第8話 お二人の問題に、私を巻き込まないでください
「エマ様と結婚するつもりなら、私は何だったの?」
リリア様の問いに、セドリック様は答えられなかった。
重い沈黙が、東屋を満たす。
「リリア。君は大切な幼馴染だ」
ようやく出てきた答えは、先ほどと同じものだった。
「身体が弱く、放っておけない妹のような存在だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「妹のために、婚約者との結婚を二度も延期したの?」
「君の命が危ないと思ったからだ」
「でも、危ないなんて誰も言っていなかったでしょう!」
リリア様が声を荒らげる。
「私は、苦しい、怖い、そばにいてほしいと書いただけよ。勝手に私が死ぬと思い込んだのは、あなたではないの」
「訂正しなかっただろう!」
「あなたが来てくださったからよ!」
「俺がエマとの約束を破ったと知っていただろう!」
「それでも私を選んでくれたことが、嬉しかったの!」
リリア様は胸元を押さえ、大きく息を吸った。
「初めは本当に、ただ怖かっただけなの。熱が出て、息が苦しくて、このまま一人でいたくないと思った」
その言葉に、嘘はないのだろう。
病気のつらさは、他人が決められるものではない。
「セドリックが来て、ずっと手を握ってくれた。大丈夫だ、俺が守ると言ってくれた。それからも、私が苦しいと手紙を書けば、何を置いても来てくださったわ」
「幼馴染として当然のことをしただけだ」
「私は、当然だとは思わなかった!」
リリア様の頬を、涙が伝う。
「エマ様との約束より、私のほうが大事だから来てくれるのだと思った。婚礼まで延期したのよ。私を愛していない人が、そこまでするなんて思わないでしょう?」
セドリック様は何も言えない。
彼は、リリア様へ結婚を申し込んだことはない。
愛しているとも言っていないのかもしれない。
それでも、彼女が求めるたびに駆けつけ、婚約者より優先し続けた。
その行動が何を期待させるか、一度も考えなかったのだ。
「だから、わざと俺を呼び出したのか?」
セドリック様の声が低くなる。
「エマとの予定があると知っていながら」
リリア様の視線が揺れた。
「……最初からではないわ」
「最初からではない?」
「あなたがエマ様と結婚したら、私のところへ来なくなると思ったの」
彼女は手袋を握りしめた。
「お二人の婚礼が近づくほど、不安になった。具合が悪いときに一人になるのが怖かった。だから、少し熱が下がっても、すぐには知らせなかったこともあるわ」
「やはり俺を騙していたのか」
「病気だったことは嘘ではない!」
「だが、命が危ないと思わせた!」
「あなたが勝手に思ったのよ!」
「分かっていて利用しただろう!」
「あなたこそ、私に期待させたでしょう!」
二人の声が、互いを責めるように重なる。
リリア様は、病気ではなかったふりをしたわけではない。
けれど、セドリック様が最悪の事態を想像していると気づきながら、それを訂正しなかった。
セドリック様も、彼女の言葉を確かめなかった。
必要とされれば駆けつけ、守っている自分に満足していた。
「夜会の日も、そうだったのか?」
セドリック様が尋ねる。
リリア様の顔がこわばる。
「あの日、夕方には熱が下がっていたのか?」
「……ええ」
「なら、なぜ俺に知らせなかった?」
「知らせれば、あなたはエマ様のところへ戻ってしまうでしょう?」
セドリック様が息を呑んだ。
「婚礼衣装の確認があることも、知っていたのか」
「あなたが話していたから」
「そのうえで、夜会へ行きたいと言ったのか?」
「私が元気になったと分かれば、安心すると思ったのよ」
「三度も踊る必要があったのか!」
「だって、嬉しかったの!」
リリア様の涙が、次々に落ちる。
「皆の前であなたに選ばれたような気がして、嬉しかった。あなたが私を見てくださるなら、少しくらい無理をしてもかまわないと思ったの」
「そのせいで、俺はエマを失ったんだぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の中に残っていた最後の痛みが消えた。
セドリック様は今も、自分が選んだとは考えていない。
リリア様に呼ばれたから。
彼女が訂正しなかったから。
彼女が夜会へ行きたいと言ったから。
私を失ったのは、誰かのせいだと思っている。
「違います」
私は静かに口を挟んだ。
二人が同時に私を見る。
「私は、リリア様のせいであなたと別れたのではありません」
「だが、彼女が俺を騙さなければ――」
「危篤だと誤解した最初の一度だけなら、私は責めませんでした」
大切な幼馴染が死ぬかもしれないと思えば、駆けつけるのは当然だ。
「けれど、同じことが何度も起きました。そのたびに、あなたは事実を確かめず、私との約束なら破ってもよいと判断した」
「命に関わると思ったからだ」
「婚約を解消したあとも、目眩がしたリリア様のそばにいるため、伯爵家のお仕事を欠席なさったそうですね」
