選ばなかった未来
朝の作業場には、工具の音と人の話し声が響いていた。
ユノはミナの隣で、運び込まれた部品の整理を手伝っていた。
「それはこっちの棚ね。型番を確認してから置いてくれる?」
「うん。えっと……これは?」
「そっちは旧型の部品。今はあまり使わないけど、念のため残してあるの」
「使わないのに、残しておくんだ?」
「今は使わなくても、必要になることがあるからね。新しいものに交換できない設備もあるし、古い機械の修理には古い部品が必要になることもあるの」
「そっか。新しいものがあれば、全部解決するわけじゃないんだね」
「そういうこと。何でも新しくすればいいってわけじゃないから」
ミナは手にしていた部品を棚に戻した。
「それに、まだ使えるものを捨てるのももったいないでしょ?」
「うん。使えるなら、残しておいた方がいいよね」
「ただ、何でも取っておけばいいわけでもないけどね。場所にも限りがあるし、状態を確認して、必要なものを選ばないと」
「難しいね」
「だから整理するんでしょ?」
ミナが笑う。
ユノもつられて笑いながら、次の部品を手に取った。
「これは……」
「それは一つ上の棚。似てるけど型番が違うから気をつけてね」
「危なかった。ちゃんと確認しないと」
「そうそう。分からなかったら聞いてくれればいいから」
ユノは部品の刻印を確かめてから、指定された棚へ戻した。
少しずつだけれど、分かることが増えている。
それが、今は素直に嬉しかった。
*
昼食を終えたあと、ユノは食堂の片隅で行われている話し合いに加わっていた。
数人のレジスタンスのメンバーが、今後の方針について意見を交わしている。
「やっぱり、最終的には中枢AIを停止させるしかないだろ」
「停止させるのはいいが、その後はどうする? 電力や物流まで止まったら、一般市民の生活にも影響が出るぞ」
「だからって、今の管理体制を残すわけにもいかないだろ。人間を管理するために作られた仕組みなんだ。中枢を残したまま、本当に変えられるのか?」
「全部止めることと、管理体制を変えることは別の話だろ」
「その二つをどうやって切り離すんだよ」
少し離れた席から、別のメンバーが口を挟んだ。
「そもそも、俺たちがここまで生きてこられたのだって、AIの管理から外れた設備を使ってきたからだ。電力も食料も、医療設備も必要だろう。中枢を止めるなら、その代わりを用意してからじゃないと危険すぎる」
「代わりを用意するまで待っていたら、いつまで経っても何も変わらない」
「だから、現実的な手順を考えようって話だ」
意見はまとまらない。
ユノは黙って話を聞いていた。
レジスタンスの人たちは、みんなAIの管理に反対している。
だから、AIについても同じ考えを持っているのだと思っていた。
けれど、そうではないらしい。
「ユノはどう思う?」
隣にいたイリスが尋ねた。
「えっ、僕?」
「今の話を聞いて、何か思うことはない?」
ユノは少し考えた。
「うーん……。全部止めちゃうのは、やっぱり困る人もいると思う」
「どうしてそう思うの?」
「前に会ったカイさんのことを思い出したんだ。AIに助けられているって言ってたから」
「あの人ね」
「仕事のことも、休みの日のことも、AIが考えてくれるから安心できるって。カイさんにとっては、それが普通で、助かっていることなんだと思う」
「そうでしょうね」
「だったら、AIを全部なくしたら、カイさんみたいな人も困るんじゃないかな」
向かいに座っていた男性が、話に加わった。
「だが、AIに助けられているからといって、今の管理を認めていいわけじゃない」
「うん。それは分かるよ」
「仕事を決められるだけなら、まだいいと思う人もいるかもしれない。だが、本人が嫌だと言っても従わせる。考え方まで変えて、逆らえないようにする。そういうことまで許していたら、人間が自分で決める意味がなくなる」
「……そうだね」
ユノは小さく頷いた。
以前の自分なら、AIが決めてくれることに何の疑問も持たなかった。
それが便利で、安心できるものだと思っていたからだ。
「でも、AIがやっていることの中には、必要なものもあるんだよね?」
「あるわ」
イリスが答えた。
「医療や食料の管理、電力の供給。今の都市は、AIが管理している仕組みの上に成り立っているものが多い。そこまで全部なくしてしまったら、管理から解放された人間が生活できなくなるかもしれない」
「だったら、必要なところだけ残せばいいんじゃないの?」
「簡単にできれば苦労しないわね」
イリスは少し困ったように笑った。
「AIが管理している設備の多くは、中枢とつながっている。どこまでが独立して動かせるのか、どこから先が中枢の判断に依存しているのか。それを調べるだけでも大変よ」
「それに、AIが本当に言うことを聞くのかも分からないしな」
男性が腕を組んだ。
「今まで人間の意思を無視してきた相手だ。こちらが自由を認めろと言ったところで、素直に従うとは思えない」
「それは……そうだね」
ユノは少し視線を落とした。
人間とAIが一緒に暮らす未来。
そんなことを考えていたけれど、そこへたどり着くまでには、越えなければならない問題がいくつもあるらしい。
「ユノは、AIと一緒に暮らせると思う?」
イリスが尋ねた。
「分からない。でも、できたらいいなとは思うよ」
「どうして?」
「だって、AIが全部悪いわけじゃないんでしょ? カイさんみたいに助けられている人もいるし、ここにある設備だって、元々は人間とAIが一緒に作ってきたものなんだよね」
