26 バルーム伯爵
ブルーノの街の中心からやや離れた場所に、ブルーノの街と街の周辺を領土とする、ある貴族の屋敷があった。
日が暮れた時分、大量の燭台に火が灯された屋敷の一室には、3人の人の姿があった。
「本日の料理のお味のほどは、如何でしょうか」
そう尋ねたのは、ひょろりとした長身の男だった。面長で、手足もひょろ長い。赤毛の頭髪を後ろで一括りにし、カイゼル髭をたくわえている。
その腰には白いエプロンが着けられており、彼が料理人であることの証となっている。
対して、問われた男は、皿に盛られたステーキ肉をナイフで切り分けていた。
食用のためだけに育てられた、高級な牛の肉だ。塩と胡椒だけで味が調えられており、シンプルではあるが、純粋な牛の肉そのものの味が楽しめる。
その肉をフォークで突き刺し、ぞんざいに口の中へと放り込むと、くちゃくちゃと音を立てながら咀嚼した。
そして、おもむろにワインが注がれたゴブレットを手に取り、中の液体をぐびりと口の中に含むと、肉ごと喉の奥へと流し込んだ。
「ふん、悪くない」
そう答えた男はこの屋敷の持ち主であり、ブルーノの街とその周辺を領土とする領主、ダルマー=バルーム伯爵その人だった。
その身体はぶくぶくと肥え太っており、締まりが無い。腹の肉はまるで大樽の様。ナイフとフォークを握るその手の指には、豪奢な指輪が食い込む様にはめられていた。しかしそれは昔着けた指輪が取れなくなったのであろう、今の指の太さではとてもはまりきらないサイズであった。
そして脂にまみれた不健康な生活を送っているためか、金色の頭髪は側頭部にペタンと張り付いたものを残すのみで、大変寒々しい。
どかりと、飲み干して空になったゴブレットをテーブルに置くと、傍らに控えていた執事がワインを注ぎ足した。
「悪くないが、些か飽きがきておる」
バスケットからパンを鷲掴みにすると、バターナイフでバターをこれでもかと塗りたくり、噛り付く。
口の中に入りきらなかった分は、肉と種種の野菜がふんだんに使われたスープへと浸す。ふやかした後は当然、口へと投げ込まれる。
後には、スープにバターの脂が浮かんでいた。
「左様でございますか」
「ズールよ、もっと新しい料理は作れないのか?」
「努力はしております」
そうそう新しい料理が作れるわけでもなかった。ズールと呼ばれた、白いエプロンを着用したひょろ長い男はそう答えるに止めた。事実、彼が任されたレストランの集客のために、新メニュー開発には余念がない。
「そうは言うが、最近どれも似た様なメニューばかりではないか」
そう言いながら、今度は肉やミルク等と茹でられたパスタへとフォークを伸ばす。ぐるぐるとパスタを巻き取ると、まるで骨付き肉にかぶりつくようにパスタを口にした。
「申し訳ありません」
恭しく頭を下げるズールだが、俯いて見えない顔には、明らかに不快な色が浮かんでいる。
「よい。別にお主を責めようというわけではない」
その言葉をきっかけに、下げていた頭を上げる。
では、どういった御用向きで自分は呼ばれたのでしょうかと、視線で問うズール。
普段であれば、彼に料理は作るものの、そのままバルーム伯の夕食に呼び出されるなどということはあまりない。
その呼び出しも、レストランの集客状況、新しい料理の味の感想、新メニュー開発と催促とその愚痴を吐かれる以外には、殆どない。最近では催促と愚痴が専らであったが。
その愚痴が違うとなると、ここに呼ばれた理由について、彼には検討がつかない。
「ここ数日、市井を賑わしている宿屋のことは、お主なら知っているかと思うが」
ピクリと彼の眉が動くが、表情は変わらない。
もちろん、ズールは知っていた。レストランの従業員の噂話を耳にしていたからだ。
曰く、この世の食べ物の味とは思えないほど美味であると。
にわかには信じがたいが、その料理を食べるために集まった行列を、満足そうに店を後にする客達を、彼は実際に目にしていた。
レストラン開業当時は調査を兼ね、件の『春の草花亭』の食事を食べるために足を運んだりした。わざわざ宿に泊まって。
その時の感想は、「特筆すべきはない、普通の料理」であったはずなのだ。
「ええ、噂話程度ではございますが。何でも、見たことのない、とても珍しい料理を出すと」
特に誤魔化す必要性を感じないため、彼は素直に応じる。最も、自分に考えつかないような料理を出せるという点に、彼のプライドはかなり傷ついている。
取るに足らないと評した店に、ホテル・ブルーノのレストランの客が少なからず奪われているのだ。
「ああ。珍しく、かなり美味いと評判らしいな」
食にうるさいこの貴族のことだ、自分も食べたいと言うに決まってる。
ズールとバルーム伯との付き合いは短くない。それ位のことは、簡単に予想がつく。そして、それを素直に言い出さないことも。
「そこでだ。お主には、その宿屋の料理を食べてきてもらいたい。その料理がワシの口に合うかどうかを判断してくるのだ。庶民の料理など、本来なら口にもしないのだがな。想像を絶する味とやら、これが真のことだとしたら、逃すには惜しい」
バルーム伯爵は大きな舌で、ベロリと舌舐めずりをする。
その行動を見て嫌悪感を抱きつつも、やはりな、と自分の予想が当たってしまったことにもズールは苛立った。
「まさか、庶民の薄汚れた手で調理された物を食べるわけにもいくまい。ああ、もちろん、お主の手は薄汚れてなどいないがな。それに毒を盛られるやもしれんからな。だから、評判となっている店の料理をお主が食べ、同様の物をお主が作るのだ。料理の再現くらい、お主には造作もなかろう?」
新しい料理が作れないのなら、真似をすればいい。この領主は、そう言っているのだ。
ズールのプライドは、ズタズタにされた。
しかし、彼はそれをおくびにも出すことはしない。
「もちろんです。とにかく、まずは店に行き、バルーム伯爵のお口に相応しい料理か否かを確認して参ります」
「うむ。期待しておるぞ」
バルーム伯はその返事に満足すると、すっかりズールには興味を失くし、中断していた食事へと取り掛かる。
ズールは黙って一礼すると、部屋を後にした。
屋敷を出、兵が守る門をくぐるも、彼を止める者は誰もいない。ズールは足早に、レストランのあるホテル、中央広場へと向かう。
(いいだろう。その味、とくと食らってレストランの物にしてやる。俺がこの街で1番の料理人なんだ!)
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