セドリック様の顔が強張る。
「それは……」
「もう、命の危険がないと知っていたはずです」
それでも彼は、父親との約束よりリリア様を選んだ。
誰かに強制されたわけではない。
「リリア様の言葉を利用して、ご自分の選択から目をそらさないでください」
次に、リリア様を見る。
「リリア様も、病気になったことは悪くありません。不安になり、誰かにそばにいてほしいと願うことも」
「それなら、どうして私を責めるの?」
「誤解していると知りながら、訂正しなかったからです」
彼女の唇が震えた。
「セドリック様が私との約束を破れば、自分が選ばれたと思えた。だから都合がよかったのでしょう?」
「私は、ただ……一人になるのが怖くて」
「その怖さを、私の人生を使って埋めないでください」
リリア様が目を伏せた。
六年間、私は彼女を責めることを避けてきた。
病人に厳しい言葉を向けてはいけない。
健康な私が我慢すればよい。
そう思い続けた。
けれど体調が悪いことと、他人の時間や将来を奪ってよいことは別だ。
「リリア」
セドリック様が、もう一度彼女へ向き直った。
「君を妻にすることはできない」
「なぜ?」
「俺が愛しているのはエマだからだ」
「エマ様は、あなたを選ばないと言っているでしょう!」
「だからといって、君と結婚する理由にはならない」
「では、これから私はどうすればいいの?」
リリア様の視線が、私へ向く。
「エマ様。私、どうすればよいのでしょう」
その問いを聞いた瞬間、六年間と同じことが始まろうとしていると分かった。
二人の間で問題が起きる。
セドリック様は、私に解決を求める。
リリア様も、私なら答えを用意してくれると思う。
「お二人でお考えください」
「そんな……」
「これは、お二人の問題です」
私は卓上の指輪を取り、セドリック様の手のひらへ戻した。
今度は彼の指を閉じさせ、二度と置いていけないようにする。
「私はもう、婚約者でも、付き添いでも、仲裁役でもございません」
「エマ、待ってくれ」
「お話は終わりました」
「俺は、君に戻ってきてほしくて――」
「戻りません」
「リリアをどうすればよいのか、俺には……」
「それを決めるのが、あなたの責任です」
彼が欲しかったのは、やはり私ではなかった。
自分の選択が招いた問題を、きれいに片づけてくれる人だった。
「今後、療養のことで分からないことがあれば、施療院の決まりに従ってご相談ください。私個人への依頼はお受けしません」
言うべきことは、すべて言った。
私は二人へ背を向ける。
「エマ様!」
リリア様に呼び止められても、振り返らなかった。
彼女の病気は、医師が診る。
セドリック様との関係は、二人で決める。
もう私が、自分の人生を差し出して支える必要はない。
施療院へ戻ると、受付の近くにジュリアン様がいた。
私を待っていたのだろう。
それでも、何があったのかとは尋ねなかった。
「お話は終わりましたか?」
「はい。今度こそ、すべて終わりました」
「そうですか」
「リリア様が、少し息苦しそうです。診察を希望されたら、お願いいたします」
「もちろんです」
それだけ答えると、ジュリアン様は私の顔を見つめた。
「大丈夫です、とおっしゃいますか?」
「いいえ」
私は正直に首を横に振った。
「少し、疲れました」
「では、今日はお帰りになりますか?」
「その前に、甘いものが欲しいです」
ジュリアン様が笑った。
「ちょうどよかった」
彼は受付の机に置いてあった箱を持ち上げた。
中には、林檎の焼き菓子が二つ並んでいる。
「新しい契約のお祝いに。お好きだと伺いましたから」
「覚えていてくださったのですか?」
「覚えてほしいと、あなたが話していたでしょう」
東屋での会話を、すべて聞いていたわけではない。
けれど戻ってきた彼へ、赤い薔薇と林檎の焼き菓子が好きだと、私は自分から話したのだ。
ジュリアン様は、その一度の会話を覚えていた。
「ありがとうございます」
二人で小さな休憩室へ入り、向かい合って焼き菓子を食べた。
林檎の甘酸っぱさが、疲れた身体へ染み込んでいく。
「エマ様」
食べ終えたころ、ジュリアン様が少し緊張した様子で口を開いた。
「一つ、お願いがあります」
「仕事のことでしょうか」
「いいえ。仕事とは関係のないことです」
彼は私の反応を確かめるように、言葉を選んだ。
「次のお休みに、私と出かけていただけませんか?」
命令でも、当然の予定でもない。
私が断ることもできる、問いかけだった。
「どちらへ?」
「あなたの好きな場所を、これから相談したいと思っています」
最初から行き先を決めず、私の望みを尋ねてくれる。
そのことが嬉しかった。
「では、赤い薔薇が咲いている場所へ行きたいです」
「探しておきます」
「いいえ。一緒に探しましょう」
ジュリアン様が、柔らかく笑う。
私も笑い返した。
「はい。喜んでご一緒します」
それは、誰かに決められた約束ではない。
私が自分で選んだ、初めての約束だった。




