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狂神が嗤う  作者: 限破
狂神転生編 第二章 神敵顕在
32/47

032.“黒の神敵”ジャック=キリサキ ~滅殺! vs.女神の刺客編~

 デリツィアを始めとして、部下たちの前では大々的に神敵討伐を宣言したものの、実のところ組合会長の内心はかなりの不安を抱いていた。

 だがそれも、少し冷静に考えてみれば当然のことだと気づけよう。

 なんせ彼女は、自分が知っている中でも最強の存在とも言うべき聖騎士グレゴリオの敗北と死を知っているのである。

 なればこそ――その最強であったグレゴリオでさえ為す術もなく殺される破目となった相手に、今更自分たち程度の戦力が多かれ少なかれ集ったところでどうするというのか……?

 彼女の冷静な部分であるところの理性は、そう何度も彼女自身に囁き続ける。

 とはいえ勿論、その程度の事は組合会長にも当然の事だが分かっていた。

 元よりこれは勝算なんて欠片もない戦いであることを、彼女は誰に言うまでもなく理解していたのである。


 だけど……と。

 ――賽は、既に投げられているのだ。

 何より神敵という存在を一度でも認識し、その所在が判明してしまった以上、女神シェルミールを信じる自分たちにそれを見逃すという選択肢は元より存在していなかったのである。

 要するにそれこそが、勝算もないのに彼女が強硬して神敵討伐を謳った理由でもあったのだ。

 そして、それ故にこそ――――


母様(かあさま)っ!? どうしてっ! どうしてですかっ!? ジャックさんは決して悪い人では――――!」

「――何度も言うつもりはありません。それは、相手が神敵だからです。神敵を断罪するのに、他に理由が必要ですか?

 あぁ、それと……勿論ですが、神敵に手助けをしたあなたの事も赦すつもりはありませんよ?」

「そ、そんなっ……!? ……な、なら――それならっ! 私の事は、もう何をされても構いません。ですから……せめてジャックさんだけは、どうか逃がしてくれないでしょうか……?」

「はぁぁぁ…………あなたには心底失望しましたよ、リオネリア。結局、生まれてから最期まで(・・・・)役に立たない娘でしたね」

「母様っ、そんな……!? 待って、お願いですっ! 待ってくださ――――!」

「――斬り捨てなさい。これ以上は耳障りです」


 (ざん)ッ……! と、こうして組合会長は躊躇の欠片も見せることなく自らの娘を部下に命じて殺害させ、そうして僅かにも見えない勝利という名の栄光への道筋を求めて、その裏切り者(リオネリア)の血で以って彼らが信じる女神シェルミールへと改めて誓いを捧げたのである。


「――例えこの身の四肢が切り裂かれ、心の臓が朽ち果てようとも……私は必ず彼の“黒の神敵”を討つと、ここに誓いましょう!」


 惨劇の跡……それも自らの娘が流した血溜まりの中心(死体付き)で、目を血走らせながらもヒステリックに叫ぶ女。

 それは、正しく狂人の所業。

 それは、どこからどう見ても悍ましさしか感じられない悪魔的な儀式そのものであった。

 だけど……結果的にこの行動は、組合会長にとっては最良のものとなる。

 なぜならば、この如何にも悪魔的で悍ましく、何よりあまりにも狂ってるとしか思えないような儀式は……確かに、()にだけは物凄く好まれていたからだ。


 そう――――神界序列第三位の、『享楽』と『美』と『栄光』を司る女神シェルミールには。


 よって最悪は最悪を呼び、儀式は意図せずして最悪な方向で成功を迎えることとなったのである!

 で、その結果が――――


《――その言葉、しかと聞き届けたわ》

「こ、この声……まさかシェルミール様っ!?」


 ――これだ。

 凡そ半年ぶりの沈黙を破り、世界はついに“最悪の神敵を呼び覚ます女神”の人界への介入を許してしまったのである!

