030.そして破滅の夜が訪れる
「うわー、真っ暗で何も見えねぇ……」
古びた扉を開き、組合の外に出た俺が目にしたのは、そんなすっかり日も暮れていつの間にか夜を迎えていたらしい街の姿であった。
周囲の様子を探ってみても、日中はあれだけ道中で大量にごった返していた街の人たちの気配が、今ではもうほとんど感じられなくなっている。
少しだけ詳しく探ってみれば簡単に分かるが、どうやら夜を迎えたことでほとんどの人たちは自分たちの家か宿であろう建物の中に引っ込んでいるらしい。
(ふむ……まぁ、ここには現代日本みたいに暗闇を照らす電灯などの光が存在していないからな。精々が月の光くらいのものだが……それでも建物が乱立して日中でさえ数多くの場所に影ができてしまうような街中を歩くには、少々どころかかなり心もとない。
……一般人が出歩くには、それなりに危険な時間というわけか)
夜を迎えた証拠に、空に浮かぶ十三の色違いの太陽が十三の色違いの月へと変化してしまっている様子を見上げながら、割とのんびりと思考を重ねていた俺は……しかしそこで周囲にポツリポツリと存在していた人の気配が近寄って来るのを感じ、瞬時に意識を切り替える。
一般人が出歩くには危険な時間帯だが、少なくともならず者にとってはそうじゃない。
即ち、一人ぼさっと突っ立っていた俺は、現在も近づきつつある彼らならず者にとって絶好のカモのように見えていたのだ。
「はぁ……面倒くせぇ」
とはいえ勿論、俺が好き好んでならず者との遭遇を選択するはずもなく……溜息を一つ吐くと同時に、俺は[虚偽の仮面]も併用することで自らの気配を限界以上に消して抑える。
それにより、周囲から徐々に近づいてきていたならず者どもの気配も、唐突に目標である俺の気配を感じられなくなったことで動揺して動きが止まってしまっているのが分かった。
(せっかく思う存分に暴力を振るえて、ある種の賢者タイムという名の余韻に浸っていられたんだ……無粋な存在は勝手に湧き出てくるんじゃねぇ!)
何となくイライラしてきたものの、それでもこちらから積極的につぶしに行こうとまでは思えなかったため、頭を冷やすという意味で少しだけ夜風にあたろうと思う。
そんなわけで地上よりも悠に障害物が少なく風通しも良い建物の上へと飛び上がった俺は、そこでついでとばかりに無駄能力の一つとも言える[ガム召喚]で超クールなミント味のガムを生み出し、口の中に放り込んだ。
クチャクチャとガムを噛み締めつつ、軽く吹き付ける夜風と共に息を吸ってみれば、スゥーッとした爽やかな感覚が口と鼻を中心に全身へと突き抜けていく。
全身の余熱と、組合の一件で付いた血生臭さが浄化されていくような気持ちのいい感覚に、俺は思わず目を細めた。
「あぁ……余計な人間といった存在も悪意もなく、広々とした空間の何たる開放的で素晴らしいことか……!
ちょっと前までは確かに人恋しかったけど、だからといって無理してまで馴染もうとするのも違うよなぁ……結局、それで得られたのは多大な不快感と膨大な殺意だけだし、やっぱり俺にはこっちの方でしか生きられないということが改めてよく分かったぜ」
――――ゾワァァァン……(ゲ・ン・キ)
フッと半ば黄昏気味に呟いた俺に、今まで黙っていたフォースが咄嗟に反応する。
だがどうも俺を慰めようと思って声をかけてみたものの、具体的にどう慰めの言葉を言ったらいいかが分からなかったらしい。
酷く躊躇している雰囲気と、どうすべきか困っている感覚がフォースから伝わってきた。
……ったく、本当に主思いの良い眷属だよ、お前は。
「気にするな。別にあの集団の中で生きたかったとか、そういうわけではない。むしろ俺は少人数の信頼できる身内だけでいる方が好きだしな。
そもそも今回のことにしたって単なる気まぐれから始まったことだし、元よりお前が気にする要素なんて欠片もないんだ」
――いや、本当に。
組合で暴れた時にも思ったが、俺のことを俺以上に怒り、そうして実際に悪意を向けてきた全ての人間を……特に直接危害を加えて来ようと企んでいた者から徹底的に再起不能レベルで叩き潰していたフォースには、最早感謝の念と仲間としての最大級の信頼しか抱いていない。
そのため、そんなフォースを切り捨ててまで今更あの悪意に満ちた集団へと帰属したいとも思わないし、同じく今後も関わっていきたいとは到底思えず……だからこそフォースには二重の意味で気にする必要がなかったのである。
――――ゾワァァァン……!(カ・ン・キ)
