第十二話 急転
やはり軍用のも、必要かもしれません(意味深
目の前の光景を見ながら、私は思い出していた。
かつて中学時代に、琴音ともども受けたイジメの事を。
殴る蹴るとかの暴行は、受けていない。
さすがに相手は、イジメの証拠が残るようなヘマをするほどバカじゃなかった。
だけどそれ以外――教科書を破かれたり机の落書きをされたりこっちが聞こえるほどの声で悪口の会話をされたりはした。
それらはすべて、琴音への嫉妬から始まった事。
さらにいえば、そんな琴音の味方をする私への嫌がらせのためにもされた事。
だけど私は、負けなかった。
ただでさえ下心がある男から嫌な視線を向けられたりナンパされたりで憔悴していた琴音は限界に近かったから、代わりに私が動いた。
どうにか見つけた信用できる先生に相談したり、その先生が、私と琴音がいじめられている現場に居合わせるように仕向けたりした。
そしてそれが、多少は抑止力になったのか。
当時私達をイジメていた連中は、いつからか私達へのイジメをやめた。
でもだからって、私達が受けた精神的苦痛が消えるワケじゃなく。
だからこそ、中学の知り合いがほとんどいないだろう、ここ公立道南台高等学校に二人一緒に入学した。
だけど、またイジメは始まった。
北里くんが昨日、危惧していた通りに。
「…………ひどいなこれは」
教室前の廊下が騒がしくて。
人ごみをかき分けて、私と琴音と同時に教室に入った北里くんは、眉間のしわを少し深くするなりそう言うと、周囲を見回した。
周囲のほとんどの生徒が、彼から目を逸らした。
一方で私は……北里くんも見てる光景を見つつ、私の胸に飛び込んできた琴音を受け止めた。
琴音もまた、目を逸らしたかったのだ。
周囲の、北里くんから目を逸らしたい生徒とは違い。
目の前の光景――私と琴音の机に書かれた罵詈雑言の数々から。
それらは、もはや私と琴音への呪いに等しかった。
昔の嫌な思い出を記憶の彼方から無理やり引きずり出し、精神的に追い詰める事を前提としているとしか思えないほど、邪悪な……ここでいちいち紹介すらしたくないほどの、呪いの言葉の数々だ。
「後藤、俺が尾上を見ておくから、荒木先生と石杜先生を呼んでくれ。それと二人に伝言頼む。『さすがに警察を介入させる』って」
そんな中、北里くんの淡々とした声が聞こえて。
同時に、背筋に冷たいものが走ったかのような……そんな気がした。
北里くんの声は、低く、太い。
そしていま聞いたのは……それから感情の一切を抜いたかのような、聞いているだけで力が抜ける、そんな声だった。
だけど私は、どうにか力を振り絞った。
私と琴音を攻撃している誰かが、この学校にもいる……そんな現状に我慢できなかったのと、そして北里くんの声が……感情が抜けたようだと思った一方で、矛盾している自覚はあるけど、なんというか、これでもかと怒りが込められているような……今にも爆発しそうな怒りを必死に抑えつけてるような……そんな気がして、守られている立場がこんな事を思っちゃいけないんだろうけど、なんだか怖くて。
私は、こわばる自分の体を叱咤して。
私はまず、抱きつく琴音に、小声で「ちょっと待っててね。すぐ、戻るから」と告げてから、やんわりと琴音の体を離し、近くにあった、落書きされた私の席の、イスに座らせて。
琴音が、体を震わせ、首を無言で左右に振り、私の腕を掴んできたけれど。
だけどそれも、私は……やんわりと、離して。再び琴音に「北里くんが、守ってくれるから」と告げて、そのままその場から職員室へと、可能な限り速く駆けた。
「おいおい、誰だよあんな事したの」
そして、廊下を出た直後の事だった。
小声での悪口をいじめっ子に聞かされてた中学時代のせいで、ある程度の小声も聞こえるようになってしまった私の耳が、そんな声を拾ったのは。
「よりにもよって北里の知り合いにかよ」
「誰だか知らんけど、そいつ終わったな」
「なんにせよ、これからこの高校荒れるぞ」
