022.狂人の侵入と破滅への序曲
辺境都市ヴィーラン編、開始。
後半は前回の被害者視点。
「ふぅん……こうして見ると、結構デカいんだな」
目の前に聳え立つ巨大な要塞都市の壁を眺め、俺は小さく呟いた。
視線を戻せば、これまた巨大な門が開いており、その両脇には仕事熱心な門兵が鋭い目つきで周囲に怪しい存在がいないか睨みを利かせている。
……うん、それにしても本当に熱心な門番だ。なんせ門の真ん前にただ長時間突っ立っていただけの俺に対しても容赦なく鋭い眼差しを只管に向けてくるほどなのだ。……真面目すぎて関心するよなぁ、本当に。
……。
「――む……! 止まれェッ!」
「……ちッ……」
そのまま何の気負いもなく、しれっと門の中へ入ろうとした俺だったが、流石に門番は誤魔化されてくれなかった。
鋭く両脇から長槍を突きつけられ、とりあえず軽く舌打ちをして立ち止まる。
門番の二人も、立ち止まった俺に対して犯罪者を見るような目で威圧していた。
……正直、内心では今の行動に少しだけイラついたのだが、もしここで面倒事を起こしたせいで街に入れなくなるというのもまた困る。……さて、どうするか。
そうして表情を変えないまま俺が穏便に切り抜ける方法を模索していると、ついにしびれを切らした門番の一人が声を低くして問いかけてきた。
「……現在、終焉の森付近は軍によって封鎖中のはず。そして、もしもそれが旅人であったとして、それでも軍は最低限必ず数人の兵士にその者の同伴と監視をさせる。だがしかし、だ。それなのにどうして貴様は――たった一人で終焉の森方面からやって来れたのだ?」
「……」
な、なるほど……。
ほぼ尋問口調で矢継ぎ早に繰り出される門番Aからの新情報に、俺は密かに思考し続ける頭の回転速度を上げていく。
要は、今はここを上手く切り抜けられればいいのだ。
その手段も強引でない限りは何でもいい……何かないかな?
……。
思考は僅か数瞬、俺は閃いた。
「答えろッ! 貴様は一体何者だッ!?」
「……」
無言でいる俺に、益々不信感を募らせていく門番たち。
だが安心しろ。今思いついたし、お前たちにも応えてやるから。
そして俺はすぐさま、たった今閃いた考えのもとに動き始めた。
「どうしたッ!? 答えられないのかッ!? この――――」
「――失礼。これを出すタイミングを失っていたもので、いつ出そうかと考え込んでしまっていた」
「「――――ッ……!?」」
門番の話を遮り、俺はスーツの内ポケットにしまっていたとあるモノを取り出す。
同時に、それを目にした門番二人はこれまでの勢いを急激に失い、その表情を驚愕のあまり青褪めさせた。
それだけで彼らが、俺にとんでもなく重要なモノを見せつけられたのだと分かる。……全てが予想の範疇であり、俺は思わず内心でほくそ笑む。本当、これを持ってて良かった。
では、果たして俺は一体、何を彼らに見せつけてやったのか?
それは――――
「そ、それは……まさか……!」
「あぁ、お前たちの想像通りのモノだろう」
「な……! では本当に、聖騎士グレゴリオ閣下の紋章……!」
――え、いや、別に名前とか聖騎士だとかまでは知らなかったけども……ともかく、予想通り総大将を務めるだけあって身分の高い奴だったんだな、あのオーク。豚のくせに身分が高いなんて……意味不明だが、とんだ大当たりだったな!
紋章とは、一定以上の身分の者が家名以外に持つ個人証明とも言うべき代物である。故に、他者に渡すようなことは滅多になく、それは余程信用している相手か、緊急事態に限られているのだ。
故に、これで彼らは必然的に俺に対する認識も変えざるを得なくなったわけで……
(偶然とはいえ剥ぎ取ってきたかいがあったな、この紋章。……豚もなかなか役に立つじゃないか!)
