第四話 対価
「待って! 何を考えてるの、葵ちゃん!」
私を引っ張っている琴音の声がする。
彼女の手はかすかに震えていた……まだ北里くんに対し、嫌悪感、というか恐怖を覚えている事がそれだけで分かった。
そして、その彼女に引っ張られる私も。
北里くんに対する恐怖を、まだ持っている。
先生は良い子だと言ってたけれど。
私自身は、ナンパから助けられた時と教室で挨拶したとき以外はちゃんと話した事がない……まだ判断しようがない段階だから。
もしかして、彼もまた琴音と同じように……自分の見た目のせいでいろいろ苦労をしてきた人じゃないかとは思うけれど、本当にそうかどうかは、彼自身どころか彼の知り合いからも直接聞いていないから、判断のしようがない。
だけど彼は、少なくとも私達にナンパとかしてこなかったし。
それになにより、彼の存在が琴音の今の状況を、その放たれる威圧感により少しは良い方向へと変えられるかもしれない、と思うと…………いてもたってもいられなかった。
「まずは話をしてみる」
琴音の質問に、私は答える。
そして足は、琴音が引っ張るせいで少し遅くなったものの、目的地――荒木先生から聞いた、現在北里くんがなぜかいるらしい図書室に向かいながら。
「それで彼が、話が通じないDQNとかだったらもう関わらない。これから先も、私が琴音を守る」
歩く中で、そう宣言したせいか。
脳裏に、かつて起こった事件の事が甦る。
琴音が、絶世の美女としか表現できない存在であるせいで……ほとんどの男ホイホイと言い換えてもいい存在であるから、どこぞのヘンタイ野郎までも引き寄せるはめになって。私が、防犯ブザーを鳴らして大絶叫し琴音を連れ去ろうとしたヘンタイ野郎の頭に噛みつき髪の毛を何本か両手で引っこ抜いてやって、どうにかヘンタイ野郎の逮捕に繋げ、結果的に琴音を守りきった事件を。
あの時は、本当に怖かった。
でも琴音が……ただ他の人よりキレイなだけで、心の中では普通の女の子として生活したいと本気で望んでいる彼女が、その普通からかけ離れた、とても理不尽な目にあって、それで二度と社会に出られなくなったりしたらと思ったら……とても怖かったから。
琴音が襲われそうになった時、考えるよりも先に動いてた。
もしかすると、私がそんな目にあってしまうかもしれないのに。
そしてそれから、私は。
何度も…………琴音目当てで近寄ってくるいろんな相手から琴音を守り続けて。
そして、今の私に繋がってる。
おかげで私に琴音以外の親友は…………いないけど。
でもそんな親友を。
私は……何をしてでも守り抜きたくて。
その親友が、後ろから私にいろいろ言っているけど……私は「怖いなら、入口で待ってて」と告げて、ついにたどり着いた図書室のドアを開けた。
琴音がビクッと、体を震わせると同時に。
私の目に、図書室のイスに座り本を読んでいる北里くんが映った。
ただでさえコワモテな巨人、といった見た目なのに、とても真剣な表情で。
それこそ、眉間にしわを作って、いつもより目つきが鋭くなるほど真剣に読書をしていて。
そして、なんというか……そんな彼の集中力が、凄まじいプレッシャーが彼から放たれる原因となっていて。
勤勉な生徒が静かに勉強しているのとは違う感じで、近寄りがたかった。
けど、次の瞬間。
北里くんが私達の存在に気づいたのか。
見る者を確実に……少なくとも硬直させるほど恐ろしいその真剣な顔を、図書室の出入口へと向けた時、彼の顔が少しばかりゆるんだ。
教室で声をかけた時の、あの顔。
鳩が豆鉄砲を食ったような印象を受ける……かすかに表情筋が動く事でなった、面白みのある、あの顔だった。
「…………後藤と、尾上だったか」
その表情のままで、太く、低い声が放たれた。
北里くんは自覚してるかどうか、分からないけど…………聞いている者に、これでもかとプレッシャーを与えるあの声だ。
おかげで私は、足がすくんだ。
と同時に、なぜか琴音の手が私から離れたのを感じた。
いったい何が、と思い後ろを振り返ると……彼女はなんと、足がすくんだどころか力が抜けたのか、その場に座り込んでしまっていた。
私以上……というか私の想像以上に怖がってる。
でもだからって、私はここで止まるワケにはいかない。
中学生だった頃はともかく。
男子との体力の差がさらに開いてきた今の私じゃ、いつか、琴音を守りきれなくなんじゃないかと思えて…………とても不安だからッ!
