005.神よりも高き存在〈後編〉
しくしくと涙をこぼすメイド服の少女、エーデルを宥めながら、俺は思考を止めずにこれまでに得た情報の整理をし続けていた。
あの後、俺の誰何にエーデルは半狂乱状態になってしまい、泣きながらお互いの自己紹介や俺の状況について何とか説明してくれたのだ。
俺も少しは混乱していたが、例え泣きながらであってもエーデルの口から出る言葉は今の俺にとって何よりも重要なことであったため、最後まで宥めながら聞かなければならなかった。
そこで得た情報というのが、まず目の前にいる少しだけ青っぽい灰色の髪と目を持ったメイド服を着た少女、エーデルの正式名称が『第四世代型神性人造人間1366号エーデルワイス‐typeグレー』というらしい。ただ長すぎて呼びづらいし、本人の希望もあって愛称のエーデルの方で呼ばせてもらっている。
見た目が人間の少女であるため、実は人じゃないと知った時には信じることができなかったものだ。
今ではきちんと、本物のメイドであることも含めて理解している。
そして次に俺の状況についてなのだが、これが一番の驚きであった。
俺が寝ていたこの不気味な部屋は、安眠部屋と呼ばれている最強の回復専門の部屋だったそうだ。
どんなに体力や精神力が余っていても、またはその真逆であっても絶対に安眠してしまうのだ。
道理で真剣に思考をしていたはずなのに、いきなり熟睡してしまうわけだ。
何も知らなければ、ただの恐怖でしかなかったのだが。
しかしそんな安眠部屋も驚きだが、今回はそれとは別の話の方が重要だった。
このような謎の力を有する安眠部屋を簡単に創りだせる術を持っているという、アンリミット超神帝国についてだ。
このアンリミット超神帝国は、俺の元いた世界や異世界とは違う次元に存在しているらしい。
神々が存在し、支配している次元世界をこちらでは下位世界と呼び、自分たちの次元世界を上位世界と呼んでいるそうだ。
その違いというのが、下位世界と上位世界の間には絶対に越えられないし、認識することも破壊することも不可能な壁がある他、上位世界に存在する生命体全てが下位世界の神レベルの力を有するということだ。
その上位世界において、特に力を有している存在というのが、天格者だそうだ。
天格者はそれぞれ天能という、固有の超能力に似た力を操ることができる。
そんな天格者たちの頂点におり、言わば下位世界においての神のような存在が、俺の眠っていた安眠部屋を有するアンリミット超神帝国の城の主であるそうだ。
そして俺を上位世界まで連れてきて安眠部屋まで使用させて回復させてくれたのが、城の主である帝王であり、その理由というのもすでに分かっていると思うが上位世界であるこちら側に来られたのも、俺がその天格者であったからだそうだ。
詳しく聞くと、どうやら女神に消滅させられる瞬間に俺も何かの天能を覚醒させて、天格者になったようである。
そこを偶然感知した帝王が瞬時に俺を上位世界に引き込んで、自身の城にある最高の治療室である安眠部屋に放り込まれ、今に至るのだった。
「なるほど、なぁ……」
既に俺の中ではドジっ娘認定されているメイドの少女、エーデルの頭を撫でながら、しみじみと呟いた。
自分自身の状況についての整理もできたし、理解もできた。
けれども、まだ疑問に思っていることがいくつかある。
できれば早く知りたいのだが、半べそを掻いているメイドを見て躊躇してしまう。
本当にこのようなドジっ娘、もとい少女がメイドで大丈夫なのだろうか?
