039.閑話 『絶対零度』
時系列的には、多分、五章か六章かそれ以降の話になるのかもしれない。
何れにせよ当分は伏線やキャラクターを含めて出てこないので、単なる後日譚のようなものとして捉えてくれればありがたい。
――西の辺境都市ヴィーラン。
そこは、かつては隣接する終焉の森より定期的に湧き出るモンスターの脅威からヴァリエーレ聖王国の西部を守るため、聖騎士グレゴリオを中心に最強の城塞都市として機能していた街であった。
けれども、ある時。
神敵の出現により聖騎士グレゴリオが斃されると、立て続けに神敵は街まで攻撃し、更には神敵が去った後もモンスターの大群による侵攻のせいで、最強の城塞都市は為す術もなく一夜にして崩壊してしまう。
偶然と言うには、何もかもが最悪すぎるタイミングである。
果たして人の姿もなく、神敵の攻撃から免れた建物もほとんどが後から来たモンスター共によって破壊され、ついには文明の残り香を僅かに残すだけの廃墟となってしまった元・最強の城塞都市――西の辺境都市ヴィーラン。
これは、あの悪夢のような一夜から数年ほどが過ぎた後の話。
誰も知らない、その後のモンスターによって占拠されたヴィーランの話である。
◆ ◆ ◆ ◆
ピクリ、と。
空気に入り混じった僅かな異臭を嗅ぎ出し、紅蓮の大狼は思わず警戒するように身を起こす。
――嫌な臭いだ。
どこかで覚えがあるものの、具体的にどこで嗅いだのかを思い出せない。
しかし自分の本能は嫌になるほど、この臭いに警鐘を鳴らし続けている。
……何か良からぬものであるというのだけは、確かであろう。
「――クゥーン……」
ふと聞こえてきた鳴き声に目を向けると、同じように異臭を嗅ぎつけたのか、番のメスや我が子たちが不安そうな眼差しで父親である彼を見つめていた。
安心しろ、と鼻先で突きながら宥めすかし、彼はその鋭い眼差しを西へと向ける。
異臭が漂ってくる方角からして、原因は西――つまり自分たちが元々暮らしていた、彼の試練迷宮が存在していた所に……“終焉の森”にあるのは間違いない。
「……グルルル……」
立ち上がり、縄張りとしている廃墟―――所々に薄汚れた赤い三角の旗が残されている場所―――から出る。
状況が色々と不透明な中、まだ生後数週間の我が子たちを置いて行くのは不安でもあったが……まぁ、大丈夫だろう。
何せ彼が縄張りとしている廃墟は、不思議なことにほとんどのモンスターが近づいてこない。
それは最強のモンスターと名高き竜や巨人も例外ではなく、むしろそうした高位のモンスターほど、何故かこの廃墟から距離を取ろうとしているのである。
何がどうしてそうなっているのかまでは知らんが……とにかく自分がいなくなったところで、いきなり危険な目に陥ったりしないことだけが分かれば十分だ。
一度だけ背後を見やり、紅蓮の大狼は西の方向へと走り出す。
「……グルルゥ……?」
そうして暫く走っていると、元々は街の内外を区別していたのだろう城壁跡で、何やら大量のモンスター同士で集まっている様子が目に入ってきた。
同じモンスターとはいえ、普段はそれこそ縄張り争いやら何やらで決して仲の良い関係ではない。
むしろ端的に言ってしまえば敵対関係であり、お互いが積極的に命を懸けて殺し合うほどである。
だと言うのに……これは一体どうしたというのか。
ざわざわと落ち着きのない雰囲気はあれど、お互いに争い合おうとする雰囲気は微塵もない。
誰もが緊張感を表情に浮かべながら、一心に終焉の森を凝視している。
「ウォォォオンッ……!」
ま、そこまで見れば流石に誰だって気づく。
多分、集まっているのは自分と同じ理由であろう。
紅蓮の大狼は、とりあえず挨拶代わりに吠えた。
「チキチキチキッ」
すると自分から一番近い位置にいたモンスター―――謎の中型昆虫―――が反応し、ぐりんっと首だけを180度回転させて振り返ってくる。
……気持ち悪い。というか物凄く不気味だ。
一般人が見たら、まず間違いなく悲鳴を上げるか失神するくらいの悍ましさである。
しかし、幸いにして彼も同じモンスターだった。
これが人類であったなら別だが、同じモンスターである彼は一切気にすることない。
故に紅蓮の大狼は嬉々としてそのモンスターへと近づくと、そのまま現状についての情報交換を開始するべく動き出す。
「グルルル……」
「チキチキチキッ」
「グルルォンッ」
「チキチキチキッ」
「……グルルゥ……?」
とはいえ、所詮は獣と昆虫類。
例えどれほど会話(?)を重ねようと、お互いに何が言いたいのか全く伝わらない。
――完全に聞く相手を間違えた。
思わず押し黙ってしまう紅蓮の大狼と、最初から最後まで一貫して感情の読めない昆虫型モンスター。
双方を包み込む場の雰囲気が、だんだんと途方に暮れた者同士の気まずげなものへと変わっていく。……いや、よく見たら昆虫の方は相変わらず感情が読めないままだが。
とにかく、そうしてあまりの気まずさに耐え切れず、紅蓮の大狼がついどこか適当な逃げ場でも探すように辺りを見渡した――その時の事である。
――グォォォオオオンッ……!?