「北里くん、どうか私の話を聞いてくださいッ!!」
心臓の鼓動が、より速くなり。
血が逆流したかのような気持ち悪さを覚え。
少しずつだけど、冷や汗が体中から出てくるのを感じる。
でも私は意を決し、頭を下げた。
恥とかプライドとか、考えなかった。
もしダメだったら私が守ると、琴音に言ったけれど。
それでも、守りきれなかった場合を考えると……とても怖くて。それで、もしも私に払える対価で琴音の安全が保障されるのなら。そして、その安全を保障できる相手が北里くんだけならば。
私は何を犠牲にしてでも、琴音を守る事を選ぶッ!
「…………それはいいが、ここは図書室だ」
すると北里くんは……なぜか視線を明後日の方向へ向け。
頭をポリポリと書きながら、私に、太く、低い声で言った。
「俺の貸し切り……借り切り? そんな状態だが、それでも大声は遠慮してくれ。先生が戻ってきたら怒られる」
その内容は、私の予想とは異なるもので。
いやそれどころか、私がどれだけ、後先を考えずに恥ずかしい事をしたかを自覚させる言葉で。
またしても、私の顔に熱が集まった。
かんだ時とはまた違う恥ずかしさが私を支配する。
でも、北里くんが言う事は正しいので。
私は熱くなった顔を上げて、改めて琴音を引っ張り……完全に脱力してしまっていて、動かせなかったので私だけ、大テーブルをはさんだ、北里くんの正面のイスに座った。
体が、北里くんへの恐怖のあまり強張ってて、進むのに苦労した。
そしてその最中に、琴音の方を見たら……もう今にも貧血で倒れそうなくらい顔を青くしていた。
それを見ただけで、私を心配しているのは伝わってくるけど。
北里くんに協力をあおぐ、以外の選択肢は、今のところないから…………私は、改めて北里くんと向き合う事を選択した。
「それで、話って?」
北里くんは、そんな私と視線を合わせ、訊いてきた。
すると私の中で……嫌悪感こそ感じないけれど、北里くんの顔……いやそれだけじゃなく全身から放たれる威圧感のせいによる恐怖が膨れ上がった。
思わず、話を持ちかけた側なのに目を逸らし……北里くんが読むのを中断した本のタイトルが目に映った。
英字のタイトルだった。
すぐに翻訳できないような文字の羅列だった。
私の中で、混乱が起きた。
怖そうな本じゃないのが分かって安心したけれど、それはそれで北里くんはなぜ図書室で……おそらく海外の原語版の本を読んでいるんだろう????
