第29話 リリィ
「へぇ。お前の中、こうなってるんだ」
覗き込みながら、思わず声を漏らす。
「ちょっと。あんまり見ないでよ……!」
背後から声がした。
振り返ると、腕を組んだリリィが頬を膨らませて立っていた。
パッチの店の奥には、オイルの匂いと微かなオゾンの匂いが混ざり合っていた。
整備台の上には義体のリリィが横たわっている。
胸部パネルが開き、内部の人工筋肉と神経束があらわになっている。
白っぽい人工筋繊維がゆっくりと収縮し、その合間を縫うように銀色のケーブルが走っていた。
筋肉の奥には、基板のような薄いプレートが何枚も重なっている。
緑色の回路パターンが微かに光り、ところどころに小さな冷却ファンが回っているのが見えた。
人工神経束の根元には、透明な樹脂で固められた制御モジュールが埋め込まれている。
その内部で、青白いLEDが心臓の鼓動みたいに点滅していた。
「お前が義体で美味そうに飯食うの、不思議だったんけど」
「意外と生っぽいんだな」
「言い方」
リリィの眉がぴくりと跳ねた。
「はいはい、そこまで。素人が触ると壊すぞ」
奥からパッチが戻ってきた。
片手には親指ほどの細長いモジュール。端子が何本も伸びて、先端が微かに青く光っている。
「触覚フィードバック・リレーだ」
「こいつを交換すりゃ、直るはずだ」
パッチは工具も使わず、指先だけで神経束をかき分ける。
人工筋肉の間を縫うように、古いリレーを抜き取ると、新しいモジュールを押し込んだ。
人工神経が反応して、青白い光が一瞬だけ走る。
「よし、これで大丈夫だ。試してみろ」
胸部パネルを閉じる。
内部のロックが噛み合い、金属の爪が収まる乾いた音が響いた。
義体の上体をゆっくり起こし、うなじのスイッチを押し込む。
インジケーターに淡い光が灯り、内部で何かが立ち上がる微かな振動が伝わってきた。
リリィは義体に近づくと、迷いなく額を合わせた。
「なにやってんだ?」
「記憶の同期よ。気が散るから黙ってて」
インジケーターの光が規則的に点滅し始める。
やがて光がふっと消える。
同時に、リリィの身体から力が抜け、膝がわずかに折れた。
義体がリリィを支える。
リリィは深く息を吐き、義体の手を握ったり開いたりして感触を確かめる。
「よし……問題ない」
義体から低く、機械的に歪んだ声が響く
義体はリリィの身体を抱えると、整備台の横にある金属のケースに横たえた。
内部のクッションが形を変え、リリィの身体を吸い込むように受け止める。
蓋のロックをかけるとリリィはケースを担いだ。
「ありがとう」
リリィがパッチに告げる
「おう、今度は丁寧に扱えよ」
パッチが片手を上げる。
「またな、パッチ」
店の扉を潜るリリィの背中を追って、俺も出る。
オイルとオゾンの匂いが、扉の閉まる音と一緒に背後へ消えていった。
*
昼下がりの陽射しが、街のビルの隙間からゆるく差し込んでいた。
舗道のタイルがほんのり温かい。
リリィはケースを肩に担いだまま、影と光の境界を淡々と歩いていく。
「義体と生身の切り替えってどうなってんだ」
俺は横を歩きながら、ふと思いついたように口を開いた。
午後の空気はゆるくて、会話も自然とそのペースに引きずられる。
「前に意識場の話、したの覚えてる?」
「ああ、アンテナがどうとかいうやつだろ」
「そう、それ。義体のアンテナのほうが受信性能が高いの」
リリィは空を見上げる。
高層ビルの上に設置された通信塔が、陽光を反射してきらりと光った。
「だから、起動すると——勝手に意識がそっちに切り替わる」
「へぇ。便利なもんだな」
「便利っていうより、そういう仕組み」
「あんたのバックアップだって一緒よ」
「俺の?」
「死んだら、クローンに意識が切り替わるでしょ」
「なるほど」
街路樹の葉がさらさらと揺れ、影が舗道に揺れ落ちる。
義体の足音は静かで、午後の街に溶け込んでいく。
生身のリリィが眠るケースと、義体のリリィが歩く影が並んで伸びる。
不思議な光景なのに、昼下がりの柔らかい光の中では、どこか自然に見えた。
横流しを隠蔽しようと奔走する、一人男の物語。




