【第26話】風の通り道
共同倉庫の壁際には、昨日ミレナが付けた印が残っていた。
レントたちは保管物を寄せた通路を通り、低い位置を囲むように膝をついた。外では住民二人が壁の反対側を確かめ、オルドが作業の順番を伝えている。
「一度に外すな。土が落ちるなら止めろ」
「まず板の端だけ見ます」
レントが答えると、ミレナは細いへらを継ぎ目へ差し込んだ。土を少しずつ掻き出し、脆くなった薄板を押さえながら留め具を緩める。
板の向こうから現れたのは、暗い空洞ではなかった。固まった泥と枯れ草、それに細く裂かれた草の茎が、隙間なく詰め込まれている。
「昔の開口部に、巣材が溜まったみたいですね」
「開いてた時期はあったらしいな」
ミレナは泥を指先で崩し、木枠の残りを確かめた。
「枠は腐りきってない。使えるかもしれない」
そのとき、少し離れた壁際で音がした。
ぽふ、ぽふ、ぽふ。
ポルが鼻先を板へ押し当て、同じ高さの別の場所を叩いている。さらに数歩進み、また床を叩いた。
「他にもありそうです」
レントは立ち上がったが、板へ手は掛けなかった。
「印だけ付けます。中を見ないうちは、同じものとは決めません」
ミレナが木炭で二か所へ印を入れた。
「こっちを先に開けて、風がどう動くか見よう」
住民たちは泥と巣材を手桶へ移した。奥へ進むほど土は湿り、最後に固まった草の塊が抜けると、細い風が床近くを撫でた。
倉庫の中に残っていた湿った木の匂いが、わずかに揺れる。
「通ったな」
オルドが壁際へ手をかざした。
「弱いですが、床下へ入っています」
レントは点検のために外してあった床板の隙間へ移り、綻び視を開いた。
淡い線が床束と根太に浮かぶ。湿りの強い側では木目に沿って線が重なり、開口部から入った風の先で、淀んでいた空気が細く動いていた。一方、沈みのある床束の近くでは、荷重の偏りを示す線が濃く集まっている。
長く見すぎないよう、一度視界を閉じる。
「風は湿った床束の周りまで届いています。ただ、真っすぐ抜ける道ではありません。途中で重い物を置いている区画に当たっています」
セラが仮置きされた穀物袋を見た。
「袋の位置も変えないと、乾き方に差が出そうだね」
「まず通気を戻して、そのあと保管場所を組み直しましょう」
別の塞がれた場所も、外側と内側から少しずつ確かめた。一つは同じような古い開口部だったが、床束の傷みが近い。もう一つは外側の土が崩れやすく、板を外せば周囲まで緩む恐れがあった。
オルドは三か所の印を見比べた。
「元が通気孔なら、全部使えるようにした方が早く乾くんじゃないか」
「夏だけならね」
ミレナは開いた穴の幅を測りながら答えた。
「冬に同じだけ風を入れたら、床が冷えすぎる。小さい獣も入りやすくなる」
「その獣より小さいのが、備蓄の下へ入るのは困るな」
ポルは自分を指されたとは分からない様子で、印の横を嗅いでいた。
レントは床束の位置を書き込んだ記録板を示した。
「湿気が集中している側は開けます。反対側は風が抜けすぎるので、今は閉じたままにします。弱い床束に近い場所も、先に補強です。全部を開けるより、必要な量だけ通した方が安全です」
「閉じたままなら、また詰まっているのを忘れないか」
「塞ぐ場所にも印を残します。点検できるよう、床側にも入口を作りたいです」
ミレナは記録板を見て、短く頷いた。
「格子戸と点検口。両方作ろう」
選別してあった古板が作業台代わりの木箱へ運ばれた。
ミレナは乾いた部分だけを切り出し、細い材へ揃えていく。枠の中へ木片を組み、指一本も通らない間隔を残しながら、風が塞がれない幅を探った。
「狭すぎると泥で詰まりやすい。広すぎると入り込まれる」
