考えること、頼ること
レジスタンスの拠点で暮らすようになって、ユノは少しずつ自分の居場所を見つけ始めていた。
最初の頃は、何をするにもイリスの後ろについて歩いていた。知らない場所ばかりで、見慣れない機械ばかりで、自分が何をしていいのかさえ分からなかったからだ。
けれど、何日か過ごすうちに、拠点の中にも日々の決まりごとがあることに気づいた。
朝になれば食堂に人が集まり、食事を終えた者からそれぞれの仕事に向かう。整備区画では機械の駆動音が響き、技術区画では端末を操作する音が絶えない。物資の搬入があれば何人かが手伝い、休憩時間には通路の隅で談笑する姿も見られた。
誰かに管理されているわけではない。
それでも、人々は自分の役割を理解し、必要に応じて互いに協力していた。
「……あれ?」
朝食を終えたユノは、食堂から出たところで足を止めた。
通路の向こうで、ミナが小さな箱をいくつも抱えて歩いている。片腕が機械化された彼女は、空いた手で端末を操作しながら、箱を落とさないよう慎重に進んでいた。
「ミナさん、おはよう」
「ん? ああ、ユノ。おはよう」
「それ、運ぶの?」
「そう。整備区画で使う部品。昨日仕分けた分を、作業台の近くまで持っていくんだ」
「そっか。僕も手伝おうか?」
ミナは一瞬だけ考えるように目を細めた。
「じゃあ、お願いしようかな。こっちの箱を二つ持ってくれる?」
「うん、任せて」
ユノは差し出された箱を受け取った。
見た目より少し重い。けれど、両腕が機械化されている彼にとって、持ち運ぶこと自体は大した問題ではなかった。
「どこまで運べばいい?」
「整備区画の奥。入って右側の棚の前ね」
「分かった」
二人は並んで歩き出した。
ユノは、こうして誰かの役に立てるのが少し嬉しかった。
ここへ来てから、知らないことばかりだった。自分の身体のことも、AIが人間を管理しているという事実も、今まで信じていた世界がどんな仕組みで動いていたのかも。
考えなければならないことはたくさんある。
だからこそ、今できることくらいは、自分で見つけていきたかった。
「そういえば、ミナさんって、いつもこの辺りで仕事してるよね」
「基本的にはね。私は機械の整備が専門だから」
「機械に詳しいんだ」
「詳しくならなきゃ仕事にならないからね。最初から何でも分かったわけじゃないよ」
「えっ、そうなの?」
「そりゃそうでしょ。知らないことを一つずつ覚えてきたんだよ」
ミナはそう言って、軽く笑った。
「ユノだって、こっちに来てから色々覚えてるじゃない」
「僕は……まだ教えてもらってばかりだけど」
「教えてもらうのも、覚えるために必要なことでしょ」
その言葉に、ユノは少しだけ考え込んだ。
教えてもらうこと。
それは、今まで当たり前にやってきたことでもあった。
仕事の手順も、移動経路も、必要な情報も。自分の頭に埋め込まれたチップが、いつでも最適な答えを示してくれていた。
けれど、ここでは違う。
誰かに教えてもらうことはあっても、最後にどうするかを決めるのは自分だった。
それが少し難しくて、同時に、どこか面白くもあった。
やがて二人は整備区画に到着した。
「ありがとう。じゃあ、その箱はそこの棚に置いてくれる?」
「この棚?」
「そう。その辺りで大丈夫」
ミナは別の箱を作業台の脇に置き、端末を操作し始めた。
ユノも指示された棚へ向かう。
棚には、小さな部品の入ったケースがいくつも並んでいた。種類ごとにラベルが貼られているが、見慣れない名称ばかりで、何が何に使われるのかはよく分からない。
箱を置こうとしたところで、ユノは棚の下段に目を向けた。
そこには、空になったケースがいくつか並んでいた。
「……あれ?」
持ってきた箱には、まだ部品が残っている。
箱のラベルを見ると、棚に並んでいるケースと同じ種類の部品らしかった。
ユノは棚と箱を見比べた。
ケースが空になっているなら、ここに補充した方がいいのではないだろうか。
そうすれば、次に使う人も困らないはずだ。
「よし」
ユノは箱を開け、部品を取り出した。
空のケースに一つずつ入れていく。大きさや形が似ているものもあったが、ラベルを確認しながら慎重に作業を進めた。
これなら間違えない。
自分で考えて、必要だと思ったことをする。
誰かに言われたからではなく、自分がそうした方がいいと思ったから行動する。
それは、今までの自分にはあまりなかった感覚だった。
「……できた」
最後のケースに部品を収め、ユノは満足げに頷いた。
そのとき、背後から声がした。
「ユノ? 何してるの?」
