第三話 提案
「東総門中学から来ました、北里隆史です。趣味は読書、それから――」
教室中に、太く、低い声が響き渡る。
教室が、まるで誰もいない放課後であるかのように静まり返ってるため……これでもかと、鮮明に。
私と琴音を、ナンパ野郎共から助けてくれたコワモテな巨人――北里隆史という名前の男子生徒の、自己紹介である。
現在、私達のクラスでは、私と琴音を一緒のクラスにしてくれた恩人である担任と副担任の司会のもと、教師と生徒の、軽い自己紹介が行われていた。
ちなみに、あまり時間はかけられない。
それなりに時間は確保されているらしいけど、それでも入学式――今日のメインイベントがこの後に待っているから。
油断して時間をとりすぎて、並ぶべき場所に並ぶのに遅れ、式が始まるのが遅くなるのはさすがにいろいろとまずいからだ。
まあそれはそれとして。
北里くんの自己紹介中、誰もが口をはさまなかった。
みんなが人の話を聞く良い子ちゃんというワケじゃなくて…………下手に無駄口を叩いたら、北里くんに何をされるかまったく分からないから。ほとんどの人が、北里くんを怖がっているからだ。
ちなみに、そういう私もそうだ。
さっき……二メートルほど離れて挨拶しただけなのに、今もドキドキが……恋愛のそれじゃなくて、恐怖のせいによるドキドキがなかなか止まらない。
おそらく琴音……だけじゃなく、他の生徒も同じ状態なんだろう。
ていうか、一応北里くんの席――後ろの生徒が見えないといけないからと、背の順で配置されてる席の、窓際の一番後ろの方を見てみると……彼の周囲の生徒が彼にビビっているんだろう。顔を伏せ、委縮していた。
高校進学による緊張じゃなければ、だけど。
「はい、それじゃ次の人!」
いつの間にやら、北里くんの自己紹介が終わってた。
彼にビビっていたせい、そして同じくビビっていた生徒を見ていたせいで、よく聞いていなかった。
将来の夢とかも言ってた気がするけど……まぁ知らなきゃいけないような時は、また直接訊きに行けばいいか。
まだ怖いけど。
面白みもまたあるけど。
※
「葵ちゃん、私ね」
それから、時は経って。
入学式などが無事に……主に北里くんの影響でほとんど静寂に包まれた中で終了して、そして教室から私と琴音以外誰もいなくなった後の事。
これから琴音と帰ってから、改めてこの高校の周辺を散策しに来るべきかどうか考えながら帰り支度をしていた時、その琴音が話しかけてきた。
なんだかいつもの、周囲を警戒するような……琴音自身は自覚していないだろうけど、私が地味な感じに変えた彼女の、隠しきれない魅力を引き出してしまう、小動物のような印象を受けるしぐさ――おそらく無意識下で、時おり周囲をオドオドと見回すそれがあまり見られない。
「今日学校にいても、男子の誰にもナンパされなかったし、嫉妬しての悪口も女子の誰にも言われなかったよッ」
…………………………はっ!? え、ちょっと待って琴音!?
「え、それホント!? …………なんかそんな気もしてきたかも」
「そうなの! すごくない葵ちゃん!? 私こんなこと初めてッ!」
琴音は、周囲に生徒がいないからと。
その場で跳びはねそうなくらい声とテンションを高くした。
ていうか私のテンションもこれでもかと上がる。
今まで私達……というか琴音を悩ませた、琴音が絶世の美女としか表現できない見た目ゆえの、男からのナンパや、同性からの嫉妬の視線や誹謗中傷てんこ盛りな陰口が、校内でなかったなんて!
なんというか、この高校に合格した時よりも嬉しい!
この高校には申し訳ないけど、とにかく合格した時より嬉しい!
