Chapter12 友達
あれから数日。警察が自宅に向かい、神田さんは行方不明となり死亡が濃厚と扱われた。
死体すら残らないのだから、当然だ。まるで存在自体が消えたかのようで、娘の死因もわからぬ遺族はより辛いだろう。
あれが、自分が悪霊化した後の未来だ。
響哉自身、あの日から会社で神田の話はしていない。変に探られると動揺してしまいそうだ。
食事もあまり喉を通らず、以前よりも残す事が増えてきた。
日曜日の今日は休日だ。神田さんが亡くなったのが嘘のように、窓の景色には雨上がりの晴れやかな空が広がっていた。
お昼ご飯をテーブルの上に載せてラップをかけておき、予めやっておく事は一通り片付いた。
不意に、隣の寝室の方から兄弟のはしゃぐ声が聞こえる。
そっと中を覗き込んでみれば、其処にはフローリングの上でプラスチック製のドミノ牌を並べる三人の姿が見えた。
「……何やってるの?」
「響哉。揺らすなよ? 絶対揺らすなよ?」
問い掛けに振り返ったジルベルトが慎重にと念を押す。然しその注意も次の瞬間、虚しく終わる事となった。
「あっ」
妹の晴香が声をあげた。弟の祐樹がドミノの間を跨ごうとして爪先が当たってしまったらしい。並べたドミノ牌は次々と倒れ始める。
「ぬわーッ!!」
一番悲鳴をあげたのはジルベルトだった。慌てて間に手を差し込み、倒れるのを阻止する。
「俺の新記録が……」
「祐樹が踏んだー!」
「踏んでないもん!!」
「二人とも、また並べれば大丈夫だって」
大声をあげて兄弟喧嘩を始める二人に兄である響哉が止めに入った。
「…ジル」
「ん? どうした」
「弟と妹と遊んでくれるのは嬉しいけど、二人で少し話しがしたい。いいかな」
此処だと兄弟やアリサ達の目がある。彼は不思議そうにしつつも快く応じてくれた。
※ ※ ※ ※
付き合うついでに本屋へ寄り道をしてしまい、ジルベルトが新しい漫画を購入していた。
丁度お昼でもあるので、近くのファストフード店に入った。
漫画を入れたビニール袋を腕に提げて上機嫌なジルベルトを向かいに座らせて、飲み物とハンバーガーを奢る。
「それで、話しってのはなんだ?」
周囲の客の話し声が雑音となり、此方の会話が目立つ事はないだろう。
響哉は一度周りを確認してから机に腕を乗せてジルベルトに視軸を合わせた。
「ジルは、もし僕が悪霊化したら殺すのか?」
唐突な問い掛けにてりやきなハンバーガーの包みを開ける手を止めて顔を上げた。
「なーに言ってんだ。そうならないように、俺達がいるんじゃないか」
ジルベルトは眉尻を下げながら肩を竦めてみせる。
「人が悪霊化するところを、初めて見た。僕も放っておいたらああなるって事だろ?」
「……神田志穂の事か」
この前の出来事が余計に不安を煽ってしまっていて、確認しておかないととても安心出来そうにない。
「生きた人間の悪霊化には幾つか条件がある。先ずは怒り、悲しみ、憎しみといったマイナスな感情によって波長が弱まる事。一時的なネガティブなら誰にでもある事だが、ずっと続くのはまずい。負の思念が、軈ては呪いとなって自分自身の魂を穢してしまう。これが自発的な悪霊化だ」
人差し指が立てられてこれが先ず一つ、と彼は紡ぐ。そして続くように二本目の指が立てられた。
「もう一つは波長が低くなった事で他の悪霊と接触してしまい、魂が穢されて悪霊化する二次感染型だ。憑依された場合もこっちだな。彼女、霊と会った事とかないか?」
霊に。響哉は上を見上げて記憶を掘り起こそうとする。
『その…、死神かどうかわからないんですけど、私、実は幽霊と話した事があるんです』
『幽霊と?』
『はい。女の子の霊でした。私が悩んでいるのを気に掛けたのか、ある日声をかけてくれたんです』