振り返ると、ミナが作業台からこちらを見ていた。
「部品の補充だよ。空になってるケースがあったから、箱に入ってた分を入れておいたんだ」
「……全部?」
「うん。これで使うときに探しやすいかなって」
ミナは手元の端末を置き、棚の前まで歩いてきた。
そして、ケースのラベルを一つずつ確認し始めた。
「ユノ。この箱の部品、どこから持ってきたか覚えてる?」
「えっと、さっきミナさんが運んでた箱だよ」
「それは分かってる。もともと、どこに置いてあった箱?」
「……あっちの通路の近く」
「そう。あれはね、今日の午後に使う分をまとめておいたものなの」
ミナは棚からケースを一つ取り出した。
「この棚の空きケースは、使い終わった部品を戻すためのもの。今は空に見えるけど、次の整備で使う分は別の場所にまとめてあるんだよ」
「えっ……」
「それに、部品によっては一度に全部使わず、必要な分だけ作業台に持っていくこともある。ここに補充しちゃうと、どこに何があるのか分からなくなる場合があるんだ」
ユノは棚を見つめた。
ケースはきれいに並んでいる。
部品も、種類ごとに分けたつもりだった。
けれど、それが正しいとは限らなかった。
「ご、ごめんなさい。僕、空っぽだったから、入れた方がいいと思って……」
「うん。そう考えたこと自体は分かるよ」
ミナの声は、思っていたよりも穏やかだった。
「ただ、見た目だけじゃ分からないこともあるんだ。ここにある部品が、何のために置かれているのか。誰が、いつ使う予定なのか。そういうことまで分からないと、勝手に動かせない場合もある」
「……そっか」
「せっかく手伝ってくれたのに、こういう説明を先にしておけばよかったね。ごめん」
「いや、ミナさんは悪くないよ。僕がちゃんと聞かなかったから」
ユノはそう答えたものの、胸の奥には小さな苦さが残っていた。
役に立ちたかった。
自分で考えて行動できるようになりたかった。
それなのに、良かれと思ってやったことが、かえって仕事を増やしてしまった。
「じゃあ、元に戻した方がいいよね?」
「そうだね。一緒に確認しながら戻そうか」
「うん」
二人はケースを一つずつ確認し、部品を元の箱へ戻していった。
ユノがラベルを読み上げ、ミナが部品の種類と数を確かめる。似た形の部品もあったが、用途を聞きながら作業を進めると、少しずつ違いが分かってきた。
「これは見た目が似てるけど、接続部分の規格が違うんだ」
「ほんとだ。こっちは端が少し短い」
「そう。無理に接続すると、機械側を傷めることもあるよ」
「うわ……危ないところだった」
「だから、分からないものを見つけたら、まず聞いてね」
「分かった」
返事をしたユノは、手元の部品をもう一度見た。
今までなら、チップが違いを判別し、適切なものを提示してくれていたかもしれない。
けれど今は、目で見て、説明を聞いて、自分で違いを理解するしかない。
その手間は面倒なことでもあったが、覚えたことが少しずつ自分の中に積み重なっていく感覚もあった。
作業を終える頃には、最初よりも部品の種類を見分けられるようになっていた。
「ありがとう、ミナさん。色々教えてくれて」
「こちらこそ。手伝ってくれて助かったよ」
「でも、僕、余計なことしちゃったね」
「そうかもしれない。でも、最初から全部分かる人なんていないから」
ミナは箱の蓋を閉めながら続けた。
「大事なのは、失敗したことだけじゃなくて、次にどうするかだよ。分からないときに聞く。間違えたら直す。必要なら、誰かと一緒に考える。それができれば、少しずつ任せられる仕事も増えていくから」
「……うん」
ユノは小さく頷いた。
自分で考えるというのは、誰にも頼らずに何でもできるようになることではないのかもしれない。
分からないことを分からないままにしない。
自分の考えが正しいかどうか、別の人の視点から確かめる。
そうして得た情報をもとに、最後は自分で判断する。
それもまた、自分で考えるということなのだろう。
*
昼過ぎ。
ユノは食堂の片隅で、イリスと向かい合っていた。
テーブルの上には、簡単な昼食と二人分の飲み物が置かれている。
「……それで、部品を勝手に入れちゃったんだ」
「うん。ミナさんに教えてもらって、ちゃんと戻したけど」
「なるほどね」
イリスは飲み物を一口飲んだ。
怒られるかもしれないと思っていたユノは、彼女があまり反応しないことに少し拍子抜けした。
「怒らないの?」
「何に?」
「勝手に動いたこと」
「それは、場合によっては注意するよ。でも、今回はミナが説明してくれたんでしょ?」
