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寝たきりのはずではありませんでしたか  作者: 九葉(くずは)


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9/10

第9話 必要だからではなく、好きだから

ジュリアン様との最初の外出で、私たちは王都の外れにある薔薇園を訪れた。


赤い薔薇が咲く場所を、彼は三か所も調べてくれていた。


その中から、私は王都を見下ろせる丘の薔薇園を選んだ。


「本当に、こちらでよいのですか?」


馬車へ乗る前にも、ジュリアン様は確認した。


「はい。ジュリアン様はこちらがお嫌いですか?」


「いいえ。ただ、坂道が多いので、疲れさせてしまわないかと」


「疲れたら休みます」


「では、途中で遠慮なく言ってください」


彼は私を弱いと決めつけない。


強いから我慢できるとも決めつけない。


私が疲れたときに、自分で休むと言えることを信じてくれる。


薔薇園では、二人で何度も足を止めた。


赤といっても、花の色は一つではない。


深い紅色。


夕焼けのような朱色。


白い花びらの縁だけが、淡く赤く染まったもの。


「どれが一番お好きですか?」


「選ぶのが難しいですね」


「時間はあります」


その答えが、嬉しかった。


急がなくてよい。


すぐに一つへ決めなくてよい。


私は長い時間をかけて庭園を歩き、最後に深い紅色の薔薇を選んだ。


ジュリアン様も、同じように自分の好みを教えてくれた。


甘すぎる菓子は苦手だが、林檎の焼き菓子なら食べられること。


夜会より、静かな庭を歩くほうが好きなこと。


医師になったばかりのころは、患者を助けたいあまり、何もかも自分で抱え込んで倒れたこと。


「それで、療養棟を作ろうと思われたのですか?」


「ええ。患者だけでなく、支える人にも休む場所が必要だと分かりました」


ジュリアン様は、私がしてきたことを聞くだけではない。


自分の失敗も、苦手なことも話してくれた。


私だけが理解するのではなく、彼も理解されようとしている。


一方だけが相手に合わせ続ける関係ではなかった。


それから四か月。


私たちは休日が重なるたびに、二人で出かけた。


本屋へ行く日もあれば、庭を散歩するだけの日もあった。


どこへ行くかは、毎回相談して決めた。


私が屋敷で過ごしたいと言えば、ジュリアン様は理由を問い詰めずに予定を改めた。


彼が急な診察で出かけられなくなったときは、必ず自分から詫び、次の約束をどうするか私へ尋ねた。


事情があれば、予定が変わることはある。


私が傷ついていたのは、約束が変わることそのものではなかった。


私との約束だけは、何度破ってもよいものとして扱われていたことだ。


大切にされるというのは、一度も予定を変えないことではない。


変えなければならないときに、相手の時間も同じように大切だと考えることなのだ。


仕事も順調だった。


療養手帳を使い始めてから、薬の受け取り忘れや、馬車の手配違いは大きく減った。


患者が自宅へ戻ったあとも同じ形式で記録を続ければ、次の診察で状態を伝えやすい。


王宮の施療事業を担当する者から、他の施設でも使いたいという申し出が届いた。


その報告会が、王都施療院で開かれることになった。


当日、私はジュリアン様と並んで広間の前へ立った。


集まったのは、施療院を支援する貴族や医師たちだ。


人前に出ることには慣れている。


それでも、今日は少し緊張した。


「説明は、私からいたしましょうか?」


ジュリアン様が小声で尋ねる。


「いいえ。私が作ったものですから、私がご説明します」


「分かりました。質問があれば、必要なところだけ補います」


前へ出た私は、療養手帳を開いた。


難しい仕組みではない。


診察、薬、食事、睡眠、家族への連絡、馬車。


療養に必要なことを、一冊で確認できるようにしただけだ。


けれど、それを毎日続ければ、小さな変化に早く気づける。


誰か一人が、すべてを覚えている必要もなくなる。


「この手帳は、医師だけで完成するものではありません」


私は集まった人々を見渡した。


「患者ご本人、付き添う方、食事を用意する方、薬を管理する方。それぞれが、自分に分かることを記します。誰か一人へ負担を集中させず、必要な情報を共有するためのものです」


