサの身体に霊蝶が留まっている。


「ッ、アアァッ!」


奇声を上げた悪霊が足下の無数の腕を放つ。響哉は直ぐに駆け出して投げた傘を回収すると、武器の代わりとして構える。

向かってきた黒い腕を傘の側面で受け止めた。力強い押しに対抗して支える手が震える。

押され気味な状況に眉を顰め、傘を横に振るい、腕を弾いた。間を空ける事無く続いてきたもう一本の腕を防ごうとするが、衝撃で傘が折れてしまった。

あ、と声が落とされる。その隙を突いて伸びた影は響哉の身体を突き飛ばした。


「がっ…!」


身体が浮遊し、後方へ飛ばされて床に叩き付けられる。全身を強く打ち、苦痛に顔を歪めた。立たないといけないのに、身体を動かそうとする度に痛みが走り、奥歯を噛み締める。

響哉の上に影が差し込み、視線を上に上げた。響哉の傍らに神田さんだった悪霊が立っており、黒い腕は目の前で変形し始め、その形はまるで大口を開ける蛇の頭を模していた。今にも喰らい尽くそうとする距離に反応が遅れてしまう。

しまった、と言うには遅く、指先一つ動かせなかった。

自分の身は自分で守って。アリサの言葉が頭の中で反響する。

──ごめん、守れなかった。


「貴方に死なれると、困るのよ!」


突如悪霊が大きな悲鳴をあげる。放たれたナイフが悪霊の背中に突き刺さったのだ。

奥には意識を取り戻したアリサが片膝を立てていた。悪霊の注意が再びアリサへ移される。

然し其れも束の間、遥か上空から一線を描く光の矢が悪霊の額を射抜いた。光は蒼い炎と化し、燃えた悪霊は夥しい断末魔の叫びをあげて見る見るうちに身体が歪み、火の中で溶けていく。

何が起きたんだ。思考が追い付く前に目線の先に居るアリサは倉庫内の上を仰ぎ見ていた。

少女の視線の先から、何かが降りてくる。弓を持って現れたのはアリサと対になっている白いドレスを着たシンシアだった。


「姉さん!」

「遅れてすみません。外にも悪霊がいたもので」


霧散した影がシンシアの手元に集まっていく。慎重に身を起こして辺りを見回したが、神田志穂の身体は何処にもなかった。


「これが彼女の魂です」


そう言ってシンシアは闇色を帯びた光の粒子を響哉に見せた。


「黒く変色しているでしょう? これが汚染された魂です。霊界でこの穢れを浄化しなくてはいけません」

「……それじゃあ、彼女は」

「間違いなく、死んでいるわ。肉体ごと焼き払ったもの」


それを聞いて響哉は目を伏せた。助けられなかったと悔しさが込み上げ、拳を握った。


「彼女の魂は、私が責任を持って冥府に連れていきましょう。それも死神の役目ですから」


シンシアは手を上に挙げると、背後に大きな門を呼び出した。

リリスが召還した扉と全く同じものだ。開いた扉から注がれる太陽のような光の中へ、シンシアは手元の粒子を送り届ける。

魂が霊界へ渡り、扉が自然に閉ざされるその光景を、響哉は呆然と眺める事しか出来なかった。


──死神に関わるのはやめときな。碌な事にならねぇからな。


とある死神の男の言葉が甦る。正に其の通りだった。まさか死亡者まで出るなんて。

生きた人間が悪霊化すると、ああなるのか。自分も放っておけば何時か彼女のようになり、死神に討たれて死ぬ。そう考えると銃口を向けてくるジルベルトの姿が自然と脳裏に映し出された。

胸の内に漠然とした恐怖が渦巻き、首を横に振って思考を振り払う。自分が悪霊化しない為に、彼等は此処にいるのだ。

死神を信じたい。けど、悪霊化した際は息の根を止める役割もまた、死神だ。

殺そうと思えば何時でも殺せる。響哉の首には既に、死神の鎌の刃が当てられているようなものだった。


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