29 照り焼きチキン
ズールは大通りを途中で折れて、やや細い道へ入っていく。
そこは細い道でありながら、中々の人通りがあった。平時であれば、ここまでの人が通ることはなかっただろう。
そして、この通りの人の流れは、ある店に向かって動いている。ズールの目的もその店であるため、その流れに乗って歩いていく。そして、程なくして目的の場所、春の草花亭へと到達する。
開店まで幾らかの時間があるにも関わらず、客が列をなしている。
ズールもそれにならい、自分も列の一つとなる。
(果たして、どれほどのものか)
バルーム伯の命で足を運んだものの、最近、街を賑わしているという宿屋とその料理に、一料理人としての興味も持っていた。
待つこと十数分。正午を告げる鐘が鳴ると、宿屋の入り口から金褐色の髪の少女が出てくる。
「お待たせしました! こちらへどうぞー!」
そう言うや、20人ほどを食堂へと通す。ズールの順番が来るまでは、まだ暫く時間が掛かりそうだった。
朝に食した飯は、全て胃を経て腸にまで運ばれている。要は、彼は腹がへっていた。
食堂の方から何やら良い匂いが流れてきており、空いた胃を強く刺激する。
順番を待っている他の客も、匂いを嗅いでソワソワしたり、腹の虫を鳴らしている。
(…ふん、匂いは随分立派だが、味はどうだかな)
彼はその美味そうな匂いを嗅ぐことで、普段より多く唾液が分泌されていることには気付いていないようだ。
仮に気が付いたとしても、彼の高すぎるプライドがそれを認めていたかどうかは別であるが。
まだ時間が掛かりそうなのを確認すると、この匂いは今の自分には毒であると判断して、思考をシャットアウトし、口で呼吸することで匂いを嗅がないように努め、ひたすらに順番を待った。
徐々に列が消化されていき、次にはやっと彼の番と相成った。
内心、長かったと独り言ちて、自分がここの料理に期待していたことに気が付くと、愕然とした。
匂いを嗅ぐだけで、これだけの期待をさせられていたことに。
少なからずショックを受けていると、昼飯を食べ終わった客が食堂から出て来た。それと同時に、開店を告げた先程の少女が現れた。
「お待たせして申し訳ありません! お客様はお一人ですか?」
「ああ、1人だ」
「かしこまりました。相席のご協力をお願いします!」
無言で頷いてみせると、了承と受け取った少女は店内へと案内を始めた。
そんな少女の後に続き、ズールは嘲笑していた。相席をしなければならないほど、小さな店なのだと。
(店の格としては私の店が上だな…)
そんな小さな自尊心を満たして自信を少し取り戻していると、席へと案内される。
自分の店のテーブルやイスと比べ、やはり安物であると判断すると、満足そうに小さく笑みを浮かべる。
「すぐにお持ちしますね」
そんな様子を見て、よっぽど楽しみにしているのだろうと考えた少女は、嬉しそうに厨房へと忙しなく向かう。
ズールはそれを見届けたりはせずにイスを引いて腰を掛けると、同じテーブルについている青年が食べている料理に視線を向ける。
恐らく鶏の肉であろうそれは、茶色くテラテラとした何かが塗りたくられているようだった。皿の上もべったりと、その茶色い何かに塗れている。
彼の美的感覚からしてみれば、お世辞にも綺麗とは言えない代物だ。
思わず眉をひそめてしまうが、目の前の青年は実に美味しそうに料理を食べている。
その光景を眺めていると、やがてズールの前にも料理が運ばれてきた。
「照り焼きチキンです! お好みでこちらの調味料を付けて食べてください」
先程、席まで案内をした少女が、料理を載せたトレイごとテーブルに置く。
ズールはここのルールにならって代金を支払うと、少女は次の客の元へと歩み去っていった。
とりあえずズールは、トレイの上に置かれた料理の確認に移ることにした。
まず一つ目の皿、メインディッシュとなる茶色い鶏の肉が盛られた皿には、添え物として緑の葉野菜と赤い実があり、皿の隅には従業員がお好みでと言った黄色とも白色ともとれる調味料もあるため、彩りは良い。それに、さっきから胃を刺激する匂いの発生源はこれだ。
先程は食べかけの皿を見て不快感を催したが、手付かずの状態は中々悪くないと考えた。それでもトロッとした、茶色くテラテラと光る謎のタレらしきものには抵抗を覚える。
続いて、白い米が盛られた皿を見る。米は以前、ズールも使用したことのある食材であるが、その米は赤みがかっていた様に記憶している。
白い米と赤い米の違いは、単純に精白しているかいないかの違いであるが、彼には分かるわけもなく、新種の米やも知れんと新たな食材の利用方法に思いを馳せた。もっとも、この白い米は勇気謹製のジャポニカ米のため、手に入れるのは実質不可能だ。
白米の皿から最後に残った器へと視線を移すと、ズールの目は驚愕に見開かれた。そして、次第に怒った顔つきになり、その怒りからか身体はプルプルと震え、顔の色も赤くなっていく。
やがて、それは爆発した。
「…この店は客に泥水を出すのか! 私にこの泥水を啜れと、そう言いたいのか!」
ズールがテーブルを拳で打ちつけると、衝撃でがちゃんと食器が跳ねた。
突如響いたその音と声に、食堂内は静まり返る。しかしそれも一瞬。誰かの「馬鹿じゃねーの」という発言を受け、カチャカチャという食器の音や雑談の声など、食堂内に再び活気が訪れた。
誰かの発言に、なおも怒り心頭に発するが、誰も意に介することなく件の器に湛えられている、ズール曰く泥水を飲んでいる状況に、彼は戸惑った。
ズールの声を聞きつけ、先程の少女とは別の、やや大人びた感のある少女がズールの元に駆けつけた。
「どうかなさいましたか?」
その言葉に、ズールの怒りは再燃する。
「どうもこうもあるかっ! この泥水は何だと聞いている!」
そう言って彼が指差した先には、彼の言う所の泥水、もとい味噌汁があった。
なるほど、味噌が底に沈んだその状態は、水に沈んだ泥に見えなくもない。土に似た色合いが、更に誤解に拍車をかけたのだろう。
少女は、やや言いにくそうに上目がちに、ズールへと説明をする。
「これは味噌汁という、歴としたスープなんですよ」
その言葉はズールに再び衝撃を与えた。またしても、その目が大きく見開かれることになった。
「馬鹿な!?」という彼の発言に、食堂内の誰かが「ぷっ」と小さな笑いをもたらした。
遅くなってしまい、申し訳ありません。




