023.西の辺境都市ヴィーラン
そして、門を抜けて歩くこと数十分後。
街の中に足を踏み入れたからと言って、別に大勢の人とすぐに出会えるわけもなく、むしろ何もない森にしか繋がっていないせいで無人の道を俺は暫く進むしかなかったのだが……しかし、ついにこうして人通りの多い道へと出ることができた。
「お、おぉ……人だ。ハハッ……見てみろ、フォース! 人がたくさんいるぞ!」
時間にして凡そ半年と少し。
先ほど遭遇した軍隊の事は当然だが省き、本当に久々に出会えた人という存在に俺の気分は改めて高揚する。
それも周囲にいる人々の目を全く気にすることなく、全力ではしゃぎだしてしまうほどであった。
――――ゾワァァァンっ……!(ス・ゴ・イ)
懐から思わず飛び出してしまったフォースも、同じく大興奮して震えだす。
周りからは謎の陽炎にしか見えないだろうが、俺には珍しくもフォースが長々と何かを言い続けている事に気づく。
何なに? ……“本当に全身を気や鱗や外骨格で覆っていない生き物がたくさんいるねっ!”……だって?
……。
……ふむ。
途端に我に返り、冷静さを取り戻す俺。
(……そういや、フォースってば『千の凶悪』の迷宮で生まれてから今まで、一度も俺と植物と先ほどの軍隊は除くモンスター以外の生物を目にしたことがなかったんだよな……)
何だか非常に申し訳ないというか、哀れすぎて言葉も出ないというか……
とにかく色々とゴメンよ、フォース。
そうして、すっかり冷め切ってしまった自分とは違い、未だにはしゃぎ回るフォースを、俺は空中に向けて伸ばした両腕でそっと抱きしめるのだった。
……。
…………。
「――ん……?」
――だが、そこで不意に気づく。
(何か、俺たち……周りから注目されてないか?)
見た目は黒髪黒目に上質な黒のスーツという、この世界では例えどこに行っても見ることができないであろうモノ。
おまけに、これまで散々人目も気にせず一人で騒ぎ立て、終いには何もないはずの空中へ目掛けて何かを(まるで演技には見えない)本気の様子で抱き締める男……。
なるほど、どう考えても頭がイカれてる人間の行動だ。元々の姿に加え、注目されるには十分な……いや、むしろ十分すぎる理由である。
だけど――――違う。
自らが導き出した論理的な思考と結論を、しかし俺は直感だけでそれを即座に否定する。
『これは、そういう類のものではない』――と。
というか、ここ最近は迷宮でモンスターばかりを相手に、専ら対象の気配や殺気などに対する反応が鍛えられているせいで忘れられているのかもしれないが……そもそも俺ことジャック=キリサキ、或いはかつて霧崎邪悪という名だった男は、本来の性質として重度の人間不信の人嫌いに加え、過去に名前のせいで起こった嫌な出来事により、自身へと向けられる全ての悪意にはその大小を問わず敏感に察することができるようになった男である。
つまり――以上の事から何が言いたいのかと言うと、だ。
今回、俺が周囲から向けられている視線は決して奇異なモノを見るようなものではなく、むしろゴミか汚物を見るような……そんな、何故かは知らんが悪意に満ちた視線だったのである!