突如として、空気をビリビリと震動させながら咆哮が響き渡る。
――竜だ。
その巨大な咆哮音に、その場へと集っていた全てのモンスターが同時に最強のモンスターの姿を想起する。
ゾクリ、と……これ以上ないほどの緊迫した空気がモンスターたちの間を走り抜けていく。
それは紅蓮の大狼も決して例外ではなく、彼は自分だと逃げることさえ敵わないくらい力の差がある竜が近くに存在するという事実に、どうしようもない恐れを抱いた。
「……グルルル……?」
だが周囲を改めて見渡してみると、どうやら竜に恐れて身を固くしているのは自分だけであると気が付く。
――紅蓮の大狼は知らない。
他のモンスターたちは、決して竜の存在に驚いているわけではなかった。
むしろ彼らは紅蓮の大狼がここへやって来る前から既に竜との接触を果たしており、その際に竜が偵察のため終焉の森へと向かったことを知っている。
そのため、誰もが例外なく緊張感から身を固まらせたのも全くの違う理由からなのだ。
即ち、その理由こそ――――
――――グォォォオオオンッ……!
彼方にある終焉の森から飛び出し、ついに竜がその姿を現す。
けれど同時にどこか必死そうな形相で咆哮し、まるで何かから逃げるように飛来してくる様子を見て、紅蓮の大狼も薄々とだが察し始めた。
――そうか、“悲鳴”か。
聞き間違えでなければ、最初に聞こえてきたあの空気をも震わすほどの咆哮……それには、どことなく悲鳴にも聞こえるような感じがあったことを彼は思い出す。
誇り高き竜が――絶対者であるはずの最強のモンスターが、よりにもよって弱者の専売特許である“悲鳴”を上げたのだ。
……どれほどヤバい事態が起こっているのかなど、最早これだけで想像するに難くない。
だが――事態は紅蓮の大狼が思っていた以上に最悪であることを、彼はまだ知らなかった。
「……っ……?」
ひやりとした冷気が、足下に触れる。
終焉の森の上空で吠え続ける竜に意識を向けていたモンスターたちだったが、流石にその突然すぎる謎の感覚に誰もが驚いて足下を見ようとした。
しかし――――
「……グルルル……?」
他のモンスターと同様に、自らの足下を眺めながら不思議そうに首を傾げる紅蓮の大狼。
……特におかしな点は、見当たらない。
足下には相変わらずひんやりとした冷気と、薄く地面を覆うように広がった白い靄だけで、それ以外は本当に何もないのだ。
――不思議なこともあるものだなぁ。
結局、紅蓮の大狼を始めとしたモンスターたちは、そうして軽く首を傾げる程度で思考を止め、すぐに竜へと意識を戻した。
だが……直後に視界へと飛び込んできた光景に、彼らは足下の冷気を軽く考えてしまったことを後悔する。
――――グォォ……ォ……ン…………
目を離していたのは、僅か数秒ほどのはずだった。
けれど、再び竜の姿を視界に収めた彼らは、その変わりように驚きを隠せない。
弱々しく鳴き声を上げる竜。
そこまではいい。……竜を絶対的強者と捉える彼ら一般モンスターからしてみたら、それだけでも十分に異常事態なのだが、話が進まないのでとりあえずは良しとしておこう。
さて、問題は……元・ヴィーランの街にいたモンスターたちが目を離していた僅かな隙に、竜の身に起こった異変のことである。
結論から言おう――――竜は純白の氷像と化していた。
……。
正直、それだけだと意味不明かもしれない。
だが残念ながら、それが事実なのだ。
いつの間にか真っ白に染まっていた終焉の森と、その上空で何故か空中に固定されたまま太陽の光をキラキラと乱反射させている竜の氷像。
……謎だ。謎過ぎる光景であった。
けれど――――それを見て、あることに気づいた紅蓮の大狼を始めとしたモンスターたちは震え上がる。
「……ッ……!」
バッ……と、足下に視線を落とす。
途端、懸念していたあることを確認できてしまった彼らの表情(昆虫型除く)が、これ以上にないほどの恐怖と後悔に歪み始めた。
――同じだ。
自らの足下に広がる白い靄状の冷気と、真っ白に染まった終焉の森や氷像と化した竜を包み込んでいる白い靄。
これら二つに共通点は多々あれど、決定的な違いというものは全くと言っていいほど存在しない。