 だが今回の人界へのコンタクトは、どうやら組合会長側から強く祈ったことで起こったがためにシェルミールとしても神の力をそれほど使わなくて済んだらしい。

 つまり、それがどういうことかと言うと――幸いにして、約半年ぶりに復活したシェルミールの気配は使用した力そのものが微弱であったお陰で、神敵であるところのジャックにもバレないで済んだということなのだ。

 ……まぁ、仮にもし今バレたとしても、今のジャックには単独で次元を超えるような力なんてないため、どうという結果にもならないわけだが。

 ともあれ……


《えぇ、そうよ。私こそが彼の偉大なる神界序列第三位、『享楽』と『美』と『栄光』の女神シェルミール。

 ――今回はあなたの熱意に応じて、神敵討伐のための力を授けたいと思います》

「そ、それは……ありがとうございますっ!」

《……でも、残念ながら人は余程の器でない限り、加護は一つだけしか受け入れられないのよねぇ》

「あ……そう、ですよね。私は既にシェルミール様より『美』の加護を戴いております。それなのに、神敵討伐も満足に果たせず……我が身の未熟を恥じるのと同時に、シェルミール様には死んで詫びても足りないほど申し訳なく思っております……」


 始めは偉そうな女神からの言葉に、感激のあまりポロポロと涙まで流して感謝の言葉を口にしていた組合会長だったが……今では一転して唇を血が出るほど強く噛み締めるどころか、既に肉ごと噛み切ってしまいながらも美女だとは思えないほど鬼気迫った表情で血の涙を流している。

 ……流石は本場の狂信者。

 考えている事や為す事の全てが恐ろしい。

 だが、その姿勢は彼らの女神には非常に喜ばれていた。

 或いは別の言い方をしてみると、この時点で組合会長は女神シェルミールからこれまで以上に気に入られることとなったのである。

 そのため、例え人の身には加護を一つしか付けられないと分かっていても、シェルミールはこの瞬間、彼女を徹底して特別扱いすることに決めたのだ。


《ふ、フフっ……フフフフフっ、アハハハハハハハッ! 素晴らしい、実に素晴らしいわっ! 流石は私の信者ね。始めは元から持っていた加護を私の分体レベルまで強化するだけのつもりだったのだけれど……いいわ。

 ――丁度あんたの周りには素材があるみたいだし、それを使ってもう一つ追加で神敵討伐に役立つ力を授けましょう》


 果たして女神がそう宣言すると同時に、切り離された頭部を除いたリオネリアの遺体の全てが……文字通り周囲の地面に飛び散っていた大量の血液も含めた全てが、まるで始めから存在していなかったかのように消え去った。

 だが、そうして仮にも自らの娘だった者の死体が問答無用で消え去ったというのに、組合会長はまるで気にしない。

 むしろその行いこそが当然とばかりに、何もない虚空へと尊敬の恍惚とした眼差しを送り続ける。

 ……これが、女神シェルミールの抱える信者たちの常識だ。

 神敵と呼ばれるジャックがまだ知らない、シェルミール教が狂信者集団と言われる理由の一つなのである!


 ともあれ、そのようにリオネリアの死体が頭部だけを残して消えた直後の事だった。

 消えた死体の代わりとばかりに、何もない虚空から神々しい薄紫色の光が生まれ、そのまま跪きながら神託を受けていた組合会長の身へと降り注ぎ出したのだ。

 キラキラ、キラキラ……と。

 傍目には幻想的で美しい光景のようにも見えるが、その正体が娘の死体を使った祝福だと知れば、もう普通にぞっとしない話でしかないだろう。

 けれど組合会長は、ただただ恍惚とした表情でそれを受け入れる。

 彼女にとって、これは神から贈られる祝福というもの以外の何物でもない。

 であるからこそ、祝福は喜びこそすれど嫌悪するものではなく、その礎ともなった娘もあの世ではさぞかし報われている事だろうと本気で思っていたのだ。

 そしてその一方で、組合会長は自らの力がこの祝福により、爆発的に上昇していっていることにも気がついた。


「ああぁぁ……シェルミール様ぁ……」


 ……つーか恍惚としすぎて、口の端から涎がだらだらと垂れ流しにしてやがる。

 現在進行形で『美』の加護が強化されている影響により、ますます美人に磨きをかけられているはずなのだが……これではその片鱗すら拝めない。

 傍から見ればそれは、最早完全に狂人の域を通り越して色々と逝っちゃってるヤバイ(・・・)奴の姿だった。

 だが――そんなヤバイ姿(・・・・)をあっさりと作り出してしまった女神の祝福はこれだけに止まらず、むしろ本番というべきものをまだ残していることを……忘れてはならない。

