045.名も無き街と這い寄る狂人
村を飛び立ち、音速で北に進むこと数十分。
小さい村は無視して大きい街だけを目指していると、やがて遠目にだがようやく街らしき人里が見えてきたので、適当な屋根を選別して着陸する。
同時に腕一本で掴み続けていたルーナ(ぐったり状態)も屋根の上にそっと下ろしたのだが――突然カッと目を見開き、ぐりんっと首を回したルーナは視界に俺を収めると、そのまま猛然と詰め寄ってきた。
「死ぬかと思いましたっ、本当に死ぬかと思いました!」
「うるせーな、聞こえてるって」
何やら必死さが具現化しそうなほどの執念すら感じるルーナの態度に、俺は内心で一歩引く。
あー、これは面倒くさい予感。
分かってる分かってる。
要するに怖かったってことだろ? 慣れの問題だから、慣れの。
ひらひらと手を振りながら返事していると、何が気に食わなかったのかルーナは益々目を吊り上げる。
「分かってないです! 何ですかっ、お互いに手だけを掴んで飛ぶというのは! 力技すぎますっ、もっと配慮をお願いします! お陰で今は右腕に力が入らないのですよっ!?」
言いながらだんだんと何か込み上げてきたのか、涙目になって「これでもわたくし、魔法こそ使えますが身体は普通の乙女なんですよ!?」と憤るルーナ。
はいはい、ほんと悪かったって。
次からはもっと気を付けるから。そんなことより……。
――ゾワァァン……(ウ・ル・サ・イ)
「……むぐっ……!?」
ルーナに纏わりついていたフォースが強制的に口を閉ざさせるも、時すでに遅し。
眼下では俺たちのいる屋根を見上げて、周囲から人々が集まっていた。
どうやら少し騒ぎすぎたらしい。
一応、人目が少ない民家の上に止まったつもりだったが、流石に大音量で怒鳴られては人の気も引いてしまう。
だらりと下がった右腕を心底痛そうに摩っているルーナを見ると、その憤りも多少は理解できてしまったので黙って抗議を受け入れていたが、流石にこの状況ではマズかったようだ。
「……ちッ、やはり面倒な展開になったか」
ついには眼下の民衆の一人と目が合い、真っ直ぐ俺を指差して「異教徒だ!」とまで叫ばれる。
本当にどういう原理で判別しているのか、とても不思議だ。
とはいえ着陸点を人気の少ない屋根の上にしておいて良かった。これが街中であれば、きっと今まで通り全ての住人vs俺という構図の戦いが始まっていたからな。
今は同行者にルーナもいるし、精神的にもそこまで殲滅したい気分ではない。
「ここは退くか……ルーナ! 飛ぶぞ!」
「……んむっ!? むーっ!」
「何を言ってるか全く分からんっ。が、しっかり掴まってろ……!」
「〜〜っ!!」
俄かに騒ぎ出した眼下の愚民どもを置いて、俺はフォースに口を塞がれたままのルーナを脇に抱えると、とんッと軽い音を残して瞬時に屋根の上から飛び立つ。
一瞬にして上空という高さまで飛んだ俺は、そこで改めて街の中で人のいない場所を選別する。
(あー……あそこがいいか。何だかスラム街っぽい雰囲気だが、仕方ない)
ちらりと先程までいた屋根の下を見てみると、屋根から比較的近い範囲内にいた人たちが続々と集まっていくのが分かった。
もう俺たちは屋根の上にいないっていうのに、そのことにも気づかず愚民どもは無人の屋根に向かって延々と敵意を向けている。
恐らくこの後も奴らは俺たちがいないことに気づくまで飽きることなく屋根を囲み続けるのだろう。
奴らの生態は、これまで何千何万と駆除してきた俺だからこそ手に取るように分かる。なのでこの予想も外れることなく当たると確信していた。
まったく、ご苦労なこった。どうか死ぬまで続けていてくれ。
「ふぅー……とまぁ、人里で騒ぐとこうなるわけだ」
「…………んむー……」
スタッと軽やかに二度目の着地を決めながら、脇に抱えたルーナへと語りかける。
俺に同行する限り、こうしたリスクは常に背負っているのだと身をもって知ってもらいたかったのだ。
口で言うよりこうした方が分かりやすいだろうという、俺の親切心である。
先程以上にぐったりした様子のルーナは、けれど身をもったことでしっかり理解してくれたのかコクリと頷きを返す。
うむ、結構。分かってくれたようで嬉しい限りだ。
「……ぷはっ――ぁ、自由に動けますわ」
とりあえず上空から探った感じと周囲の気配から辺りに人がいないことは分かっているので、フォースにルーナの拘束を解除させた。