果たして、俺の言葉を聞いたフォースは感動したように空間を小刻みに揺らし始めた。
……自分でもちょっと遠回りすぎるセリフだったと思うが、どうやら我が眷属にはしっかりと意味が伝わったらしい。
流石は、我が優秀なる眷属兼仲間である。
誰に自慢するでもなく、俺はどこか内心で照れ臭さを覚えつつも、何だかとても鼻が高かった。
「ま、まぁ、とにかく……あれだ。最悪だった気分もここまで良くなったことだし、――このまま真っ直ぐリオネリアの宿まで帰るか」
未だゾワンゾワンと歓喜に震えているフォースを後目に、そう言うや否や俺は建物の上を走りだす。
失ったもの(人を信じる気持ち)は確かに多かった……が、同時に得たもの―――心の底から信頼できる仲間がどれほど大切かの再認識と、自分にとって本当に譲れない大切なものへの気づき―――も大きかった一日であったと思う。
夜風と一体化しつつ、今日の一日を改めて振り返った俺は、そうして今度こそ閃光とも見紛う一筋の刃の如く、フォースと共にその身を夜の闇へと消してゆくのであった。
……。
(……。
ところで……そういえば、あの組合に唯一いた受付嬢。あまりのウザさに、最後に一発だけ顔面を打ん殴ってやろうと思って近づきはしたが……結局、打ん殴る前に自分から気を失ってすっ倒れたんだよなぁ。
しかも、ご丁寧に大量の鼻血まで噴出して。……そんなに顔面を殴られるのが嫌だったのか? まぁ、確かに俺も鼻血に触れるのは嫌だったから、こうして打ん殴らずにそのまま組合を出て行ったわけなんだけどさ……全く、あれのせいで完全に白けちまった。
本当、何で気を失いながら鼻血噴いてたんだろう? ……敵ながら、実に不思議な行動だったなぁ)
……尚、今日という一日を振り返った中で最も俺の印象に残っていたのが、その件の受付嬢による失神しながら鼻血を噴くという光景であったのだが……当然、そのことについて誰かが知っているはずもなく、必然的に俺が思い浮かんだ純粋な疑問に答えられる者も、どこにもいなかった。
……。
…………。
それから程なくして、俺の視界にリオネリアの宿屋が映り込んだ。
ゴールはもう、目の前の間近にある!
――その瞬間、意味もなく俺のテンションは頂点を振り切った。
「クハハハハハハッ! 行くぞッ、フォース! どっちが先にあそこまで着けるか、勝負だッ!」
途中で夜風に当たりすぎたせいで逆に頭がおかしくなったのか、それとも最初からどこかがぶっ壊れていたのかどうかは知らんが……とにかくこの時の俺は機嫌の良さも相まって、いきなり勝負を仕掛けた上にその対象であるフォースの返答も聞かずに問答無用で更なる移動速度の加速を始めた。
具体的には、音速レベルから現在の自分が出せる限界速度――即ち[虚偽の仮面]によって制限された能力の限界である亜光速レベルへと、一気に引き上げたのである。
当然、急に言われたフォースが対応できるわけもなく、そうでなくとも亜光速レベルまで達した移動速度を得た俺は、リオネリアの宿屋までの距離を瞬く間に潰していく。
「ハァーッハッハッハーッ! どうしたどうしたぁッ!? 随分と遅いじゃないかッ、フォースよ! ――とうッ……!」
慌てて後を追ってくる我が眷属にそう激励(?)しつつ……調子という名の波へと乗りに乗っていた俺は、そのまま普通に屋根から飛び降りればいいものを……何故か真下にある宿屋の扉の前ではなく、その真上である空中へと高く高く飛び上がった。
そして――くるくるくるくる、すたッ……と。
無駄に高く飛び上がった俺は、これまた無駄に高速での連続前宙をその場で披露しつつ、華麗に地面の上へと……丁度リオネリアの宿屋の扉が目の前に位置している場所へと、一切のブレがない完璧な姿勢そのもので降り立つ。
……完璧だ。完璧すぎる。
暫しの間、思わず無言で目を閉じて自己陶酔に耽ってしまうくらいには完璧な着地だった。
「……。――フっ……フォース、何点だ?」
それ故に、暫く自分に酔っていたかのような無言の後……どことなく口角が上がっているように見えなくもない表情を浮かべると、その表情のまま俺はようやく自分に追いついてきたフォースへとそう短く問いかける。
普通なら、短すぎて何を問うているの分からないような質問。
だが相手は、これまでの長期間に亘ってずっと傍で仲間として存在していた我が眷属だ。
だからこそ、例えどれほど互いに口にする言葉が短かろうと、俺たちは常にそのニュアンスだけで通じ合うことが可能なのである!