 そして、それこそが――――


《――さぁ、受け取りなさい。神敵を斬り、その先にある栄光への道をも切り拓く聖剣――“デュランダル”を……!》


 パァァァアッ……! と、一際強く光り輝くと共に虚空より現れし神授の聖剣。

 その正体は正しく、女神シェルミールの分体と同等以上の力を秘め、『栄光』の加護を凝縮させてできた断罪の剣――聖剣デュランダルである!

 或いは、この状況は女神の持つ三つの加護の中の一つが、現世に直接顕現したと言っても過言ではないだろう。

 お陰で組合会長の顔も既に言葉では言い表せないほど、アレ(・・)な感じになってしまっているわけだが。


「あ、ありがたき、幸せにございますっ……!」


 ともあれ、組合会長は非常にアレ(・・)な感じのまま、空中に浮かぶ聖剣へと手を伸ばす。

 果たして彼女はその剣を手に取った瞬間、理解する。


(すごい……! これは、正しく女神シェルミール様の加護そのものではないですか! あぁ……本当に、何て凄まじい力なのでしょうっ! 死んだリオネリアもこれなら十分に報われたというものですっ!)


 剣に込められた断罪の意志。

 栄光を歩む者としてのあるべき姿。

 あの聖騎士グレゴリオをも超える力の波動。

 それら全てが、手にした聖剣から途切れることなく延々と伝わってくるのだ。

 否が応にも、自信がつくというものであろう。

 最早組合会長の脳裏には、当初までは確かに存在していた不安の“ふ”の字も見当たらず、むしろ神敵に敗北することこそが一番ありえない結果だと考えるようになっていたのである。

 故に――――


《それじゃあ、私にやれることは全部やったし……後は頑張って頂戴。――期待しているわ》


 そんなシェルミールからの一方的すぎる言葉にも組合会長は一切の躊躇や迷いすら見せることなく、むしろ女神本人から期待されたこと自体に大興奮して鼻血を噴出させつつ即答するのだった。



「――はいっ! 我が命に代えましても、必ずや彼の神敵を討ち果たして見せましょうっ!!」



 かくして組合会長は、自らが信仰を捧げている女神シェルミールとの邂逅を果たし、聖騎士グレゴリオですら敵わなかった“黒の神敵(ジャック=キリサキ)”に対して抗うことができるだけの力を手にした。

 聖剣デュランダル――それは、自身の娘の命と死体を(引き換え)に、女神から贈られた神敵を討つための祝福。

 その剣を手にした以上、最早彼女に躊躇する心は残っておらず、自らの勝利と栄光も信じて疑わない。

 “黒の神敵”を討てない可能性など、既に煙や幻の如く思考の中から消え去っていたのである。

 故に、その後――。

 満足げな雰囲気と共に消えていった女神シェルミールを最後まで(血涙を流しつつ相変わらず土下座に近い跪き状態のまま)見送った組合会長は、そうして暫くの時を置いてその場から静かに立ち上がってからも、未だ自らの神の気配の残滓が漂っているようにも見える虚空へと向けて黙祷を捧げ……これまた暫くして十分祈り終えたと閉じた瞳を開くと同時に、自らのカリスマも全開に周囲にいた部下たちへと改めて号令をかけるのだった。


「――直ちに、ただし秘密裏に周辺住民を起こしてきなさい。神敵討伐は……見ての通り、最早何が何でも成し遂げなければならないものとなりました。宿への奇襲に関しては、当初の計画通り私たちだけの手で行います。――ですが、女神シェルミール様へと神敵討伐を命を懸けてでも成し遂げると誓った以上、失敗は絶対に許されません。使える手は全て使い切る……そこに言い訳や遠慮など、勝つために取れる手段をわざわざ選択しないような余裕はないのです。であるからこそ、この街で暮らすシェルミール様の信者たちである住民の方々にも快く協力してもらいましょう。