どれもこれも、傍観者側の意見。
さらにいえば、私と琴音が知らない北里くんの事を知っている陣営――北里くんと同じ中学出身者の声である事が分かる…………そんな会話だ。
※
『よろず』で北里くんに、ボイスレコーダーを差し出された後。
私は、そして琴音も、なぜボイスレコーダーが差し出されたのか分からず、ただただそれらと北里くんを、交互に見る事しかできなかった。
「なんというか、そろそろクラスの連中の派閥とかできてくる時期だと思うから」
まず初めに、北里くんはそう告げた。
そしてそれに対し、私と琴音は「確かに」と納得できたけど、その事実とボイスレコーダーがどう繋がってくるのか一瞬わからず、沈黙するしかなかった。
「……………………言いたくないがな、イジメとか、起こると思うから」
だけどその言葉を聞いて、すべてが頭の中で繋がって。
中学時代のいじめられていた時代を思い出し、同時に、北里くんが私達のためにわざわざ、ボイスレコーダーという、イジメの証拠を掴むのに必須な物を用意してくれた事への感謝の念が、湧き上がってきて。
「ていうか、当然だけど道南台高校には、いろんな中学の出身のヤツがいるから。中には、俺の事を知らない上に、俺のこの見た目を怖がらないようなヤツもいると思う。そいつらがイジメ……だけじゃないな。ナンパとかもしてくる可能性もゼロじゃない。だからな、これらをお守りとして持っておけ。というか、この小さいのは制服や私物に、相手が分からないよう工夫して縫いつけておけ。ちなみに防水性だから、誤って洗濯しても大丈夫だからな」
だけど同時に、私は……もしかすると琴音もかもしれないけど、とにかく私は、北里くんに対して、感謝だけでなく、新たな疑問も抱いた。
ただの高校生が、どうしてここまで用意周到なんだろうと。
もしかすると、その用意周到な一面は。
人身売買組織の構成員だからこそのモノだったりするんじゃないかとか、そんな想像が、琴音の家の近くで言ってた事のせいで、どうしてもよぎるけど。同時に、私と琴音のために、ボイスレコーダーという、イジメの切り札になりうる物を用意してくれて、感謝していて。
おかげで、北里くんの事が……さらに分からなくなって。
「…………………………俺も、似た経験をした事があるからな」
すると、そんな私の疑問が顔に書いてあったのだろうか。
北里くんは、私の顔を見ながら、私の疑問への答えを告げた。
思わず、顔に熱が集中した。
と同時に、いったいどういう事なのか一瞬わからなくて、新たな疑問が湧いたりしたけれど…………北里くんはそれ以上何も言ってこなくて。
触れられたくない事かもしれないと思い、私と琴音は……追及するのをやめた。
※
「尾上くん、後藤くん、すまんが二人の机は……とりあえず、半分物置と化してる多目的室に置いてある予備の机と交換だ。それとみんな、ちょっと今から職員会議で、今回のイジメについて話すから、それが終わるまで自習! 以上!」
「じゃあみんな席について! 会議が長引く可能性もあるけど、おとなしく待っていてちょうだいね!」
北里くんの過去に、いったい何があったのか。
それはもしや、そのコワモテな巨人の見た目と関係してたりするのか……そんな失礼にもほどがある疑問を胸の内に抑え込み、とりあえず、荒木先生と石杜先生を呼んできて。
そして、それらの言葉を聞いた時。
改めて私は、この高校に入学してよかったと、荒木先生と石杜先生という、信用できる先生がこの高校にもいてよかったと思った。
学校によっては、イジメの事実を隠蔽したり、さらに最悪な事に、そのイジメに加担するような教師もいると、朝のニュース番組やネットニュースや動画サイトの事実系漫画アニメで知っていたから、余計にそう思った。
「それと北里くん、警察の介入はもう少し待ってくれないか? こっちとしては、隠蔽する気はないけど……さすがにそれは他の教師に情報共有してからにしたい」
だけど、さすがに警察の介入はすぐには無理…………警察?
