002.初めまして異世界
永い、永い夢を見ていた。
それは遙か昔の、俺が生まれてから十八年までを辿ったものだった。
その十八年間は、幸福も不幸も等しく詰まった人生を魅せてくれた。
名前のせいで絶望した幼少期。
名前のせいで虐められた少年期。
名前のせいでハブられた――いや、もちろん悪いことばかりではない。
むしろそれらの出来事があったからこそ、俺は幼馴染にも出会えたし、姉たちとも楽しく過ごすことができたのだ。
だからこそ夢の中での俺は猫を被ってはいたが、毎日を幸せに暮らすことができていた。
総合的に考えると、今でも名前に関しては気に入らないがそれでも幸福な人生だったと言える。
いや、間違いなく俺は幸せだったのだ。
だが、そんな生活もある日唐突に終わりを迎える。
何度も何度も繰り返される夢の中で、この瞬間だけは耐えられない。
――それは突然の闇。
前後関係も何もなく、ただ全てがいきなり闇に変わる。
そして、それは俺自身も例外ではない。
世界からも全てから切り離されて何百年も闇に堕ちていく俺自身を、俺は夢の中で見るのだ。
狂うことも許されず正気のまま、ただ永遠と同じ夢を最初から最後まで繰り返し見せられるのだった。
俺にできることは何もない。
ただ自分の人生という夢を見せられるだけ。
そして、今もやっと永い闇が終わり、再び霧崎 邪悪が生まれるところから夢は始まる。
幸せな世界から絶望の闇へと堕とされるためだけに――――
◆ ◆ ◆ ◆
「…………どこだ? ……ここは……」
風に揺れる木の葉の音が耳に心地いい。
光の木漏れ日が照らすそこは、正しく森と表現するしかない場所であった。
「……………」
気が付くと、俺は森の中で突っ立っていた。
「――ぇ……? あ、れ? なぜ?」
何でこんなところにいるのか分からない、というより記憶がない。
そんな記憶もはっきりとしない中、俺は思わずその場で頭を抱え込んでしまう。
――何も分からない。
分からないのだが、とりあえず必死に頭を働かせてみた。
混乱の元を断つため、まず手で顔を覆うことで意図的に周囲を見ないように努める。
「確か、俺は…………」
自分自身に深く問いかけるように記憶を掘っていく。
そうして初めて自分の記憶が断片的に浮かび上がってくる。
名前は――霧崎 邪悪。
家族構成――父親、母親、姉、と俺の四人。
幼馴染が一人で名前が――水萌、苗字は不明。
思い出――名前のせいで不幸な出来事が多数、しかし水萌や姉たちとの協力による幸福な生活への変化。
原因――姉との距離を戻そうとしていたところで突然闇に――――
「――――ォ゛エ゛ッ…………」
――――闇。
そのことを思い出した瞬間、俺は心と体の拒絶反応により吐いた。
吐きながらも更に思い出していく。
体感で何百年もの闇の中。
何も存在せず、何もできず、ついには堕ちていく自分自身。
そしていつの間にか始まっていた永い夢。
生まれてから闇を永遠に彷徨うまでの夢を何度も何度も繰り返し見せられる。
それでも狂うことも死ぬこともできない。
自分が闇に堕ち、消えていく感覚だけが分かる。
「――ぁ、あ゛あ゛あ゛ぁぁぁーッッッッッッ!!!!!!!!!」
両手で頭を掻き毟り、喉が壊れるほど叫びながら思いっきり頭を地面にぶつける。
苦しい、辛い、逃げたい、逃げられない、見えない、聞こえない、分からない、狂いたい、狂えない、苦しい、助けて、逃げたい――――。
心を一気に占めていく負の感情に俺は何もできなかった。
体は勝手に自傷行為に走り、心に巣食う闇に俺はどうしようもなかった。
これまで狂うことも許されなかった俺は、ここにきてようやく狂うことができていたのだ。
闇から抜け出せても、心の中の闇は抜けていない。
壊れかかった心のどこかで俺は救いを求めた。
かつては勝手に救われていたが、今は本気で救いを求めた。
そして強く想う。
かつて俺を救ってくれた姉と幼馴染を――――。
「……………………」
姉と幼馴染のお陰で、正気に戻れた。
次いで、血塗れになった俺の手を見て呆気にとられた。
いつの間にか心の闇は消え去り、代わりに空虚さが際立っていた。