果たして――――!
――――ゾワァァァン……(カ・ン・ペ・キ)
「――ってバッカお前、違ェよっ! そこは十点って言うところだろっ!」
……いや。どうやら今回は互いにどこかが不調であったらしい。
完璧に伝わるはずの意思が、今回に限って完璧でなかったということは……つまりそういうことなのだ。
……。
ま、まぁでも、偶にはこんな誤差もあっていいだろう。
普段の……それこそ何らかの重要な局面でミスしなければ何の問題もない話だし、そもそも俺たちの関係はまだ始まって半年程度だしな。
だから――うん、これからだ。
要はこれから改めてフォースと一緒に頑張っていけばいいだけの話だと、俺は心の底から思う。
ともあれ、こうして軽く目を閉ざしながら物思いに耽っていた俺であったが、割とあっさり結論が出たことからすぐに脳内の思考を切り替え、そのまま視線を背後にいるフォースから身体の全面が向いている正面方向へと戻した。
だが――――
「――ぇ゛…………」
そうして何気なく視線を前に向き直した瞬間――俺はしかし、それまでのテンションも忘れて全身をピシリッ……と硬直させてしまう。
――何故……?
咄嗟にそのような疑問が脳裏を過っていくが、それだけだ。
疑問と困惑に支配されたまま、俺の身体と思考は|無駄に加速された世界《超・反射神経と超・高速思考》の中で硬直し続ける。
――誰もいないと思っていたからだ。
言い訳のように、その言葉が脳裏に浮かび上がってきた。
でも事実として、あの時、自分らしくもなく屋根から高く飛び上がって連続前宙まで披露したのは偏に誰も見ていないと思っていたからなのだ。……もしいたらいたで、俺は絶対にああまではっちゃけていない。
けれど――残念ながら現実での俺は、既に遠慮なくはっちゃけてしまっている。
全ては……誰もいないと思い込んでいたがために。
しかし現在、身体の隅から思考の奥底までが完全硬直してしまっている俺の様子から見ても分かる通り、〝誰もいない”という思い込みが実は本当にただの思い込みであったと判明しつつあり……。
つまるところ、それが意味してるのは――――
「――え、えーっと……お帰りなさい、ジャックさん。随分と、その……ご機嫌ですね? もしかして良い仕事を見つけられたんですか?」
「…………」
(ぅわあああぁぁぁあああぁぁああッ……!?)
―― 見 ら れ て た ッ……!?
と、この一言に尽きる。
おまけに、もっと言わせてもらうならば……ただでさえ見知らぬ他人に見られるのも気まずいってのに、今回のこれはよく見知った相手――即ち、リオネリアに見られてしまっているのだ。
超気まずそうに目線を逸らして、思いっきり躊躇した様子を見せつつお帰りの挨拶をしてくるのが、何よりもいい証拠である。
……俺が感じる気まずさなど、最早考えるまでもない。
むしろ石のように硬直してしまったのも、当然の結果と言えよう。
――――ゾワァァァン……!?(ナ・ニ・ガ)
背後では俺につられて、何故か物凄く動揺した様子の眷属もいたが……残念ながら今は全く気が回らない。
……つーか何だ、お前。
動揺のし過ぎで滅茶苦茶空気振動を起こしまくっているじゃないか。
何でお前まで動揺しているのかは知らんが……一先ずここは落ち着け。
空気振動を起こしているせいで、謎の振動波がリオネリアにぶち当たってその本人がお前のいる空中を驚いた目で見つめちゃっているから!