同時に、なんで……なんてふと思ったけど。
私は、そして琴音も……ていうか琴音は私と違って中心人物だから、私より前に察しがついているかもしれないけど、とにかく私はすぐに察しがついた。
「これって、北里くんのおかげかな!?」
「絶対そう……ていうか担任の、荒木先生だったっけ? もしかして、あの先生の言ってたのって、これじゃない!?」
琴音の疑問に、私はそう答え……改めて思い返す。
私と琴音、そしておば様が、担任の荒木先生と副担任の石杜先生と一緒に、入学前にまさかの五者面談をした際、荒木先生が「任せといて」と言っていたのを。
「…………えっ!? そういう事!?」
「絶対そうだよ、状況からして! だからさ琴音、今から先生に改めてお礼を言いに行かない!?」
「…………えっ?」
さっきとは違う「え」だった。
いや気持ちは分からないでもない。
だけどここで改めてお礼を言わないのは、人間としてどうかと思うから。
そして琴音には……誰かの自分への親切に対して、お礼を言えない人間になってほしくないから。
「あの先生はさ、琴音の魅力にあてられなかった数少ない人の一人だよ? そんでこれからも関わっていくんだから、今の内にそれなりに良好な関係を構築しなきゃいけないと思うんだ」
今は大丈夫でも、これからはどうなるか分からない。
もしも私が、なんらかの事情で琴音のそばにいられなくなったら……誰が琴音をナンパ野郎共や同性の嫉妬ゆえの陰湿な言動から守ってくれるというのだ。
だから、今の内に先生との関係は良好でなきゃいけないと思う。
先生だから、生徒は平等に見なければいけない義務や責任があるとは思うけど、琴音の場合はどっちかというとレアケースなんだから……さすがに琴音への肩入れは世間的に許されるんじゃないかと、個人的に思いつつ。
「…………分かった」
そしてそれを、琴音は理解してくれて。
私達は、周りに人はいないけれど、それでも周囲を警戒し……静かにその場から職員室へと移動した。
※
荒木先生は、琴音の魅力にあてられなかった数少ない人で。
しかも、琴音の事情を聞いてから、なぜ自分はあてられなかったのか、私達にも分からなかったその答えに気づいたっぽい人だった。
まあ、その答えは教えてくれなかったけどねッ。
ちなみに本人は「まだ確定していない情報をいま開示するのは先生としてどうかと思うから」と言い訳していたけれど……実際に琴音の魅力にあてられない条件が分かったかどうかは今も謎だ。
そんな先生に会いに、私達は職員室に赴いた。
するとその瞬間、周囲の空気が……またしても変わったのを感じた。
先生達のほとんど、そして私達と同じく先生に用事がある生徒の視線が、こちらに集中する。正確には、私の隣にいる琴音の方へと。
荒木先生以外のほとんどの人が、琴音の魅力にあてられていた。
私が今まで、いろんな資料をもとに研究した、琴音が地味な感じに見える容姿をもってしても隠しきれない、その魅力にあてられたのだ。
琴音の体が再び、硬直する。
いろんな男の視線にさらされたせいで。
私は、またちょっと後悔したけれど。
でもいつか、琴音が自力で乗り越えなきゃいけない事だと思うから……罪悪感を覚えつつも、どうにか私は琴音の手を握ろうとして、
「ん? ああ、そろそろ来ると思ってたよ」
その時だった。
職員室の雰囲気から私達の存在を察してくれたのか、職員室の隅の方の席にいる荒木先生が手を振り、続けて手招きをした。
「どう? 北里くん効果は」
そして私達が近寄るや否や、先生はカラカラと笑いながら訊いてきた。
ていうかその言い方からして……先生は北里くんの事をちゃんと知った上で同じクラスにしてくれたの!? というか私達の用件を察して!?
「えっ!? やっぱり狙って同じクラスにしたんですか!?」
「そうそう。じつは最初、北里くんの事を知ってね」
私の質問に、先生は急に真顔になって答えた。
なんかそんな顔を急にされると、私が今までの流れを断ち切ったような、空気を読まなかったみたいに感じるからやめてほしいけど、先生は続ける。
「彼は彼で……まあ苦労したみたいなんだよね。でもって俺はそんな彼を応援してあげたいと思ってね。ウチを受験すると知って、受かった場合は受け持とうと最初から決めていたんだ。そして、尾上くんの事をみんなとの面談で知った時…………運命を感じたよッ」
先生はまたカラカラと笑った。
なんというか、忙しい先生だなと思った。
「俺を始めとする先生はともかく他の人は、そう簡単に抗えないと思うけど」
先生はチラッと琴音を……話を理解しようとしながらも、周囲の視線に嫌悪感や恐怖を覚える彼女を見てから、話を再開した。
「尾上くん以上に周囲に影響を与える子が近くにいれば、たとえ尾上くんの影響が出ていたとしても、それなりに抑止力になるじゃないかってッ」
一応、先生達は琴音の事情を共有しているだろうけど。
それでも先生は、琴音の事を思ってか、可能な限り声を抑えつつそう言った。
面談の時は、正直敵になるか味方になるか分からなかったけど……なんとなく、良い先生じゃないかと私は感じた。
「でね、ここからが本題なんだけど」
そしてまた、先生は真顔になった。
忙しくしすぎて、顔が疲れないのかな?