「掃除のときに外せる形がいいですね」
「釘で打ちつけない。横から木栓で止める」
仮に組んだ格子を開口部へ当てる。レントが内側へ手を入れると、風は通るが、枠の端で少し弱くなった。
「下側をわずかに広げてもよさそうです。泥が溜まったとき、見つけやすくなります」
「なら一本削る。固定位置はここでいい?」
レントは綻び視を短く使い、壁材へ負担が偏らない場所を確認した。
「上より左右で受けた方が安定します」
「分かった」
ミレナが材を削り直していると、足元で乾いた音がした。
外した留め具の金属片を、ポルが口にくわえている。
「その獣、それを置け」
オルドの低い声に、ポルは動きを止めた。毛を少し膨らませ、床下の穴際まで下がる。金属片は離さず、黒い鼻だけが忙しなく動いた。
オルドは追わなかった。
しばらくポルを見たあと、倉庫の外へ出ていき、戻ってきた手には平たい小石が一つあった。表面が水に磨かれ、灰色の中に白い筋が走っている。
オルドはそれを、ポルから二歩ほど離れた床へ置いた。
「そっちなら持っていけ。金属は置け」
ポルは穴際から出ず、小石とオルドを交互に見た。
やがて金属片を床へ落とし、素早く小石へ近づく。鼻先で一度転がしてから、口にくわえたまま木箱の陰へ退いた。
オルドは落ちた金属片を拾った。
「信用したわけじゃない」
「危険な物と分けられるなら、それで十分です」
レントが言うと、オルドは倉庫の隅を指した。
「資材と混ざらない場所に、小石を三つだけ置く。持ち去る物が増えるならやめる」
「試すなら、そのくらいでいい」
ミレナも作業の手を止めずに答えた。
ポルは木箱の陰から目だけを出し、小石を前脚の間へ抱えていた。
格子戸が仕上がると、開放する一か所へ取り付けられた。左右の木栓を抜けば外せるため、泥や巣材が溜まっても掃除できる。閉じたままにする開口部には補強材を当て、周囲の土が崩れないよう押さえた。
続いてミレナは、床板の一部へ切り込みを入れた。
「ここなら床束の真上を避けられる」
レントは線の集まりを確かめ、荷重が左右へ逃げる位置を選んだ。切り替えた板の裏へ受け材を付け、片側だけを少し持ち上げられる形にする。
住民の一人が指を掛けて持ち上げた。
「道具はいらないな」
「閉じたときに浮かないか、踏んで確かめてください」
板を戻し、端へ順に体重をかける。軋みはなく、周囲の床板とも高さが揃っていた。
点検口を開けると、床下の暗がりを弱い風が通り抜けていた。湿った床束の周囲で淀んでいた空気が動き、土の匂いが少し薄くなる。
セラは乾いた板へ移していた穀物袋を開き、底近くの麦を手に取った。
「昨日より冷たさが残ってない。まだ乾燥は続けるけど、空気は動き始めてるね」
「これで終わりではないな」
オルドは仮置きされた袋と薪、低く積まれた資材を見回した。
「重い物が片側へ寄ってる。取り出すたびに袋を動かす場所も残ったままだ」
「棚と区画を作る前に、荷重を分けます」
レントは記録板へ、点検口と格子戸の位置を書き加えた。
「食料と資材を混ぜず、床束の上だけに重さが集まらないようにする。通気を塞がない棚の向きも必要です」
「次に困らない形にするなら、まだ板が要るね」
ミレナは残った古板を数えた。
「使える分は足りない。棚全部は作れない」
「必要な高さと数を先に決めましょう。材料を増やす前に、減らせる無駄がないか見ます」
倉庫の低い壁際では、格子の向こうから細い風が入り続けていた。
全面を開けたわけではない。傷んだ場所を避け、入りすぎる冷気を抑え、後から掃除できる形にしただけだった。
それでも、閉じ込められていた湿気には、確かな逃げ道ができていた。