思わずアンリミット超神帝国の人材不足について心配してしまうが、別に本気でそう思ったわけではない。
事実、目の前でようやく涙も落ち着いてきたメイドのエーデルも、本気を出せば俺なんかが認識する間もなく消すことができるほどの戦闘力をもっているのだ。
天格者に覚醒した影響か、昔武術で育んだ相手との力量差を何となく知ることができる勘のようなものが物凄く強化されていたため、すぐにエーデルの力に気がついたのだ。
本人がこの城の中では弱い方である言っていたことから、俺にとってここはまさに化け物の巣窟であると認識した。
もちろん悪い意味ではなく、純粋にここならばあのくそ女神がいても安全だという意味だ。
少しずつ泣き止み、今は目元を恥ずかしそうに擦っているエーデルを見る。
……確か、【灰天】だったかな。
エーデルの、俺よりも圧倒的に強い天格者としての天能だ。
灰色に関する天能らしいが、詳しい説明はなかったため、それ以上はよく分からない。
それでも、あのくそ女神よりも強い味方だと分かっただけで、かなり頼もしい。
こうなると俺も自分の天能について気になってくる。
「……大変お見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした、ジャック様」
「いや、それぐらい全然かまわないさ。それよりも少しだけ質問をいいか?」
「? えぇ、もちろんです。何なりと」
「それは助かる。まずは、そうだな…………俺は今、正常だよな?」
「はい、この帝王城は主様の天能により、全ての生命体が正常な思考を保つことができるようになっています。なので、ここにいる限り精神が完全に狂うことはありえません」
「……そうか」
今の俺は、それこそ闇の中に閉じ込められる前と抜け出した直後の俺とは絶対にどこかが違っている。
それは外見であったり、精神的なものだったりする。
何より、女神に消滅させられた時のことを思い出しても、恐怖を感じなかったことが決定的だった。
消える間際、俺は完全に狂ってしまい、記憶もほとんど空白で残っていない。
それほどの衝撃だったのだ。
だか、それもトラウマになって当然なはずなのに、今では精々嫌な思い出レベルに止まっている。
恐怖ではない、何かどす黒いものが心の中から溢れてくるのだ。
これが一体何なのか、俺には全く分からない。
けれど、それは俺がかつて狂気に襲われた時に感じたものと同じものだった。
詳しくは不明だが、言い換えれば狂気そのものだ。
うん、おかしい。絶対に、おかしいはずだ。
だけどエーデルが言うには、ここでは狂うことが絶対にない。
しかし俺には狂った時の感覚が、正常であるはずの今でもずっと感じられるのだ。
……つまり今の俺は、ここに来る直前である消滅間際に何かがあって、そのせいで姿だけではなく、心の中まで変質してしまったのだろう。
それで変質した状態、つまり狂気を持ち合わせた状態が正常であると判断されて今に至る、のだろうか?
多分、今のところそれしか思いつかないし、そういうことなのだろう。
……これ以上深く考えても分からないしため、そういうことにしておいた。
「……あの、他にご質問はないでしょうか?」
「え? あ、あぁ、それじゃあ俺の天能はどういうものなんだ?」
どうやら結構の時間黙り込んでしまったようで、エーデルが不安げな声を上げてしまう。
それに俺は慌てて、先ほどから聞きたかった質問をした。
これが分かれば、俺もエーデルのように更に強くなれるだろう。
できれば強い天能が望ましいと考えながら、俺はエーデルの言葉を心待ちにしていた。
メイドとしては多分ダメなのだろうが、俺から見ればエーデルはいろいろと素直で真っ直ぐな性格なため、大変好ましく思う。
やはり久しぶりに出会ったまともな存在だからだろうか。
この短時間で俺はエーデルに対して、人間不信な気もあったのに、随分と心を許してしまっていた。
いつの間にか俺の心から信頼できる存在が姉と幼馴染を含めて、これで三人目となっていた。なお両親は割と放任主義であったため、ここでは省く。
「…………う~ん…………んー……」
だが予想に反してエーデルは、俺の質問に対してすぐに答えることなく、何やら難しい顔で唸っている。
なぜだろう?