クハハッ、と内心で黒い笑みを浮かべる俺。
その一方で、バっと俺の手から紋章を引っ手繰った門番二人が、目を剥く勢いでそれを凝視し始めている。
さぁ、次はどう来る? 名もなき門番共よ。
「! ――もしや貴様、これをどこからか盗んできたのではないだろうなッ!?」
あぁ……そう来るか。
流石優秀な門番だ、見事に当たってやがる。
だが、そんな本心はどうあれ、俺の答えは既に決まっている。――必要なのは、“今の状況を切り抜ける”ことだけ。
俺はさっと無表情を崩して嘲笑を浮かべると、いかにも馬鹿を見るような目で門番たちを見つめながら口を開いた。
「そんなわけがないだろう?」
そして、堂々と嘘を吐く。
言い訳でも何でもない、単純で簡潔な否定。
これを信じる者は、馬鹿しかいないだろう。
案の定、二人の門番は俺に突きつけていた長槍を力強く握り直すと、顔を真っ赤にさせながら怒鳴ってきた。
「……し、信じられるかぁぁぁッ!」
そりゃそうだ。
俺も言っててこれはないと思ったくらいだ。
まぁ、それでも俺はその嘘を貫き通していくわけだが。
「貴様ッ! 愚弄するのもいい加減に――――」
「まぁまぁ……ちょっと落ち着いて、俺の話を聞いてくれよ」
「「――――ッ……!」」
怒り心頭に突きつけられていた二本の長槍だったが、俺は一瞬にして音もなくその間をすり抜けると、自身の両手をすぅーっとそれぞれの門番の額に乗せることで、強制的に相手の怒りを落ち着かせる。
そして、予想通り双方から息を呑みこむ気配が伝わり、やがて静かになったところで俺は続く言葉を吐き始めた。
「まず、最初に言っておくが……先ほどまでは俺が、そして今はお前らが持っているその紋章だが、それは――本物だ」
「「!」」
「くははッ、驚いてやがるな? だがこの程度で驚いているようじゃあ、次のはもっと驚くことになりそうだな?」
「この、程度……?」「もっと、だと……?」
門番二人の反応がだんだんと面白くなってきた。
手始めに俺はそっと門番の手から聖騎士の紋章を奪い返すと、早速それを見つめながら、如何にも悲しいことがあったというような雰囲気を醸し出す。今の俺に死角はないのである。
「あぁ。なんせこの紋章は…………俺が直接その聖騎士サマから預かってきたものなのだからな」
「「……!」」
「というか、そもそも俺がどこからやってきたのかなんて……そんなのお前らだって考えずとも既に知っていることだろう? ――そう、丁度現在封鎖されている終焉の森からだよ」
「「……」」
くははッ。
すっかり聞き入ってしまっている門番二人を見て、俺は内心で笑い声を上げた。
どんだけ騙されやすいんだよ、こいつらって。バカすぎじゃねぇの? と。
けれどそのお陰もあって、俺の滑舌はどんどん良くなっていく。
迫真の演技が今、炸裂する!