流石に口を塞ぎ続けるのは哀れだし、何より強制的に黙らせたのも状況が状況だったからだ。
そのため脱した今となっては、最早ルーナの口を塞ぐ必要性は欠片もなかったのである。
ただ、念のためフォースには引き続きルーナの護衛を続けてもらう。
例え人のいない場所だろうと、頭のおかしい人間どもの街であることに変わりはない。
どこに危険が潜んでいるか分かったものじゃないからな。
「俺はこのまま捜し物について調べてくる。ルーナは……」
「――もちろん一緒に行きます! 連れて行ってください!」
この後の予定について、いつも通り一人で情報収集にでも行こうかと考えていると、食い気味にルーナが同行を宣言してきた。
お、おう。
頑なに同行する意志を見せつけられ、急にどうしたのだと困惑する。
何が“勿論”なのかは知らんが……まぁ、別に構わないか。
付いてくるなら静かにな。
さっきみたいに騒がれたりしたら、また上空に緊急脱出しないといけなくなる。
「はいっ、今度こそ役に立ってみせます!」
ふんすっ、と鼻息荒くも気合十分といった様子でルーナは言い放った。
……。
どうも女の勘か、何かの感覚によって己が活躍できそうな機会を嗅ぎ分けられたらしい。
頑なに同行を申し出たのも、それが理由なのだと思われる。
(別に付いてきたい理由は何でもいいのだが……ルーナが役立つシチュエーション……?)
ちょっと考えたくらいでは思いつかないな。
幼い見た目を活かして懐柔を計ることくらいだろうか。
しかし、と。
かつての苦い記憶、幼女化ですら通用せず、血も涙もない対応をされたことを思い出す。
見た目が同じ年齢のルーナだろうと、この世界のイカレ人間どもは容赦しないだろう。
懐柔案では、ルーナが役立つことはない。
けれど他に役立つシチュエーションは何も思いつかず、ともすれば置いて行ったほうが良いのではないかとさえ考える。
「――あの」
ルーナが再び口を開いたのは、そんな時のことだった。
「そもそもの話ですが、ジャックさまは……女神さまを信仰していらっしゃらないのですよね」
その一言は、この上なく俺の心に突き刺さる。
そして己の空気を一変させるのにも十分すぎるものであった。
吸い寄せられるようにルーナを見やれば、そこには真剣な眼差しで俺を見つめる少女の姿。
「……。だとしたら、なんだ」
「いえ……先ほどの人々の反応を見て、そうではないかと思いましたが……、やはり異教徒の方でしたか」
「――――」
ゆっくりとルーナに向き直る。
彼女の真剣な眼差しと、色のない俺の視線が交わった。
……そういえば、聞いていなかったな。
丁度いい機会だとばかりに、俺はルーナを見据えたまま口を開く。
「お前は……女神の、――シェルミールの信者か?」
スーッと脳裏が冷えていき、身体の中心に熱く煮え滾るものが生まれていくのを感じる。
変化は己自身に留まらず、ピシッ、パキンッと周囲に点在する小石や草木にも影響を与えていく。
ここに至ってルーナも俺の逆鱗に触れてしまったことに気づき、真剣な眼差しの奥に緊張の色を混じらせた。
だが今さら退くこともできず、何よりその理由もないのだと確かな覚悟を瞳に宿したルーナは、ゴクリと唾を一つ飲み込んでから俺の問いに答える。
「はい。わたくしは……女神シェルミールさまを信仰していますわ」
「っ……そう、か……」
反射的に沸き起こる殺意を抑え、辛うじて無表情を取り繕った俺は頷く。
――ルーナは我が怨敵の信者だった。
その事実に感じたのは失望か、はたまた絶望か。
何れにせよ、俺のルーナに対する温度が一段と下がったことに間違いはない。
ふぅ、と空を仰ぎ見て、瞳を閉じる。
敵の信者は、全て等しく同じ敵だ。
敵と知ってなおルーナに対する殺意を抑えられるのは、単に彼女が俺へと敵意を抱いていないからだった。
本当に、それだけである。
「ですが……」
何だよ。
性懲りもなく話しかけてきたルーナへと衝動的に、ギロリと視線を向けそうになる。
しかし、いま視線を向けては再び【狂天】が暴走しかねない。
だからヘタに話しかけたんじゃねェ。
ルーナに無言で訴えかけるが、一方の彼女も実は俯きながら話していたらしく、そんな俺の様子に気づかず話を続けた。
「――わたくし、信者としての力は何もないのです」
……。力?