(――ふぅ……)
とりあえず、気が回らないと言いつつも俺はフォースの動揺した様子を見て、そっと出た溜息と共に我が身を落ち着かせる。
そうして俺はそのまま何事もなかったかのように、今初めて出会ったかのような振る舞いと表情を意識しつつ……改めて、結果的に長々と無視をしてしまっていたリオネリアへと向き直った。
「おや、リオネリアじゃないか。こんばんは」
「えっ……あ、はい。こんばんは……?」
開口一番の、この白々しいセリフよ……。
先ほどまでの〝事”を〝なかった事”にしたいというのに、これでは逆に意識してしまうだけだ。
口に出して早々で悪いが、俺は内心でいきなり頭を抱えてしまうことになった。
どうやら自分では完璧に落ち着いたと思っていたものの、実際は思ったほど冷静になり切れていなかったらしい。
恥ずかしいやら何やら……猛烈な口に出して説明できないような衝動が我が身を襲う!
……。
けれど、まぁ……それでも、こんな白々しすぎて思わず自分を責めてしまうような仕切り直しという名の茶番にも一応リオネリアは乗ってきてくれたんだし、今はあまり気にしないでおこう。
俺は無理やり、自分自身をそう納得させた。
さて、と――――
「――ところで、リオネリアこそこんな時間にどうしたんだ? 見たところ、丁度今からどこかへ出かけるようだが……」
質問しつつ、周囲を見る。
当然のことながら、視界に飛び込んでくるのは真っ暗闇だけだ。
なんせこの宿屋があるのは人の多かった大通りからも離れた細い路地にあるため、他の場所のように月明りを明かり代わりにすることもできない。
出歩くには、少々どころか物凄く危なそうな時間帯であった。
思わず心配になって問いかけてしまうのも、無理はないだろう。
なので決して、このまま互いに会話を始めることで今までの出来事を無意識の内に流してしまおうなどと、そう考えているわけではない。ないったらない、ないのである。
ともあれ……
「あ、はいっ、そうなんです」
今度こそ不自然さの欠片もない、この極めて無難な会話のきっかけにリオネリアも若干ほっとした様子で乗ってきた。
俺も気まずさを感じて据わりが悪かったのだが、それは彼女も同じであったのだろう。
だが長々と続いてしまっていた負の連鎖は、こうして終わりを迎えることができたのだ。
俺たちは、この謎の負のスパイラルからついに解放されたのである!
だからまずはそのことを盛大に喜ぼうじゃないかっ!
……と、まぁ、そんな俺の内心での密かな叫びはどうでもいいとして。
「実は、その……母から呼び出しを受けていまして――――」
少女の説明は続く。
だがそれは、聞けば聞くほど俺の中で何か違和感を生じさせるものだった。
なんでも彼女は普段こそ家族である母親から距離を取らされて暮らしているものの、それでも半年に一、二回はその母親に顔を見せることを義務付けられているらしい。
普通の人なら、この段階で既におかしな話だと思うかもしれないが……そこは単にリオネリアが不憫なだけだと納得してもらうとして、問題はその次だ。
――少女は言った。
ただでさえ滅多に会わないような母と最後に会ったのが、ほんの数日前のことだというのに――――
「――それも何故か今日……しかもついさっき、急に母の下へ来いと伝えられたんです。正直、私も驚きましたよ。何て言ったって、このように母の方から私に会いたいと言ってきたのは初めてのことですからね……」
困惑しつつも、どこか嬉しさを隠し切れない様子のリオネリア。
……なるほど。
何となく、彼女の気持ちも分からなくはない。
しかし……しかしである。
何度も言うように、少女の話は聞けば聞くほど違和感しか覚えなかった。
だが、そもそもリオネリアの生きてきた環境や彼女自身の純粋すぎる性格などが特殊すぎて、ハッキリ言って今の話のどこがおかしいのかが俺には全く分からないのだ。
……いや。
正確に言うと彼女の話自体、一般的に考えてその全てがおかしいことは分かるものの……それを彼女に当て嵌めた時、果たしてどこがどうおかしいのかが全く分からないということである。
要するに――理解はできるが、納得はできないということであった。
まぁ、とはいえ……
「……ふーん、そっか……」
色々と無駄に思考を重ねておいて何だが……結局のところ、全ては少女とその家族の問題だ。
リオネリア自身、この件に関して部外者へと何か期待をしているような感じでもないし……だったら尚更、俺がどうこうと口を出していい問題でもないだろう。