「あ……」
「あるみたいだな」
思い当たる声にジルベルトは確信した。
「それなら彼女は二次感染の方かな。弱っていたところを付け入られた可能性が高い」
淡々と告げてジルベルトは包み紙を広げ、ハンバーガーの端に齧り付いた。
彼も食事が久しいのか、食べ物の味には喜色を浮かべていた。
響哉もストローを引いてアイス珈琲を一口喫する。口にしていた物を飲み込んだジルベルトが顔を上げた。
「正直に言うと、響哉が悪霊化した時はまだどうするか決めていない。場合によっては、殺さなくちゃならないかもしれない」
「……そっか」
予想していた答えが返ってくると、響哉は目を伏せてその言葉を受け入れた。
「俺からも一ついいか?」
確認する声にゆっくりと肯いてみせる。
「見たところ、兄弟がいるから響哉は一人暮らしをしている訳じゃないよな? 両親はどうした」
彼の問い掛けは一番触れて欲しくないところだった。
だが、気になるのは当然だろうと納得する。遅かれ早かれ聞かれていた事だと思えば響哉は重々しく口を開いた。
「…母は、三年程前に病気で。父は自殺です。父から心中を持ち掛けられたけど、断りました」
「……そうだったか。悪いな、思い出したくない事聞いちまって」
「いえ、別に。その後は……伯父のところに引き取られました」
「伯父?」
その名を口にした途端、響哉の顔色が青ざめていく。肩も小刻みに震え、明らかに様子が可笑しかった。
「響哉。無理に言わなくていい」
降りかかる声はとても穏やかだった。全て言わないといけない訳じゃないと、先を促されずに済んだ響哉は静かに頭を垂れさせた。
「……ごめん。これは思い出すのも嫌なんだ」
伝えるべき事を伝えられずに声に申し訳なさが滲み出てしまう。
「ちなみに、両親はどんな人だったんだ?」
「父も母も優しい人だったよ。ただ、父親の方はお酒が入ると苛々して物に当たったり、壁を殴ったりで酷かった。しかも次の日には何も覚えてなくて。だから、酔っ払って帰ってきた時は早く寝てほしい一心だった」
酒が入ると暴力的になる父親を間近で見ていたからか、酔っ払いの人に対するイメージはあまり良くない。
響哉自身、酒はあまり飲まない方だ。父親と同じようになりたくなかったからだ。
「そっか。両親の事情がわかっただけでも有り難い。少しでも響哉の事を知れて、俺は嬉しい」
本当に嬉しそうにジルベルトは薄く笑みを浮かべた。それをまじまじと眺めていると、どうかしたか?と目で問われる。
「僕の事を知っても、何も面白くないと思うんだけど…」
「面白いかじゃないんだよ。俺個人が知りたいと思っただけさ」
「それも、死神の仕事だから?」
仕事だから仕方なく、なのか。疑問をぶつけるとジルベルトは小難しそうな顔をする。
「完全な俺の私情だ。アリサ達は、悪霊が増える事件の方を優先したがってるみたいだがな」
「あの双子とも仲がいいみたいだけど、生前からの知り合いだったりするの?」
ジルベルトはアリサとシンシア、三人でいる印象が強い。元々の知り合いだったりするのか、興味本位で尋ねてみた。
「いや、アリサとシンシアにはお互い死後に出会った。生前の繋がりは一切ない。いつまで経っても死神になろうとしない浮遊霊をどうにかしてくれって、リリスに押しつけられてな。それがあの双子との出会いだ」
死神になろうとしない魂。死神は死んだら自然となるものではないようだ。
「それじゃあ、ジルが先輩なのか」
「死神としては一応立場は上になるんだが…、あっちの方が古い時代を生きているからねぇ。特にアリサの方からは完全に舐められてるな」
「ああ……、ジルとベル」
「そんな渾名、覚えちゃいけませんッ!」