「あまり突っ込まれすぎても困るから、一応説明しておくが……こう見えて俺は、武を極めるための旅に出ている身でな。ほら、現に今も腰には抜身の剣が一本しかないだろう? 今日までこれだけで生きてきた証拠だからだ。――まぁ、そんなわけで俺はいつもの様に彷徨い、丁度森の中に入った時に偶然、聖騎士サマと出会ったということだ」
「「……」」
「だが……」
「「……?」」
「俺がそこで出会った聖騎士サマは……なぜか始めから全身を負傷させていたんだ」
「――ッ!」「貴様ッ! それは――――」
「――いいから聞けッ! ……話はまだ終わっていない……」
「「……ッ……」」
「……。続けるぞ――そして俺がそこで見たのは何も負傷した聖騎士サマの姿だけではない。数千の大軍と言える兵たちもまた、聖騎士サマと同じように全身に酷い大怪我を負った状態だった」
「「……なッ……!?」」
「当然、俺は急いで助けようとした。例え、持ち物が抜身の剣が一本だけだったとしても、俺はその場で焦りながらも何とかしようとしたんだ…………けれど――――」
「「…………」」
「――どうしようもなかった」
「「!?」」
「聖騎士サマが言うには、その傷は呪いにも等しい何かであるらしい……。そして俺にはどう足掻いても処置できない、とも」
「なんと……」「あぁ、閣下……」
「そして、ここからが重要だ……よく聞けよ? ――そうして、できることがなくなった俺に聖騎士サマはだからこそ、この紋章を託してくれた」
「それは……?」「一体どういう……?」
「そして、俺に紋章を託しながらこう言ったんだ……『ここから数十キロほどに一つの大きな都市がある。そこで誰でもいい、救援を呼んできてくれ。……恐らく儂ももう長くはないだろうが……それでも! ……それでもせめて、この紋章を誰かに見せてやってくれ。そうすればきっと、誰かが救援に……だから、頼む』と。故に俺はこうして――――」
――だが、俺がそこまで言った時の事だった。
「うぉぉぉおおおーッ! 閣下ぁぁぁッッ!!」
「急げッ! 城に戻って至急、残った他の奴らに伝えろッ! 閣下に危機が迫っている、と!」
突然、俺の話を聞いていた二人の門番が目の色を変えて叫びだしたのである。
そして、その行動は止まることを知らない。
「――――ここに……って、え? まだ話は終わって…………えぇぇぇ?」
困惑する俺を他所に、あっと言う間に門番たちは仕事を放棄すると、片方は門の近くにいた馬に乗って終焉の森方面へ、もう片方は門の中の都市へと駆け出して行ってしまった。
……。
一陣の風が、その場を吹き抜いていく。
そして俺は一人、ポツンとその場に残された。
……。
「…………。ま、いいけどね」
目的は達成したし、結果的に穏便な方法で街に入れると思えば万々歳だ。
暫く無言で佇んだ後、そう思った俺は誰に言うでもなく呟いた。
でも……なぜだろうか?
(……目的は達成したはずなのに、心は一切満たされた気がしない。むしろ、何だか酷くガッカリした気分のせいで、心に穴が開いたような――――)
――いや……と、そこで俺は小さく頭を振る。
『考えすぎだ。それに……よく思えば、今はどうでもいいことだしな』――――と。
故に俺は顔を上げ、目の前に聳え立つ門とその更に奥にある街の光景を目に映す。
そうしてゆっくりと足を踏み出し――――
「さぁ――――行こうか」
――――ゾワァァァン……!(ハ・イ)
俺は懐にフォースを忍ばせたまま、更には念のためにと今の今まで[虚偽の仮面]で施していた偽装(どこにでもいそうな中年のオッサン)の姿を解除し、堂々と黒髪黒目のスーツ姿で街の中へと足を踏み入れて行くのであった。
◆ ◆ ◆ ◆
~???~
「団長! 起きてください、団長! ――ナタリーザ第二騎士団長っ!」
「――――ッ!」
自らを呼ぶその声に、女はハッとして意識を取り戻す。
反射的に横たわっていた身を起こし――、しかし直後に、全身に走る鋭い痛みに思わず顔を顰めた。
「うッ……く、うぅぅ……」
「団長!? ようやく目を覚ましましたか! 大丈夫ですか? 一応、応急処置は施したのですが……」
応急、処置……?
