【第25話】実りを置く場所
橋を渡る荷車の音が増えた翌朝、共同倉庫の前には穀物袋が二列に並んでいた。
昨日まで人の背で運ばれていた量が、今は一度の往復で届く。橋が使えるようになった成果は明らかだったが、倉庫の入口では、オルドが袋の底へ手を当てたまま険しい顔をしていた。
「レント、これを見ろ」
呼ばれて近づくと、床に接していた麻袋の一つが暗く変色していた。持ち上げた底面には湿りが広がり、縫い目の脇に白い斑点が浮いている。
セラが袋の口を緩め、内側の麦を少量すくった。表面は乾いて見えたが、底近くの粒は冷たく、いくつかが固まっている。
「ここはもう分けた方がいいね。上まで移る前なら、無事な分を残せるかもしれない」
オルドはすぐに振り返った。
「今日の搬入は止める。外にある袋は雨の当たらない壁際へ寄せろ。中の物は、傷んだ食料、無事な食料、薪、修繕資材に分ける。混ぜたまま動かすな」
住民たちが短く応じ、倉庫の中へ散った。
奥から古い木箱が運び出され、薪束が入口近くへ移される。穀物袋の陰からは、釘を入れた箱や短い板材、使いかけの縄まで出てきた。食料と燃料と修繕資材が、空いた場所へ順に押し込まれてきたらしい。
「運べるようになった分だけ、詰め込む速さも増えたな」
オルドの声に、喜びを消すような響きはなかった。ただ、増えたものを守れなければ勘定に入らないという顔だった。
セラは無事な袋を確かめながら、住民へ置き場所を指示した。
「麦と豆は床から離して。根菜は風が抜けすぎても乾くけど、濡れた板の上は駄目。塩漬けや乾燥した物は壺ごとにまとめる。毎日出す物を奥へ押し込んだら、取り出すたびに他を崩すことになるよ」
レントは記録板を開いた。
「長く置く物と、すぐ使う物を分ける必要がありますね。今ある量と、どのくらい保管する予定か教えてください」
オルドは袋と木箱を見渡し、種類ごとの数を答えた。冬まで残す穀物、順に交換所へ回す豆、日々の配分に使う保存食。薪は減り方が早く、修繕資材は使用頻度が低いものの、重い部材が多い。
聞き終えたレントは、倉庫の奥を見た。
「棚だけ増やしても、出し入れの順番が変わらなければ同じです。重い物を高く積むのも危ない。床と空気の流れ、それから使う頻度を一緒に見た方がいいと思います」
「倉庫一つに、随分と勘定が増えたな」
「置ければ終わりではありませんから」
オルドはわずかに口元を動かした。
「なら、まず状態を見ろ。建て替えの話を始める前にな」
「そのつもりです」
床が見え始めた区画から、レントは綻び視を使った。
淡い線が床板の表面に浮かび、その下へ続いていく。壁際では湿気を含んだ木目に線が密集し、一部は床束の沈みへつながっていた。別の区画では、屋根から壁を伝った水分が、板の継ぎ目に沿って下へ落ちている。
一区画を見終えるたびに視界を閉じ、痛みがないことを確かめる。
「次へ行けますか」
隣でミレナが訊く。
「はい。ただし、壁際まで見たら一度休みます」
「分かった。こっちは板を外しておく」
ミレナは住民二人へ木槌の位置を示し、湿った床板を順に持ち上げさせた。外した板を並べ、木肌を爪先で軽く押す。黒く柔らかくなった部分は脇へ避け、表面だけが湿った板は別に重ねた。
「これは使わない。ここまで入ってると、乾かしても床には戻せない」
「こっちは?」
「芯は残ってる。陰で乾かせば、棚板か床組みの補助には使える」
古板も同じように確かめ、使える長さを揃えていく。レントが壁際の確認を終えると、ミレナは床下へ視線を落とした。
「沈んでるのは全部じゃない。湿った側だけ床を少し上げれば、空気を通せそう」
「屋根からの水分も一部あります。上を直さないと壁際へ戻りますが、屋根全体を外す必要はなさそうです」
「継ぎ目と流れ道を止めて、下は床から離す。棚の高さも変えよう」
ミレナは記録板の空いた端へ簡単な線を引いた。
「食料は一番下でも床から離す。薪は風が抜ける側。重い資材は低く、よく使う小物は腰の高さ。長く置く物は奥でもいいけど、点検できる隙間は残す」
セラが図を覗き込む。
「毎日使う壺と袋は入口寄りがいいね。長く置く麦と豆は分けて、底を見られるようにしたい」