そこまで難しい質問をしていないはずなのだが……。
「なぁ、エーデル。分からないなら、別にいいんだが」
「――――え? あ、はい! すみません、お気遣いありがとうございます! それでは、えっと……ですね。このお話については私もそこまで詳しくないので、これから案内いたします予定であった食堂で説明させてもらってもよろしいでしょうか?」
「あぁ、それで全然かまわないが。……むしろ丁度腹が減ってきたところだしな」
「ありがとうございます! それでしたら、これからすぐに食堂へ向かいましょう。ご案内いたしますので、どうぞ着いてきてください」
やはりエーデルは、そこまで俺の事情について詳しくはないようだ。
けれど、そこですぐに俺の質問に対して正直に答えると、会話が途切れてしまうと思ったのだろう。
俺も即答で分からないと言われると、質問者としてかなり気まずく感じる。
また最初の沈黙を繰り返さないためにも、エーデルは必死に誤魔化す方法を考えていたのだろう。
結果、沈黙したまま相手を放置してしまうという、メイドとしてありえない態度になってしまったが……。
それでも、俺にはエーデルの行動から、久しく感じてこなかった暖かさというものが心の中に宿っていたことに気がついた。
確かにメイドとしてはダメかもしれないが、人としては好ましい少女である。
そんなことを考えながら俺は、安眠部屋の扉から出て、長い廊下を歩きだすエーデルの後を着いて行った。
アンリミット超神帝国城。
通称、帝王城は世界規模の広大さを持つと聞かされたが、その食堂というのもそれに比例するような広大さであった。
「ぅわぁ……、物凄くデカいな……」
エーデルに案内された食堂で、まずは食堂の中に入るための扉ならぬ巨大な門に圧倒され、続いてそれを片手で大きく音を立てながら開けるエーデルにドン引きし、一歩踏み出して見回した食堂内のあまりにもな広大さに感嘆し、出てきた最初の一声がそれだった。
巨大な門の内側に入り、左右前方の端が見えないことを確認し、そのまま呆けた状態で感動していると、遠くの方で手を振っている存在を見つけた。
エーデルを見ると、にっこりと笑顔を浮かべて、その存在の方へと歩いて行く。
いや、正直俺は口に出してもらわないと、今のこの状況を理解できないのだが……。
今回だけはエーデルにメイドらしくしてほしかったが、それでも俺には笑顔だけで通じると思ってくれている少女に悪い気はしないと、苦笑を浮かべながら後を着いていく。
……ところで、後ろにある巨大な門はずっと開いたままなのだが、勝手に閉まるのだろうか?
エーデルの後を歩いて暫くして、俺の目に二人の女の姿が映った。
一人はエーデルと同じくメイド服を身に包み、クールな見た目で紫がかった灰色の髪と目をしていた。
そしてもう一人の方が、どうやら先ほどから手を振っていたようで、見た目は銀髪に銀目をしたクールというよりも凛々しく、格好も白い女性用スーツに煌びやかに光る白銀のマントを羽織っている。
なぜマントを羽織っているのか知らないが、これはかなり久しぶりに見るスーツ仲間だ。
千年ぶりに見る俺以外のスーツ仲間に、興奮のあまり深く考えもせずにスーツについて語ろうと思ってしまった。
よく見れば、今までで見たことのないほどの美しい女で、普通ならば直視したり平然としていられたりすることができないはずなのだが、今の俺には関係なかった。
これで分かるかと思うが、俺は好きなものには全力で突き進む人間だ。
今回は興奮しすぎて出てしまった暴挙であると、後に反省することになる。
そうして、不自然なほどに全身を硬直させていたエーデルの傍を何の疑問も感じることなく通り過ぎ、白銀の女に笑顔を浮かべて近づいた。
だがそこで、なぜか俺の前にクールなメイドが立ち塞がってくる。
恐らく困惑した笑みになっている俺に、優雅に頭を下げてきた。
「初めまして、霧崎 邪悪様。帝王城のメイドの一人、『第四世代型神性人造人間1366号エーデルワイス‐typeグレー』の上司で『第三世代型神性人造人間304号プリムラ‐typeグレー』と申します。是非、プリムラとお呼びください」
「え? はい……初めまして。……なぜ、俺の名前を?」
スーツのことしか考えていなかった俺は、その唐突な自己紹介で一気に真顔に戻り、警戒心を引き上げた。
ここの所、物騒なことしか体験してこなかった弊害である。
例え、エーデルにここが俺の命の恩人の居城であり、絶対に安全だと言われていても反射的にそうなってしまうのだから仕方がない。
そんな後ろ足に一歩引いてしまった俺を見ても、クールなメイド、プリムラは少し困った表情で俺に一言謝ってから、事情を説明してくれた。
それはドジっ娘メイドのエーデルとは比べ物にならないほど、熟練としたメイドの態度であった。
「驚かせてしまったようで、申し訳ございません。邪悪様のことにつきましては、こちらのご主人様の秘書を務めていらっしゃる、帝王城の宰相様からお聞きしたのです」
「……宰相様?」
ふと聞いた単語に、小さくではあるが反応してしまう。
だって、宰相ってあれだろう?
