第21話 不確定性 / Uncertainty
「お宅訪問の前に、手土産を用意しないとな」
「手土産?」
「ああ、手ぶらで交渉ってわけにも行かないだろ」
俺は視線を上げる。
俺の目には無数の可能性の重なりが見える。
ここは、原初の接続領域。
全てのダンジョンの深層と繋がっている。
なら――
掴めない理由はない。
視界の端で、いくつもの可能性が重なって震えていた。
——世界が、俺の選択を待っている。
「ケイ、やめ——」
「大丈夫だ。これは……俺にしかできない」
指先が触れた瞬間、世界が軋んだ。
結晶が落ちる世界、落ちない世界、そもそもダンジョンが存在しない世界。
口の中に鉄の味が広がる。
——可能性の結晶がドロップしない世界を掴み取る。
「これで仕込みは完璧だ」
軽く息を吐く。
「乗り込むぞ」
次に探すのは、出口だ。
可能性を探す。
この都市の構造。
情報の集積密度。
そして——最も「因果が集中している」場所。
カイロス重工、本社ビル。
その最上階。
そこに出口が現れる可能性を。
「……本気?」
リリィが呆れたように笑う。
「ああ。ご挨拶といこうぜ」
空間に、静かに穴が開く。
まるで最初からそこにあったように。
「行くぞ」
俺たちは、穴の中へ踏み込んだ。
*
カイロス重工本社、50階。
役員会議室。
世界経済を牛耳る重役たちの会議は、テーブルの上に現れた二人の闖入者によって中断された。
だが、彼らは慌てない。
一瞬の硬直の後、最年長の男が静かに手を上げた。
警備が部屋に雪崩れ込もうとするのを、制する仕草。
「……待て」
男の目が、値踏みするように俺たちを見る。
「君たちが、わざわざここに来た」
「それ自体が、交渉材料を持っているという証明だな」
「話が早くて助かる」
俺は肩をすくめる。
「では、聞こう」
「今日からだ」
「世界中のダンジョンが“閉店”する」
ざわり、と空気が揺れた。
「結晶は一つも落ちない」
「エネルギー供給は止まる。株価は落ちる。市場は混乱する」
「……何を、言っている」
「すぐに分かるさ」
それだけ言って、踵を返す。
「用件は伝えた」
「元に戻して欲しければ——連絡を寄越せ」
返事は聞かない。
次の瞬間、
俺たちは、もうそこにいなかった。
*
街の巨大スクリーンが一斉に速報する。
『緊急速報:世界同時ドロップ消失現象』
『主要ダンジョン、結晶採取量ゼロ』
『エネルギー関連株、全面ストップ安』
ニュースキャスターの声は、ほとんど悲鳴だった。
スクリーンを見上げる、探索者たちがざわめき、誰かが怒鳴り声を上げる。
「ふざけんな! 今日の稼ぎが全部パーだぞ!」
カイロス重工は当初、「一時的な異常」と発表した。
だが二日、三日と経っても状況は変わらない。
備蓄エネルギーの放出が始まり、
都市のネオンは間引き運転で薄暗くなった。
企業は必死に原因を探った。
——だが、物理的な干渉手段が見つかるはずもない。
そして、七日目。
俺の端末が、静かに震えた。
*
パッチの店。
薄暗いを時折ネオンの光が照らす。
俺とリリィは、カウンターで合成酒を飲んでいた。
その向かいに、パイプ椅子に座る老人。
カイロス重工・研究統括、キサラギ。
ホログラムではない。本人だ。
世界を動かす男が、
わざわざこの吹き溜まりまで来た。
キサラギの背後に立つ秘書の手が震えていた。
彼女の端末には、赤く点滅する警告ログが映っている。
『エネルギー備蓄残量:12%』
『主要都市の停電予測:36時間以内』
「……我々は、君を敵に回すべきではなかったようだ」
感情の読めない声。
「ダンジョンの制御権を奪い、世界経済を人質に取るとはな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「だが、一つ疑問がある」
キサラギの目が、鋭く細められる。
「君という異物が干渉してシステムが破綻しているなら——」
「君を排除すれば、元に戻るのではないか?」
空気が凍る。
店の外に控える部隊の殺気が、肌に刺さる。
だが俺は、ニヤリと笑ってグラスを揺らした。
「逆だ」
「……逆?」
「俺はダンジョンのデフォルト設定を書き換えた」
こめかみを指で叩く。
「今、この世界の基底状態は『ドロップ率ゼロ』だ」
「……つまり?」
「ドロップを出すには、俺が意識的に出る世界を観測し続けるしかない」
一拍。
「俺が死ねば、観測は止まる」
「世界は『ドロップなし』のまま固定される。……永遠にな」
真正面から、目を合わせる。
「殺してみろ」
「その瞬間、世界経済は完全に死ぬ」
沈黙。
キサラギの視線が、俺を解剖するように巡る。
嘘か、真実か。
だが彼は合理主義者だ。
この状況で博打は打たない。
やがて、キサラギは口元をわずかに歪めた。
「なるほど」
「確かに、君を殺すリスクは大きすぎる」
キサラギはゆっくりと足を組み替えた。
「だが——」
「君が供給を止めれば、困るのは我々だけかな?」
キサラギの視線が、俺から外れる。
隣でグラスを傾ける、リリィへと向けられた。