再び聞こえてきた声に、自らの患部へと意識を向けてみれば……なるほど、全身に巻いた大量の布が目に入る。確かに処置はしっかりと施されているようだ。
とはいえ……
(左腕、右わき腹、腹部中央、それに左脚……か)
大量の布で止血してなお、流れ出る血が止められない部分。
要するに、それだけ損傷が激しいという意味である。
そう考えると、この痛みも至極当然のものだと納得できる。鈍い思考の中で、女はそう思った。
「――う、ん……?」
と、それから暫くして意識もだんだんと明瞭化してきた頃。
不意に、女は思い出す。
今に至る経緯――即ち、どうして自分が今、こうなっているのか……その全てを、思い出したのだ。
(そうだ。確か私は……閣下の率いる“黒の神敵”を討伐するための軍の先鋒を務めていて、それで――――)
……
…………
………………
『――――今だ、掛かれッ! そいつがシェルミール様の神託にあった神敵――“黒の神敵”だッ! 総員、そいつを囲んで殺せェェェエエエッ……!!』
遙か後方から聞こえてきた大声での命令に、軍の先鋒を務めていた女――『聖騎士の五剣』の一人、第二騎士団団長ナタリーザ=カランキルタは即座に反応した。
「聞こえたかッ! 総員、進行方向を反対に変更! 急ぎ、閣下の下へと合流し、我らが敵である“黒の神敵”を討滅するのだッ!」
「「「「「オォォォオオオッッ……!!」」」」」
幸いにして先鋒を務めていたお陰か、部隊の全てが騎兵だったため、瞬時に方向転換を完了させたナタリーザ。
勿論、それからすぐに全速力で彼らの主であるグレゴリオの下へと向かったのだが……
如何せん、問題はそこまでの距離が遠すぎたことにあった。
先ほどの大声は、あくまでグレゴリオの声が通常よりも圧倒的に大きかったことから届いただけであり、普通では絶対に聞こえるような距離ではないのである。
それにより、必然的に乗馬して全速力で移動しても尚、その移動時間自体に大きく囚われることとなってしまい――――結果として……
「だ、団長! 空が……空に大量の何かが……!」
自らの補佐役である第二騎士団副団長――ダニエルの声に従って頭上を見上げてみると、果たしてそこには一面に何かで煌めく空があった。
ただし、元より騎士である自分たちには一目で理解できてしまう。あれは刃の如き煌めきであり、尚且つ十中八九敵の攻撃によるものである、と。
そう、彼らは間に合わなかったのだ。
移動時間が長すぎたせいでグレゴリオと合流すらできないばかりか、“黒の神敵”との戦端が開始する瞬間にさえ居合わすことができなかったのである。
だけど……――後にして思えばこれは、彼らにとっては間違いなく不幸ではなく、むしろ特大の幸運だったと言えよう。
なぜなら次の瞬間――――
「――――? 何だ? 一体、何が始まるっていうの――――ッッ!!」
訝しげに空を見上げるナタリーザの目の前を、斬ッ……! と目にも止まらぬ速度で落下する透明な銀刃。
