【第14話】埋もれた入口
共同倉庫の奥には、湿気を吸って波打った記録紙が積まれていた。
オルドはその中から紐で綴じられた薄い束を抜き、作業台の上へ広げた。文字の消えた箇所や、端が欠けた頁が多い。レントは紙へ顔を近づけすぎないよう注意しながら、残っている線と記述を追った。
「井戸へ水を引く石組み。斜面の根元。大雨の後に土を除いた、とあります」
その先は染みで読めない。次の頁には、別の筆跡で短い注意書きが残っていた。
「入口付近を掘り崩しかけた。上の石が動き、作業を中断……」
「それで埋め戻したらしい」
オルドは指先で欠けた頁を押さえた。
「何年前かも、どこまで直したかも残っていない。記録した者が違えば、斜面の呼び方も変わる。これを見て場所が分かったつもりになるな」
「露出している石組みの周囲だけを確認します」
レントが答えると、オルドは頷いた。
「深く掘らない。石を抜かない。雑木を払うにしても、根を引き抜くな。入口らしきものが見つかっても、その場で通そうとするな」
「分かりました」
ミレナは記録の端に描かれた粗い線を見ていた。
「斜面の上から真っ直ぐ来てるわけじゃないね。水を逃がすためか、途中で少し曲げてある」
「今の地形と同じとは限らん」
「だから現地で見るよ、オルドさん」
短いやり取りの後、三人は倉庫を出た。
共同井戸では、決められた順に住民が桶を下ろしていた。朝の列はまだ長いが、誰が何桶汲むかは先に伝えられ、前日のような戸惑いは少ない。
セラは桶の数を書き留めながら、オルドへ声をかけた。
「作業日が決まるなら、井戸を使う人と運ぶ人を分けたいね。土仕事の途中で飲み水まで足りなくなったら困る」
「食事も必要になります」
レントが言うと、セラは頷いた。
「水を汲む時間と重ならないように用意するよ。人数が決まったら教えて」
現地へ着くと、前日に露出させた平たい石は、湿った土の中から角だけを見せていた。周囲へ残した目印も崩れていない。
レントは古い記録の図と斜面を見比べた。
記録にある大きな岩は見当たらない。だが、斜面の途中には土に半ば埋もれた石があり、その下から雑木がまとまって生えている。木々の間だけ地面の傾きが不自然に緩く、落ち葉の溜まり方も周囲と違っていた。
「石の並びは、あの根元へ向かっています」
レントは露出した石から一定の間隔を空けて立ち、地面を指した。
「真っ直ぐではありません。少し斜面側へ曲がっているように見えます」
ミレナがしゃがみ、落ち葉を手で払った。
「ここの土だけ重い。雨の湿りなら、もっと下へ広がるはずだけど」
靴先で押すと、表面が鈍く沈んだ。近くの土は乾いているのに、雑木の根元へ向かう一帯だけ黒みが強い。
ポルは少し離れた場所で鼻先を忙しなく動かしていた。やがて石組みの脇へ回り込み、地面へ鼻を押し当てる。
ぽふっ。
前脚で一度叩き、場所を変える。二度目は音が軽く、三度目は低くこもった。
ポルはその周囲を半円に歩き、湿った斜面側で止まった。額の石模様を土へ近づけ、雑木の根の間へ鼻先を差し込む。
「空いている場所があるのかもしれません」
レントは距離を保ったまま様子を見た。
ポルは根の下にある暗い隙間へ前脚をかけた。体を細めるようにして、さらに奥へ入ろうとする。
「戻れ」
レントが短く声をかけた。
ポルは動きを止めた。振り返りはせず、しばらく鼻を鳴らしている。やがて前脚を引き、後ろ向きに隙間から離れた。
そのままレントの足元へ来ることはなく、少し離れた石の上で土を払う。
「今の場所を見ます。ただし、反応だけで空洞だとは決めません」
「分かってるならいい」
ミレナは手道具を取り出した。
許可されたのは表土までだった。細い枝を根元から切り、絡んだ蔓を外し、落ち葉を掻き寄せる。太い根には触れず、その周囲の柔らかな土だけを少しずつ除いた。
やがて土の下から、平たい石の縁が現れた。