だが……そうなってしまうと、今度は途端に何て声をかけたらいいのか分からなくなるわけで。
「…………」
「……。えっと……ではそういうことなので、もう行きますね?」
そして、とうとう先ほどの時と同じように無言と化してしまった俺を、リオネリアは少しだけ困った表情で見つめながら別れを切り出してしまう。
本当にこんな真っ暗な夜を一人で大丈夫なのか、とか……やっぱり滅多に会わない上に娘を嫌っているはずの母親が、こんな時間にいきなり訳も分からず呼び出しをするなんておかしいとしか思えない、だとか……脳裏を過る疑問と違和感は、いくつもあった。
だけど――残念ながら今の俺に、少しずつ離れていく背に向けて語り掛ける言葉はなかった。
彼女は彼女で、俺は俺だ。
この関係性は例え誰に何と言われようと、それこそ世界がどれだけ滅びようと決して変わることはない。
要するに、所詮は他人でしかない人間に俺がそこまで馴れ馴れしく接することなど、到底できるはずもなかったということである。
(…………ま、そんなのは言うまでもなく分かり切っていたことなんだがな)
ハァ……と、半ば自嘲が混じった溜息を(内心で密かにだが)吐く。
……憂鬱だ。
何だか無性に空しい気持ちを……胸の内にぽっかりと穴が開いたかのような気持ちを味わう。
それも、思わず『どうして自分がこんな気持ちを味わわねばならない?』と自問自答したくなるほどのもの。
けれど、残念ながらその答えは誰も持ち合わせていないから決して返ってこないし、当然のことながら俺にも全く分からない。
結果――憂鬱が憂鬱を呼び、更なる気分の低下を招く。
これでは、溜息も自然と出てしまうというものだろう。
だが、そうしてどんよりとした暗い空気を纏ったまま、俺が再び憂鬱の象徴である重い溜息を吐こうとした時の事であった――――。
「――あっ、そうだ。すみませんっ、一つだけ言い忘れていたことがありました」
不意に思い出したかのようにそう言ったリオネリアが、そっと歩みを止めてこちらへと振り返る。
けれどその瞬間――何の偶然か因果か、はたまた運命の悪戯かは知らんが……ふと一筋の月光が、この暗い路地に佇む少女の姿をピンポイントで照らし出す。
加えて偶然はそれだけに止まらず、丁度こちらへと振り向いたことでふわりと広がった少女の金色の髪を、まるで夜空の星を映し出したかのようにキラキラと輝き出させたのだ。
――果たしてそれは、あまりにも幻想的で美しい光景で……俺が思わずハッと息を呑んで目を大きく見開かせてしまったのも無理はないだろう。
(……っていうか……あれ? リオネリアって、こんなに綺麗な奴だったか……?)
そもそもよく考えてみれば、彼女の容姿をしっかりと認識したのも今回が初めてな気がする。
……。……ん?
だとすると、もしかしなくとも俺ってば実は結構どころか物凄く最低な人間なんじゃあ……?
……。
ともかく、そうして俺が改めて自分自身の持つ可能性(負)に慄いていた一方で、こちらの内心なんて当然の如く知らないリオネリアは月光に照らされていることで宝石のように輝く碧眼を柔らかく細めつつ、絵になるような可憐な微笑みと共に話を続けた。
「一応、晩御飯の代わりにいくつかのサンドイッチと、他にも冷えていても飲めるようなスープやサラダを用意しておいたのでお腹が空いた時は是非食べてください。
けれど、もしそれで食べ足りない場合は……そうですね~。カウンターの奥に余ったスープやパンがあるので、そこから自由に取ってくださいっ。……遠慮はなしですよっ?」
「え? ぉ、おう、感謝する……」
ぴっ、と一本指を立てて言うリオネリアに、勢いに呑まれた俺は呆然としつつも何とかそう返答をする。
すると、それを聞いた少女は「ふふっ」と満足げに笑い、再びその場で軽やかに身を翻す。
そして――キラキラと黄金の波に星を散らす中、彼女は今度こそ別れの言葉となるそのセリフを言うのだった。
『それじゃあ、今度こそ行ってきますっ』――と。
たたたっ、と駆け足気味に去ってゆくリオネリアの後姿を見送る。
……何だろう。
今更ながらに、夜という時間がそうさせているのか、彼女のテンションが妙に高いことに気づく。
或いは、もしかしたらその態度こそ、リオネリアから無意識の中に発せられた何らかのサインであったのかもしれない。
俺は……そのサインに気づくべきであったのだろうか?