「何やってんだろうなぁー……、俺は」
全てはもう終わった後だ。
闇から抜け出せたのに今更狂っていても仕方がない。
心の中で正気に戻してくれた姉と幼馴染に感謝をする。
顔を上げ、周囲をゆっくりと観察する。
「森……だな。それと……」
目を細めながら木々の隙間から見える十三の太陽を眺めた。
「それぞれ十三色の太陽、か……。地球、じゃない。あ、これ異世界か」
ばたり、と背中から地面に大の字となる。
木の枝が地味に刺さっていて痛い。
……異世界、か。
「はは。闇の次は気が付いたら異世界の森の中にいました、か」
ははははは。
冗談じゃない。
全然、全くもって笑えない話だ。
「……ったく、疲れたなぁ」
右手を顔の上に置き、再び視界を閉ざす。
風が傷に沁みるぜ……。
「――また、独り…………か」
理解不能、原因不明。
それでも俺は異世界にいるのだ。
森の中、俺は静かに涙を流しながら意識を沈めていった。
「異世界にも星座ってあるのかな……」
あれからどれくらいの時間が過ぎたのか。
眠りから覚めた俺は周囲が真っ暗になっていたことに気が付いた。
空を見上げ、地球とは比べ物にならないくらいの星を見つけた時、ふと漏らした疑問だった。
「もう、夜か……」
あれほど強烈な十三の色違いの太陽がなく、代わりに満天の星空があるのだ。
きっと夜になっているのだろうと予想がつく。
異世界の脅威度がどれほどかは分からないが、それでも夜の森にいるというのに俺はそんなことを考えながら呑気に寝そべっていた。
「ハァ……。別に疲れてないけど、何か疲れたなぁ」
ぽつり、ぽつりと独り言が夜の森に響く。
なぜか普段以上の声量で、意味もないことが口から出てくる。
このどうしようもない孤独感をどうにかしたかったのだろうか。
俺の危機意識はどうやら闇に置き忘れてしまったようだ。
存在が消えていく。
しかし正気は保たれ、死ぬことはない。
危機意識が薄れるのも無理はないだろう。
だからだろうか。
「――ぃゃぁぁーッ! 誰かぁぁ!! 助けてぇーッ!!」
「あれ? 人がいるのか?」
だんだんと近づいてくるこの声にさえ、俺は警戒して身構えることをしなかった。
ただ、危機感のなさとは別に俺は人の存在に興味を示した。
「人か……。実際に出会うのは何百年ぶりだろう?」
本来の俺は過去の経験により人間不信なのだが、今の俺の状態ではどんな存在でもいいというほどに心の底から求めていた。
思えば森の中で危険を無視してまで大声で独り言を繰り返してしまったのも、自分以外の存在に発見してほしかったからだろう。
無意識とはいえ、愚かすぎるほどに危険な行動だったと思った。
立ち上がり、声の聞こえた方向へと注意を向けながら、俺は今更ながらの反省をして気を引き締めた。
「まだ混乱していたのか? まぁ今から十分気を付けていればいいか」
それでもどう考えても今の行動から危機意識が足りていないのが分かるはずだが、今の俺には全く気付けないでいた。
余裕でもなければ、普通ここは隠れてやり過ごすべきなのだ。
以前までの俺ならば分かるはずの行動が、今では分からないでいた。
「さて、鬼が出るか、蛇が出るか」
声のタイミング的に考えればそろそろ姿が見えてくるはずだ。
俺はその場で静かに構えながら目を細めた。
「――ぁぁぁあああッ!! 誰か――――ッ! そ、そこの人ッ! 助けてくださぁーいッ!!」
そして、それは現れた。
俺よりも年が少し下くらいの女が泣きながら出てくると、続いて奇怪な小人が数人ほど女を追うように出てくる。
当然のように女の方が俺に気づき、助けを求めて近づいてくるのを裏腹に、俺の注意は完全に小人たちに向いていた。
まず、全員醜い。
俺の美的感覚を正常とすると、この小人たちは目を当てられないほどの醜さを持っていた。
醜さで言えば奇跡ともとれるほどである。
あと頭もほとんど禿げあがっていて笑えない。
そして全裸。
どこの蛮人かとも思ったが、その汚い虫の体液のような緑色の肌を見て、瞬時に人じゃないと悟った。
腕と脚の筋肉は頑丈そうでそれぞれ手に持った武器は剣が一、残りは棍棒が四だった。