アリサ命名の渾名を口にすれば、ジルベルトは焦った素振りで口調を荒げた。反応が面白くてつい、喉奥を震わして笑ってしまう。
それを目にしたジルベルトは一瞬呆けた表情をするが、直ぐに朗らかな笑みを刻んだ。
ごく普通の日常。然し、かなり久しい日常な気がした。
学生の頃の友人は就職と共に疎遠になった。兄弟と居ても、正直面倒ごとばかりで楽しくはない。仕事ではプライベートの話しは殆ど出来ない。だから今、こうして普通に話せる相手というのはとても貴重だと思えた。
『先ずは友達から始めようじゃないか!』
最初に家に来てそう告げた彼の言葉を思い出す。そうだ、彼は仲良くしようとしてくれている。だけど、僕は近付いてくる人が信用出来なくて、見えない壁を作ってしまっている。
この侭ではいけない。こんなにも親身になってくれる人を、何時までも遠ざけているのは申し訳ない気持ちになる。
「ジル」
「ん?」
彼を呼んだ後、一度深めの深呼吸をする。人の関係は何時の間にかなっているものだと思ってはいるが、それでもちゃんと言葉として伝えたいのだ。
「追い返しておきながら言うのもなんだけど、僕と…友達になってくれるかな」
控え目に手を差し向ける。実際に口にすると何とも恥ずかしいものだった。後から込み上げる羞恥心に視線を外してしまいそうになる。
差し出す手に視線を落としたジルベルトは驚いていたが、直ぐに口許が綻ぶ。
「もちろん」
そう言って差し伸べた手を握り返してくれた。彼の手は、死者とは思えない程に温かかった。
※ ※ ※ ※
雑談を交わしながら家に戻り、響哉が先に階段を上がっていく。ジルベルトも後に続こうとしたところでふと、何かを思い出したように「あ」と声をあげた。
「響哉、先に行っててくれ。すぐ戻る」
「? わかった」
先に部屋に戻るように伝えてジルベルトは一人、建物の後ろへ向かった。
「あら、ジルベルトくん?」
辿り着いた先の庭で掃除をしていた大家さんを見つける。ジルベルトは大家さんの許まで歩み寄るとBuongiornoとイタリア語で挨拶をした。
「大家さん。響哉が住んでる部屋に伯父って人がいたんですか?」
「ええ。元々あそこは響哉君の伯父が住んでいた部屋なのよ。ある日突然響哉くん達を引き連れてきてね、一緒に住む事になったの」
掃き掃除をする手を止めて、大家さんは二階にある響哉の部屋を見上げた。その顔は何処か憂いを帯びていて、遠くを見ているかのようだった。
「でもそれから凄かったのよ? ほぼ毎日子供の泣き声と怒鳴り声がご近所にまで響いてきて。私心配で何度か様子を見に行ったの。そしたら響哉くんは何でもない、大丈夫だって言うのよ。腕とか酷い痣になってたから、間違い無く暴力はあったと思うの」
「そう、でしたか」
大家さんにまで話したがらなかったのか。納得したジルベルトに大家さんは頬に手を添えて人当たりのいい笑顔を浮かべた。
「あれから色々と塞ぎ込んでいたんだけど、最近は少しずつ明るくなってきてよかったわ」
「その伯父は、今何処に?」
「……遠くに行ったわ。ええ、もう戻ってくる事はないの」
困ったように眉を下げて呟く。反応からして大家さんの方もあまり聞かれたくない様子だった。
「わかりました。有難うございます」
手短に礼を述べてジルベルトは踵を返した。戻ってくる心配はないと判っただけで充分だ。
涼やかな風が木々の葉を揺らす中、立ち去っていくジルベルトの背中を見つめた大家さんは深めに息を吐いた。
「もう、あの子達を苦しめる人はいないと思いたいのだけれどねぇ……」
風の音に掻き消されそうな程、小さく呟いた言葉は空気中に溶け込み、大家さんは再び箒を持つ手を動かし始めた。