何だか気になるセリフに、俺の中の熱が僅かに下がる。
ルーナの言い分だと、まるで彼女は自称信者であるかのように聞こえた。
ということは、俺もルーナに殺意を抱く理由がなくなるだろう。
つまり、それは……どういうことだ。
「えっと、そのぅ……わたくし、実は――!」
そして、感極まった様子でルーナが顔を上げる。
彼女の羞恥に満ちた表情を見て、俺は自分の予想が正しかったことを直感的に悟った。
やはり、こいつは……!
「――わたくし、勝手に信仰をしていますが女神さまからは信者として認められていないんですー!!」
――自称信者のイタい奴ッ!
……
…………
ルーナに対する疑いは、すっかり晴れた。
結局、俺から見て彼女はただのイタい少女だったということだ。
殺意なんてものも一瞬で消え去る。
「で、信者の力ってのは?」
「……それよりジャックさま、急に態度を変えるのは怖すぎるのですが」
そいつは慣れろとしか言いようがないな。
あとは、俺といる以上は地雷を踏まないよう気をつけろとも。
ともあれルーナも自称信者だと暴露させられたことに羞恥を感じ、照れ隠しとして言ってみただけなのだろう。
コホンと取り繕うように咳払いをして、彼女は改めて俺の問いに答える。
「女神シェルミールさまの信者になると、基本的な力として信者同士の繋がりを認識できるようになる能力が得られます」
「繋がり?」
「そうです。そして、それがジャックさまを自分たちにとっての異物と断じられた要因なのです」
繋がりがない者、つまりは信者ではない者のことだ。
おまけに、この国で信者じゃない者は異教徒以外にあり得ないとルーナは言う。
「……なるほど、なァ」
「はい、なので女神さまを信仰していない者にとってこの国はとても生きづらい場所となるのです」
ルーナの話は大いに納得できるものだった。
これまでも、この世界のイカレ人間どもが何らかの方法で見分けているのではないかと考えたきたが……やはり、そういうことだったか。
道理で幼女化が通用しないわけである。
俺は過去の黒歴史が単なる黒歴史ではなかったことに安堵した。
……まぁ、だからと言ってもう二度と幼女化をする予定もないが。
(ん……待てよ?)
ふと思い出す。
これまで俺に友好的だった人物は、皆どうしてだか周囲の人々から無条件に嫌われていた。
本来ならイカレどもの信者能力とやらで繋がっているはずなのに、何故そこで逆に嫌われるのか。
実に不可解である。
「というわけで、お前は何か知ってるか? ルーナ」
条件で言うと、このルーナも俺に友好的な(自称)信者である。
これまでの経験則から、彼女も他の信者たちから嫌われている可能性があるかもしれない。
そんなわけで実際のところどうなのかを本人にさり気なく聞いてみた。
お前って嫌われてるー?