それと筋肉質な手足と比べて腹は大きく膨れており一目見て柔らかそうだと思った。
神が創ったのならば、なぜ生かしているのか訊きたいほどだ。
「――というかお前らは何で生きているの?」
女が俺の背後に隠れ、五人の小人たちが俺に警戒して数歩離れた距離で止まったタイミングで、俺は彼らにぶしつけに尋ねていた。
初対面の人が相手であれば間違いなく殴られているだろう質問だ。
しかし彼らに反応はなく、それを見て俺はこの小人が人ではないことを完全に理解した。
「ち、ちょっとあなた! 助けを求めた私が言うのもですけど、武器も何も持っていないのに、何をそんなに呑気にしているのですか!」
「俺を盾にして言うことがそれか。お前を囮にして俺が逃げてもいいんだぞ」
「ひぃッ! ご、ごめんなさいぃッ!! お、お願いだから助けてぇ……」
俺に殺気をぶつけてくる小人たちを観察していると、女がうざったらしく喚きだす。
イラっときたため、軽く脅すと今度は泣きながら服を掴んでくる。
……というか黙れよ、鬱陶しい。
「うるさい、黙れ、離れろ、服を掴むな」
「あ、ハイ。すみません……」
状況を考えない女につい本音が口を割って洩れてしまう。
しかし結果的に、素直に離れてくれたため、俺は再び小人に集中することができた。
が、どうやら相手はしびれを切らしてしまったようだ。
「ガァッ!!」
一人?の小人が短く吼えると、その手に持った剣を振りかざして襲い掛かってくる。
残りの小人たちもそれに合わせて棍棒を持ってやってきた。
「キャァァァーッ!!!」
女が再び俺の後ろで叫びだす。
正直黙っていてほしいが、俺にとっても闇を抜け出して初めての命の危険を感じる場面だ。
最初に隠れてやり過ごすべきだったと、今更なことを考えつつ、俺は襲い掛かってくる小人を見ながら冷静に対処するべく動き出す。
かつて俺は名前のせいで虐められていた時期があった。
そしてそれは暴力行為に走ることもしばしばあり、それの対処のためにも俺は格闘技を学んでいた。
そうして武術を極めるまではいかないが修めるといったレベルまでに到達した頃、俺に対する暴力行為は完全に無意味だと思い知らせることができるようになった。
つまり俺にとってこの状況は、余裕こそはないが十分戦うことができるということだ。
なぜならそれだけの強さというものが既に俺に備わっているからだ。
故に冷静に小人を見ながら、明らかに弱点だと思われる膨らんだ腹に向けて俺は素早く蹴りを繰り出した。
「――グギョッ!」
全身を捻り、俺の右足のつま先は見事に小人の腹部に食い込む。
飛び掛かってくる力をも利用したカウンターに、小人は思わず剣をその場に手放し、短い悲鳴を上げながら数メートルの距離を吹っ飛んだ。
因みに俺の服装はかつて通っていた高校の制服のままだ。
靴も個人的趣味で革靴であり、当然つま先までカチカチなやつである。
これも毎日服装に気を使っていた証拠だ。
何が言いたいのかというと、俺の靴は凶悪な凶器に成り得るということだ。
「「「「ギャギャ!?」」」」
飛んで行った小人を見て、残りの四体は驚いて全身の動きを止めた。
相手が人であれば降伏を促すなりしただろう。
だが今回の相手は会話が通じる人でもないし、明確な殺意を向けてきた。
そして今は同時に俺から視線を外し、立ち止まった四体の小人はただの的へと成り下がっている。
だからこそ――――
「――俺がそんな隙を見逃すわけないだろ……」
落ちていた剣を片足で蹴り上げ、左手で掴む。
それと同時に身を低くして、小人たちの集団の右手側から突っ込んでいく。
当然足音などはたてない。
そして相手はまだ――気が付いていない。
「……例え人じゃなくても、全く愉快なものではないな」
最接近した一体に向かって、左手に持つ剣を内側から片手で振りぬく。
手応えは――完璧だ。
宙に舞う頭を無視して、俺はその奥にいるもう一体の頭部に向けて右足を振りぬいた。
見事に気付かれないまま頭部を凹ませ、更に後方にいる二体を巻き込んで倒れた。
急いで体制を戻しながら、巻き込まれてもがいている二体の小人に剣でトドメを突き刺した。