……本当に、何故だか全く知らんが。
(ううむ……普通、ちょっと騒いだ程度でここまでの悪意が生まれるものか……? でも実際に俺は視界内の全ての人たちから物凄い目で睨まれているし……もしかしてこの街の人たちって全員、例外なく心が狭いとか? だとしたら、容赦なく睨まれるのも少しは納得できるのだが……)
顔を無表情に戻し、空中にいるフォースを抱き締めるために上げていた両腕も下ろした俺は、向けられてくる悪意の視線にただ黙って首を傾げた。
そして、同じくそんな周囲の空気を読んでか、先ほどとは打って変わって大人しくなったフォースと共にどうしてだろうと深く思考を続け――――……
……。
…………。
「…………あ。もしかして……」
――その時、ふと俺の脳裏をある記憶が過ぎる。
それは上位世界であるアンリミット超神帝国城にて、俺がまだ異世界に行くための準備を色々としていた時の事。
事前学習として、これから復讐しに行く世界の理解力を深めていた俺は少し思い立ったこともあり、自身がどのようにしてくそ女神の所まで連れて行かれたのかを調べてみた。
だが、その結果……実はあのくそ女神が当時行方知らずだった俺を探そうと、(でもわざわざ自分が動くのも面倒だったため)己を信仰する国であるヴァリエーレ聖王国に神託を下し、そうして神敵に仕立て上げた俺を手っ取り早く探させたという無茶苦茶な事実が判明。
おまけに、その神託の際にはご丁寧にも俺自身の細かい特徴――特に、ここらでは絶対に見られない黒髪黒目で黒スーツを着た男という情報を重点的に言い触らして……である。
だとすると……
(……うん、間違いない。そう考えると今回の注目も辻褄が合うし、何より説明が付く)
つまり今も尚こちらへと向けられ続けている悪意についてだが……恐らくは、その神託で伝えられた神敵の特徴と俺の外見(偽装中)がそっくりであったことが原因だろう。
というより、今となってはもうそれしか原因が考えられない。
辿り着いた結論に、うんうんと何度も頷く。
同時に、そうしてようやく納得できる答えが得られたことに俺は、盛大に満足するのだった。
……。
…………。
が、しかし――――
(――ん? だが待てよ……誰もが知る特徴的で目立つ姿? ……あれ? 何かそれって、考えてみれば結構まずくないか……?)
のんびりと満足感に浸り続ける一方で、けれど俺はすぐにもう一つの重大な問題点に気が付いてしまう。
即ち、もしも原因が今の姿にあるとするならば……そもそも、こうして人通りの多い中でのんびりと悠長に構えている事自体が一番の問題と成り得るのではないか? と。
なんせ、事実として今の俺は神託で事細かに伝えられた神敵と同じ特徴をしているのだ。
故にこのままでは、この後の展開としてはまず間違いなく特大の面倒事に巻き込まれることとなるだろう。
そして何より、これが最大の問題なのだが……――実際に“黒の神敵”などと呼ばれる身の俺は、叩けば本当に埃しか出てこないがために怪しまれるのだけは全力で回避しなければならないのである。
……最悪は、問答無用で街全体が敵に回るという事態にも発展しかねないことだしな。
なので……
「……ちッ……ここは一旦、退くか」
周囲に聞こえないよう、軽く舌打ちを一つ。
気分は悪いが、それ以上に面倒事も嫌いだ。
だから――――仕方ない。
(この姿がダメだというなら……また別の新しい姿に偽装して出直せばいいだけだ)
踵を返し、人々の視線に背を向けた俺は、そうして元来た人の気配がしない道へと引き返していくのであった。
――姿を変えよう。
そう思って、人が絶対に来ないような場所――人の気配が全くしない一角の中でも特に寂びれた路地裏まで身を引いた俺は、そこで一度だけ落ち着いて周囲に誰もいないことを確認すると、即座に自身が持つ異能の一つである[虚偽の仮面]を発動させた。
(さて、じゃあ何に偽装するかだが……)
とりあえず、どこにでもいそうな中年の姿は街に入る前の門番のところで使ったからないとして……今回は“黒の神敵”という正体をバレないようにするためにも、絶対に怪しまれそうもない姿でいこうと思う。
ついでに、ここらで異能の偽装限界も試してみるとしようか。
てなわけで――――
「――どうだ、フォース! 完璧だろっ!」
[虚偽の仮面]による偽装が完了した俺は、いつもより数段以上も甲高い声で背後にいるフォースへと振り返りつつ胸を張る。
これまた普段なら絶対にしない仕草の上、クール系イケメンの俺には明らかに似合わないであろうが――――大丈夫、問題ない。
ちらりと鏡代わりに生成した『第三兵装:偽翼』の一部である銀刃を見て、改めて偽装した新たな姿に自信を持つ。
なぜならば――――
――――ゾワァァン!(パ・ア・フェ・ク・ト)
「くははっ、そうだろそうだろ! これならさっきの人混みも余裕で突破できるよなっ! 何と言ったって今の俺は――――」
―――ただの可愛らしい幼女なのだから―――
…………
……
とまぁ、そんなわけで……誰がどこからどう見てもただのカワイイ幼女の姿になり、先ほどまでと関連した点も完全になくなった。
加えて、これほど愛らしい幼女には余程の悪意らしい悪意も持ちにくいだろう事を確認したところで――――再チャレンジといくか!