恐る恐る視線を下げてみると、そこには大きな穴を開けている地面が……
それによくよく見てみれば、その銀刃が通り過ぎて行った途中には、自らが乗っている馬が――自身の鎧と同程度の強度を誇る、絶対に破られないとも言われてきた防具によって守られていた馬の頭部があるはずなのに……しかし現在、それはどこを見ても見当たらない。
「――は、はは……嘘でしょ……」
あるのはただ、生前はさぞや立派であったのだろう首無しの馬と、銀刃の鋭さのあまりに爆散したせいなのか、地面のあちこちに散らばった生肉と金属の欠片のみ。
つまりそれが意味するところは、今まではどんな攻撃をされても絶対に大丈夫だと思っていた自分たちの鎧が、今回の戦いにおいては全く通用しないという事であり――――
――何より、それは敵の攻撃が確実に自分たちを殺し得るモノだという証明でもあったのだ。
……。
そして――――
「――ッ! ……ひ、退け! 退けェッ……!」
実際に遠くの方では、空一面に展開された銀刃が嵐のように大地へと降り注いでいるという、正しく悪夢としか思えない光景を見て、ナタリーザは死した馬からどさりと崩れ落ちながらも必死になって退却命令を出した。
幸いにして彼らは、件の神敵からは未だに結構な距離があったため、銀刃が降り注いている中心地にいるグレゴリオ率いる他の兵士及び騎士たちのように、全滅必至になるほどの被害は受けていない。
とはいえ、それでもナタリーザの馬を見れば分かる通り、元が空を覆い尽くすほどに展開された銀刃の嵐なのだ。
なので、決して被害がゼロというわけにもいかず……――むしろ当たり前のように襲ってきた流れ弾に、ナタリーザ率いる騎兵はただ絶叫し、只管に逃げ惑う。
「ぎゃあああァァァアアアアッ!!」
「く、くるなッ! くるなァあああアアアッ!!」
「嫌だァ! 死にたくないぃィィィイイイッ!?」
「あ、あぁ……あああぁぁあァァアア゛ア゛……」
「くそっ……落ち着けッ! 焦ればそれだけ被害が増すんだぞ! だから全員、落ち着いて行動しろォッ!」
無様だ。統率など……ましてや精強と謳われた軍の姿など、どこにもない。
流れ弾でさ、一撃必殺となる敵の攻撃を前に、自軍の兵はまるで蟻を踏み潰すかのようにどんどん殺されていく。
でも……それでもナタリーザは諦めず、第二騎士団長として同じく第二騎士団副団長兼自らの補佐役でもあるダニエルと共に、周囲の部下たちへと必死になって落ち着くよう声を張り上げ続ける。
せめて、できるだけ多くの部下たちを――その命を、この脅威から守ろうとして。
だけど――――
「――ガッ……カハ、ぁっ…………」
――――衝撃が、腹部と左脚を突き抜ける。
「! 団長ッ!?」
耳に届く第二騎士団副団長のダニエルの声すらも遠く……されど不幸なことにも、グラリと大きくバランスを崩したせいで空中に投げ出される形となったナタリーザの身体に、更なる凶刃が襲う!