国の中で二番目に偉い存在のことだろう?
そう思うと、今までなぜ感じてこなかったのかと不思議に思うくらい、件の白銀の宰相様から絶望的な力の差がひしひしと伝わってきた。
もしかしてエーデルが固まっていたのも、これが原因なのか?
そうだとすると、凶悪なほどに凄まじい圧力だ。
一瞬で俺の体も硬直してしまう。
そして、そんな俺の様子に当たり前のように気づいた宰相様は、その凛々しい顔に苦笑を浮かべていた。
「えぇ、そうです。初めましてジャックさん。アンリミット超神帝国が宰相、白銀神龍のシャルロット=D=S=アンリミットです。どうぞよろしくお願いします。……あと、私はただ我が主の代わりとしてジャックさんに、恐らく必要になると思われる詳しい説明をしに来ただけですので、そこまで警戒をしないでくれると嬉しいです」
「…………すみません」
しかし、そうは言われても簡単に警戒は解けられない。
というより、理性が止めようとしてもそれ以外の俺の心と体が勝手に反応してしまうのだ。
俺にとってかなり重要な話をこれから聞けるみたいだし、可能な限り自然体に戻したかったのだが、どうしてもできそうにない。
そうして心の中で焦っていると、再び宰相様の救いの声が聞こえてきた。
「そういえば、ジャックさんは天能に目覚めたばかりでしたね。天格者には、二人いればお互いの力量差を勝手に感じ取ってしまう力が備わっています。なので、その力を意識して止めるようにしてみてください。それで楽になれるでしょう」
「……力を……止める……?」
正直、言われた言葉の意味がよく分からなかったのだが、俺自身もこの絶望感から早く抜け出したかったため、とりあえず全力で周囲を拒絶するようなイメージをする。
かつて名前のせいで虐められた時に会得した、拒絶という名の空気を纏う術である。
……本当はそんな大層なものではないのだが。
「――ッ、カハッ……! ……はぁはぁはぁ……」
それでも、今はこれで何とか成功することができた。
今までの精神的な圧力から解放された反動なのか、一気に過呼吸気味に陥る。
それだけで、実は体にかなりの負担をかけていたことにようやく気づいた。
女神の拷問で痛みに対する耐性ができているというのに、心臓が無茶苦茶苦しく感じる。
……これって、俺が天格者だったから無事だったんだよな?一般人とかだったら心臓が破裂したりして死ぬんじゃないのか?