服装もいつの間にやら白のワンピースに麦わら帽子というものへ変えた俺……いや、ジャック改めジャッ子は、そうして心機一転――やる気に満ち溢れた視線を先ほどの人通りの方へと向けた。
そして――――
――――ゾワァン……(ゴ・ブ・ウ・ン・ヲ)
「おう……じゃなくて――うんっ。ジャッ子、行ってくるねっ!」
――まるで本物の幼女みたく無邪気に笑って見せた俺は、フォースの声援を背に先ほどの通りまで一気に駆けだし……そのまま勢いよく身体ごと躍り出る!
クハハハハハッ!
人類よ、括目せよッ!
これこそが徹底的に可愛らしさを突き詰め、庇護欲を誘うことにより(悪意に対して)無敵となった幼女――ジャッ子の姿ッ……!!
さぁ……
(第二ラウンドの始まりだッ……!!)
……。
…………。
「…………」
……おかしい。
第二ラウンドが開始されてから暫く、俺は無言のまま通りを歩いていた。
俯きつつ……そして何度も首を捻りながら、けれど惰性のように足だけはゆっくりと動かし続ける。
(……やっぱり……――おかしい)
――が、ついに思考の中を回る違和感に耐え切れなくなってしまったのか、人通りの多い道のど真ん中で俺は思わず足を止めてしまう。
すると――途端に周囲から容赦なく突き刺さってくる悪意の眼差し。
……本当に、例えどれだけ見た目が無邪気でカワイイ完璧すぎる幼女であろうと、周りは一切の容赦をしてくれない。
途方に暮れた俺は、とうとう通りのど真ん中で両手を使って顔を伏せ、そのまましゃがみ込んでしまった。
(なぜだ……? どうして俺は敵意の眼差しを向けられている……!?)
少なくとも、見た目に問題はなかったはずだ。
同様に、態度の方も決してミスが出ないようにと一時たりとも気を抜くことはせず、頭のてっぺんから足のつま先まで常に全力で気をつけてきたため問題ない。
お陰で、今ではすっかり非の打ちどころのない完璧な幼女を体現できていると豪語することも可能なほど。
全く……我ながら自分の完璧さ加減が恐ろしい。
だが――――
(完璧だ。完璧すぎる。でも……これ以上なく完璧なはずなのに――――何故?)
――何故こいつらは見た目から雰囲気までの全てが完璧に幼女であるはずの俺へと、こうも容易く……そして容赦なく敵意という名の悪意を向けられるんだ?
マジで意味が分からん。
だって、俺ってば今はただの幼女のはずだろ?
それも対象の庇護欲を盛大に誘うような……むしろ可愛らしすぎるくらいの幼女、ジャッ子なのだ。
これが子供嫌いの子供に対する迷惑そうな眼差しであれば、まぁ……それはそれで多少は仕方ないと理解できるところもあるが、ここまで無遠慮な上に容赦なく敵意を向けられるのはどうしても納得できない。
……というか自信満々だった分、普通に凹む。
「ぼそ……(ねぇ、ちょっと……今日は本当に厄日なんじゃない?)」
「ぼそぼそ……(あら、本当ね。一日に一度ならず二度までも―――を見てしまうだなんて)」
「ぼそぼそぼそ……(うわぁ、急いで女神様にお祈りしなおさなくては)」
「ぼそぼそぼそぼそ……(くっ、穢れちゃう)」
その間にも周囲からはぼそぼそと何事かを呟く声が聞こえて来たものの、幸か不幸か絶賛落ち込み中である俺の耳には届かない。
――――ゾワァァァン……(ワ・ガ・キ・ミ)
唯一、物理的に接触してきたフォースのメッセージだけが伝わってきた。
『とりあえず状況が状況ですし……ここはもう一度、さっきの路地裏まで戻りましょう?』――と。
「……」
……それもそうだな。
無警戒を狙った幼女モードなのに、何故か変わらずに敵意が向けられてくる以上、確かにフォースの言う通りだ。
これ以上はここにいても仕方がない。
フラフラと、俺は再び立ち上がる。
(――よし、戻ろう。路地裏に……っていうか、いい加減にそろそろ元の男の姿へと戻らないと。
……やっぱり今思えば幼女になるというのも何か違う気がするし)
そうして俺は、これまで歩いてきた道を振り返り――――
――――ドンッ
「うわっ……、……じゃなくて――キャっ」
背後へと振り返ってから最初の一歩目を踏み出そうとしたところで、運が悪いことに誰かとぶつかってしまった。
当然、未だに幼女である俺はいとも容易く弾き飛ばされ、そのまま地面に尻餅をついてしまう。
ともあれ、そんなわざとらしくも幼女らしい一連の振る舞いをこなし、ようやく顔を上げて見れば、目の前には正しく無頼漢といった表現がぴったりな三人組の大男たちが立ち塞がっていた。
(……こいつらか、この俺にぶつかってきたのは)
一瞬だけ、反射的に言いようのない殺意とも言うべき怒りを抱きそうになったが……幸いにして(大男たちにとって)今はまだ幼女モードだ。
ここで唐突にブチ切れるのも、万民の理想とする可愛らしい幼女としては不自然すぎるであろう。
ということで、既に元の男の姿へと戻ることを決めていた俺だったが、まだ人前にいる内は幼女モードとしての演技を継続することにした。
「イテテ……」
とはいえ、実際に地面に尻餅をつかされたまま、やられっぱなしというのも面白くない。
ただ、堂々と暴力による反撃行為も幼女がすると物凄くおかしいため……せめて相手の罪悪感だけは盛大に煽ろうと、俺は自身の幼女らしくぱっちりとした両目に大量の涙を浮かべさせながら、全力で庇護欲を誘う渾身のポーズを取った。
だが――――
「――あァッ? なんだァ? ……って、こいつは――――っ!