 そう、全ては――“黒の神敵”の首を確実に、我らが女神シェルミール様へと捧げるために」


「「「「「ハッ!」」」」」


 部下たち――正しく知る人ぞ知るといった感じの、また影で噂にもなっていた組合会長直属の諜報部隊の面々は短くそう応えると、やがて斯くも忍者の如くそれぞれが素早い動きで彼女の指示通りに街中へと散っていく。

 果たして、それは深夜も半ば頃。

 組合会長の指示により、ヴィーランの全住民は密かにその目を覚ますこととなる。


 ――宿屋襲撃の、ほんの数十分ほど前の話であった。



 ……。

 ……なお、これは完全に余談となるのだが。

 リオネリアを処断した場所及びシェルミールが神託を下すために気配を現した場所は、まだ周囲にデリツィアを始めとした組合会長の部下たちがいた時の事だったのだ。

 つまり、それで何が言いたいのかというと……


「はぁ……やれやれ、皆さんにも困ったものですね」

「も、申し訳ございません、組合会長。ですが、シェルミール様の神々しさを前にしては、到底抑えることができず……」

「えぇ、大丈夫です。安心してください。そこはきちんと理解していますよ。ただ――――」


 本当に申し訳なさそうに身体全体を縮こませて謝るデリツィアへと、組合会長は安心させるようにと声をかける……が、正直、その目は困ったように周囲を見渡していた。

 ……無理もない。

 なんせ――――


「――皆さん、鼻血を流しすぎでしょう……」


 これでは神敵が暴れ回った後の光景よりも、余程何か凄惨な出来事でも起きたかのように見えてしまう。

 けど実際は、死傷者などがいたわけではなく……むしろ神から祝福を授かったという、言い方を変えれば聖地認定されてもおかしくないほどの奇跡が起こった現場であるのだ。


「……」


 結局、そんな聖地認定されてもおかしくないような場所を汚したままでいるわけにもいかず……組合会長は神敵討伐へと向かう前に、一先ずは自分の使用人的ポジションへいつの間にか収まっていたデリツィアと共に急いで鼻血で汚れた地面を掃除することとなったのであった。

 ……。

 …………。




 そして時は流れ、組合会長が数多くいる部下たちの中でも選りすぐりである四十五名を引き連れて目的の宿屋へと到達した現在――――。


 寝床でぐっすり眠っていると思われる“黒の神敵”へと、到着して早々だが迷うことなく引き連れた四十五名の中、暗殺専門の部下三人を刺客として送り込んでから僅か数十秒ほど。

 ――それは、何の前触れもなく唐突に現れた。


(!? ……いつの間にっ!?)


 送り込んだ三人の暗殺者が姿を消して行った階段の上から、音もなく全身を黒の衣装で纏った黒髪の男が襲い掛かってきたのだ。

 あまりにも素早いその動きは、女神より多大な加護を与えられた組合会長ですら辛うじて捉えられたくらい。……油断していれば、あっさりと見失っていただろう。

 しかし何より恐るべきは、大勢の者たちがその場にいながら、その誰もが男の気配を一切掴むことができなかったことだった。


(なるほど……やはり一筋縄ではいかないようですね)