改めて俺とは絶望的な力の差をもつ宰相様に戦慄していると、その本人が満面の笑みで何やら頷きながら俺を褒め始める。
「流石ですね、ジャックさん。無理そうならば私の方から気配を完全に消して対処しようかと考えていましたが、まさかすぐに『天圧拒絶』を会得するとは思いませんでした。…………流石は我が主の見出した最強の天格者候補です」
「はぁ、はぁ、んくッ……『天圧拒絶』、ですか。……昔、似たようなものに励んでいたので、きっとそのお陰でしょう。……ぅぅ……」
息を整えるのに必死で、宰相様の言葉を半分以上聞き逃してしまったが、何とか聞き取れただけでも返事を返す。
けれどすぐに、深く考えもせず自分自身の黒歴史を無意識に漏らしてしまったことに途中で気づき、項垂れてどんよりとした空気を背負うことになった。
あれから千年以上もの時間が過ぎているというのに、俺にとって自分の名前は未だにコンプレックスであった。
そんな俺に気づいているのかいないのか、宰相様は終始その顔に浮かべた笑みを消すことなく早々に俺についての話を始めていた。
「さて、この後も宰相としての仕事もありますし、時間もあまり残っていないようなので、そろそろ私の本来の用件を済ませようと思います。大体の事情はもうメイドに聞かされていると思いますので、今必要な詳しい情報について話しますね」
「……ぇ? えぇ!? ……はい、お願いします」
何があっても聞かなければならないような最重要な話をあっさりと始めようとしたことに、思わず大声で驚いてしまう。
しかしすぐに失礼だったと思い、頭を下げながら話の続きを促せることにした。
結果として、その急な切り替えのお陰で、鬱になりかけていた俺の意識を完全に逸らすことができたことに気づく。
……もしかすると、宰相様は話を強引に始めることによって、意図的に俺の意識を変えさせたのか? きっとそうなのだろう。ありえなくないことが、実に恐ろしい。
「では、まずジャックさんの天能について話し始めましょうか。我が主が目をつけて助けるほどの天格者です。その天能についても、ジャックさん本人としてはさぞかし気になっていると思われます。――あなたの天能は【狂天】です」
「……きょう、てん?」
「えぇ。狂う天で、【狂天】です」
「なるほど、【狂天】か……」
エーデルの【灰天】が灰色に関する天能だった。
ならば俺のは狂うことに関する天能なのだろうか?
それだけだと、どこがすごいのか全く分からないな。
「もう想像がついていると思いますが、この【狂天】は狂うことに関する天能です。それに実は結構の数に、この【狂天】という天能を司る天格者がいます。なので、そこまで珍しいものではありません」
「……想像以上に酷いな……。――あの、では一体どうしてそんな天能に目覚めただけで俺は助けられたのでしょうか?」
「当然の疑問ですね。先ほどは【狂天】が珍しくない天能だと言いましたが、あなたの場合はその天格者の中でも珍しいものだったのです。いえ、正確に言うと初めてのケースでした」
「初めてのケース……?」
「【狂天】は文字通り、その天能を司る天格者を狂わせます。持っているだけで正気を失い、使えば最期、自身の魂と運命でさえも狂わせてしまいます。つまり今までの【狂天】を司る天格者は、全てが狂い死んでいるのです。どんな強靭な肉体や精神を持とうが、そこに例外はありませんでした」
「…………」
「けれど、その例に当てはまらない者が現れました」
「! それが……」
「そうです。あなたのことです、ジャックさん。――通常、覚醒した瞬間に狂い死ぬはずの【狂天】を何と一秒以上耐えきっていた存在に、我が主が最初に気づかれました。そうして暫く観察していたようでしたが、とうとうその存在が消滅させられる寸前に、自らこちら側に引き込むことでお救いになったのです。曰く、これは『狂天司』になるだろうとのことでした」
「『狂天司』……?」
「天格者が司る天能の位階のことです。『天司』は五つある中の、上から二番目の位です」
「はぁ、そうですか……」
「話を戻しましょう。天格者全体から見ても『天司』になれる器をもつ存在は一パーセントもいません。だからこそ、初めての【狂天】を司る天格者であり、更に『天司』の器をもつジャックさんは我が主自らが助けられたのです」
「……」
黙したまま、自分自身について振り返る。
かつて、霧崎 邪悪という名前のせいで人間関係が破綻した。
かつて、幸福な日々の途中をいきなり闇の中へと千年間も堕とされた。
かつて、闇から抜け出して希望を見つけようとした後に見知らぬ異世界の地で女神に嬲られた。
かつて、全てを奪われ希望も踏み躙られた挙句に何もできないまま消滅させられた。
そして、今――己の力である【狂天】について知ると同時にその凶悪なほどの危険さも知った。
思えば、自分の人生は試練続きである。
最初の一つ以外は抵抗も何もできないまま流されてきた結果なのだが、それはそれとして物凄く不幸だとしか言いようがない。
けれども希望も残されていたことを、俺は知る。
俺は今、生きているのだ。
闇に放置されようと嬲られようと消滅されようとしても、結果として俺は今、存在し続けている。
そして、最後に【狂天】だ。
凶悪な代償こそあるが、俺は自身の希望がそこにあることを見出した。
なぜなら俺が使う分には代償なんて必要ないのだ。
ノーリスクで使える俺だけの天能。
それが、俺の【狂天】だ。
全てがこのための試練だったと考えよう。
失ったと思われるものは、力を手に入れられた今から取り戻せばいい。
そこまで考えてから、目の前でずっと黙って待っていてくれた宰相様を見た。
何やら優しく頷いてきてくれるのだが、もしかして俺の考えは見抜かれていたのだろうか?