ちッ、おいテメェこのクソガキが……今すぐ俺様の前から消えろ。でないと――――」
――――殺すぞ?
「……!」
普段……それこそ、ここ最近は俺も頻繁に使っていたから分かる。分かってしまう。
目の前にいる無頼漢どもの言葉は、本気だ。
本気で、殺すつもりで口にしている言葉だった。
(……いきなり危ない奴らだなぁ。だが、まぁ……この状況はある意味チャンスでもある。絵面的にも幼女に絡む三人組の無頼漢という、誰がどう見ても同情を誘うことのできるシチュエーションだしな)
だから――さぁ! 誰でもいいから正義の心を持つ者どもよ! 今こそ、このか弱い幼女を暴漢どもから救い出すのだ!
期待を込めて、周囲をチラ見する俺。
けれど、現実は非情かな……
返ってきた視線に同情的なものは一つもなく、むしろその全てが先ほど以上に敵意に満ち溢れているもの。
(え。何で? これでもダメ? じゃあ俺は……いったいどうすればいいんだ……?)
期待以下の反応に俺は思わず愕然としてしまう。
大男たちに絡まれる幼女というシチュエーション的に、せめて最低限の同情くらいは欲しかったのだが……まさかそれすらない上に、より強い敵意を送られることになるとは思いもしなかった。
最早、立て続けに裏切られた期待のせいで、俺自身もこれから何をどうすればいいのか分からない。
……殺せばいいのか?
あの、迷宮で遭遇してきた数多のモンスター共を相手にしてきた時のように。
邪魔立てする全てを斬り伏せてしまえば……いいのだろうか?
(いや……だがそれをすると、わざわざ門番兵に嘘をついてまで平和的にこの都市へと入った意味がなくなってしまう。
だけれども――――)
――こうも意味が分からず、尚且つ視界に映る全ての者たちから敵意を向けられてしまっては、本当にもうどうしようもない。
これから何をどうすればいいのか、全く分からないのだ……!
そうして俺は、自分自身にどんどん追いつめられていき、ついには数か月ぶりの冷や汗すらたらりと流してしまう。
どうする……?
どうすればいい……!?