先生達を呼んどいてあれだけど、さらにいえば北里くんの伝言をちゃんと伝えておいてなんだけど…………中学時代と同じくイジメが起きた事と、北里くんが怒りを覚えている事実と対峙して、ちょっと冷静じゃなかったから、無我夢中で伝言をしたんだ、けど…………改めて考えると、イジメに警察が介入せんとしている現状に、私は心の中で驚愕した。
「分かりました。でも、イジメの犯人が見つかるかどうかはともかく、少なくとも早めに警察の記録には残しておきたいんで、十分後に通報します」
「十分……分かった。善処するよ」
しかし、話が早く進んだせいで、私の中でふと湧き上がった疑問…………警察がわざわざ、学校のイジメに介入してくれるのか、その答えを訊く余裕はなかった。
琴音はまだ、憔悴しているし。
なんなら……私だって……嫌な中学時代を思い出して、ちょっと体がこわばっているし…………頭はちょっとパニック状態だし。
「…………尾上さん? 後藤さん? 大丈夫? なんなら、今日は早退をしても」
そんな時、副担任の石杜先生が……私と琴音を気にかけてくれた。
もしかして、琴音だけじゃなく、私も……心配されるほど、顔色が悪いのか。
「ッ!! …………は…………はぃ…………」
いや、そんな事を思ってる暇はない。
少なくとも、琴音は私よりもひどい事になってるんだ。
私がそばにいてあげないと。
琴音がいったん帰る事を選択するなら、ちゃんと帰宅するまで、寄り添ってあげないと……琴音に、私以外の同級生とも関わってほしいからって、道南台高校に、こうして全日制で通わせた…………私にも、責任があるんだから。
「じゃあ、北里くん、尾上くんと後藤くんを送ってあげて。警察には俺と石杜先生が説明しとくから」
「了解です。じゃああとは頼みます、荒木先生。送ったらまた登校します」
「「…………………………ぇ…………?」」
しかしそう思ったのも束の間。
私と琴音は、同時に頭上に疑問符を浮かべた。
北里くんが、送ってくれる。
その言葉の意味を、すぐに理解できなかったから。
琴音を守ってくれるよう頼んだのは、確かに私だけど。
その代わり、北里くんのアルバイト先である『よろず』でバイトとして雇われているけど…………だからってまさか、私達の、嫌な思い出が関わる精神状態にまで気をつかってくれるとは思ってなくて。
「じゃあ、帰ろうか。後藤、尾上」
琴音の家の近くで、琴音の価値が分かっているかのような、人身売買組織の構成員であるかのような発言をした彼と、私と琴音のためにわざわざボイスレコーダーをくれたり、こうして気にかけてくれた彼とが、まったく重ならない事実が、また私の前に立ちふさがって、混乱して。
一方でまさか、昨日北里くんが言っていた『似た経験をした事がある』発言と、なんらかの関わりがあるんじゃないのかと、思えたりして。
だけど、今の精神状態じゃ、うまく頭がまとまらなくて。
私は……琴音もそうなのか、二人そろって「う、うん」とただ頷いた。
※
いったい北里くんは何者なのか。
そんな疑問が再び、私……いや、おそらく琴音も同じ気持ちだろう。
とにかくそんな疑問が、私と琴音の中で、今までで一番強く渦巻いているだろうけど……それでも、下校してる今も、北里くんに確認する気にはなれなかった。
再びいじめられた事で、精神状態は変だし。
そもそも北里くんは、その辺を……嫌な思い出だからか、まったく話してくれる気配がないから…………無理に訊くのは、酷な事だと思ったから。
というか、彼もまた私達と同じような傷を負っているのなら。
私達がされて嫌な事を、私達が彼にするという事になるワケで……それはイジメと同じで。そんな事、絶対にしたくないから。
だから、話してくれるまで…………私は、そして琴音も待つ事にした。
静寂が続く。
机に、もはや呪詛と表現してもいいような、そんな落書きをされているのを発見した直後よりは、精神状態は安定したと、思うけど……北里くんは、そんな私達をまだ気づかってくれているのだ。
嬉しい、と思うと同時に……申し訳なさも私は覚えた。
ついでにいえば、北里くんの容姿への恐怖は……彼の、まるで感情がなくなったかのような声を聞いてから、ちょっと強くなった気も――。
「あら? 北里くん? 学校じゃないの?」
するとその時だった。
琴音の家まで、あと少しという地点で声をかけられて。
なんで北里くんの知り合いがここにいるのか、気になって振り返ると……なんとそこには、大きなリュックを背負い、手提げ鞄をいくつか持っている、北里くんとあまり変わらないほど長身の茶髪碧眼のメイドさん……そう表現すべき人がいた。
いきなりの、予想外にして意外な展開。
それを前に、私と琴音は……言葉を失った。
「しかも女の子を連れちゃって。シャルルが聞いたら、」
「サシャ。いろいろ誤解しているようだがまずはそれぞれ紹介をさせてくれ。二人が混乱しているから」
しかし北里くんは、突然話しかけられたとはいえ、知り合いだからか自然に相手に話しかけた。
「後藤、尾上、紹介するよ。俺の海外の友人の一人で、最近この辺り……えっと、確か相南台市東区霜根田町523番地だったか? 古い洋館がある所だ。そこに、同じく俺の海外の友人である子と一緒に引っ越してきた……もしかして引っ越しの途中だったか? とにかく、サシャ・ローラン。見ての通り、メイドでもある」
「「……………………ぇ…………????」」
するとまた、私と琴音は絶句する事になった。
なぜならば、サシャという方が引っ越してきたのが。
琴音の家の隣の、洋館だったのだから。
ここから変則的になっていきます。