つまるところ、それが意味することは――ただ一つ。
この二つの白い靄は、ほぼ確実に同じ代物だということである。
「「「「「…………」」」」」
そして、彼らが見ている前で、竜が――最強のモンスターが地に落ちてゆく。
声を上げられるものは、誰もいない。
紅蓮の大狼を始めとしたモンスターたちは、ただただ黙ってその光景を見つめ続けるのみ。
同時に――――彼らは皆、思い出していた。
それは、運命のあの日……彼らモンスターが、一斉に元々の住処であった試練迷宮と終焉の森から逃げさなければならなくなった日のこと。
突如として、終焉の森の奥深くから現れた“死”そのもの。
触れた全てを凍てつかせ、即死させていく謎の現象。
小型の雑魚モンスターは勿論のこと、中型も大型も……果てはあの竜や巨人ですら関係ないとばかりに、等しく死へ追いやって回った純白のナニカ。
「…………」
あの時は逃げることに必死過ぎたせいで、何が起こっていたのかは全く分からなかったが……なるほど、そういうことだったのか。
紅蓮の大狼は、今、ようやく理解した。
――冷気、かぁ……それも相当な低温度の。
凡そ一度でも捕らわれてしまえば、例え竜でも決して逃れることはできない。
一回目は……終焉の森から逃げ出した時は、冷気に曝される前から逃げ出していたからこそ、何とか生き延びることができた。言わば、あの時は本当に運が良かったのであろう。
もしも冷気の影響下にあったなら、確実に捕らわれて逃げられなかったはずだからだ。
それこそ――――現在の紅蓮の大狼を始めとした、元・ヴィーランの街の中から終焉の森の方を眺めていたモンスターたちのように。
「クゥーン……」
パキパキパキッ……と手足の指先から冷気が侵食していき、自らの身体が容赦なく凍てついていく感覚に、紅蓮の大狼は諦めたように鳴く。
周囲では、同じような諦観に満ちた鳴き声や、或いは発狂したようなモンスターの叫び声が相次いで響き渡る……が、そうした奴らも秒速で凍てついていき、やがてすぐに残るは彼だけの状態となる。……ま、そんな彼も頭部以外は既に氷像化しているのだが。
何れにせよ、紅蓮の大狼に残された時間は少ない。どうしてこうなったのか、彼は改めて考える。
――気づいた時には、もう遅すぎた。
一度は逃げ切ることができ、せっかく拾うことのできた命だったのに……と、後悔はしてもしきれない。
せめてひんやりと冷たかった白い靄に危機感を抱き、すぐさま離脱することができたらまた話は違っていたのかもしれないが……まぁ、所詮は“たられば”の話だ。
危機感どころか違和感すらほとんど覚えなかったのだから、どのみち逃げることなど無理だったのであろう。
――何だ、結局どうしようもないじゃん。
十三の太陽を見上げ、その眩しさに目を細める。
秒速で氷像化していく中、残された頭部もついに冷気に侵食されていく。
唯一、幼い我が子たちを逃せず、親として守れなかったことだけが無念に思う。
どうしようもないと言えば、どうしようもない。
だが……結局のところ、彼にとっては最期までそれだけが心残りであったのだった。
……
…………
………………
街は真っ白に染まり、全ての生命は凍てつき果てる。
草も木も……小動物やモンスターだろうと、全て等しく死んだ。
――ここは、かつては辺境都市ヴィーランと呼ばれていた場所。
――ヴァリエーレ聖王国西部の中で、最も栄えていたとされていた地域。
されど今は、純白の“死”が支配する――――絶対零度の世界以外のなにものでもない。
………………
…………
……
◆ ◆ ◆ ◆
――神界――
「――ねぇ、エルスィード」
白い壁に覆われ、中央にポツンと椅子が二つ置かれた部屋の中で、神界序列第三位の『享楽』と『美』と『栄光』を司る女神シェルミールは静かに問う。
彼女にしては珍しく、どこまでも無表情・無感動な様子だ。
けれど問われた方の男――神界序列第二位である『生命』と『秩序』と『愛』を司る神エルスイードは、知っていた。
――これは、かつてないほどの激情を湛えている上に爆発一歩手前の状態である、と。
