第20話 真理 / Truth
二人並んで、奥へ進む。
足音が、妙に揃う。
意識しなくても、同じ速度になるのが可笑しかった。
壁は無機質なのに、
視界の端で、ありえない“続き方”をしている。
直線のはずの通路が、少しだけ先で意味を失っている。
ダンジョン深層特有の感覚だ。
距離が、信用できない。
「ダンジョンに逃げ込んだはいいが……」
「これからどうするかだな」
視線を巡らせる。
「正直、理由が分からないと動きようがない」
「なんで俺たちが狙われてる?」
リリィは“考える時の癖”で、指先を軽く握る。
「Tier9ダンジョン」
「カイロス重工の研究用」
言葉が、空間に落ちる。
「……ケイを失った、あのダンジョン」
「全部の始まり」
俺を見る。
「何か手がかりがあるとしたら、あそこにある可能性が高い」
俺は、ゆっくり頷いた。
「つまり——」
「行くしかない、って話ね」
リリィが先に言った。
でもすぐ、眉を寄せる。
「問題は、どうやって」
「地上は戒厳体制」
「ここを出た瞬間、捕捉される」
「言っただろ」
俺は、壁に手を伸ばす。
触れているのは、コンクリート“だった可能性”。
「全部思い出したって」
「力も取り戻した。……いや、前より扱える」
世界を、弄らない。
世界を、選ぶ。
この場所に、次の入口が“最初から存在していた”可能性を。
空間が、静かに折れた。
壁の一部が、奥行きを持つ。
「——ちょっと!」
リリィが、反射的に腕を掴む。
「そんな使い方……!」
「大丈夫だ」
俺は、振り返って笑う。
「過去の俺と融合した」
「境界を薄くしなくても、可能性は見える」
「いや、世界と一体化した俺と」
「自我を保ったままの俺が、重なり合ってる」
一拍。
「それに——」
「万が一の時は、リリィが呼び戻してくれるだろ」
リリィは、何か言いかけて——やめた。
代わりに、俺の袖を掴む。
「……勝手に消えるなよ」
「ずっと一緒だ——だろ?」
俺が言うと、
彼女は小さく息を吐いた。
「本当に……」
「逃げてるのに、楽しそうな顔するんだから」
「悪い」
俺は、入口へ足を踏み出す。
「でもさ」
「こうして並んでると——」
リリィが、肩で軽くぶつかってきた。
「続きは、向こうで」
逃走中なのに、
どこか昔に戻ったみたいな感覚のまま。
*
「……見て」
リリィが、砂に埋もれた構造物を指差す。
白い砂浜の中に、
不自然な直線が走っている。
近づくにつれ、それは形を持つ。
建物だ。
コンクリートとガラス。
波に削られたわけでも、崩壊したわけでもない。
途中で、存在を止められたような廃墟。
入口脇のプレートを、リリィが指で拭う。
「……嘘」
リリィの動きが、止まった。
——ロゴ。
「……間違いない」
「このロゴ……」
声が、わずかに震える。
「ここ」
「両親が務めてた研究所」
リリィはプレートに触れた指先を、そっと引っ込めた。
砂が落ちる音がやけに大きく響く。
唇を噛んでいる。
「ずっと探してたくせに、いざ目の前にすると……怖い」
俺は、何も言えなかった。
ここが「始まりの場所」だという確信が、肌を刺す。
中に入る。
空気は澄んでいる。腐敗も、湿気もない。
時が止まったままのロビー。
だが、奥へ進むほど、異常さは増していった。
宙に浮いたまま静止したコーヒーカップ。
壁に埋まり込んだ人体模型。
そして——
メインルーム。
壁一面のホワイトボードに、数式が狂ったように書き殴られていた。
その中心に、赤字で大きく書かれた記号がある。
—— χ
リリィは近づきかけて、足を止めた。
指先が宙で震える。触れたいのに、触れられない。
やがて、かすれた声が漏れた。
「……χ自由度」
呟きというより、思い出すような響きだった。
目はホワイトボードを追っているのに、焦点が合っていない。