更にはこの会話が始まって以降、ずっとなくなることなく自分の中に燻り続けていた違和感。
この違和感についても、もしかしなくても彼女へと伝えるべきであったのだろうか?
そうでなくともこんな夜中に出歩く彼女に対して、最低限として何か心配している旨を伝えるべきであったのではないかとも思う。
だが――結局のところ、俺は去りゆく少女に対して何も語ることなく、ただただ無言でその後姿を見送るだけに止まった。
何が間違いで、どうすれば正解だったのか……それは、この時点においては誰にも分からない答えだったのである。
……まぁ、だけど別に今言えなくても、またリオネリアが帰ってきた時とかに話せばいいだろう。
というかそもそも大した話でもないのだし、何より俺たちの関係は究極的には他人でしかないのである。
それに、どうせ機会なんてものはいくらでもあるのだから……と、この時の俺は気楽に考えていた。
現にその考えは、一般的においては強ち的外れでもない。
誰も平穏な日常の中、唐突に明日が来ないことを本気で心配したりはしないだろう。
つまりこれは、そういうことなのだ。
――今日話せなかったことは、また明日に話せばいい。
――実は夜中に出歩くことについて心配していたことも、明日の朝にお互い笑い合いながら語ればいい。
故にこそ、俺は最後までリオネリアと何かを語りかけることもなく、その姿が視界から消えるのを確認してから、一人静に宿の中へと入るのであった。
……。
…………。
………………。
だが、この時の俺は、これが彼女との最後の会話になるということを――――まだ知らない。
世界がいつだって自分に厳しいことは、既に誰よりも知っていたはずなのに……。
後悔の時は、すぐそこまで来ていたのである。
………………。
…………。
……。
時が過ぎ、深夜半ばを過ぎた頃。
「……」
むくり、と俺は無言でベッドの上から身を起こす。
――なんてことない。
これまでのサバイバル生活を送る上で培ってきた第六感が、唐突に騒ぎ出したのだ。
故に、少しだけ意識を周囲へと溶け込ませるように集中させてみれば……あぁ――なるほど、そういうことか。
(宿屋の周りを囲んでいる者――三十七人。
宿屋の中に乗り込んでいる者――八人。
で、中でも俺に対して悪意や害意を持っている者が――何と、これが驚きの全員とはねぇ)
これは眠りから唐突に意識が覚醒して、身体が勝手に臨戦態勢へと移行するのも当然だった。
むしろ、そうならなくては俺もこれから先を安心して生きていけないし、何より物凄く困るからなー。
「――よし、準備完了っと……」
ともあれ、そうこうしている内に宣言通り全ての準備(と言ってもデクスオーロの試練迷宮で手に入れた長剣を腰のベルトにぶら下げるだけだが)を終わらせた俺は、全身の関節をゴキゴキとさせつつ部屋の出入り口である扉の前へとやってきた。
そうして気配を探ってみると、宿屋にいる八人の中、三人が既に階段を上ってこちらへと近づいてきていることが分かる。
恐らくタイミング的にも、あと十数秒もすればこの部屋の前に辿り着くであろう。
であればこそ、それが分かっているのなら取れる手段は考えるまでもない。
先制攻撃――即ち敵が扉を開けて部屋の中へと押し入られるより前に殺る、それのみだ。
(……十……九……八……)
目を閉ざし、心の中でカウントを始める。
視界を封じた分だけ聴覚と第六感が鋭くなり、徐々に接近してくる敵の存在をより詳しく感じ取れるようになった。
余程の訓練を積んでいるのか、それに息を止めているせいか足音や呼吸音は一切しない。
けれど、例えそのように息を止めてまで隠れ潜もうとしても――無駄だ。そんな程度の小細工は、俺には欠片も通用しないのだ。
何故なら――ドクン、ドクン、ドクン、と響き渡る敵三人の心臓音。
それは……果たして普通の人ならば聞き取ることのできない、それこそ小さ過ぎると言っても過言ではないほど微弱な音だった。
だが――本気になった俺の聴覚は、例えどれだけ微弱であろうと決してそれを聞き逃しはしない。
故に、だからこそ――――
(……五……四……三……)