取り扱いや受け答えを僅かにでも間違えれば、うっかり癇癪と逆ギレだけで世界を滅ぼしてしまうことも有り得なくはない。
正しく、制御不能な歩く核爆弾と言うべき存在。
神界にいる誰もが顔色を伺い、必死に機嫌を取ってしまうだけのことはあった。
「うん? 何だい? シェルミール」
だが、この男は違う。
瞳孔を全開にして睨みつけられるも、エルスィードは何処吹く風とばかりに、聞く者が聞けばイラッとするような態度でわざとらしくそう答える。
無論、この男は相手が何を考えているのか分かっている。分かっている上で、わざわざ挑発するようなマネをしているのだ。
そして案の定、無表情だったシェルミールは額の上に青筋を浮かべた。
しかし――――。
「…………こんなものを今さら私に見せて、何がしたいわけ?」
非常に……それこそ奇跡と言ってもいいくらい珍しいことに、ぐっと怒りを堪えたシェルミールは指先をエルスィードが展開した虚空の向こう側へと突きつけながら、再びそう聞き返す。
その反応に、思わずニヤリと内心で黒い笑みを浮かべるエルスィード。
「いいや? 別に。――ただ……これを見ても君の決意は変わらないのかな、と不安に思ってね」
シェルミールが指先を辿り、エルスィードは自らが展開した虚空の向こう側を見る。
――絶氷に包まれた死の世界。一面を真っ白に染め上げた、元・辺境都市ヴィーランの街の光景が、そこに広がっていた。
原因は、直接的でこそないものの……まず間違いなくシェルミールの言う異世界人の影響によるものであろう。
だからこそ、今までは自身の支配地域が荒らされれば報復措置として地上世界に天変地異を巻き起こしてきたシェルミールが、これを見てどんな反応を示すかが唯一の不安だったのだが……この様子だとその心配はなさそうだ。
……少なくとも数年前に異世界人が辺境都市ヴィーランを滅ぼした時、タイミング悪くもデクスオーロが迷宮からモンスターを溢れ出させ、それが大打撃を受けてボロボロになっていたヴィーランへとトドメの一撃を与えるだけでなくそのまま占拠してしまった時と比べれば、大夫マシであろう。
ともあれ――――
「――安心なさい。私の決意は、あの時から全く変わっていないわ」
ギンッと睨みつけながら語るシェルミールの言葉に、どうやらそのようだとエルスィードは微笑みを浮かべる。
「それはそれは……疑うような真似をして大変すまなかった。一応、注意しておくべき事件として情報共有だけでもしておきたかったという意図もあるのだが……無粋なことに変わりはないな。どうか許してほしい」
「……ふんっ。分かったなら、さっさと実験に戻るわよ」
ぺこりと軽く頭を下げるエルスィードに、シェルミールは一度だけ鼻を鳴らすと、早々に背を向けてこの場から移動し始める。
やれやれ、と癖のように肩をすくめながら、エルスィードは空中に映し出された虚空を消し去り、彼女と共に歩き出す。
「さて……では先ほどに行った実験の続きからでいいかい?」
「えぇ。とにかく、まずは召喚を成功させないと……」
「……君も存外に諦めが悪いねぇ」
「当然よ。何て言ったってあの異世界人の処理は、やっぱり同じ異世界人にさせるのが道理でしょう?」
「ふふっ、違いない」
実験は、あと少しで上手くいく。
召喚に成功すれば……その時こそ、あの憎き異世界人の終わりの時だ。
「――ほら、デリツィア。あなたも」
「はい。シェルミール様」
部屋の扉付近に待機していた数年前からの新米部下である天使にも声をかけ、部屋から連れ立って出たシェルミールは順調な計画にほくそ笑む。
エルスィードの協力の下、異世界人召喚計画はあと少しのところまできた。
最近、地上では再び異世界人の活動が活発化してきたが……屈辱的な待期期間である様子見も、これまでである。
――さぁ、行こう。実験の続きだ。
かくして、神界ではそれぞれの思惑の下に動き出す。
様々な者たちを巻き込み、地上世界は今後、より一層と大きな動きを見せていくことであろう。
世界は、物語は――――まだ終わらない。
次回
040.<狂神転生編 第二章 神敵顕在/備忘録>