「うん」
「だったら、まずは何が起きたのかを整理すればいい。何も聞かずに同じことを繰り返すなら別だけど」
イリスはテーブルに肘をつき、ユノを見た。
「それで、どうして自分で補充しようと思ったの?」
「え?」
「空のケースを見て、部品を入れた方がいいと思ったんでしょ。どうしてそう判断したのか、聞いてるの」
ユノは少し考えた。
「空っぽだったから、使うときに困るかなって。それに、僕も何か手伝いたかったんだ」
「手伝いたかったから、空いているところを埋めようと思った?」
「……うん」
「そっか」
イリスは否定も肯定もせず、静かに頷いた。
「じゃあ、ユノ。もし、誰かがあなたの身体を見て、ここが機械だから交換した方がいいと思ったら、どうする?」
「えっ?」
突然の質問に、ユノは目を丸くした。
「もちろん、勝手に交換されたら困るよ。僕の身体なんだから」
「どうして困るの?」
「だって……僕が必要だと思ってるかどうかも分からないし、交換する部品が合ってるかも分からないし。それに、身体のことは僕にも関係あるから」
そこまで言ってから、ユノは口を閉じた。
イリスは彼の言葉を待っていた。
「……あ」
「気づいた?」
「うん。棚の部品も、同じようなことだったんだね」
「そう。空いているから埋めればいい、足りないように見えるから補えばいい。そういう判断が正しい場合もある。でも、それだけでは分からないこともある」
イリスは、指先でテーブルを軽く叩いた。
「そこにあるものには、そこにある理由があるかもしれない。今は使わない方がいい理由があるかもしれない。見えているものだけで決めつけると、相手の事情を無視してしまうこともあるんだ」
「……うん」
「だからって、何もするなって話じゃないよ。気づいたことがあったら、聞けばいい。自分の考えを伝えて、相手の話も聞いて、それからどうするか決めればいいんだから」
ユノは、昼食の皿に視線を落とした。
自分で考えること。
自分で決めること。
その二つは、ずっと一緒のものだと思っていた。
誰かに聞けば、自分で決めていないことになる。人の意見を参考にすれば、自分の考えではなくなってしまう。
そんなふうに、どこかで思っていたのかもしれない。
でも、違うのだろう。
自分だけでは分からないことがある。
自分の目には見えない事情がある。
それを知ろうとすることは、自分で考えるのをやめることではない。
「……イリス」
「ん?」
「僕、ちゃんと自分で考えられるようになるかな」
イリスは少しだけ目を細めた。
「さあ。どうだろうね」
「えっ、そこは大丈夫って言ってくれるところじゃないの?」
「大丈夫って簡単に言うのは、無責任でしょ」
「うぅ……」
ユノは分かりやすく肩を落とした。
そんな彼を見て、イリスは小さく笑った。
「でも、少なくとも今日のユノは、自分の判断が間違っていた理由を理解しようとしてる。次に同じようなことがあったとき、今日と同じ判断をするとは限らないでしょ?」
「……うん」
「そうやって、少しずつ覚えていけばいいんじゃない?」
イリスの言葉は、答えを保証するものではなかった。
それでも、今のユノには十分だった。
「よし。じゃあ、次はちゃんと聞いてから動くよ」
「うん。ただし、聞いたからって、相手の言うことを何でもそのまま信じる必要はないからね」
「えっ、そうなの?」
「相手が間違っていることだってあるでしょ。聞いたうえで、自分でも考える。それでも分からなければ、別の人に聞いてみてもいい」
「……考えることって、思ってたより大変なんだね」
「今まで考えなくて済んでいたことまで、自分で考えるようになったんだからね」
その言葉に、ユノは何も返せなかった。
便利なものがあれば、使えばいい。
答えを示してくれるものがあれば、それに従えばいい。
そうして暮らしていた頃は、考えることの大変さなど意識したこともなかった。
けれど、今は違う。
目の前の小さな判断一つにも、自分の知らない事情が隠れていることがある。
誰かの話を聞き、考え、自分なりの答えを探す。
その繰り返しが、これからの自分を作っていくのかもしれない。
「……なんか、お腹空いてきた」
「今、食べてる途中だけど?」
「あ、そうだった」
イリスは呆れたように息をついた。
ユノは照れ笑いを浮かべ、冷めかけた昼食を口に運んだ。
*
午後、ユノは再び整備区画を訪れていた。
今度は、作業を始める前にミナの姿を探した。
「ミナさん。何か手伝えることある?」
「あるよ。こっちの端末で、部品の数を確認してくれる?」