「両親が……ずっと追っていた仮説」
説明しようとしているのに、声が揺れている。
まるで、自分の記憶を手探りでなぞっているようだった。
「この宇宙の計算式には……足りない変数があるって……」
「変数?」
俺が問うと、リリィは一瞬だけ目を閉じた。
深呼吸。
震えを押し殺すように。
「エネルギー保存則も、重力分布も、微妙に計算が合わなかった」
「だから仮定した。観測されていない、隠れた自由度があるはずだって」
リリィの指先が数式の上をなぞるろうとし、触れる寸前で止まる。
「位置でも……運動量でも……時間でもない」
「ただ数式を閉じるためだけに導入された、……はずのパラメータ」
俺は、ホワイトボードの端にあるメモに目を向けた。
震える字で、こう書かれていた。
『χは物質ではない。認識の位相である』
「……認識?」
リリィが、青ざめた顔で振り返る。
「……両親は気づいちゃったんだ、きっと」
「足りない変数の正体が……認識そのものだって……」
最後の言葉は、震えで途切れた。
ズキリ、と頭が痛む。
俺の中で、過去の記憶が共鳴する。
世界と溶け合った時の感覚。
——そうだ。
あっち側の世界では、「思うこと」と「在ること」が同じだった。
「……別の宇宙だ」
俺は、確信を持って口にした。
「その χ ってのは、ここじゃない、別の宇宙の法則だ」
「向こうじゃ、認識が物理法則の一部になってる」
リリィが息を呑む。
「……そうか」
「本来、向こうの宇宙にあるべき『認識という状態』を……」
「こっちの宇宙の数式に、無理やり定義してしまった」
ドン、と遠くで衝撃音がした。
空間が軋む。
「本来、定義できないものを定義した」
「理解しちゃいけないものを、理解した」
リリィの声が震える。
「その瞬間——状態空間が接続された」
俺は、バグった壁を見つめた。
コンクリートと砂浜が混ざり合う光景。
あれは空間が繋がってるんじゃない。
「定義」が混ざってるんだ。
同一の状態を、二つの宇宙の法則で同時に記述しようとした結果のエラー。
それがダンジョン。
「……俺たちの能力も、これか」
納得がいく。
なぜ空間を書き換えられるのか。
なぜ可能性を選べるのか。
俺たちが「認識」した瞬間、それが向こうの宇宙の法則χを通して、こっちの現実にフィードバックされる。
俺たちは、バグを利用するチーターみたいなもんだ。
「……最悪ね」
リリィが、ホワイトボードから視線を外した。
覚悟を決めるように、深く息を吸い、吐く。
「この理論」
「認識され、理解されるほど——接続領域が広がる」
「……どういうことだ?」
「『未知』を『既知』として認識する行為そのものが、エラーを広げるトリガーになる」
「この理論を理解する人が増えれば増えるほど、ダンジョンは現実を侵食する」
嫌な沈黙。
波の音が、急に不気味に聞こえた。
俺たちが「知ってしまった」こと。
それ自体が、世界を壊すウイルスになる。
「……カイロス重工が」
「必死で隠そうとするわけだ」
そして——
俺たちが、消される理由も。
俺たちは、生きた「感染源」だ。
俺は、ホワイトボードを見つめた。
真実は知った。
だが、これは解決策じゃない。絶望の証明だ。
直しようのない物理現象。不可逆な世界の変質。
俺は、リリィを見る。
「なあ、相棒」
「なに?」
「コソコソ逃げ回るのは、もううんざりだろ?」
「……で?」
「どうする気?」
「奴らが絶対に手出しできない場所に『直通』で出て、トップと直接話をつける」
「……まさか」
「敵の本陣に、いきなり乗り込む気?」
「一番安全な場所は、敵の懐の中って言うだろ」
「……あんた、本当に性格悪いわね」
リリィが呆れたように、でも楽しそうに吹き出した。
「採用よ。その作戦」
二人は歩き出す。
企業の裏をかき、生き延びるために。