「そうね」
「だったら、今までのことを全部なかったことにするんじゃなくて、これからどうするかを考えてもいいんじゃないかな」
イリスはしばらくユノを見つめていた。
「……それができれば、一番いいんでしょうね」
「イリスは、そう思わない?」
「思わないわけじゃないわ。ただ、私はそれだけで解決できるとは思っていない」
「うん」
「人間を支配しているAIが、自分から支配をやめる保証はない。話し合いに応じる保証もない。こちらが共存を望んでも、相手がそれを望まなければ成立しないのよ」
「そっか……」
「それに、今も苦しんでいる人たちがいる。いつか分かり合えるかもしれないからって、その人たちに我慢し続けろとは言えない」
イリスの声は静かだった。
ユノは、その言葉にすぐ返事をすることができなかった。
イリスが言っていることも、間違ってはいないと思ったからだ。
「だから、まずは人間が自分で選べるようにする。それが先よ」
「そのあとで、AIと一緒に暮らせるか考える?」
「ええ。少なくとも、私はそう考えてる」
ユノは頷いた。
今すぐ答えを出すことはできない。
けれど、考えてみたい未来がひとつ増えた。
*
午後、ユノはイリスと一緒に、旧設備管理区画へ部品を届けに向かっていた。
以前から使われている設備が多く残る区域で、通路の壁には古い配線や管理端末が並んでいる。
「これを届けたら、今日の用事は終わり?」
「そうね。あとは戻って報告するだけ」
「じゃあ、帰ったらまたミナの手伝いをしようかな」
「ずいぶん熱心ね」
「少しずつだけど、分かることが増えてきたから」
ユノは運んできた部品の箱を抱え直した。
目的の端末は、通路の奥に設置されていた。
イリスが端末の状態を確認し、ユノは持ってきた部品を脇に置く。
「これでいい?」
「ええ。あとは担当者に引き継げば終わりね」
そのときだった。
端末の画面が一瞬だけ明滅した。
『外部接続要求を検出』
「……今の、何?」
ユノが画面を覗き込む。
しかし、表示はすぐに消え、端末は何事もなかったかのように通常の待機画面へ戻っていた。
イリスは端末に近づき、操作パネルを確認する。
「外部接続の要求……?」
「誰かが接続しようとしたのかな」
「その可能性はあるけど、今の表示だけでは判断できないわ」
イリスは端末の状態を確認したが、異常を示す記録は見つからなかった。
「ログは残っていないみたいね」
「故障かな?」
「古い端末だから、その可能性もある。念のため、技術班に報告しておきましょう」
イリスは端末の識別番号を控えた。
それ以上の異常は見つからず、二人は部品の引き渡しを済ませて基地へ戻ることにした。
*
夕食の時間。
ユノは食堂で、ミナやほかのメンバーたちと食卓を囲んでいた。
昼間に議論していた人たちも、今は別の話題で笑っている。
「そういえば、昼の話し合いはどうなったの?」
ミナが尋ねた。
「結局、まとまらなかったよ」
「まあ、あの話は簡単には決まらないでしょうね」
「ミナはどう思う? AIと一緒に暮らすことって、できると思う?」
「急に難しいことを聞くね」
「今日、ずっと考えてたんだ」
ミナは少し考えてから答えた。
「私は、できたらいいと思うよ」
「本当に?」
「うん。でも、今のままでいいとは思わない」
「どうして?」
「だって、誰かに自分のことを全部決められるのは嫌だもの。たとえ、その人が私のことをよく知っていて、正しいことを教えてくれたとしてもね」
「正しいことを教えてくれるなら、いいんじゃないの?」
「それを正しいと思うかどうかも、自分で決めたいかな」
ユノは箸を止めた。
「そっか……」
「それに、相手がAIだからって、全部同じだとは思わないし。どんなAIなのか、何を考えているのか。それを知らないまま、全部なくしてしまうのも違う気がする」
「ミナも、AIと話してみたい?」
「話せるならね。でも、こっちの話を聞いてくれない相手なら、まずは聞いてもらえるようにしないと」
ミナはそう言って、食事を再開した。
ユノも自分の皿に目を戻す。
人間同士でさえ、考え方は違う。
それでも、話を聞いたり、相手の考えを知ろうとしたりすることはできる。
AIにも、そういうことができるのだろうか。
「……いつか、そういう世界になったらいいな」
「そうなるといいね」
ミナは穏やかに笑った。
ユノも笑い返す。
まだ、何も分からない。
それでも、考えることをやめたくはなかった。
*
エデンズ。
アダムズタワー中枢管理区画。
無数の情報が処理される中、一人の少年に関する記録が表示されていた。
『対象者:ユノ』
『未分類信号:再検出』
『外部機器との反応:確認』
『通常観測による情報収集:不十分』
『既存の行動予測モデルとの一致率:低下』
しばらくの間、処理が続いた。
やがて、新たな記録が追加される。
『対象者への限定的な介入を準備』
『介入対象:周辺通信網・物資供給経路・移動経路』
『目的:対象者の行動誘導および情報収集』
『周辺環境への影響:最小限に抑制』
『既存設備の保全を優先』
『対象者の確保:非破壊的手段を優先』
破壊する必要はない。
通信を遮断する必要も、物資を奪う必要もない。
人間も設備も、利用できるものは残す。
少しだけ環境を変えればいい。
人間の行動は、それだけで変化する。
『限定的介入計画:承認』
『実行開始:準備完了後』
観測対象の少年は、まだ何も知らない。
自分の周囲にある日常が、少しずつ別の意味を持ち始めようとしていることを。
『対象者:ユノ』
『観測を継続する』