結果――左腕、右わき腹……と、一瞬にして骨ごと持って行かれた。
右腕と右脚を残し、ついに半だるま状態の完成である。
「――――」
「団長ォォォッ……!」
そうして音もなく大地に倒れ伏すナタリーザ。
同じように、バッタバッタと騎兵やらその馬やらが凶刃に貫かれて斃れ逝く中……運良く無傷なままでいられたダニエルの悲痛に満ち溢れた声が、この地獄と化した周囲一帯へと響き渡るのを、彼女は薄れゆく意識の中で静かに聞き取るのだった。
……。
…………。
………………
…………
……
そして――束の間の回想は終わり、舞台は過去から現在へと戻る。
「…………」
全てを思い出したナタリーザは、ただ黙って自らの顔を右手で覆った。
そうして悔しさのあまり、つい溢れ出しそうになった涙をそっと右手で拭うと……彼女は目元を隠した状態のまま、目覚めてからこれまでの間、ずっと傍に待機していた自らの補佐役である第二騎士団副団長へと声をかける。
「……ダニエル」
「ハッ、何でしょう」
僅かな逡巡を見せ、数瞬、押し黙るナタリーザ。
けれど、黙っていても仕方がないとばかりに意を決して口を開く。
「……騎兵の……――第二騎士団の被害状況は……今、どうなっている?」
「!」
その言葉に今度はダニエルが大きく目を見開き、僅かに躊躇する様子を見せた。
「ええっと……死傷者は凡そ部隊全体の九割にも及び、中でも行動可能な者は運良く無傷だったり軽傷だったりする者も合わせて、数十人程度しかおりません。因みに、各々が騎乗していた馬については……その……真に残念ながら、無事だったのはたったの四頭だけです」
「……。そう、か」
――要するに全滅したも同然、か。
ナタリーザは小さく呟く。
「…………」
そして、暫しの黙考の後。
――よし、と一人頷くナタリーザ。
今後の展開についての考えがようやくまとまったのか、彼女はゆっくりとダニエルの手も借りて上体を起こすと――――
「命令だ、ダニエル」
「ハッ」
即座に、彼に対してとある命令を下した。
「動ける者を至急、部隊として再編制せよ。……なお、重傷者の中、比較的傷が軽い者も別に連れて行っても構わん。
故に――――」
一拍を置き、ナタリーザは強い意志が秘められた眼差しで東を……“黒の神敵”が集中的に銀刃の雨を降らせた場所の方向を見つめる。
「――――遅くなってしまったが、改めて今度こそ参るぞ。――我らが閣下……聖騎士グレゴリオ様の下へと、な」
……
…………
………………
……………………
終焉の森を、東に向けて突き進む一団がいた。
――ナタリーザ=カランキルタの率いる第二騎士団、その成れの果てである。
元はさぞかし立派であっただろう集団だが、今ではそれも見る影もなくボロボロの状態で、更には(先頭の馬に乗った数人は除いた)全員が身体のどこかに穴の開いた負傷者を担いだまま徒歩で移動している。
そうまでして彼らが目指すところは、ただ一つ。
彼らが“閣下”と呼び、ある意味で信仰にも似た感情を向けている聖騎士グレゴリオの下であった。
故に……
「見えました! あそこが、閣下と“黒の神敵”とが交戦されたと推定される跡地です!」
その報告に、一団を率いるナタリーザは今出せる全力を振り絞って(副団長であり補佐役のダニエルに肩を借りながら)すっ飛んで行き……その後ろを彼女の部下たち、元第二騎士団の面々が負傷をしていながらも嬉々として続いていく。
だが――――
「――あ、あ、あぁぁああぁっ……そん、な……」
果たして、そこで彼らが目にしたのは、ただただ凄惨で……残酷な光景だった。
真っ赤な血で染められた地面には、むしろ無事な部分がないのではないかと思われるほど大量の穴が至る所にできており、更にはこれまた都合良くも真っ赤な血溜まりで彩られている。
けど不思議なことに、どれだけ大量に残された血の跡は見つかっても、それ以外に死体は愚か肉片の一つも見当たらない。……そう考えると敵が攻撃に使用した銀刃も、いつの間にやら消えているわけだが……これに関しては魔術か何かを使用したのだろうと、彼らは至極当然のように思った。
ともあれ、血溜まりの件について、彼ら一同は大いに不思議がって首を傾げることとなった……のだが――しかし次の瞬間、誰もがそれを忘れて驚愕することになる。
原因は――そう、周囲に死体がなかったせいで、割とあっさり全員の視界に入ってきたソレ。
即ち――、色合い的にも存在感という意味でも非常に目立つ黄金鎧を全身に纏い、その上で無残にも頭部と身体部分を切り離されて死んでいる――グレゴリオ=バルツロケッタの死骸である!
やはり何というか、あれほど敵の攻撃により地獄を見た彼らでも、何だかんだでグレゴリオならば必ず生きていると信じていたのだろう。
しかし現実は実に残酷で、目の前にいるグレゴリオは生首となって死んでいるのだ。
ある意味で絶対的存在として捉えていただけに、彼らの受けた衝撃も計り知れないものであった。
だからこそ、ついに誰もがその場で崩れ落ち、途轍もなく深い絶望を味わう。
それはグレゴリオの側近にして『聖騎士の五剣』と呼ばれていたナタリーザも例外ではなく、むしろ他の者たち以上に衝撃を受けていた。
(あぁ、何てことだ。あの時……出陣前、閣下は我々側近にだけ『流石に今回は儂も無事ではいられないだろう。だから儂が死んだ時は、何が何でも聖王都に報告を届けるのだ』と仰ってくださった。
てっきり、いつもの様に戦う前の鼓舞の類だと思っていたのだが……まさか本当に、それが自身の死を予見して口にした言葉だったとは……くそッ! 私は、何という間違いを……閣下の言葉を心から理解できなかったばかりか、それを気にも留めなかったなんて……!