最後に蹴りぬいた二体を見る。
当然ながら即死だった。
「――フゥゥゥ…………」
大きく息を吐きながら全身の汗を今更ながらに感じる。
とうとう人型の生物を殺してしまったか。
俺は霧崎 邪悪という名前にコンプレックスを抱いている。
だからこそ本物の切り裂きジャックに関連しそうな行動は絶対に避けてきたのだ。
中学生のころまでは暴力に対して暴力で返すことはあっても、刃物を持ち出した相手には決して刃物で返すことはなかった。
高校生になってからは暴力もなくし、評判も態度も特に気を付けるようにしていたし、それこそ猫を被ってまで人気を得てきたのだ。
俺にとっての殺しとは正に今までの自分を破壊する行為だった。
だが闇を経て、自分自身も失いかけた今の俺には丁度良かったかもしれない。
「多分、今の俺は今までとはどこか違っていた」
事実、危機感を持って然るべき時に俺は呑気すぎた。
それに殺す覚悟を決めた後、あっさりと殺すことができてしまったこともどこかおかしい。
だが、今の俺は色々と意味不明なものに巻き込まれすぎている。
そのせいでこのおかしな状況が生まれているのだろう。
「それに、今俺がいるのは異世界だしな……」
手に持った剣を見やり、それが錆びているものの最近作られた、真剣の鋳造品だということが分かる。
恐らくは大量生産したもので、それを日常的に使っているのであろうということも。
いつまでも殺しを躊躇していたら一生覚悟を持てないし、自分も死んでいる。
「だから今回殺したのは丁度いい機会だった」
この躊躇のなさが俺の切り替えの良さなのか、それとも闇のせいで変異した俺の心のせいなのか。
分からないことは多い。
いつしか狂った殺人鬼のようになるかもしれない。
だがそこは己の理性でもって耐えていく。
自分自身に抗い続けてやる。
姉たちはいないが俺は独りでもやってみせよう。
呼吸を整え、後ろにいる女を見やる。
星の光に照らされ、くすんだ金髪にそばかすのついた西洋人の女が見えた。
女も俺が見ていることに気づき、慌てて座り込んでいた状態から立ち上がり、頭を下げてきた。
「ぁ、あの、助けていただき、どうもありがとうございました!」
「そうか」
必死に頭を下げて感謝をする女を見ながら、俺はふと気が付いた。
幼馴染の水萌は確かライトノベルという小説を好んで読んでいた。
その中に一時期ハマっていたもので異世界転生や召喚という異世界ものがあった。
面白かったりするものは基本的に俺に見せてきた水萌は、当然異世界関連の小説内容も俺に語ったり見せてくれた。
そしてその異世界ものの特徴としてテンプレというものがあった。
開幕いきなりヒロインをピンチから救ったりとかいうやつだ。
俺はついさっき小人を五体殺して女を救った。
再度、女を見る。
「? えと、どうかしましたか?」
「…………」
水萌を見慣れている俺からしてみれば、この女も美人というほどではないが普通に愛嬌があっていいと思う。
だがしかし、ヒロイン……。
「え? えっと? ぅぅ、黙ってないで何か喋ってくれないでしょうかぁ」
「……………………」
テンプレ、か。
まぁ、この女がヒロインかどうかはどうでもいいとして、確か助けた後はご都合主義が発生するんだよな。
俺としては人と会えただけで行幸だし、後は衣食住の確保だな。
そこはこの女に期待したい。
正直もうさっきの戦闘で全身が疲れて仕方がないのだ。
「……悪いんだが、何か食べ物とかないか?」
無視しすぎて泣いていた女に内心鬱陶しさを感じながら俺はそう言った。
……
…………
………………
……………………
「それにしてもジャックさんはすごくお強いんですね! ゴブリンを五体も十秒かからずに倒すなんて!」
「ふぅん、あの醜い小人ってやっぱりゴブリンだったんだな」
「知らなかったんですか!? 一匹を見たら三十匹は出ると言われるほどには有名ですよ!」
「まるでゴキブリだな」
「ごき……ぶり?」
「ゴブリンと同じ気持ち悪さを持つ、家の中に生息する人類の敵だ」
「それは!? ……それは物凄く恐ろしい魔物なのですね、知りませんでした」
