20 沈黙の厨房
長い行列を経て、ベテラン冒険者であるビートは春の草花亭、その食堂へとようやく足を踏み入れることができた。
彼が以前、この宿屋を利用した時に出された料理の印象は、可もなく不可もなくといったところだった。
当時は黒パンと野菜のスープ、塩胡椒で味付けされた焼いた肉と、その内容は一般家庭で見られるような変哲もない料理であった。味についても特筆すべきことはない。
中央広場にあるホテルのレストランの方が、そこいらの料理屋で食べられるものより美味く、この宿屋の食堂はそこいらの料理屋と大して味は変わらない。レストランでの食事は値段が少しばかりかかるが、多少高い程度で十分許容できる。そんな認識を持っていた。
事実、彼がこの宿屋に泊まった時も、彼以外に客はおらず、流行っていないことは明らかだった。ランチもやっていなかったはずである。
(それがまあ、こんな行列が出来上がるとは。良い料理人でも雇ったか?)
以前の状況を伺い知っている彼にとって、正直なところ、あまり期待を持つことができないでいた。ベテラン冒険者の彼は、様々な街を巡り、様々な料理を食して来たことから、それなりに舌には自信があったのもその影響だろう。
しかし、春の草花亭から出てくる客達は、いずれも満足そうな顔を浮かべていた。そんな客を見て、気になった者は客に問い質し、行列に加わる。行列が行列を生む状態となっていた。中には待ちきれずに、列から出て行き帰ってしまう者もいたが。
ビートも問い質した側の人間であり、「見たこともない料理」「とにかく美味いらしい」と聞いて半信半疑ではあったものの、何となく気が向いて並んでみることにしたのだった。
「それでは、こちらのお席でお待ちください」
蒼い瞳を持ち、金色の髪を後ろで結わえ、白いエプロンを着た少女に席まで案内され、腰を掛ける。
本来2人がけのテーブル席ではあったが、あまりの混みようのために相席となった。
中央広場のレストランと違ってメニューから品を選ぶのではなく、ここではみんな同じ物が出されるらしいことを、彼は確認済みである。
既に目の前の青年は料理を食べ始めており、ひたすら無言で食を進めている。それもすごい勢いで。
どのような料理か興味を惹かれた彼は、目の前の青年が食べている料理をしげしげと見やる。
(…確かに見たことがない料理だな)
器は球を半分にしたような、底が深い形状をしている。飯を掻き込んでいるために、中の様子がよくは見えないが、チラリと見えた器の中は、白い米の上に茶色い物体と黄色い何かが絡まっているようだった。
「お待たせしました! カツ丼をお持ちしました」
他のテーブルに運ばれた料理を見て、ようやくその全容が掴めた。
(ふむ、彩りはなかなか綺麗であるな)
どの様な見た目をしているのかわかり、ひとまず満足することができたビートは、腕を組み目を瞑り、料理が出されるのを待った。
やがて目の前の青年が料理を食べ終わったところで、件のカツ丼が彼の目の前に出されることとなった。
「大変お待たせしました! カツ丼、お持ちしました」
「おお、来たか。どれ」
敷き詰められた米の上には、食べやすいようにだろう、一口大に予めカットされた茶色い物体。それに溶いた卵と玉ねぎが絡んでいる。
早速とばかりに、料理と共に出されたやや大きめの匙を手に取り、米と一緒に卵と絡んだ茶色い物体を一切れ掬い上げる。
まずは一口、口にする。すると、えも言えぬ不思議な風味が鼻腔を通り抜ける。出汁によるものだが、彼には鰹出汁を知らない為、何とも言えぬ匂いに感じたようだ。しかし、悪い匂いではなく、良い方に分類される匂いにだ。
そして、歯を入れるとサクッという軽い音が出た。肉は決して固くはなく、大した抵抗も見せぬままに歯を噛み締めることができた。その際、衣に染みた出汁、肉汁がそれぞれ同時に溢れ出し、その口内を満たしていく。
また、玉ねぎのシャキッとした食感が楽しく、卵はフワッしつつ、敢えて全てに熱を通さなかった卵の一部はトロッとしているが不快にはならない。
(何だこれは…!?)
甘辛い出汁はご飯に染み込み、食欲を増進させる。
無言で、器と口に匙を往復させる。食べ進めると、汁気を帯びた米粒がポツポツと器に残るのが目に入ってくる。
(む…勿体無いな)
それらも残さず食べようと、器を持って傾け、匙を忙しなく動かし米を集める。
(なるほど、先ほどの青年がご飯を掻き込んで食べていたのは、こういった理由があったのだな)
一人納得し、後は無心でカツ丼を掻き込んで食べていく。後に残ったのは、綺麗にさらえられた器と匙のみ。
そんなビートは、叫ばずにはいられなかった。
「おかわりッ!!!」
と。
「おかわり、だそうですが」
「お帰りいただいて」
「わかりました」
なるべく多くの客に入ってもらいたいがため、おかわりはしていない。
そして現在、厨房は大忙しだった。
勇気が豚肉を切り分け、勇気が卵を溶いて、勇気が衣を付けて豚肉を揚げ、勇気が出汁をとり、勇気が玉ねぎをスライスし、勇気が更に卵を溶いて、クロードがフライパンで豚カツを卵でとじ、勇気が米を炊き、勇気が丼に米を盛っていた。
勇気は数人分の働きをしていた。文字通り分身をして。
「本体、卵が足りないから買って来て」
「はいよー」
「豚肉も頼む」
「ういー」
「あ、その前にパン粉創って」
「おう」
「待った、米も頼む」
「ほい」
勇気の分身には大した力は付与されておらず、調味料その他諸々は本体である勇気にしか創れない。そんな本体である勇気は、時には転移で買い出し、時には店内への客の案内、時にはウエイトレスと、八面六臂の活躍だった。
買い物を済ませ戻って来ると、厨房に問題がないことを確認する。
心配なのはクロードだ。彼は随分前から無言でカツを卵でとじている。
「後どんだけいるんだろ」
「まだ30人位並んでましたよ」
「ゲッ、そんなにか…」
その話が聞こえたのか、クロードの頬は引き攣ったようにピクピクと動いたが、それ以上の反応は見せなかった。開店してからおよそ二刻、休憩もなしにやってきた。
今でこそ余裕ができているが、この流れ作業ができるまでにはそれなりの時間を要し、必要以上に疲れも出ている。また、これだけの量の料理を作った経験がないのも関係があるだろう。そろそろ限界を迎えているのかもしれない。
「…今並んでいる客で終わりにしよう。分身、列の最後尾でアナウンスよろしく」
「了解」
新たに出てきた分身に命令を出して、自身も次の仕事に移る。
「さて、料金の回収に行ってくるか」
厨房を出がけに、回復魔法を使って体力の回復を図る。精神的疲労はとれないだろうが、クロードの顔つきが幾分マシになったのを見届け、勇気は食堂へと向かった。
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