 恐らく、送り込んだ三人の部下は既に殉職してしまったのだろう。

 黒髪の男――“黒の神敵”が姿を現すのに要した数十秒。

 たったそれだけの時間で、暗殺の腕前はヴィーランどころかヴァリエーレ聖王国西部の中でもトップクラスであったはずの部下たち三人が殺されたのだ。

 おまけに、神敵は暗殺者を処理したことさえ奇襲しに来たこちら側へと察知させないまま、逆に本来は奇襲した側として有利なはずの自分たちを奇襲し返してきた、……と。

 だとしたら……これは本当に、恐ろしい話である。

 けれど――――


「――くッ……!? これが“黒の神敵”の力かッ……!」


 ――それでも、今の組合会長に不安はない。


 キィィィインッ……と。

 階上から一気に襲い掛かってきた神敵の攻撃を、最も階段から近い位置にいた部下の一人が受け止める。

 余程重い攻撃であったのだろう……部下の男はその場で懸命に踏ん張るも、自らの後方に向かって二メートル以上も押し負けていた。

 ズザザーッ……と、盛大にその足を引き摺る音を聞けば、“黒の神敵”による攻撃の勢いがどれほどのものなのかよく分かるだろう。

 内心で、よく受け止め切ったと部下の男を称賛する組合会長。

 だがその直後に、彼女は神敵の攻撃が本気でないことに気づく。

 何故なら――――


「――リオ、ネリア……?」


 大きく目を見開き、ジッ……とある一点(・・・・)を見つめたまま呆然と呟く“黒の神敵”。

 首ごと横を向き、更には目の前にいる敵も忘れて棒立ちするその姿は、誰が見ても戦闘の最中であるとは思えない姿だった。

 油断も油断。

 その隙だらけな姿は、むしろ存分に攻撃してくれとでも主張しているかのようで……。

 だが――ふと組合会長の脳裏に、あるイメージが過る。

 それは、“黒の神敵”が階上から階下へと、突如として姿を現した時のことだ。

 あまりにも素早く、また気配も完全に掴めていなかったことから、神敵が登場した際の表情や細かい動きなどは組合会長の記憶にもほとんど残っていない。

 けれど、それでも微かに残っているのを思い返してみれば……確かあの時、“黒の神敵”は部下の男へと襲い掛かりながらも視線を現在のようにある一点(・・・・)へと向け、これまた現在と同じく驚愕に目を見開かせてなかったか……?

 ……だとすると、それはつまり――――


(――ふふっ……流石は“黒の神敵”、と言ったところですか。意識を完全に違うところへと向けておきながら、あれほどの攻撃を無意識に繰り出せるとは……やはり、彼の聖騎士グレゴリオ様を斃すだけのことはありますね。侮れません。ですが――――)


 たらり、と緊張のせいか、冷や汗を掻く組合会長。

 敵は……“黒の神敵”は、やはりと言うか何と言うか、底が知れない存在だった。

 油断していて尚、あのような攻撃。

 ……別に、その攻撃を受けた部下の男だって弱くはないのだ。

 というより組合会長が今回の神敵討伐のために、わざわざこの宿屋まで連れてきた精鋭の部下たち四十五人の中の一人に含まれるくらいなので、このヴィーランという街どころかヴァリエーレ聖王国西部の中でも有数というべき強さを誇っている男なのである。

 だがそんな部下を以ってしても……仮にもヴィーランの中でトップクラスの実力者で、例え口が裂けようと決して弱いと断言できないような男を以ってしても、油断しまくりで隙だらけだった“黒の神敵”による攻撃を完璧に抑えきることができなかった。

 ――とんでもない。

 ハッキリ言って、ありえないほどの力と強さだ。

 現に今も相変わらず意識を全力でこちら側へと集中させている(ように見える)というのに、“黒の神敵”は音もなく反撃に出た部下の男を見向きもしないまま、手にした短剣で今度こそ抵抗させる隙も与えることなく斬り捨てている。

 ……。呆然と立ちすくんでいる(様に見える)男に全力で襲い掛かったのに、何もできずに一撃で殺される部下の図が、そこにはあった。

 ……あれ? 何だか神敵が強いというよりも、やっぱり部下が圧倒的に弱かったから負けた様にしか見えない……。

 ……。

 ま、まぁ、ともかくとして――そんな強大すぎる神敵に少しの緊張はすれども、しかしそれでも組合会長は恐怖と、それどころか不安すぎて逃げ出そうなどと思うことだけは絶対になかったのである!


(何より今の私には、聖王国最強の一人と謳われたグレゴリオ様以上の加護を授かっているのです! そのように隙を晒すような油断は、女神様の加護を受けた私の前ではただの愚行であると思い知らせてあげましょうっ!)


