表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の忘れ谷で壊れた古家を直したら、職人娘と精霊モグラの修繕工房になりました  作者: カイト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/28

【第4話】 床下の沈み

 こつ、こつ、こつ。


 火の消えかけたかまどの前で、レントは椀を置いた。


 音はまた同じ間隔で鳴った。床下を走り回る足音とは違う。かまどから少し離れた床の一角、その下から、固いものを短く叩くように響いている。


 レントは立ち上がったが、音のする場所へは近づかなかった。


 油灯を持ち、壁際を回る。床板の継ぎ目を目で追うと、問題の一角だけ、周囲よりわずかに低く見えた。影のせいとも考えられたが、板の上へ置かれた小さな木片が、中央へ向かって傾いている。


 綻び視を使う。


 床板の縁から、細い赤の線がいくつも伸びた。板そのものの腐食に加え、その下で荷重が一方へ引かれている。


 どこまで危険なのかは見えない。


 レントはすぐに視線を外した。


「今夜、確かめる場所じゃないな」


 床へ体重をかけず、手の届く範囲から椅子と薪籠を動かした。それから、床板を避けるように木片を四つ置き、縄を渡して目印にする。


 打音はもう一度鳴った。


 こつ、こつ、こつ。


 だが、位置は動かない。


 床下の何かがそこにいるのか、地面そのものが鳴っているのかは分からなかった。レントは無理に床板へ手を掛けず、寝室へ戻った。


 翌朝、煙突の粘土に新しいひびがないことを確かめた後、レントはミレナのもとへ向かった。


 灰樫の家へ戻ったミレナは、縄で囲った床を見て眉を寄せた。


「夜のうちに外さなかったんだね」


「音の場所までは絞れました。ただ、床の沈み方が気になります」


 レントは昨夜の打音と、綻び視で見えた力の偏りを説明した。


 ミレナは囲いの外側へ膝をつき、床板へ指先を当てる。板の端を軽く押し、返ってくる硬さを確かめた。それから釘の頭を一つずつ探し、細い道具で周囲の木屑を除く。


「板は傷んでる。でも、全部腐ってるわけじゃない」


「外せますか」


「力任せに剥がせば割れる。戻して使うなら、釘を浮かせて一枚ずつだね」


 ミレナは工具袋から細い楔と小槌を出したが、すぐには打ち込まなかった。


「先に、下がどう組まれてるか分かるものはないの?」


「オルドさんに記録を確認してきます」


「図面があるなら、そのほうが先」


 共同倉庫では、オルドが古い記録束を机へ広げていた。


 レントが灰樫の家の基礎について尋ねると、オルドはすぐに返事をせず、棚の下段から別の箱を引き出した。


「建てた頃の記録は、ほとんど残っていない」


 乾いた紙を慎重にめくり、古い日付と補修内容を拾っていく。


「屋根を一度葺き替えた。北側の壁も直している。だが、基礎へ手を入れた記録はここにはない」


「図面は?」


「失われたらしい。古い倉庫を整理したときには、すでになかった」


 オルドは紙束を閉じた。


「分かるのは、灰樫の家が何度か部分補修されていることだけだ。最初の石組みがどうなっているかまでは、勘定に入れられん」


「ありがとうございます、オルドさん」


「床を全部開けるつもりか」


「必要な範囲だけ確認します。危険なら、先に立ち入りを止めます」


「期待は仕事が済んでからだ。崩してから記録がないと言われても困る」


「床板は再利用できる形で外します」


「なら、結果を報告しろ。レント殿」


 灰樫の家へ戻ると、ミレナは昨夜の印から床板の向きを読み、外す順番を決めていた。


「図面は?」


「ありませんでした。建築時期と一部の補修歴だけです」


「じゃあ、見えるところから確かめるしかないね」


 ミレナは小槌を強く振らず、楔を釘の脇へ差し込んだ。小さく、一定の力で押し上げる。釘がわずかに浮くと、別の道具で頭を挟み、板を傷めないよう抜いた。


 音は前日の煙突作業よりずっと小さい。


 床下の小動物を驚かせないためではなく、傷んだ床組みへ余計な振動を伝えないためだった。


 一枚目の板が外れる。


 湿った土と古い木の匂いが、細い隙間から上がってきた。