「……何故だか不本意な気持ちでいっぱいですが、そうですね。確かに、わたくしたち女神さまに認められていない信者は認められている信者から繋がりを認識できない紛い物として見られています」
なのでそういう意味ではわたくしも嫌われることになりますね、とルーナは首を傾げながらそう言った。
態度には出していないつもりなのに、相変わらず謎に鋭いルーナである。
俺はとりあえず相槌を打った。
「あ、そう……」
「はい。ですが人前に出る必要があるならジャックさまではなく、わたくしを通した方がよろしいでしょう。わたくしなら嫌がられることはあっても、それ以上のことはありませんので」
そういうことらしい。
己の価値はそこにあると、キッパリと言い切るルーナの目を見れば、逆に強い意志を込めた眼差しで見つめられる。
……。俺は静かに頷きを返した。
彼女がそこまで言うのだ。
一度くらい試してから判断を下すべきだろう。
「……そうだな。では、――こいつを預ける」
俺はルーナに向き直り、腰元から白銀に輝く抜き身の長剣――神剣サウザンドを引き抜き、彼女へと差し出した。さぁ受け取れ。
けれど、ルーナは差し出された長剣と俺の顔を交互に見るだけで、中々受け取ろうとはしない。
どうやら急な展開に困惑と戸惑いが先行してしまい、理解が追い付かないでいるようだ。
……まぁ、いきなり自分の身長にも迫ろうほどの長剣を差し出されても、普通の人間ならノータイムで受け取ったりはしないか。
(ったく、世話の焼ける奴だ)
仕方ないので、彼女の手を掴んでそのまま強引に神剣サウザンドを握らせる。
すると手に持った途端、その長剣が普通の剣とは違うことを理解できたのだろう。
ルーナの目の色が変わった。
「これと同等か、もしくはそれ以上の剣の情報について見つけてみろ。俺は……それまでお前の帰りを待っていよう」
「――!」
パッと顔を上げ、ルーナが真っ直ぐに俺を見る。
呆然と長剣(重すぎて切っ先が地面に埋まっている)を手に持って立ち尽くし、そうしてポカンと間抜けにも口を開けながら俺と視線を交わすルーナ。
だが、だんだんと俺の放った言葉の内容を理解してきたのか、次の瞬間には一気に喜色満面の笑みをその顔に浮かべた。
「は、はい! 頑張りますっ!」
頬を紅潮させ、ルーナは心底から嬉しそうに(切っ先が地面に埋まったままの)長剣をキュッと胸に抱く。
……人とは、不思議なものだ。
何もせず他人に寄生することに疑問すら抱かない人間もいれば、こうして自分の存在価値を認めてもらおうと積極的に仕事がしたがる人間もいる。
ルーナの場合は、それこそ見捨てられたくないという思いからの行動なのだろうが……不思議なのはそうまでして俺に着いて来ようとする理由の方だった。
自慢じゃないが、俺の性格はかなり酷い。
普通の人間なら一緒にいようとすら思わないだろう。
しかしルーナは俺がどれほど死体を量産しようと軽く悲鳴を上げるだけで、量産した死体については何も文句を言わず付いてくるのである。
余程の依存症か、何かの思惑でもあるのか。
何れにせよ並大抵の思いでも持っていなければ、息をするように人を殺し、死体の山を築くような男になどついて来ようとはしないだろう。
(うーむ。謎だ)
というわけで、俺は監視の意味も込めて意気揚々と情報収集に出かけたルーナの後を追跡することにした。
一応、監視の目は護衛代わりに纏わりつかせたままのフォースでも担えるが、やはり監視以外にもルーナ一人に情報収集を任せるわけにはいかないだろうという判断のもとでの尾行である。
それとルーナ本人には期待して待ってるというようなことも言ったが、あれは嘘だ。
あんな何もないスラムのど真ん中で待つのは真性の阿呆くらいのものだろう。
ちょっと考えれば常人なら素直に待つはずがないと分かるはずだ。つまり……騙される方が悪いのさ、騙される方が。
(とはいえ――)
ビクビクとスラムの雰囲気に怯えるルーナと、ボヤけた空気として彼女に纏わりついたフォースの向こう側。
遠目に見えてきた街の大通りの、そこに行き交う人々の姿を俺はジッと見る。
(問題はイカレどもに見つかって騒がれることだが……)
ま、それも問題ないだろう。
俺は今でも己に掛かっている異能の[虚偽の仮面]による偽装の強度を操作し、見た目と能力の制限のうち見た目の偽装を強化する。
つまり、人々から認識されなくなるほどの強化――透明化を己に施した。
(――見られなければ問題ない、ってな)
イカレどもが騒ぐのはいつも俺を視認した時だった。