 むしろ今の彼女は、その考えからも分かる通り――気合十分。

 故にこそ、組合会長はやる気に満ち溢れた状態で聖剣デュランダルを握りしめ……そうして先ず始めに、“黒の神敵”が今も変わらず見つめ続けているモノ――リオネリア(・・・・・)の生首(・・・)を、組合からここに至るまでずっと持たせ続けていた部下から素早く受け(奪い)取る。

 結果――ブチブチ、と。

 勢いよく“髪”を鷲掴んだせいで、リオネリアの美しい金髪が幾つも千切れる音が響き渡った。

 正しく……というかそれは最早完全に死体にムチ打つ悪魔の所業であるが、そもそもがその娘を自らの部下に命じて目の前で殺させた組合会長の事だ。

 自分が取った行動について、彼女は別に何とも思っていない。

 それどころか、彼女はそんな自身の行動を見て初めて表情を大きく(怒りへと)変化させた“黒の神敵”に、まるで狙い通りとでも言いたげに挑発的な笑みを浮かべて見せる。

 そう……彼女の狙い通りに。


 ――“黒の神敵(・・・・)()リオネリア(・・・・・)()生首(・・)()反応(・・)した(・・)


「……ふふっ。存外、死んでからの方が色々と役に立ちますね。流石は私の娘です」

「――っ……!?(何、だと……?)」


 ふと漏れ出た独り言に、ぴくりと神敵が反応するも……しかし傍目で見ると無表情のまま変化がないため、組合会長は神敵の異変に気づけない。

 だが、結局それに気づいたところで、どうせ彼女がこれから取ろうとしている行動には対して影響することもなかろう。

 なぜなら――――


 ――確認したいことは、これで済んだ。


 正直、リオネリアの生首を目視した瞬間に変化した神敵の態度を見た時点で、組合会長には何となく予測できていたのだが……今ので正確に、完璧に把握することができたと言える。

 ……神敵討伐――、彼女は例えどんな犠牲を払おうと必ずそれを成し遂げると女神シェルミールに誓った。

 その誓いに嘘はない。嘘は絶対に――ありえないのだ。

 神敵は討つ。必ず殺す。あらゆる手段を使ってでも討ち滅ぼさねばならない!

 そして、だからこそ――――


 ――――ブォォォオンッ……!


 ――新たに使える手が見つかった以上、それを使わない手はあるまい!

 組合会長は躊躇なく娘の生首を件の神敵に勢いよく投げつけ、神敵の視線と意識を風切り音と共に飛来していくモノへと逸らさせると同時に、聖剣デュランダルを片手に強襲せんとばかりに躍り掛かる!

 彼我の距離は、目測にして四メートルほど。

 長すぎず……かと言って相手の隙をそう容易くつけるほど短い距離でもない。

 しかし、その程度の距離は新たなる加護を授かった現在の組合会長からすると、コンマゼロ一秒以下で縮められる程度のものでしかなかった。

 ましてや今の“黒の神敵”は、一時的とはいえ意識を完全に自分自身から逸らされているのだ。

 ――万に一つも失敗する要素はないだろう。

 一瞬で“黒の神敵”の懐まで入り込み、更には聖剣デュランダルの切っ先を真っ直ぐ首元(頸動脈)へと突き刺しに行った組合会長は、そうして自らの勝利を確信すると同時にそう思った。

 だが――――


「――――ッ……!?」


 ――ギョロリ、と。

 聖剣の切っ先が神敵の首筋へと突き刺さる、その刹那。

 不意に“黒の神敵”の目が動き、そのまま迷いなくコンマゼロ一秒以下の速度で動いていたはずの組合会長の視線を――捉えた。

 ゾクリ……と、組合会長の背筋に悪寒が走る。

 ――有り得ない現実。

 ――有り得ない結果。

 神敵と目が合っただけなのに、彼女は嫌な予感が何故か止まらない。

 だけど――――


(――大丈夫、気のせいに決まってます。何せ……私の勝利は決して揺るぎのない、言わばシェルミール様によって確約されたと言っても過言ではないものなのですから)


 自分が負けることこそ――最も有り得ない。

 組合会長は、そうして感じた嫌な予感を振り払い、聖剣デュランダルによる一撃へと意識を集中させた。

 ――だって、完璧に不意を突いたはずなのだ。

 神敵はその意識を完全に自分から逸らしていたし、組合会長もそれを知った上で不意打ちからの一撃必殺で仕留めに掛かったのである。

 計算上では、この一撃により彼女の勝利は絶対的なものとなり、彼女自身が信仰を捧げる女神シェルミールにも、やっと神敵の首を捧げることができるようになるのだ。

 だからこそ、今更不安を覚える必要も道理もないだろう……と、彼女は神敵を殺す上で邪魔となる全ての感情をバッサリと切って捨てた――――が、しかし。



 ――――ギィィィイイイインッ……!!