あれから俺たちは互いに自己紹介を軽くしながら女、シラの住んでいる村へと案内されている。
それも俺が食糧を要求したときに、シラが村に行けばあると言ったからである。
更にシラは食べ物以外でも村で是非お礼をさせてほしいと言ってきた。
当然俺は快諾。
はっきり言って、今の俺は気合で目を見開いている状態である。
つまりもう疲れて仕方がない。
それも疲れが加速していくかのようにどんどんと酷くなっていく。
だから俺も食べ物と安全な寝床の確保のために形振り構わずになっている。
森で気が付いた直後に睡眠はとっていたが精神的なものまでは回復していなかったのだろう、その後のゴブリンとの戦闘も影響しているのかもしれない。
「ところでシラはどうして一人で森の中にいたんだ?」
途中、ふと疑問に思ったことがあり、聞いてみることにした。
俺と違って安全な村に住んでいながら、なぜ危険な夜の森にいたのだろうか。
「ぅ……。そ、それはですね……」
「ん? 何だ、どうした?」」
「ほら、夜たまに眠れなくなるときってありますよね」
「あるな」
「それで空なんか見上げると星が輝いているんですよ」
「ふぅん」
「で、窓の外の森の方で偶然何かが光っているのが見えまして」
「ほう……」
「ふらっと森に見に行ってしまうことってありますよね」
「いや、ねぇよ」
「それで点滅する光を追ってみたんです」
「ありえねぇ、親はどんな教育を施したんだ?」
「…………。何だか呼ばれているような気がしてて」
「とんだファンタジーだな」
「? 気が付いたら森の奥深くでゴブリンに追われていたんですよ」
「なるほど、それで……」
テンプレだとここは深刻な事情があったりとするわけだが、そうではなかったことに一安心する。
だがしかしと、今の話を聞いて俺はシラを見る。
シラ、十五歳。
見た目西洋人だからか、想像以上に歳が下だった少女。
そのシラは俺に語り終えた後、妙にさっぱりした様子で、大変でしたよ~などと呑気にしている。
疲れて鈍い反応しか返せない俺でも、シラのその態度に思わずいらっとしながら、一つの結論に辿り着いた。
「つまり、お前は真性のアホの子なわけか」
誰にとっての幸か不幸か、俺の呟きは森に吹いた風に掻き消された。
鼻唄まで歌いだしたシラを追って、森の中を進んでいく。
道中は疲れながらも警戒していた俺の努力に反して、一切魔物やモンスターの類は出なかった。
その数分後、シラの案内によって俺たちは村に着くことができた。
「コホンッ、ルッジ村へようこそ、ジャックさんッ」
星の明かりに照らされた村を見渡していると、シラが笑顔でそう言った。
柵で囲まれた小さな村だった。
当然のように明かりはなく、人も出てくる様子はない。
「ところで……、俺が勝手に村に入っても大丈夫なのか?」
「あ……、すみません。真夜中だから他の人たちは寝てるんでした。その……とりあえず私の家に案内するので、できれば静かに来てくれませんか?」
「いや、まぁ予想はついていたさ。それで頼む」
今まで何も考えていなかったのだろう。
やはりシラはアホの子だった。
俺としては見張りの村人がいたら挨拶をしたかったのだが仕方がない。
そもそもシラが一人で村を出たのに連れ戻す人がいない時点で予想できていたことだ。
明日の朝にでも村に入ったことを挨拶しよう。
全部で二十世帯だろうか。
随分と少ない数の家を見ながら、俺はシラの家へと案内された。
村長の他より大きい家を中心とした村から少しだけ離れた場所にシラの家はあった。
だが、それはどちらかというと家というよりは小屋といったものだった。
「着きましたよ、ジャックさんッ。少々散らかっていますがどうぞお入りくださいッ」
恥ずかしそうに俺を招き入れるシラを横目に、俺は慣れてきた夜目で家の中を観察した。
小屋のような外見から想像できたことだが、やはりシラは独り暮らしだったようだ。
生活空間にはシラ以外の使用している痕跡も物もない。
部屋は二つあり、その内一つは彼女の自室だろうか。
大きさ的に考えるとシラの自室というのも本当に寝るための部屋と言った方がいいかもしれない。
もう一つの部屋については不明だ。