ルーナの話では、奴らは俺との繋がりを認識できないために騒いでいるらしい。
だが、それを聞いて俺は思ったのだ。そもそも視認させなければ良いのではないだろうか、と。
幸いにして俺には強力な偽装能力である[虚偽の仮面]という異能があり、これを使えば視認させないよう透明化することも可能である。
実際は[虚偽の仮面]にピンポイントで透明化するという能力は含まれていなかったのだが、そこは【狂天】の一時的に狂化する力を利用し、能力に付属する基本的で概念的な制限を取り払うことで難なくクリアすることができた。
故に使わないという手は、当然なかった。
――ゾワァンッ……(ド・コ・イ・ル)
「きゃッ……フォースさんっ? どうかしたのですか?」
あ、しまった。
聞こえてくるルーナの声と焦り気味のフォースを見て、そう思う。
俺の姿を視認できなくなったことで、フォースが動揺してしまったのだ。
普段は俺に纏わりついているか、そうでなくとも周囲の空気と同化して漂っているフォースである。実質、常に俺と接して互いにその存在を感じ合っていると言っても過言ではない。
けれど現在、フォースにはルーナにピッタリと纏わりつくよう指示を出しており、そのせいで俺を視認でしか認識できない状態だった。
先ほどまでは俺が尾行している事に気づいていたこともあって、だからこそ事前通告なしで急に異能を使用して消えたことにフォースは慌ててしまったのだろう。
恐らく、俺が敵からの攻撃によって姿を消してしまったのではないかと想像して。
(……可愛い眷属だ)
何ともほっこりした気分にさせてくれる。
これは早く存在を知らせてやらないといけないな。
そう思って俺は手首から先の透明化を一瞬だけ解除し、フォースに向かって軽く振って見せる。
「(――安心しろ、ここにいる)」ひらひら
時間にして一秒にも満たず、仮に他の目撃者がいても気のせいで済ませてしまうほどの短い合図。
しかし我が眷属であるフォースには、それで十分だった。
コンマ一秒でひらひらと振られる俺の手首を発見したフォースは、すぐさま落ち着きを取り戻し、俺のやっていることを理解してくれたらしい。
頻りに何があったのかと尋ねてくるルーナの背を叩き、フォースは俺に一礼(雰囲気)すると、そのまま人の行き交う大通りへと向かい始める。
(さて、ここからか)
スラムから表の大通りへ。
俺もルーナとフォースの後を追うように、人の多い道へと足を踏み入れた。
これまでは騒がれてからの皆殺しか、屈辱に耐えるかの二択しかなかったので、こうして透明状態だが堂々と歩けるのは感慨深いものがある。
相変わらず周りを歩くイカレどもと仲良くなれる気はしないが、……なるほど。これが異世界の街の空気か。
かつてジャッ子として感じた空気とも違う、冷静な状態で感じる異世界の街の空気に、俺は思わず目を細める。やっと落ち着いてみることができた。
(ふむ……こうして見ると、異世界の街も地球に存在するそこそこ田舎な街と変わらないな)
何だか観光でもしているようで、面白い。
ふと視界の先では、ルーナもキョロキョロと辺りを見回すようにしながら歩いていた。
まるで観光客のようだな。
呑気にそう思う俺だったが、冷静に考えるとおかしいことに気づく。
(ん? あいつ、もしかして街中を歩いたことがない……?)
一応とはいえ、今までいくつも村や街を巡っては滅ぼしてきた俺だ。街に対する批評眼もそれなりにだが養われている。
そんな俺から見ると、この名もなき(名前知らない)街は見るべき点がない。
特筆すべき点は何もない、つまり観光名所なども一切ないという逆に珍しいほどつまらない街だった。
だが、現にルーナはまるで初めて街中を訪れたかのような反応を見せている。
このことから俺は密かに貴族出身ではないかと疑っていたルーナの評価を下方修正し、極度の箱入り娘と認識を改めた。
(今後は誰もが知ってる一般常識や、簡単なことだけを聞くべきか。あまり世俗的なことを聞いても答えられない可能性があるし……むしろ逆に助けを必要としているくらいだな、あれは)
今もフラフラと本人は意識していないだろうが、目についた興味深そうなものに身体があちらこちらへと引き寄せられている。
その都度フォースが全身を締め付け、ルーナを正気に戻せているのものの……この調子で情報収集が上手くいくのだろうかと俺は不安に思う。
スラムから抜ける最中も、実は少なくないスラム住人がルーナを背後から襲おうとしていた。
ビクついていながらも肝心なところで彼女は何も気づかず、全てフォースと俺の手によって片付けていたのだ。