宰相様の説明はまだまだ続いていく。
……
…………
………………
そうして途中に休憩を挟みつつ、エーデルとプリムラが運んできた豪華な昼食を宰相様と取った。これまた当然のように、これまでの人生においてこれ以上ないほどの美味さで大いに感動するのだった。
そんな和やかな時間も終わり、長かった説明も佳境を迎える。
「最後に、ジャックさんの現在の魂の状態についてなのですが……」
「はい」
「ご存じの通り、ジャックさんの存在は一度消滅しました。ですがその件については先ほども少しだけ説明したように、我が主が急ぎこちらの城にある完全復活用の安眠部屋を利用したことによって、現在何の支障もなく動けるほどになりました」
「はい、本当にありがとうございました」
「いえ。ですが完全に以前と同じく元通りというわけでもないのです。それはジャックさんも薄々と気づいているように見受けられましたが……?」
「……えぇ、確かにそうですね。この城の中にいる限りは正常でいられると聞いていたのですが、今でも心の奥に狂気のようなものが渦巻いているのが分かります。俺はこれが消滅した瞬間かその少し前に何かがあったのではないかと思っています」
「そこまで自分で推測していらっしゃいましたか……。そうですね、その原因も既に特定できていますが……どうします?」
「……是非、教えてください」
「ジャックさんの推測は完全に合っています。そしてその原因が、ご自分も無意識に理解していたのでしょう、先ほど口にしていた狂気です。あなたは自身が消滅する寸前に、たった一つの願いをただ純粋に想いました。そしてそれは我が主に見事、聞き届けられたのです。その結果、ジャックさんはその純粋な願いを消滅した魂の代わりとして、この城で復活なさったのです」
「つまり……俺は最期に狂ったことを願ったのですね」
一体何を願ったのだろうか?
正直、全く分からない。
けれどもなぜか俺はその願いの内容を思い出さなければいけない気がする。
理屈ではない。ただ単純に俺の心がその答えを求めていた。
「……何だ……ッ、くそ……分からねぇ……」
そして俺は何も思い出せないことにイライラしてくる。
この時俺は注意力が散漫していたこともあり、宰相様が神妙な顔で同じように何かを考え込んでいることに気がつくことがなかった。
「…………思い、出したいですか?」
「はい……? ――――ッ!?」
そのため、宰相様が再び話しかけてきた時は変化した空気に気がつかずに顔を上げてしまう。
そして直後に俺は再び全身を硬直させ、大量の冷や汗を流すことになった。
なぜならこれまで見たこともないほどに真剣な表情をした宰相様がいたからだ。
元から纏っていた荘厳で神々しい雰囲気と凛々しい見た目であったのだが、これまではずっと穏やかな笑みを浮かべ続けてきていたのだ。
そのお陰で超絶美女に変わりはないが、話しかけやすい雰囲気ができていた。
しかしその柔らかな空気が突如刺し貫くような鋭いものに変化する。
思考の奥底でその感覚は錯覚であると理解はしている。
けれども、恐らくこの穏やかな笑顔が消えた宰相様こそが本当の宰相様なのだろう。
そう思えるほどに、今の宰相様は俺に圧倒的な迫力とともに圧力を与えてくる。
『天圧拒絶』はあくまで自身と相手との絶望的な力量差による精神の負担をなくす力である。
従って今回のようにカリスマ性を伴った外見の宰相様に対しては、純粋に効果がなかった。
こればかりは俺が美人をも超える超絶美人の持つカリスマ性に慣れるしかないのだ。
だけど、今はとりあえず許してほしい。
こんな状態では話すこともできないからだ。
俺は硬直した体に鞭を入れ、懸命に口だけでも動かす。
「ちょ……さ、宰相、さ――」
「――――あ。す、すみません。つい……」
幸運なことに俺の蚊が鳴くような声量でも宰相様はすぐに気づいてくれた。
即座にさっきまでの柔らかな笑みに申し訳なさそうな顔に浮かび上がらせて、その身に纏う空気を硬質なものから穏やかなものへと変化させた。