思いっきり事情がありそうなことが一目見て分かる。
一通り観察し終わってから、小さな台所のようなところで何やらごそごそとしているシラに質問をぶつけることにした。
「ところでシラよ」
「はーい、どうしましました? あ、ご飯は今すぐに用意しますので少しだけ待っててくださーい」
「それはありがたい。が、それとは別に聞きたいことがあるんだが」
「分かってます、最近の収穫量は結構良かったのでお肉もたくさん作ってますよ」
「それはいいな。しかしそれとは別のことだ」
「ぇ……、あ、スープも野菜たっぷりのやつを作ってますッ」
「美味そうで楽しみだ。だが違う、それでもない」
「ぅ、か、彼氏は別に……いませんよ?」
「あっそ、そんなことはどうでもいい」
「えぇ!? それはちょっと酷くな――」
「――少し大切なことを聞きたいんだ」
俺の質問にシラは何を感じ取ったのか、途中から必死に誤魔化そうとし始めた。
しかし被せるように真剣さを含んだ俺の声色にはさすがにシラは黙ってしまう。
肉の焼ける音がジュージューと響く。
香ばしい肉やスープの香りもする。
腹が随分と減ったが、今は一旦置いておく。
シラに言った通りの大切な話をするためだ。
緊張の含んだシラの瞳が俺の目をじっと見つめている。
暫く見つめ合うが、ふっと先に視線を逸らした俺は、ゆっくりとこの家の中を首を動かして見た。
小さな家、シラ以外の人間の痕跡がない。
俺が何を見ているのかシラも分かるだろう、緊張感が僅かに上がった気がする。
「…………この家、シラ以外に人がいないようだな」
「――ッ…………」
「ところで――――」
小さく呟いた俺の声にシラは明らかに過剰反応し、食器の音をたてる。
視線をシラに戻すと、案の定緊張で顔が強張っていた。
それを見ていよいよ俺は質問内容を口にした。
「――――俺は今晩、どこで眠ればいいんだ?」
唖然としたシラの顔が面白い。
思わず吹き出してしまうが俺は悪くない。
怒ったシラを大爆笑する中で思う。
大方両親について聞かれるのかと思っていたのだろうが、生憎とそんな野暮なことはしない。
そもそも村に来る途中で親の話題を出した時にシラが一瞬、言い淀んでいたのを俺はしっかりと見ている。
この観察眼がかつての俺の猫被りを完璧にさせていたのだ。
姉も幼馴染も知り合いも誰もいない異世界ではあるが前向きに生きていこう。
そう決意した一幕であった。
因みにシラの作った初の異世界料理は久しぶりに食べた食糧もあって、大変美味かった。
寝床もシラは当然のように自室で、俺はリビングの小さな空間に毛布だけもらって寝た。
窓から差し込んでくる星明りが眩しい。
だが今の俺は非常に疲れている。
数秒もしないうちに寝られるだろう。
「明日のことは明日考えよう……、おやすみ」
誰ともなく呟き、俺は静かに意識を沈めた。
俺の異世界初日はこうして終わった。
――――最後まで家の外にいる気配に気づくことなく……
◆ ◆ ◆ ◆
~???~
「寝たか……」
星空に照らされた中、不自然に揺れ動く影があった。
「あぁ、標的とシラ両者ともに睡眠薬をしっかりと飲んでいる」
「一日は起きることがないだろう」
揺れ動くのは5つの影。
そしてその影はシラの小屋と言っていいほど小さい家の周囲にあった。
「よし……、では標的の確保に急げ」
その声に頷き、4つほどの影がシラの家に入り込む。
不気味と言っていいほど音をたてずに、しかし影たちはすぐに家を出た。
ただし、影の一つがその手に眠っている霧崎 邪悪を担ぎながら。
「標的の確保に完了」
「よし、では急いで飛竜を使って王城へと向かう」
それを合図に影は風のように村を後に、森の中へと入っていった。
暫くすると森の一角から数匹の飛竜が飛び立ち、彼らの言う王城がある方向へと向かって行った。
彼らに連れられている霧崎 邪悪はずっと眠っている。
故に知ることができなかった。
どうしようもなかった。
こうして不幸にも彼が眠っている間に事件は起こり、既に手遅れになってしまってから彼は目覚めることになる。
真の絶望はこうして幕を開けたのだった。