申し訳ございません、閣下。本当に……申し訳、ございません)
押し寄せる後悔と罪悪感に、ナタリーザはグレゴリオの生首を前に這いつくばる。
そして、あまりの悔しさに溢れだした涙が、ついに頬を伝わって地面へ流れ落ちようとして――――
「団長――――ッ! ナタリーザ第二騎士団長ッ! 生存者が……生存者が一名だけ確認されました!」
だが、突如として森の方から聞こえてきたその声に、誰もが反射的にバッと振り向いた。
ナタリーザもその言葉にはハッとして反応し、急ぎ周囲の兵士たちに対してグレゴリオの遺体を丁重に扱うよう指示すると、自身も再びダニエルに肩を借りながら報告のあった終焉の森へとすっ飛んで行く。
――果たして、辿り着いた先には息も絶え絶えになっている生存者がいた。
全身が血だるまで、見た目は既に人の形を留めていないものの……しかし運良く致命傷となる臓器類や脳だけは傷つけられずに外されたのか、見たところ今は何とか生と死の境目である瀕死の状態を維持できているようだ。……というか、よく見ると薄く目を開いていたり軽く呻き声も上げたりしており……どうやら朧げながらも意識を保っているらしい。
なので、思わず「無事かっ!?」と叫びつつ近づいたナタリーザもその事を確認すると、途端に安心したような溜息を吐く。
……ともあれ、そうこうしていると急に唯一の生存者が一際大きな呻き声を上げ、まるで絞り出すかのような苦痛に満ちた声で言葉を発し始めた。
「ぅ、っ……その声、もしやナタリーザ……か?」
「――!? 貴様、まさか……!?」
同じく、問いかけられた相手の声に覚えでもあるのか、ナタリーザは驚愕を隠し切れない様子で思わず叫んだ。
「ディナート=フォルカ!? ……そうか、生きていたのか!」
ディナート=フォルカ――――ナタリーザと同じくグレゴリオの側近たる『聖騎士の五剣』の一人であり、実質的に側近である五人のリーダー格で……何より第一騎士団の騎士団長を務める男でもある。
その役割上、五人の中で最もグレゴリオの傍にいる事が多く、必然的に今回の地獄も(最悪な事に)ど真ん中で経験する羽目となった。
なので、あの地獄の真っ只中を生き残る事自体が奇跡に等しいことを知るナタリーザとしては、ディナートの姿を見て(二重の意味で)驚愕するしかなかったのだ。
「……生きている、か……見ての通り、今にも死にそうで長く持ちそうにないが――――ゴホッゴホゴホっ、ゴフっ、カヒュ…………まぁ、何とかな」
合間に盛大な吐血を交えつつ、ディナートは血濡れた顔――傷が酷すぎて口の付いた肉塊にしか見えない顔――でニヤリと笑う。
……うん。どう見ても大丈夫じゃない。
だけど、それでもナタリーザは自身と親しかった者が生存していた事実を知り、つい心の底から安堵して溜息を吐いた。
なんせ共有できない苦しみほど、辛いものはないのだから。
しかし――――
「――だが、残念ながら俺に残された時間が僅かしかないことも、また事実だ」
続けて言い放たれたディナートのその言葉に、安堵の溜息と共に腑抜け始めていたナタリーザの正気は、強制的に叩き起こされる。
「何?」と思わず視線を向ければ、神妙な顔つき(雰囲気)をしたディナートが見つめ返してきた。
「だから率直に言おう。――“黒の神敵”、奴の特徴について」
そして、ディナートは語る。
曰く、かつて半年以上も前に下された神託通り、黒髪黒目で不思議な衣服を身に纏っている。
曰く、煌く銀刃の翼で空中を浮遊している。
曰く、腰に異教の神であるデクスオーロに連なる剣を下げている、と。
――しかし中でも特に注意すべきは、やはり“黒の神敵”が変身能力を持つという点であろう。
曰く、始めこそは白髪と青白い肌にそこへ走る血のような赤い紋様という、いかにも悪魔といった風貌であったが……どうやら戦闘の途中にて、それが一瞬にして黒髪黒目の人間へと変化したらしい。
その際、身に纏った不思議な衣服や武器類だけは依然として変化を見せなかったのだが……だからと言って、それらが決して変化しないとも限らない。
加えて、何より“黒の神敵”の脅威は圧倒的な戦闘力にある。
恐らく奴が本気で暴れるとすれば、或いは聖王国を滅ぼす可能性も低くはないだろう、と文字通り何度も血反吐を吐きながら、ディナートは残り少ない命を懸けてナタリーザに“黒の神敵”に関する情報を伝え続けた。
……。
だが――――
「――――ゴフっ……!」
――限界は、やがていつかは必ず訪れるものである。
盛大な吐血と共に、ディナートの身体は突如として力尽きたかのように大地へと倒れ伏した。
「!? ――ディナートっ!」
反射的に目を見開き、驚愕の声を張り上げるナタリーザ。
慌てて倒れ伏したディナートの近くへと寄ろうとする……が――――
「――来るなッ……!」
鋭く放たれたその言葉に、肩を借りたままのダニエル諸共ナタリーザの足は止まってしまう。
思わず、「なぜ? どうして止める!?」とディナートに視線をやるが、返ってきたのは彼の厳しい言葉だけだった。
「ナタリーザ……『聖騎士の五剣』の中、唯一の生存者であるお前にはもうこれ以上立ち止まっている暇なんてないんだッ!