 ……。


「…………ぇっ……?」


 気が付けば……いつの間にか目の前から音も気配もなく消え去っていた“黒の神敵”に、組合会長は一瞬だけ狐につままれたかのような表情を顔に浮かべる。

 だが次の瞬間――不意打ちで神敵を討ち滅ぼすために伸ばした腕が、その肘から先の部分が握りしめていた聖剣デュランダルごと大地へ向かってずるりと滑り落ちていくのを見て、彼女は非常に遅まきながらも自らの計画が単なる幻想で儚き夢物語でしかなかったのだと気づく。

 てっきりリオネリアの生首を投げつけたことで、完全に隙を作り出せていたものだとばかり思っていたのだが……そもそも神敵は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――勘違い。

 全てが、加護を与えられたことで驕り高ぶってしまっていた組合会長の勘違いであったのだ。

 不意打ちが効かなかったのも、むしろ当然の結果と言えよう。


「あ、あぁ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」


 焦燥、後悔、絶望。

 刹那の間に心の中を駆け巡っていった衝動に、彼女は耐え切れずに叫び出す。

 ――失敗した、失敗した、失敗したっ!

 自らの愚劣さに……何より女神シェルミールとの誓いを守れなかった己自身の赦されざる大罪に、組合会長は最早どうしようもない。

 それでも、唯一この状態から挽回できる手があるとすれば……それは自らが先ほど夢物語でしかないと気づいた“黒の神敵”の討伐に他ならなかったのもまた――事実。

 けれど――――



「――それで……お前がリオネリアの母親だっていうのは、本当か?」



 ふと聞こえてきたその声に、慌てて大量の血液を噴出している片腕をもう片方の手で抑えつつ周囲を見回した彼女は……果たして自らの背後に、これまた何の気配もなくリオネリアの生首を漏れ出る血で汚れるのも構わず大事そうに抱えて佇む神敵の姿を見つけ出した。


(く、“黒の神敵”っ……!)


 ただそこにいるだけで周囲の空間が音を立てて軋み、陽炎の如く歪めていく圧倒的存在感。

 ……一度認識してしまえば、もう目も離せられないし、忘れることもできないだろう。

 風も静電気もないのにゆらゆらと揺れ浮かび、ちらちらと白髪になっているようにも見える黒髪然り。

 まるで殺意が具現化しているのではないかと言うほど鋭く、何故か赤く光っているようにも見える白……いや黒目然り。

 冷静になった今だからこそ、分かる。

 ――これ(神敵)は、決して正面から戦って勝てるような存在ではない。或いは、そもそも聖騎士レベルを超えた程度の実力で勝つとか負けるとか……そんな一般論で軽く語れるほど低い次元には位置していない存在であったのだ。

 故に、組合会長の敗北は――必然。

 神敵討伐も同様に、所詮は単なる実現不可能な夢物語でしかなかったのである。


(……何で大した根拠もなく簡単に討伐できると思っていたんでしょうか、私は……)


 思わず少し前の……過去である自分に内心でそう問いかけてしまう程度には、精神的にも肉体的にも絶望の境地へと追い詰められていく組合会長。

 だが――不可能だ。どれだけ考えても、神敵討伐の実現は不可能でしかないのだ。

 本当に、どうして過去の自分は簡単に討伐できてしまうと思ってしまったのか。

 ちょっと前なら分かっていたはずのその答えが、今では全く理解できない。

 むしろ時間が巻き戻せるのなら、自分に対してどれだけ浅はかなのかを軽く数十時間は問い詰めてやりたいとさえ考えるほどだった。

 ……とはいえ――――


「……で、どうなんだ?」


 ――誓約は、絶対だ。

 確かに、神敵討伐の実現は既に事実上不可能であると理解できた。

 しかし……だからと言って、それは別に諦めたという意味でもないのである。

 何より自らが信仰を捧げている女神シェルミールに神敵討伐を誓い、そのための力である加護まで貰ってしまった以上、最早組合会長に残された道は一つ。

 “死んでも殺す”――即ち、今さら何をしようと無駄な結果にしかならないのだとしても、彼女にはもう自分の命を捨ててでも神敵に立ち向かわなければならないという道しか残されていないのだ。