思えばその時からルーナは初めての街というか、おつかいに心が浮かれてしまっていたのだろう。
「……あまり期待しない方が良さそうだな」
言った傍から、ガラの悪い二人組の男がルーナの背後から近づく。
お上り感が丸出しだったルーナ本人の問題もあるのかもしれないが、半分くらい俺にも原因があったかと反省する。
というのも今のルーナは、その背に神剣サウザンドを物理的に背負っているのだ。
これまでは運よくルーナの思惑通り嫌悪の視線で見送られるのみだったが、それでも物欲が強く、また悪行を為す事に躊躇のない者が見ればどうなるかくらい事前に予想してしかるべきだった。
既に《十六夜兵装》を持っている俺からしたら失っても痛くないものだが……やはり常人には果てしない魅力を持つ剣として見えたのだろう。
そんなものを軽々しく背負わせて悪かったな、ルーナ。
「よォ、嬢ちゃん。道案内が必要かぁ?」
「俺たちが案内してやるぜ。お代は……その剣でいいからよォ」
あーぁ、早速絡まれてら。
声をかけられたことにびくりと震えたルーナは、大きくその目を見開きながら振り向く。
その顔は「嫌われている自分に声をかけてくる者がいるなんて」という驚きに満ちていた。
うん。ほんと悪いな、これは百パーセント俺のせいだ。
「え? あ、その……」
ほら、ルーナなんて完全に予想外な出来事で固まってしまっている。
普通に無視すればいいのに、下手に反応してしまったせいで男たちの距離が更に近づいてきた。
気弱そうなルーナの反応に調子づいたのか、今度は大声で絡みだす。
「おら遠慮すんな!」
「重そうだし剣は持っといてやるよ!」
グイグイと男たちはルーナに絡み、ついにはその背に固定されていた神剣サウザンドにも手を伸ばし、無遠慮に引っ掴んだ。
なおルーナにはフォースを護衛につけているので、そのフォースが動かない限りは俺も介入するつもりはない。
そして恐らくフォースもルーナが直接傷つけられでもしない限りは動かないつもりなのか、これには何も反応しなかった。
「ぁ――無礼者ッ!!」
しかしルーナにとっては、どうやら男たちは譲れない一線に触れてしまったらしい。
剣の柄に男の手が触れた瞬間、彼女の顔色が変わる。
ニヤケ面を浮かべていた男の顔は、そうしてルーナの勢いよく振り上げられた手に捉えられ、パチンッと強制的に横を向かせられたのだ。
「…………あ?」
「お、おい……」
張られた頬に手をやり、呆然と呟く男。もう一人も、そんな頬を張られた男に何かを言おうとして失敗する。
けれど、それも仕方ない。
あの気弱だったルーナが急に頬を張ってくるなんて、誰もが思ってもいなかったのだ。
因みに俺も見ていて驚いた。せめて何か言ってから手を出せよ。
「この剣は、決してあなたが触れて良いものではありませんっ!」
呆然と男たちがルーナに視線をやれば、彼女は手を振り切った姿勢のまま、キッと目に涙を浮かべながら気丈にもそう宣言した。
どうも預けられた長剣は、既に彼女からしたら命の次くらいには重要なものとなったらしい。
マジか、この女。ただの剣(と言うには神聖かつ上等すぎる代物だが)に短時間でこれほどまでに思い入れられるとは、色々な意味で恐ろしすぎる。
「なっ……んだとォ、このガキがァッ……!」
だがその宣言に、我に返った男が額に青筋を浮かべて吼える。
張られた頬に手をやっていた男も、いつの間にかその手を無言で握りしめ殴る体勢に入っていた。
ま、そりゃそうだ。
剣を強奪しようとするくらいには良心のない男たちである。先制攻撃をされて何もしないはずがなかった。
(けど、お遊びはここまでだ)
フォースを見れば、男たちの様子に反撃する用意を整えているのが分かる。
……この街もこれで終わりか。
いつも通り揉め事を起こし、そいつらを片付けては次々に湧いてくるイカレどもも処理していく。やがて出来上がるのは、人という人が死に絶えた無人の街。
面倒だけど、最後に何人か残して情報を引き出すしかなさそうだな。
こんな名も無き街に大した情報があるのかどうかは知らんが、だからと言って手を抜くわけにもいかない。
(時刻はまだ昼過ぎ。手早く済ませば次の街にも間に合いそうか)
ハァーと溜息を吐き、そうして手首の透明化だけを解除してフォースに合図を送る。
既に騒ぎすぎたせいもあって男たちとルーナには周囲からの注目が集まっていた。
これではどうあっても誤魔化すことができないだろう。