出陣前、閣下にも仰られただろう? もしもの事があれば無事だった者は必ず聖王都へと報告せよ、と!
だからこそ、こんなところで今にも死にそうな俺の事は放って行けッ! 俺も今更、お前の足手まといになんて成り下がりたくはないんだよッ!
分かったら……さっさと行けェ――――ッ!!」
「ぅ、ぐっ……ゴハァ……ッ!」と、終いには確実に失血死してしまうレベルでの吐血を披露しながらも、ディナートは最後まで吼え尽くす。
が、しかし……――これでもナタリーザは、ただ呆然と立ち尽くすのみ。
故に仕方ない、最終手段を行使するとばかりに、ディナートは彼女の傍にいるダニエルへと向けて口を動かした。
『力尽くでもいいから連れて行け』――――と。
「! ……団長、行きましょう」
送られてきたメッセージを瞬時に察し、もしかしたら上司であるナタリーザよりも優秀かもしれない男のダニエルは、元から状況を理解していたお陰もあって、すぐにディナートのメッセージに従い行動する。
具体的には、優しく引っ張って行こうとしても状況が理解できず無意味な抵抗を示すナタリーザに対し、「すみません」と軽く当身をくらわせることで気絶させ……そうして落ち着いたところで改めてディナートに無言のまま一礼すると、その場を静かに去って行くのであった。
……。
…………。
(……行ったか)
遠ざかりつつある足音を聞き、一人残される形となったディナートは思う。
何の事情も説明せず、それでいてかなり強引だったが……ナタリーザたちをこの場から離れさせたことへの後悔は、ディナートには全くない。
何よりあの様子だと、ダニエルも気づいていたのだろう。――終焉の森に、半年以上も前から不思議な事に出現しなくなっていたモンスターが、今になって再び現れつつあることを。
であるからこそ、ディナートは早々にナタリーザを行かせなくてはならなかった。
先の言葉通り、唯一の生存者には何が何でも“黒の神敵”の情報を聖王都に伝えなければならないからだ。
なので今更モンスターごときにナタリーザの足を止めさせるわけにはいかない。というか、モンスターの件については恐らくダニエルがどうにかしてくれるだろう。
あの男ならばそれぐらいの事はできるはずだ、とディナートはそう思った。
(後は頼んだぞ、ナタリーザ……それに補佐官のダニエルよ)
遠くからは既に幾つもの足音が聞こえてくる。
ナタリーザたちが立ち去った方向とは逆の、終焉の森の奥から響いてくるため、十中八九これがモンスター集団によるものだと判断できた。
さて、だとすると自分はこのまま死ぬのが先か、将又やってきたモンスターに踏み潰されたり食い殺されたりするのが先となるか……
(いや……別にどちらでも構わない、か)
今更、死は恐ろしくない。
むしろ今のディナートにとっては苦痛からの解放であり……救いだ。
だからこそ、彼は祈る。
(申し訳ありません、女神シェルミール様。“黒の神敵”を討つことなく果てるこの身を、どうかお許しください。
では――――閣下……今、そちらに向かいます)
そして、意識も完全に薄れていき、全ての感覚もついに途絶え始めたディナートは――しかし静かに果てる直前になって、ガサリと草むらから音を立てて現れたモンスターにより、あっさりと喰われて死ぬ破目にあった。
主従揃って、本当に最期が不幸な奴らである。
……。
――なお、同時刻。
流れ過ぎた血の影響もあり、瀕死のまま撤退の道を進んでいたナタリーザ一行だったが、その後……ジャック=キリサキに騙されて飛び出したヴィーランの門番により発見され、無事にヴィーランの下まで保護されることとなった。
彼らが今後、再び“黒の神敵”と呼ばれるジャックと関わるかどうかは(その確率は実に高そうだが、現時点においては)まだ誰も知らない。