忍ぶなら忍ぶで、息だけでなく心臓の動きも止めておくべきだったな。
ま、それでも俺には意味がないだろうけど……と。
(……二……一……)
そんな、敵にとっては夢も希望もないことを考えながら……。
心臓の音によって、カウントしている数字と互いの距離が合うようにタイミングを計り続けていた俺は――――
「(――零)……喰っていいぞ、フォース」
カウントダウン終了と共に、実は主以上に血気盛んで戦意満々な眷属へと――先制攻撃の許可を与えたのであった。
……。
…………。
カチャッ、キィー……っと。
なるべく静かになるよう扉を開けた俺の視界には、どことなく誇らしげに揺れるフォースの姿が飛び込んできた。
どうやら接近していた三人を反応させる暇もなく全員まとめてほぼ同時に処分したらしく、そのお陰で周囲を見渡す限りは一切の血も飛び散っていないし、襲撃後の血生臭い違和感みたいなものがどこにもない。
――完璧だ。
「ふむ。よくやったな、フォース。実に手際のいい掃除だった」
俺の心の底からの賛辞に、ゾワンゾワンと照れまくるフォース。
そのあまりの喜びようには、ついついこちらの頬も緩んでしまう。
とはいえ状況的に考えて、あまりこうして呑気に和んでもいられないのも事実だ。
地面に転がっている三本の短剣を拾い上げ、何となくその刃の部分で部屋の扉を切り付けてみる。
すると、次の瞬間――――ッ!
――――ジュワァァァアッ……!
「――うッ……ゴホっ、ゴホっ!」
大量の煙を発生させると同時に、切り付けた扉が加速度的に腐食、崩壊していく光景を俺は見てしまった。
くそッ、やはり毒が塗られてあったか。
というかあれって、どこからどう見ても普通の毒どころの効果じゃないだろ。
何で木製の扉が蒸発するように溶けてるんだよ!
これは俺でさえ怪我をするかもしれないレベルの代物だぞ!
だけど、これでハッキリと理解することができた。
――敵は本気だ。本気で俺を殺す気で来ているのだ。
俺は心の底から、その事実を理解する。
よって、なればこそ――敵が本気で来ている以上、こちらも本気で対応しなくてはならないだろう……と。
引き攣った表情で扉が最後まで崩れ落ちる様を見届け、そうして俺は三本の短剣に塗られていた全ての毒を余すことなくフォースに吸収させ、そのまま階下へと足を進めた。
(リオネリアには……また後で謝っておかないといけないな)
本気で対応するからには先ほどのように宿屋を汚さず対処する、なんてことは難しい。
少なくとも、多少の血は残す結果となってしまうだろう。
何て言ったって、敵は宿屋の外も含めてまだ四十二人もいるのだから。
「まぁ、とはいえ数はそれほど問題じゃない」
ちらりと宙に浮かぶフォースを見やる。
――目標は、なるべく血を残さず綺麗に殺すこと。
瞬時にアイコンタクトを取り、互いに了承した。
……うむ、よろしい。
では、早速行くとしようか!
階段の上から階下を見てみれば、丁度こちらから見て死角に位置しているところに隠れ潜んでいる者が一人。
よし……ならばまずはそいつから片付けるとしよう。
片手に先ほど拾った短剣の中の一本を持ち、そっと構える。
息を短く吸って吐き、全身を適度な緊張感で満たす。
そして――――
(――今だッ……!)
自らのタイミングに従い、次の瞬間、俺は階段の上から階下へと一気に飛び出し、死角に隠れ潜んだ最初の一人の首を切断しようとして――――
「――――ッ!?」
しかし、殺意を刃に乗せて敵の首を搔き切るその刹那――――!
視界に飛び込んできたソレに、俺はつい動揺して手元を狂わせてしまう。
結果――――
「――くッ……!? これが“黒の神敵”の力かッ……!」
キィィィインッ……と、今回の復讐道が始まってからは初めて、手元を狂わせたせいで威力が大幅に弱まったとはいえ、人間相手に俺の一撃を受け止められてしまったのである!
だが、そんなことは今に限ってどうでもいい!
問題は俺を動揺させ、刃を鈍らせたモノ。
何故ならソレは、紛れもなく――――
「――リオ、ネリア……?」
――――血の涙を流したまま絶命している、リオネリアの生首だったからだ。