「棚の脚も床へ直接置かない方がいい」
レントが言うと、ミレナは頷いた。
「受け材を入れる。沈んだ場所を直してからだけど」
そのとき、倉庫の隅で小さな金属音がした。
ポルが釘箱の脇へ鼻先を寄せ、床に落ちていた薄い金属片を見つめている。前脚が一歩だけ近づいた。
「その獣を資材から離してくれ」
オルドの低い声が飛んだ。
ポルは毛をわずかに膨らませ、近くの木箱の陰へ下がった。
「ポル、こっちへ」
レントは追い立てず、床へ落ちていた金属片を先に拾った。釘箱の蓋を閉め、資材をポルの動線から離れた側へ移す。
「金属片は作業場所へまとめます。落ちたままだと、誰が踏んでも危険です」
「持っていかれれば数も合わなくなる」
「はい。だから、分けて管理します」
ポルが何を考えていたのか、レントは説明しなかった。オルドもそれ以上は言わず、釘箱の位置だけを確かめた。
整理が進むにつれ、倉庫の壁際まで床面が露出した。
ポルは木箱の陰から出ると、空いた場所を避けるように壁際へ進んだ。鼻を床板の隙間へ押し当て、しばらく動かない。
やがて、前脚で床を短く叩いた。
ぽふ、ぽふ。
少し離れた場所へ移り、もう一度叩く。
「何かあるみたいです」
レントはしゃがんだが、すぐに板へ手を掛けなかった。
ミレナが隣へ来て、床を踏まずに端から覗く。
「ここ、少し下がってる」
「綻び視で範囲を見ます」
レントは短く意識を集中させた。床束の一本へ線が集まり、その周囲の土へ広がっている。だが、線だけでは湿気の入り口までは断定できない。
「この床束の周りです。沈みはありますが、原因は開けて確かめます」
「外そう。二枚だけ」
ミレナが住民へ合図し、床板が慎重に持ち上げられた。
下の土は黒く湿り、床束の根元へ細かな土が寄っていた。触れると冷たく、空気も淀んでいる。ポルは穴へ入らず、縁から鼻を動かしていた。
「水が溜まってるわけじゃないね」
セラが覗き込む。
「でも、乾く道がない」
ミレナは床束を指で押し、傾きを確かめた。
「沈みは浅い。受けを直して、床を上げれば戻せる。全部を剥がす必要はない」
レントも頷いた。
「壁際の湿気と、この床束周辺を優先しましょう。屋根から伝う水分を止めて、下へ空気を通す。保管物は棚で床から離す」
「建て替えずに済むか」
オルドが訊く。
「現時点では必要ありません。ただ、塞がっている場所がないかは確認したいです」
「期待は仕事が済んでからだ」
「はい。今日は範囲を決めるところまでにします」
傷んだ食料は倉庫外の覆いの下へ分けられ、無事な袋は乾いた板の上へ仮置きされた。薪と資材も区画を分け、通路が一本通る。まだ仮の配置だったが、どこに何があり、何を先に動かすべきかは見えるようになっていた。
オルドは記録板を見ながら順番を読み上げた。
「傷んだ物の処理。搬入場所の変更。床束と湿った床の補修。壁際の水分を止める。その後に床上げと棚だな」
「換気も入れてください」
セラが言う。
「物を分けても、空気が動かなければまた同じになるよ」
「勘定に入れよう」
ミレナが床下を見た。
「通気を作れる位置が分かれば、棚の向きも決めやすい」
その言葉に反応したように、ポルが壁際のさらに低い場所へ移った。板の継ぎ目へ鼻を寄せ、今度は前脚で何度も同じ場所を叩く。
ぽふ、ぽふ、ぽふ。
レントは土を払った。板の下から、埋め戻されたような古い隙間が現れる。外側へ続いているようだったが、途中は土と薄板で塞がれていた。
「通気孔だった可能性があります」
「可能性、だな」
オルドが念を押す。
「はい。今日は開けません。外側も見て、崩れないことを確かめてからです」
ミレナは塞がれた部分へ印を付けた。
「次はここから。床束を直す前に、空気の出口を確かめる」
ポルは印の横へ鼻先を寄せたあと、得意げに胸を二度叩いた。
オルドはその様子を見たが、呼びかけることも褒めることもしなかった。ただ、資材箱を少し遠ざけてから、塞がれた壁際へ目を戻した。
倉庫の中にはまだ湿った木と穀物の匂いが残っていた。
それでも、傷みは分けられ、通路は開き、直す順番も決まった。
運べるようになった実りを、今度は失わずに置いておくための仕事が始まろうとしていた。