「――んん? ベルザリオさん、こいつ……どうやらベルザリオさんの忠告を無視するようですぜ」
「せっかくのベルザリオさんからの忠告を無視するなんて、そいつはいけないガキだなァ……ベルザリオさん、ここは罰の意味も込めて宣言通り殺っちまいやしょう! どうせこいつはこの国で殺しても罪にはならない奴ですしね!」
「ちッ……あぁ、そうだな。この俺様の忠告を無視するなんざ、全くいい度胸をしてやがるぜ。――お仕置きだ、クソガキィ! 何が悪かったのか、あの世でしっかりと悔い改めなァッ!」
ともあれ、そうこうして俺が悩んでいるうちに事態は急展開を迎え、気が付けば背中に背負っていた両刃の大斧を大きく振りかぶった状態でいるリーダー格の大男――ベルザリオの姿が目に入る。
背後に控える二人の取り巻きは狂ったように幼女――ジャッ子の殺害を囃し立て、周囲の人々もそれに感化されたように、口々に俺がベルザリオの手で残酷に殺されることへの期待を叫んでいた。
どうも彼らにとって幼女たる俺は悪であって、目の前のどう見ても無頼漢にしか見えない大男は正義のようだ。
……うん。
……こいつは、いよいよおかしい。
だが、そんな異常な状況下にて、俺はついに理解した。
この集団において、俺の存在は絶対に認められないのだ、と。
何より黒髪黒目の黒スーツ姿も、幼女として完璧なジャッ子の姿も、どういう原理かは知らんが共に認められることは絶対にないのだ、と。
或いは、もしかしたら他の――それこそ、この街に入る前に使用した“どこにでもいそうな中年の男”の姿であればいけるのかもしれんが……
まぁ、高確率で今回の幼女と同じ結果が待っていることだろう。
変に期待するほど、俺はこの街に希望を持っていなかった。
むしろ、残念ながら“どこにでもいそうな中年の男”になってまで再チャレンジする気力も、既に俺には欠片も残っていない。
だから――――
――――ゾワァァン……(ハ・ヤ・ク・イ・ク)
耳元でそう囁くフォースに俺はコクリと無言で賛同し、続いて目の前で振り下ろされる両刃の大斧を軽々躱すと、そのまま幼女の小さな身体を活かして人混みの中を駆け抜けて行く。
(ふんッ……こんな訳も分からん連中の相手なぞ、これ以上まともにしてられるかッ!)
一心に人のいない路地裏を目指して走りつつも、内心では全力でそのような事を叫ぶ俺。
とはいえ、実際に自ら人混みの中へと突っ込んで行ったくせして、結局は何をするでもなく敵から逃げ出したことに変わりはなく……
要するに俺――ジャック=キリサキは、こうして異世界に再臨してからは初めてとなる敗北を無様にも味わう羽目となったのだった。
……
…………
………………
「うーむ……よく考えてみたら何で俺が逃げるような真似をしなくてはならなかったんだ?」
人の気配が全く存在しない区画まで出戻り、[虚偽の仮面]を使って再び黒髪黒目に黒スーツの姿(無論、男である)へと変化する。
詳しい理由などは知らんが、どんな姿でも睨まれるだろうということが判明した以上、外見だけを取り繕っても仕方がない。
なので、ここは潔く奴らの言う“神敵”と同じ姿になったわけだが……
(こうも遠慮する必要がなくなるんだったら……この際、別に本来の姿である白髪に充血した白眼という悪魔のような姿に戻っても良かったかもしれないな。
――まぁ……逆に人類として認められず、余計に面倒事がデカくなる気もするし……それだけはしないように自重するけど)
そもそも存在の格からして違うのだ。
俺の本来の姿なんて、一般人からしたら歩く超兵器でしかない。
故に黒髪黒目という過去の自分の姿を取った理由も、ただ自らの強すぎる存在感を抑えるための制限であり、それ以外の何物でもなかったわけである。
「――ともあれ……」
幼女から男へと戻ったことで生じた違和感を慣らそうと、コキ、コキ、と全身の関節や手足を思いっきり伸ばす。
状態は……良好。
問題もなし……と。
その事を確認した俺は、そのまま空中に漂うフォースへと目を向けて言った。
「こうして男の姿にも戻れたことだし、――そろそろ出るとしようか」
『改めて……今度こそ堂々と、な』――そう、最後に小さく付け加えて。
だが……
――――ゾワァン……(ダ・イ・ジョ・ウ・ブ)
先ほどの出来事もあってか、フォースは自信満々に佇む俺と違って不安気な様子を隠し切れないようだった。
最早その雰囲気だけで、全力で心配してきていることが物凄い伝わってくるほどである。
(でも……それもそうか)
フォースの心配も、痛いほど理解できる。
なんせ、これから三度行こうとしている所こそ、今までは文字通り負け知らずだった俺が明確に敗北した場所なのだ。
生後半年くらいで、尚且つ常勝無敗の俺の姿しか記憶にないフォースにとって、それはもう不安で仕方がないのであろう。
「ま、心配するな。とりあえずお前の想像するような展開には、まず絶対にならないだろうから」
けれど、そんなフォースに俺は事もなげに軽く言い放つ。
実際に心配されるほどの問題なんて、よく考えてみれば最初からなかったのだ。
そもそも先ほどの出来事だって、あくまでも意味不明すぎる状況に混乱しすぎたが故に逃走しただけであり、別に悪意の視線で心を折られたわけじゃないしな。
というか、これまでの人生を振り返ってみれば悪意の視線なんて名前のせいでほとんど日常的なモノだったし、今更その程度の悪意で俺の心が折れるわけもない。
「だから――――安心しろ、フォース」
俺はジャック……【狂天】の天格者、ジャック=キリサキだ。
目下の敵は、この世界の神の一柱たる女神シェルミール。
その復讐を邪魔立てする者や立ち塞がろうとするモノは、例え何であろうと関係ない……等しく、障害として排除する男!