説明を終えると、大きな拍手が起きた。


かつては、誰にも知られないまま続けていたこと。


できて当然だと思われていたこと。


それが今は、私自身の仕事として認められている。


「この仕組みを作ったのは、エマ・ヴェルヌ侯爵令嬢です」


ジュリアン様が、皆の前ではっきりと告げた。


「私は医師として必要な項目を確認しただけです。療養を支える人々の動きを整理し、実際に使える形へ整えた功績は、すべて彼女にあります」


私の仕事を、自分の手柄にしない。


貴族の娘が名だけを貸したことにもさせない。


ジュリアン様は、私がしたことを私の名前で伝えてくれた。


拍手の中、彼と目が合う。


彼は誇らしげに笑っていた。


報告会が終わり、私は中庭へ出た。


緊張から解放され、冷たい風に当たりたくなったのだ。


「エマ」


聞き覚えのある声に振り返る。


そこにいたのは、セドリック様だった。


少し離れた場所には、アーヴェル伯爵の姿も見える。


今日は施療院を支援する家の一つとして、二人で出席したらしい。


「先ほどの説明を聞いた」


「ありがとうございます」


「君は、あのような仕事をしていたんだな」


「はい」


以前の彼なら、侯爵令嬢が人前で働くことを快く思わなかっただろう。


だが今は、責めるような言葉を口にしなかった。


「少し、話してもいいだろうか」


「こちらでなら」


人目のある中庭を示す。


セドリック様は黙ってうなずいた。


「今日は、婚約を戻してほしいと言いに来たのではない」


「そうですか」


「謝りたかった」


彼は深く息を吸った。


「俺は、君が何をしているのか知ろうともしなかった。君が強いと言えば、我慢させてもよいと思っていた。君ならできると言えば、自分が何もしなくて済んだ」


以前のような、言葉を飾った謝罪ではなかった。


「リリアのことも同じだ。守っているつもりで、本人が何を望んでいるのか確認しなかった。頼られる自分が心地よかっただけだ」


彼の手には、もう婚約指輪がない。


「リリア様は、お元気ですか?」


「体調には波がある。だが、療養手帳は自分で書くようになった。できない日は、正式に雇った付き添いが手伝っている」


「そうですか」


「俺が毎日会いに行くことは、もうない。結婚もしない。互いに、間違った期待を持たせる関係は終わらせた」


それは、彼ら自身が決めたことだ。


私が口を挟む必要はない。


「父上から任されていた仕事も、一から学び直している。引き継ぎがいつ再開されるかは分からない」


彼が選んだことの結果を、彼自身が引き受けている。


失った信用は、謝ればすぐに戻るものではない。


長い時間をかけ、行動で積み重ね直すしかないのだろう。


「君が許してくれなくても仕方がない」


セドリック様は、まっすぐに私を見た。


「それでも、すまなかった」


「謝罪は受け取ります」


私は答えた。


「ですが、以前の関係へ戻ることはありません」


「ああ。分かっている」


その言葉を、彼は初めてそのまま受け入れた。


「君を失ったことは、これからも後悔すると思う」


遅すぎる後悔だった。


けれど、その後悔を慰める役目も、私にはない。


「どうか今度は、ご自分の選択を大切になさってください」


「君も、幸せに」


セドリック様は頭を下げ、父親のもとへ戻っていった。


彼の背中を見ても、追いかけたいとは思わなかった。


胸に残っていた痛みが、ようやく静かな思い出へ変わっていく。


「終わりましたか?」


ジュリアン様が、少し離れた場所から声をかけた。


私たちの会話が聞こえない距離で、待ってくれていたらしい。


「はい。きちんと終わりました」


「それなら、私からもお話ししてよろしいでしょうか」


彼が差し出したのは、一通の書類だった。


「療養棟との新しい契約書です。王宮から正式な支援を受けることになりましたので、報酬と権限を見直しました」


内容を確認する。


私が求めていた改善の権限も、人員を提案する権利も明記されている。


報酬は以前より増えていた。


「ありがとうございます。こちらでお願いいたします」


私が署名すると、ジュリアン様は契約書を受け取った。


それから、もう一度姿勢を正す。


「ここからは、仕事と関係のない話です」


灰色の瞳に、緊張が浮かんでいた。


「契約を断っても、私の気持ちを断っても、あなたの立場は何も変わりません。それを先にお伝えしておきます」


「はい」


「療養棟には、あなたの力が必要です。ですが私は、それとは別に、一人の女性としてあなたが好きです」


胸の奥が、温かくなる。


「仕事ができるから、ではありませんか?」


「あなたが仕事を辞めても、好きな気持ちは変わりません」


「侯爵家の娘だからでも?」


「身分が違っても、同じことを申し上げています」


「では、どうして?」


「赤い薔薇を見て嬉しそうに笑うところが好きです。疲れたとき、最近はきちんと疲れたと言ってくださるところも」


ジュリアン様は、少し照れたように笑った。


「間違いを見つければ遠慮なく指摘するところ。林檎の焼き菓子を食べるとき、端の香ばしいところを最後に残すところ。私の話を聞くだけでなく、ご自分のことも話してくださるところ」


彼が挙げたのは、侯爵家にとって役立つことではない。


私でなくてもできる仕事でもない。


私自身のことだった。


「すぐに結婚のお返事を求めるつもりはありません」


ジュリアン様が手を差し出す。


「まずは、私と正式にお付き合いいただけませんか?」


私はその手を見つめた。


誰かに必要とされなければ、自分には価値がないと思っていた。


けれど今は、自分の仕事も、居場所も、自分で選ぶことができる。


そのうえで、彼と一緒にいたい。


「私も、ジュリアン様が好きです」


差し出された手へ、自分の手を重ねる。


「必要だから、ではありません」


彼の指が、私の手を優しく包んだ。


「好きだから、これからも一緒にいたいです」

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