同時に俺の精神を襲う超絶美女のカリスマも霧散し、ようやく額を流れる冷や汗を拭うことができた。
目の前にいる宰相様も咳払いをしつつ、顔も目も穏やかな笑みのまま真剣な空気を纏い始めていた。
「……コホンッ……。それでは、ジャックさん。あなたが今忘れてしまっていて、どうしても思い出したいその願いの内容を思い出させるための手助けをしましょう」
「手助け……ですか?」
「はい。私たちもその答えを知ってはいますが、恐らくこれはジャックさん自らが思い出した方がいいことだと判断したためです」
「なるほど、確か……今の俺という存在の根幹にもなっているからですね?」
「その通りです。天格者は自身の天能について、常に自分自身で探究していかなくては意味がありません。今回もジャックさん自身が思い出すことにより、【狂天】は完全にあなたの存在と同化することでしょう」
「【狂天】を、完全に……」
「別に今のままでも十分強力だと思いますがそんな妥協は私たちも望まないことですし、何よりジャックさんが全てを思い出した時のためにも天能はより強くしておくべきでしょう」
「それは……俺がもっと強くならなければいけないような願いだから、ですか?」
「そうですね」
答えは直接教えてもらえない。
普通なら手間を省いて早く教えてもらおうと思うだろう。
けれど自分自身で思い出すことで更なる力が手に入るのだ。
不思議なことにそれだけで直接教えてもらうという選択肢は消えていた。
俺の魂そのものが更なる力を求めていたからだ。
「そうか、なら……是非思い出すための手助けをしてください」
「良いのですか? 恐らくこの願いは思い出す過程で相当精神を消耗させてしまいます。例えこの場所が完全に正常を保たれる力に満ちていようと、です」
これは確実に相当大変な試練になるだろう。
さっきまでの宰相様の顔を思い出し、俺はそう考える。
だがそれでも俺は退かない。
魂が求めるままに突き進んでいく。
「構いません、それを含めて何とかします。だからお願いしますッ」
「……流石ですね。では自分の意識を強くもっていてください。それほど衝撃的な願いですからね」
「覚悟はできています」
「そうですか。それでは一つだけ、質問をしましょう。――ジャックさん、本当にこのままでいいんですか?」
「…………え?」
唐突な質問に俺の思考は対応できずに停止する。
つまり意味が分からずに首を傾げてしまっていた。
「本当に、何も変わらずに今のままでもいいのですか?」
「――――ッ!?」
俺自身の現状、魂の真実。
それらを立て続けに聞いていけば普通なら混乱してしまうはずなのだが、今の俺は天格者になった影響のせいかずっと冷静でいられる。
だが今の宰相様がした質問には、これまで冷静だったはずの心を大きく動揺させていた。
いや、理性だけは確かに最初から最後まで冷静でいられた。
けれど今回はまるで魂が、俺の存在自体が揺らされた感じだった。
この質問こそが宰相様の言っていた手助けなのだろう。
その証拠に俺は訳も分からずに存在自体を揺さぶられているのだから。
今すぐに思い出さなければいけない。
そんな焦りが冷静な思考を浸食し始める。
俺は自分の願ったという願いの内容を知らない。
今の俺自身を形作る魂に宿っている狂気を知らない。
しかし的確に俺の存在を揺さぶる宰相様はやはり、俺の願いの内容を知っているのだろう。
そしてその宰相様が言うのだ。
思い出させてくれる手助けをする、と。
その過程がもっとも辛い、と。
だからこそ意識を強くもて、と。
今一度俺は自分自身の魂に話しかけた。
そして――――
底知れぬ狂気を感じる。
けれど今の俺に必要なのは、その狂気を理解することだ。
絶対正常なはずなのに狂いそうになる。
つまり俺はそれほどの願いを願っていたのだ。
存在を含む全てが消され、それでも最後まで残っていたのがその願いだったのだろう。
ならば思い出せるはずだ。
なぜなら俺の魂が願いそのものだというのだからだ。
だから――――
――――思い出せ
――――思い出せッ
――――思い出せッ!