「とりあえず言ってみろ。じゃなきゃ判断できん」
だけど、その混乱は……北里くんの太く、低い声のおかげで収まった。
とても怖く、そして現実から目を背ける事を許さない……そんな圧が込められている気がするけれど。同時にそれは、心強い言葉でもあって。なんだか頼もしさも感じられたから。
「…………あのね、」
そして私は、北里くんに琴音の事情を、そしてこれまで私がしてきた事を簡単に説明した。先生の言う通り、北里くんが良い子ならいいんだけど、もしもそうじゃなかったら、と想定し、余計な事――弱みになるような情報まで話してしまわないよう気をつけて、可能な限り簡単に。
箇条書きにすると、
・琴音は女学生として普通に生活したい事
・だけど見た目のせいでいろんな男がナンパなりなんなりしてきて困っている事
・今まで私が、琴音の見た目を変えたり守ったりしてきたけれど、限界が近いかもしれない事
・先生が推薦してくれた北里くんが琴音の護衛に協力してくれたら頼もしい事
といった感じだ。
そして、説明を終えるなり。
私は……怖かったけど、それでも頑張って北里くんの目だけを見た。
彼がどんな返答をするかは分からないけれど。
それでも、せめて私がどれだけ本気なのかを知ってほしいから。
「…………朝のはそういう事か」
私の心臓の鼓動がうるさかったけど。
血が逆流してるかのような、気持ちの悪い感覚のせいで、最後まで集中できたか分からなかったけれど……その言葉がまず、耳に届いた。
「今まで大変だったな」
そして、次のその言葉を聞いた時だった。
急に目頭の辺りが、熱くなり始めてきた。
同時に、なんか心臓の鼓動が変な感じになった。
でも、気持ち悪さとかは感じない。
むしろ……今まで敵視していたハズの男の一人にこうして労われて。心地良さのようなモノが胸の中に広がったような気さえする。
「だけど、そう簡単に『協力する』とは言えないな」
でもそれは、その言葉を言われる前までの事だった。
聞いた途端に、私の中の北里くんの印象がガラガラと崩れる。
なんの対価もなしに、私達をナンパ野郎共から助けたのはなんだったのか。
まさかそれも、私達とお近づきになるためのなんらかの、他の男も考えうる策略だったのか……そう思えて。北里くんに対して軽蔑の念を抱き始めて、
「間違っていたらすまないが、聞いた限りじゃ、相手はナンパ野郎だけじゃないんじゃないか? ほとんどの男に対して尾上の魅力が通用するなら、その中には尾行だけじゃ済ませない……あまりにも危険なストーカーになりうる男もいるだろう。そこまでいくと、むしろ警察の出番だ」
だけど、次の言葉で私の中の印象がさらに崩壊した。
北里くんはなんと、私の簡単な説明だけで、私が……引き受けてくれなくなるのではないかと思い、あえて言わなかった事実…………北里くんには言うべきだった事実まで暴いてみせた。
同時に、私は思い知らされる。
私は琴音の身の安全の事ばかり考え、私達の事情に巻き込もうとしていた人の事をまったく考えていなかった…………私が、薄情な女だったという、嫌な事実を。
そして、北里くんがどれだけ正しい事を言っていたのかを。
彼は自分が、琴音を狙うストーカーと対峙するかもしれないリスクも考えて……私のお願いに否定的な返事をしたんだ。
人として、どこまでも当たり前な判断だ。
誰だって、死の危険があるような依頼なんて……相応の対価がない限り受けようとは思わないんだから。
「…………………………何が欲しい?」
でも私は、ここで止まれなかった。
琴音の身の安全がかかっているんだから。
それに、深く考えずに……北里くんを危険な事に巻き込もうとした事に、負い目を感じているから。
「北里くんが協力してくれるなら、そのために対価が必要なら、そしてそれが私に払えるモノなら……それを払いたい。だから……なんでもいいから言ってほしい」
「葵ちゃんッ!!」
出入口の方から琴音の声がする。
でも、私の考えは変わらなかった。
絶対、琴音を傷つける事になるだろう。
それは分かってるけど、でも……冷静に考えたりしたところで、北里くんに頼る以外の方法が、まったく思いつかないから。
だから私は……私に払える対価で。
それで琴音が、無事で済むのならばなんでも……それこそ、私が犠牲になるような対価であろうと払いたいと思って、
「なんでも、なんて……自分を安っぽく見せるような事を言うんじゃない」
だけど返ってきたのは。
私の決意を揺るがすような……ううん、なんかちょっと違う。むしろ、私の事を心配しているかのような。そんな……穏やかな印象を受ける声色になった、太く、低い声だった。
「でも、そうだな……二人にはこっちの死活問題の解決に協力してもらおうかな」