前日に見つけた石と似た組み方だった。左右に積まれた石の上へ、蓋のように大きな石が載っている。中央には人の肩幅より狭い暗がりがあったが、その大半は泥と落ち葉で塞がれていた。
「入口だね」
ミレナが低く言った。
内部には細い根が垂れ、濡れた葉が幾重にも詰まっている。手前には小さな石が崩れ落ち、その隙間から泥が押し出されていた。奥からは冷たい湿りが続いているものの、水音は聞こえない。
レントは入口へ近づきすぎず、綻び視を使った。
石の輪郭に沿って、傷みの線が浮かぶ。
上部の石は片側の支えを失い、わずかに傾いていた。側壁の一部は雑木の根に押され、石同士の噛み合わせが浅くなっている。泥を先に抜けば、荷重を受けている小石まで外れ、上から連続して崩れる可能性があった。
さらに奥を見ようとすると、目の奥に鈍い痛みが走る。
レントは視線を外した。
「ここから泥を掻き出すのは危険です」
オルドが入口を見たまま問う。
「水が通る程度に少し除くのもか」
「上の石が片側だけで支えられています。手前の泥と小石も、今は支えの一部です。一気に抜けば、入口ごと崩れるかもしれません」
レントは地面へ簡単な線を描いた。
「先に上部と側面を外から支えます。土を運ぶ方向も決めて、入口の前へ溜めないようにします。中へ人は入れません。外側から少しずつ除き、石が動く、濁った水が急に出る、斜面に亀裂が出る。そのどれかがあれば中止します」
「泥を取れば済む仕事じゃないってことだね」
ミレナは入口の幅と斜面の高さを測った。
「仮の木枠を組む。上の石を持ち上げるんじゃなく、落ちる方向を押さえる形にした方がいい。左右にも短い支えが要る」
彼女は斜面の横へ移り、足元を確かめる。
「ここは土を運ぶ人が滑る。板を二列置いて、片方を上り、片方を下りに分ける。泥は小さな容器へ入れて手渡し。重くしすぎると足を取られる」
「排土は、斜面の下へ流れない場所にします」
レントが周囲を見ると、少し離れた平坦な地面があった。
「井戸側へ泥水が回らないよう、縁を作る必要があります」
オルドは二人の示した範囲を見回した。
「入口を扱う者は多くても三人だ。人数を増やせば安全になる仕事ではない。運ぶ者は斜面の下で受け取り、井戸の順番を見る者は作業へ入れない」
「飲み水と食事は私がまとめるよ」
井戸から様子を見に来たセラが、空の桶を地面へ置いた。
「作業する人が途中で井戸へ並ばなくていいようにする。洗う水は別に取っておくけど、泥だらけの道具を井戸のそばへ持っていかないでおくれ」
「それも記録に入れます」
レントは紙を広げた。
仮設の木枠に使う材。斜面へ敷く板。支え材。縄。泥を入れる小さな容器。枝を払う手道具。石を直接引き抜かないこと。排土場所。作業者の位置。中止条件。
ガルドへ預けた鋸と鑿は数に入れず、今使える道具だけを書き出した。
住民たちも順に現地へ来て、持ち寄れる物を申し出た。古い板を出せる者、縄を貸せる者、泥を運ぶ容器を用意できる者。オルドは一つずつ聞き、必要以上の人数が入口へ集まらないよう役割を分けた。
「期待は仕事が済んでからだ」
最後まで記録を確認したオルドが言った。
「だが、何をするか分からないまま掘るよりはましだ。二日後の朝に始める。井戸の利用は続ける。入口から先へ進むかどうかは、その日の状態を見て私が決める」
「分かりました」
レントは完成した手順を閉じた。
石組みの入口は見つかった。
けれど、奥がどこまで塞がれているのか、水がどれほど残っているのか、崩れた箇所が一つなのかも分からない。今見えているのは、直す場所ではなく、安全に手を入れるための最初の境目だった。
ポルは入口から離れた石の上で丸くなり、鼻先についた泥を前脚で拭っていた。
斜面の下では、住民たちが持ち寄る道具と役割を確認している。セラは食事に必要な量を数え、オルドは作業へ入る者の名を紙へ並べていた。
水はまだ戻っていない。
それでも、土の下に隠れていた入口の前には、掘るためではなく、崩さず直すための準備が整い始めていた。