「先生は先生で……尾上くんの事は、できる範囲で守ろうとは思うけど、それでも守りきれるワケじゃない。校内を例に出すと、先生の目をかいくぐるような生徒もいるからね。だから確実に尾上くんを守りたいなら、先生だけじゃなくより間近で尾上くんを守れる存在もまた必要だと思うんだ」
「…………もしかして、北里くん?」
琴音が、おずおずと先生に訊ねた。
そして私は、琴音より数瞬遅れてその事に思い至った。
「えっ!? もしかして……北里くんを味方に引き入れろと?」
「あくまで保険だよ」
真顔のままで先生は言った。
「でも、引き入れておいた方がお得だと、俺は個人的に思うよ。これから先、何があるか分からない君たち二人のためにも」
悪徳な保険のセールスマンのように思えなくもない提案!
でも、その提案には一理あって。
私は改めて、そうした場合の事を考えた。
まだ私と琴音は、北里くんの事を何も知らない。
ここまで北里くんを推すんだから、近い内、先生から北里くんの事をある程度、といってもプライバシーの侵害にならない程度の情報だろうけど、それを教わると思う。だけどそれでも、コワモテな巨人としか表現できない見た目だから、琴音の護衛を頼むのは正直勇気がいるし琴音が北里くんの放つ圧力で倒れないか不安だ。
私と琴音を助けてくれた事から、親切な事は分かっているけど。
それでも琴音の精神的な健康を思うと、私としては了承できなかった。
嫌いで、しかも場合によっては恐怖の対象にもなるナンパ野郎に、ナンパされるよりかはマシと、琴音は思うかもしれないけど。その一方で、北里くんの放つ圧力のせいで倒れたら元も子もない。
「…………琴音、どうする?」
「……………………やっぱり、怖い」
「…………そっか。分かった」
琴音は体を震わせていた。
やっぱり、北里くんに琴音の護衛を頼むのは……私と同じで怖いのだ。
「先生、北里くんは不良とかじゃないんですよね?」
だけど私は……それでも琴音を守りきる事を諦められない。
彼への恐怖は確かにあるけど……それでも、守れなかったせいで琴音が変な事件に巻き込まれたりするのはもう嫌で、とても怖いから。
琴音だけじゃなく、先生の視線も刺さるけど。
それでも私は、琴音をこれからも守るために続けて訊ねた。
「下手に関わって何かされるとかはないですよね?」
「あ、葵ちゃんっ!?」
「ああ。彼は良い子だ。というか自己紹介で分からなかったか?」
琴音が驚く一方で。
先生は真顔で質問に質問を返した。
「なら、彼と…………話してみましゅッ」
またかんだ。
北里くんに話しかける……それを想像するだけで、私と琴音をナンパから助けてくれた時に感じた、彼の圧力を思い出すからだ。
ていうか、教室に来た時はお礼をちゃんと言えたのに……あの時はまさか、彼の表情の面白みを知れたがゆえの奇跡だったのか?
とにかく、かんだせいでまた顔に熱が集まる。
でも先生は、それを気にせず「そうか。そうしてくれると先生は嬉しいなッ」とカラカラ笑いながら言った。
「あの子にもいろいろあるからねッ。じゃあ、何かあったら俺にまた言ってくれ。可能な限りサポートするからッ」
そしてそう言うと、先生は黙々と教師としての仕事を再開して。
私と琴音は、当初の予定通り「ありがとうございました」と先生にお礼を言ってから、帰る事にした。