……
…………
………………
……………………
『――――神を、殺したい――――』
……………………
………………
…………
……
目を見開き、辺りを確認する。
完全に空気だったエーデルとプリムラが何やら俺を見て驚いていた。
視線を目の前に戻す。
柔らかく微笑んでいる絶世の美女がいた。
「今まで見た中であなたが一番美しいです、宰相様」
「それはありがとうございます。ですが私の身も心も全ては我が主のもの。ごめんなさい」
「ははッ、これは振られちゃいましたね」
不思議な気分だった。
安眠部屋で目覚めた時から既に快調だったはずなのだが、今はそれを軽く上回る。
全身が軽い、心が軽い。
まるで、今の俺こそが本当の自分だというようだ。
そして何より、正常な思考の中に宿る狂気。
いや、その狂気を含めて俺自身なのだ。
それこそが本当の【狂天】を司る者ということなのだろう。
「思い出させてくれて、ありがとうございます」
「上手くいきましたね。お疲れ様でした、ジャックさん」
「えぇ、考えてみれば随分と簡単なものでした。というよりもなぜ今まで忘れていたのかが不思議です」
「そうでしょうね。そもそも正常な思考に狂気を宿す者がいるなど、あまり聞いたことがありません。いたとしても長時間続けていれば自壊していきます。けれども常にその両方を心に持つジャックさんだからこそ、【狂天】を目覚めさせた上にそれを司る天格者へと至ったのでしょう」
確かにその通りだ。
思えば闇から抜け出した直後の異世界で俺は一瞬だけ狂気に支配されていた。
あのくそ女神が言うには自分の司る享楽の力によって、俺は狂うことはないはずだった。
つまり、その一瞬の間に俺は【狂天】を目覚めさせて女神の力を弾いたのだろう。
けれどその時はまだ完全に目覚めていなかったために女神の拷問によって精神を狂う寸前まで持って行かれてしまった。
そこからは僅かな正常な思考を狂気に押し流されないようにするのに必死だった。
その抵抗こそが【狂天】を強化しているのだと宰相様は言っていた。
恐らく【狂天】をただ目覚めさせただけでは助けてもらえなかっただろう。
その後の抵抗による【狂天】の強化と正気を僅かにでも保っていられたからこそ助かったのだ。
そして最期の願いも同じだ。
他の願いだったら叶えてもらえずにそのまま消滅していた。
正気だった時も狂った時も同じ、純粋な願いを願ったからこそ俺の器を認められて助かったのだ。
そうして今の自分に至るまでを反省して思った。
俺は心底幸運だったと思う。
今の俺にはそのお陰で【狂天】という力も手に入り、今までとは全く違うのだ。
けれど、だからこそ俺は自身の願いを叶えるために動き出さないといけない。
「宰相様。俺の願いは、神を殺すことです」
「えぇ、知ってますよ」
「そのための力も手に入りました」
「そうですね」
「ここの超高度文明についてもいろいろと聞きました」
「目的を思い出し、力を手に入り、手段も理解した。なるほど、そこまでそろったあなたはこれからどうするのでしょう?」
「はい。こうなったらもうやることは一つだけです」
目の前で嬉しそうに笑っている宰相様の目を見て、俺は言う。
「―――俺は、再び神を殺しに異世界の地へ行きます」