「数を確認するだけでいいの?」
「うん。画面に表示されている数量と、箱に入っている実際の数が合っているか調べてほしいんだ。分からない項目があったら、そのままにせず聞いてね」
「分かった」
ユノは端末の前に座った。
表示された一覧には、部品名と数量、保管場所が並んでいる。
初めて見る名称も多かったが、今度はすぐに手を動かさなかった。
まず、表示の意味を確認する。
次に、保管場所を確かめる。
それから箱を開けて、実際の数を数える。
一覧と合わないものがあれば、ミナに報告する。
単純な作業だったが、思った以上に時間がかかった。
「ミナさん、これなんだけど」
「どれ?」
「表示では十二個なのに、箱には十個しか入ってないんだ」
ミナは端末を覗き込んだ。
「ああ、これは昨日の作業で二個使った分だね。記録の更新がまだだったみたい。教えてくれてありがとう」
「じゃあ、僕が数え間違えたわけじゃないんだね?」
「ちゃんと確認したんでしょ?」
「うん!」
ユノの顔がぱっと明るくなった。
その様子に、ミナは笑いをこぼした。
「そんなに嬉しい?」
「だって、今度はちゃんとできたから」
「そっか。じゃあ、残りも頼んだよ」
「任せて!」
今度の返事には、朝よりも少しだけ自信があった。
自分の判断だけで進めるのではなく、決められた手順を理解して、分からないことは確認する。
その結果、問題を見つけることができた。
自分が役に立てたのだと思うと、素直に嬉しかった。
作業を続けながら、ユノはふと考えた。
AIに管理されていた頃も、自分は何かをしていたはずだ。
仕事をこなし、指示された場所へ行き、必要なものを受け取り、毎日を過ごしていた。
その生活が、すべて間違っていたとは思わない。
AIが教えてくれたことも、助けてくれたことも、きっとたくさんあったのだろう。
けれど、あの頃の自分は、どうしてその仕事をするのか、誰がその結果を必要としているのか、深く考えたことがあっただろうか。
必要な情報が示され、やるべきことが決められ、それをこなせば一日が終わる。
困ることは少なかった。
迷うことも、今よりずっと少なかった。
その代わり、自分が何を知らずにいたのかさえ、分からなかった。
「……難しいなあ」
ユノは小さく呟いた。
「何が?」
隣で別の作業をしていたミナが、顔を上げる。
「ううん。何でもない。こっちは確認できたよ」
「じゃあ、次はこの箱ね」
「はーい」
ユノは新しい箱を引き寄せた。
考えなければならないことは、まだまだたくさんある。
AIのことも、レジスタンスのことも、自分の身体のことも。
何が正しくて、何が間違っているのか。
それを簡単に決められるほど、ユノはこの世界を知らなかった。
だから、まずは目の前にあることから覚えていこうと思った。
分からないことを聞く。
教えてもらったことを理解する。
自分でも考えて、必要ならもう一度確かめる。
それは、遠回りに見えるかもしれない。
けれど、誰かが決めた答えを受け取るだけだった頃よりも、自分が今どこに立っているのか、少しだけ分かるような気がした。
*
その日の夜。
拠点の技術区画では、ユノのチップに関する解析が続けられていた。
「今日も外部通信の遮断状態に変化はありません」
技術スタッフの一人が、端末に表示された診断結果を確認する。
「例の信号は?」
「今日は検出されていません。ただ、前回の発生時に記録したデータには、通常のチップ通信とは異なる特徴が残っています」
「発生条件はまだ分からないか」
「はい。チップ内部のプログラムが反応している可能性もありますが、現時点では断定できません」
スタッフは記録を保存し、解析画面を閉じた。
今は、無理に内部へ踏み込まない方がいい。
分からないものを解き明かそうとして、ユノの身体やチップに影響を与えるわけにはいかなかった。
一方、その頃。
エデンズの中心にそびえるアダムズタワーでは、別の観測記録が静かに更新されていた。
広大な演算領域の中で、ユノに関する情報が整理されていく。
『対象者:ユノ』
『外部通信遮断状態:継続』
『未分類信号:新規発生なし』
『過去の信号記録:解析継続中』
『対象者の行動傾向:再評価中』
『追加介入の必要性:保留』
『対象者の観測を継続する』
記録は保存された。
ユノが自分で考え、失敗し、誰かに教わりながら少しずつ行動を変えていること。
その変化が、何を意味するのか。
現時点で、その問いに答えを出せる者はいなかった。
ただ一つ確かなのは、ユノが以前と同じ場所には戻らないということだった。