ならば精々派手に暴れてやるかと、涙目で男たちと対峙するルーナのもとへと足を進めようとした――その時のことであった。
「――待ちなさいっ!」
おや、これは珍しい。
ルーナと男たちの間に颯爽と入り込んでくる女の姿を見て、俺は自分では決して成し得ない、ルーナだからこそ成立した光景に目を瞬かせる。
女は怯えるルーナを背に庇い、いきり立つ男たちを睨みつけた。
「さっきから見ていれば、あなたたち! こんな幼い少女に寄って集って恥ずかしくないのっ!?」
「あぁ? テメェには関係ねェだろーがッ!」
「怪我したくなきゃあ、すっこんでろッ!」
ヒュ~。
何だか面白そうな展開に、俺は口笛を吹く。
とりあえずは流れに任せて、俺とフォースは男たちに手出しすることを止めた。
このまま上手くいけば面倒事を起こさなくても済みそうだからな。イカレどもを殺すことに躊躇はないが、そこまで好き好んで殺したいわけでもないし。
「威勢がいいのは結構なことだけど、目撃者が多いことを忘れてはいないでしょうね?」
「あぁん? だからそれがどうした!?」
「俺たちがそんなことで怖がるとでも思ってるのかッ!? このクソアマが、舐めやがって――!」
そうこうしている内に、展開が変わる。
挑発的な物言いを続ける女へと、ついに男の一人が我慢できず拳を振り上げたのだ。
しかし――、
「騎士様っ、あそこです!」
不意に周囲で野次っていた観衆の一人が、大声でそう言った。
するとその言葉を起点に、これまではルーナを庇った女を見るだけだった観衆も、ざわざわと男たちを非難する声を上げ始める。
国家権力の登場に気を強くしたのだろう。男たちが暴力を振るおうとしていたのも、自分たちが正しいことをしていると観衆に勇気づけたのかもしれない。
ともあれ周囲が急に自分たちへと非難の声を上げ始め、流石の男たちも集団の圧力までは跳ね除けることができなかったようだ。
「――くそッ、覚えてろよ!」
せめての意地か、女に向かってペッと汚い唾と捨て台詞を吐き、男たちは慌てて尻尾を巻いて逃げていく。
ルーナを庇った女の完全勝利である。
わッと最後の最後だけおいしい部分を掻っ攫った観衆たちも、これには自分たちの正義が勝利したと喜びの声を上げた。
……く、くだらねぇ。
演じているのがイカレどもなせいで、俺には全てが茶番劇に見える。
さっきまではガラの悪い二人組の男たちに殺意を抱きかけていたのに、今では不思議と目の前のイカレどもに殺意が湧き起こりかけていた。
「大丈夫? もう怖くないからね」
「は、はい。助けていただいて、誠にありがとうございました」
ふと見れば、沸き上がる観衆を余所に女がルーナへと優しく声をかけていた。
その女もイカレどもと同じ人種だが、他と違って半端な信者にも優しいらしい。いわゆる奇特な人間なのだろう。
どうやら女は人望もあるようだし、彼女がルーナを庇っても観衆は誰も否定的な感情を抱かなかった。
このことはルーナも気が付いているようで、暫く彼女らの様子を見ていると、どうやらルーナは情報収集のために女を利用しようとしているらしいことが分かる。
(この様子だと、俺はいらないな)
強かなルーナを見て、後はフォースに任せようと踵を返す。
女が同伴する今、俺がついて行っても意味はないだろう。何より退屈そうだ。
結局ルーナがどうして俺について来ようとするのかも分からなかったし、むしろ病的な執着心が垣間見えてしまい、謎はますます深まった。
ここは始めに言った通り、大人しくスラムで待っているとするか。
……
…………
………………
(だからと言って、どうして連れてきた!)
数時間後。
笑顔で隣の女を紹介するルーナに、俺はポーカーフェイスを必死に保ち続ける。
場所はスラムのど真ん中で、宣言通りに待っていたところで――これだ。
情報収集の過程ですっかり仲良くなったのだろう。
ルーナも完全に女を信用した様子で、だからこそ俺の所まで連れてきたのだと思われる。
(でも……違う。違うんだよ、ルーナ)
理屈ではない。
イカレどもは、問答無用で俺に敵意を抱くからこそイカレどもなのだ。
例えルーナが互いにどれほど信頼関係を築けようと、その相手がどれほど善良な人間だろうと関係ない。
表向きではルーナのために完璧な笑顔でいるが……異能の[悪意把握]を発動すれば、紛うことなき敵意を俺に抱いていることが簡単に分かる。
そんな女が無言で足を一歩踏み出し、真っ直ぐ俺に微笑みかけながら言うのだった。
「リリィ=アドルファーティよ。どうぞよろしく」
「……」
……。
――アドルファーティ?