「彼女の義体。ヘリオス製のカスタムモデルだな」
「……何が言いたい」
「君が供給を止めれば、義体のメンテナンスもままならない」
「エネルギーが止まれば、都市機能は停止する」
「病院も、食料プラントも、そして——彼女の生命維持インフラも」
キサラギは、俺の思考を見透かしたように目を細めた。
「義体を捨てて、生身でダンジョンに引きこもるつもりかね?」
「彼女と二人きり、誰にも邪魔されない楽園で」
「……それも悪くない」
「本当にそう思うか?」
キサラギの声が、冷徹に響く。
「文明から切り離され、誰にも認識されず、世界から忘れ去られる」
「それは『生』ではない。ただの緩やかな『死』だ」
キサラギは、リリィを一瞥する。
「それに、彼女から翼である義体を奪い、君に守られるだけの存在に堕とす」
「……誇り高い彼女が、それを望むかな?」
リリィの肩が、わずかに揺れた。
「君は、彼女の尊厳を奪ってまで、余生を過ごしたいのかね?」
「……脅しか」
「事実の確認だよ」
俺はグラスを強く握りしめた。
殺気。だが、キサラギは眉一つ動かさない。
「……取引だ」
俺は、低い声で言った。
「条件を言え」
「単純な話だ」
キサラギは端末を閉じた。
「君を追うのはもうやめよう。口座の凍結も解除する」
「代わりに、君を『カイロス重工・特級戦略資産』とする」
「……管理するってことか」
「守ると言ってくれたまえ」
「最高の住居、最新のパーツ、誰にも脅かされない地位。君たちが望む『人間らしい暮らし』のすべてを我々が保証しよう。その代償として——」
キサラギが、薄く笑う。
「君という元栓は、我々の管理下で、安定して世界に恵みを流し続けねばならない」
「時には絞り、時には溢れさせる。市場の動向に合わせてね」
俺は、深いため息を一つ。
「……分かった。面倒だが、付き合ってやるよ」
キサラギが満足げに頷く。
「賢明な判断だ」
「ただし、条件を追加する」
指を立てる。
「あのダンジョン『エデン』を永久封鎖しろ」
「あそこはリリィの両親の墓標だ。二度と踏み荒らすな」
「……聖域というわけか。いいだろう封鎖する」
「それと——俺たちの日常に、余計なノイズを入れるな」
「仕事の依頼はメールで送れ。休日は対応しない」
「努力はしよう」
キサラギは立ち上がる。
「だが忘れないでくれたまえ」
「我々は一蓮托生だ」
「君が世界を愛する限り、世界も君たちを愛する」
部下たちと共に、老人が店を出て行く。
ドアが閉まる音が、やけに重く響いた。
「……食えない爺さんだ」
俺は椅子に背中を預け、天井を仰いだ。
「ごめん」
隣で、リリィが呟く。
「私が、足手まといになった」
「バーカ」
俺は彼女の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「最高の日常、だってよ」
「悪くない契約だろ?」
「……そう?」
「ああ。これからは、美味いもん食って、いい服着て、堂々と生きるんだ」
「世界一高い維持費の、俺たちの日常をな」
リリィは少し驚いた顔をして、
それから小さく笑った。
「……そうね」
「元は取らなきゃ」
「そういうことだ」
俺は立ち上がる。
「行ってくる」
「どこへ?」
リリィが首を傾げる。
「ダンジョンだよ」
「蛇口を開けるには、元栓まで行かないとな」
*
エデンを出て街に繰り出す。
街には、再びネオンの輝きが戻り始めていた。
行き交う人々は、何も知らない。
誰が蛇口を閉め、誰が開けたのか。
世界が誰の手のひらの上で回っているのか。
「……これで、本当に良かったの?」
リリィが、夜空を見上げて呟く。
「ん?」
「あんたはもう、普通の人間には戻れない」
「世界の命運を握るスイッチ。……化け物扱いよ」
リリィが俺を見る。
「それでも——生きた証が欲しかった?」
俺は、夜空を見上げた。
ネオンの光で、星なんて見えない空を。
「……さあな」
俺は、手を握りしめる。
「でも、悪くない」
「どうして?」
「俺が世界を握ってる限り——」
「世界は、俺を無視できないからな」
俺は笑って、リリィを見た。
「それに」
「お前がずっと、隣にいるんだろ?」
一瞬きょとんとして、
それから呆れたように息を吐く。
「……死ぬまで見張っててやるわ」
「頼むぜ、相棒」
「でも、一つ懸念がある」
リリィが真顔で言う。
「寿命で死んだらどうするの?」
俺は、ニヤリと笑った。
「安心しろ。あれはハッタリだ」
「……は?」
リリィが足を止める。
「本当は、結晶がドロップする世界線を選んだだけだ」
「あんたねぇ……!」
「でも、企業はそれを確認できない」
「確認するには俺を殺すしかないが、もしハッタリじゃなかったら世界が終わる」
「リスクが高すぎて手が出せない」
俺は肩をすくめる。
「シュレーディンガーの猫と同じさ」
「箱を開けるまでは、俺は『最強の爆弾』であり続ける」
「……最悪の詐欺師ね」
俺たちは歩き出す。
確定しない明日へ。
バグだらけの世界へ。
残機はゼロだが、可能性は無限だ。
俺たちの探索は、まだ終わらない。