 故に――――


「……。……えぇ、確かに私はリオネリアの母でしたけど……それが、どうかしましたか?」


 ――例え無意味であろうと、彼女は抗う。

 再び問いかけてきた神敵にそう応えながら、組合会長はチラリと地面に転がる自らの腕と、その手に握られたままの聖剣デュランダルの位置を確認する。

 幸いなことに神敵を断罪するための剣は彼女からさほど離れておらず、少し屈んで手を伸ばせばすぐにでも掴めそうな距離にあった。

 視線を神敵に戻す。


「そう、か」


 何を思ったのか、そう呟いて両目を閉ざし、フッ……と全身を脱力させる“黒の神敵”。

 彼女に向けられていたはずの意識も、何故か当たり前のように逸らされている。

 ついでに殺気立った雰囲気も今やまるで夢か嘘だったかのように消え去り、完全に脱力した様は正しく明鏡止水が如く、雲一つなく澄み渡り切った青空または凪いだ水面のよう。

 完全に隙だらけの姿が、そこにあった。

 ……。

 ともあれ――チャンスだ。

 視線を神敵に固定させたまま、組合会長は動き出す。

 ゆっくり、ゆっくりとその場へとしゃがみ込んでいき、そうして地面に落ちている聖剣デュランダルへと手を伸ばしていく。

 抑えていた傷口から手を離したことで、大量の血が再び噴き出し始めたが……気にしない。

 今は何よりも神より授けられし聖なる武器をこの手に取り戻すことが先だ、と血の色に染まったその手を伸ばし続け――――



 ……。


 …………。


 ………………。



「――それは本当に笑えない冗談だな」



 ………………。


 …………。


 ……。



 ドスッ……と、突如として背後から胸元を突き抜けていった謎の衝撃に、組合会長は思わず息を詰まらせる。

 一体何が起きたのか、反射的にそう疑問に思ったところで――彼女は気づく。

 ――“黒の神敵”が消えているのだ。


「な、ぁっ――かはッ……!?」


 絶えず警戒し、そしてだからこそ決して見逃すことがないよう凝視し続けていたはずの神敵。

 その姿がいつの間にやら消えていたことに、組合会長は反射的に驚愕の声を上げようとして――しかし盛大に喀血してしまう。


(……な、にがっ……!?)


 目を白黒させる彼女だったが、幸い原因はすぐに特定した。

 視線を僅かにでも下げてみれば、即座に視界へ映り込んでくる“ソレ”。

 ――自身の胸元から生えた、聖剣デュランダルの剣身。

 神敵を断罪するための剣が……女神シェルミールから授かった神敵討伐のための加護が、よりにもよって組合会長自身に牙を剥いていたのだ!


「ぁ、かふッ……ありえ、ま、せん……ごふッ……」


 ショックのあまり、呆然と呟く組合会長。

 だが彼女の心情など神敵にしてみれば、至極どうでもいいことでしかない。

 ググッと己の肉体に突き刺されたままの聖剣に力が込められたのを、組合会長は僅かな振動から察知する。

 ――次は、何をする気なのか?

 果たしてその答えは、次の瞬間に身をもって知ることとなった。


「――ィ、ぎッ……ガッ、アア゛ァ゛ッ……!」


 ブチブチ、と肉が引き裂かれる。

 聖剣デュランダルの剣身が、徐々に組合会長の頭部目掛けて動き出したのだ。

 正確には、神敵が力を込めて切り裂いていっているのだろう。

 果ては心臓から頭部までの両断か……いずれにせよ、今の組合会長にできることは迫りくる剣身に対して恐怖し、引き裂かれる肉体の激痛に悲鳴を上げることしかない。 

 そうして彼女は、死が近づいてくる音を大量出血に伴いブラックアウトしてしまった視界の中で聞き続け――――



「――存分に、苦しめ」



 あらゆる負の感情が込められたその言葉を最期に、組合会長の意識は完全に途絶えることとなるのであった。

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