 ミレナは板を壁際へ寝かせ、次の板へ移る。二枚目を外すと、床下の暗がりが広がった。


 レントは油灯を近づけた。


 光の先に、斜めへ傾いた床束が見えた。その下にある基礎石は、片側が土へ沈み込み、上面が水平を失っている。


 さらに、その近くで焦げ茶色の塊が身を低くしていた。


 丸い背。大きな前脚。琥珀色の鼻先。額には、小さな石のような模様が浮かんでいる。


 モグラに似た生き物は、灯りを向けられると毛を膨らませた。


 ミレナが目を細める。


「たぶん、地脈精霊モグラだ」


「知っているんですか」


「見たことはない。でも、額の模様と前脚の形がそうだと思う。地面の近くにいる精霊獣だよ」


「何をしているかまでは?」


「そこまでは分からない」


 地脈精霊モグラは二人を見比べ、床下の奥へ少し退いた。


 レントは灯りを下げた。床下へ手を入れず、生き物が奥へ戻れる空間を塞がない。


「追わないほうがいいですね」


「当然。今は床のほうが先」


 小さな精霊獣は崩れかけた土の近くまで下がると、前脚を持ち上げた。


 こつ、こつ、こつ。


 昨夜と同じ音が、基礎石の脇から響いた。


 レントは息を止めた。


 だが、それを合図だとは決めなかった。自分の巣を守るための行動かもしれない。固い石を確かめているだけかもしれない。


「音の位置は、あそこです」


「見れば分かる。でも近づかないで」


 レントは床の開口部から距離を取り、逃げ道を残したまま綻び視を使った。


 暗い床下へ、赤い線が浮かぶ。


 基礎石の下から土の中へ伸びる線は、途中でぼやけて消えた。地中の奥までは見通せない。


 はっきり見えたのは、沈んだ石の上へ乗る床束と、その周囲の床組みだった。


 重さが一か所へ集まり、横木がねじれている。今は持ちこたえているが、さらに沈めば隣の板まで引かれる。


「基礎石が沈んでいます。床束へ荷重が集中している」


「範囲は?」


「地中は分かりません。空洞が石の下だけなのか、もっと続いているのか見えないです」


「なら、石は動かせない」


 ミレナは床下の縁を見回し、開けた部分から手が届く場所へ短い角材を入れた。


 横木の真下へ差し込み、薄い木片を重ねて高さを調整する。叩き込まず、床の重さを少しずつ受けさせた。


「これは直すためじゃない。これ以上落ちないように支えるだけ」


「分かりました」


「床を全部開けたら、残った組みまで崩れるかもしれない。今日はここで止める」


 レントは昨夜の縄を広げ、沈下箇所の真上だけでなく、その周囲まで囲った。


 床板を戻せる部分は戻したが、危険な一角には乗れないよう、椅子と古材を置いて通路を狭める。寝室からかまどへ向かう壁際だけを残し、実際に歩いて床の揺れを確かめた。


「ここなら通れます」


「端へ寄りすぎないこと。荷物も置かないで」


「はい」


 生活できる場所は、また狭くなった。


 かまどの前へ向かうには壁沿いを歩かなければならない。床板を外した一角は暗く口を開け、その下では仮の支柱が横木を受けている。


 地脈精霊モグラの姿は、もう見えなかった。


 床下の奥から土が擦れる音がしたが、レントもミレナも追わなかった。


「地中の状態が分からないまま、石を持ち上げるのは危険ですね」


「下が空なら、支えを入れても沈む。土が緩んでるだけでも、詰め方を間違えれば横へ崩れる」


「人の目が届く範囲だけでは決められない」


「見つけただけじゃ直ったことにはならないよ」


 ミレナは外した床板を乾いた場所へ移し、工具を片づけた。


 レントは縄の位置と安全な通路をもう一度確かめる。


 床下の異常は残っている。基礎石も、地中の空洞も、まだ直せない。


 それでも、何も知らずに床へ乗り続けることはなくなった。


 崩れる前に危険を見つけ、近づかない形に整えた。


 灰樫の家の中には、使える場所と使えない場所の境が新しく引かれていた。


 その下の暗がりから、一度だけ小さな音がした。


 こつ、こつ、こつ。


 レントは足を止めたが、返事はしなかった。


 音の意味は、まだ分からない。


 ただ、その位置だけはもう見失わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