(そんな俺が、この程度の障害で二度も退くはずがないだろ……!)
どこまでも固い決意を胸に抱き、ザッと足を力強く踏み出す。
不安がっていたはずのフォースもまた、そうして欠片も迷いを抱かない俺の姿を見て色々と理解できたのか、今度はただ無言で付き従うのみ。
静かに……けれど、これまでとは違って絶対に失敗しない確実な未来だけを見据えて、俺たちは三度目の道へと歩き出すのだった。
その後、ようやく辿り着いた三度目ともなる人混みであったが……果たしてそこには数々の苦難――具体的には俺の怒りを爆発させようとしてくる数々の罠が待ち構えていた。
基本中の基本とも言える悪意の視線は当然として、歩けば数十人が連続でぶつかってくる上に、そのあまりのわざとらしさに思わず普通に避けてしまえば、今度はその場で大きく舌打ちされる始末。
『お前らマジで隠す気ないのか?』――そう思った次の瞬間、今度は人混みの中から数人の子供が現れる。
自然さを装ってはいるが、どう見ても不自然だ。
故に何をするかと観察してみると……何とそのまま俺に近づいてきて、スーツのポケットに手を突っ込もうとしてきやがった!
おいおい、本人が思いっきり見ている前でどうしてスリを実行できるんだよ。
流石にここまで来ると俺もイラつきを覚える。
なので撃退するつもりで殴り飛ばそうとも思ったが……周囲に敵しかいない以上、それをするのもダメな気がする。
何と言うか……罠を張られている感覚だな、これは。わざわざ嵌ってやるのも気分が悪い。
仕方ないので、持ち前の身体能力で華麗にクソガキ共を回避しようとするも……逃げ切れない。
忘れてはいけないのは、俺の周囲が敵だらけだという事だ。
どこを行っても敵、敵、敵。
つまり、クソガキ共を回避しても、今度はまた別のゴミ共が罠を仕掛けてきたというわけである。
スリに恐喝に当たり屋まがいの事に加え、挙句の果てには大小様々な暴力を直接的に振るってくるほど。
無論それらに対して、俺はかなりの手心を加えた対応を相応に返しながらも、しかし心の中では静かに怒りを溜めまくっていた。
というか、暴力は流石にやりすぎだろう。
特に刃物とか魔法を使って暗殺しようとしてくるのは。
反射的に小さくした『偽翼』の刃をそれぞれに飛ばしてしまったが、それも仕方がないと思う。
ともあれ話は戻るが、それらの罠のお陰で俺の我慢もついに限界を迎えつつあるわけで――――
「――あ゛ぁ゛ー! ったく、面倒くせェッ……!」
最終的に、俺は周囲を威圧しながら歩くことになってしまった。
なぜならそうでもしなければ落ち着いて歩くこともできやしないのだ。
至極当然の帰結であろう。
……とはいえ、このまま威圧しながら練り歩くのも色々と都合が悪い。
当初の目的である“人の街について知る”ということを考えると、これである程度の実情(想像以上にクソだった)は知れて目的達成とも言えるので、無駄なリスクを避けるためにもここはもう帰るべきだろう。
でも、なぁ……せっかくここまで来たのだから、もっと人の街を堪能したいのも確かだ。
何より、俺にとってはこれでも久々の人間なんだし……本当にどうしようか?
――――ゾワァァァン……(ド・ウ・シ・タ)
そうして悩む主の姿に、とうとうフォースも不思議そうに問いかけてくる。
(うーん、そうだな。唯一の仲間なんだし、ここはフォースの意見も聞いておこう)
残るか、否か……俺はその事について相棒とも相談しようと思い、ゆっくりと口を開く。
だが、その瞬間の事だった――――!
「――――きゃあああぁぁぁぁああ……ッ!」
一つの小さな悲鳴を――俺はその時、確かに聞いてしまったのである。




